クロアチア紛争の原因
クロアチア紛争では、軍人だけでなく、たくさんのクロアチア人とセルビア人の民間人が犠牲となってしまいました。
なぜ、このような紛争が起きてしまったのでしょうか?
そして、どうしてクロアチア人とセルビア人がここまで殺し合う事態になってしまったのでしょうか?
ここでは、その原因について考察していきます。
民族主義の後には悲惨な結末しか待っていない
まず、クロアチア人とセルビア人がひたすら虐殺し合った理由としては、1章でお話した「民族主義」が挙げられます。
両民族にはもともと、第二次世界大戦でお互いを殺し合ったという歴史がありました。
「過去に対立した」「過去に殺し合った」というような歴史は敵対意識を醸成しやすいです。
なので、両民族のそういった意識が民族主義に変わってしまい、紛争においてもそのような憎しみの感情を捨てることができず、相手民族をこれでもかというぐらい殺し続けてしまったのだと考えられます。
また紛争前に、セルビアとクロアチアの大統領にそれぞれ民族主義者が就いたことも問題だったと言えるでしょう。
セルビアのミロシェビッチ大統領は大セルビア主義を掲げ、クロアチアのトゥジマン大統領は国民にクロアチアの言語・宗教を強制しました。
国の指導者がこうした民族主義を掲げたことで、各国民の民族主義意識を刺激してしまい、両民族の内に秘めた憎しみに更なる火をつけたことも、むごい殺戮が行われたことにつながったと考えられます。
民族主義が悲惨な結末をもたらしたのはクロアチア紛争だけではありません。
世界の歴史を見ると、民族主義が戦争につながる実例は非常に多いのです。
特に、民族主義というものには敵対民族に対する憎しみが込められやすい分、それに起因する戦争の被害は痛ましさを極めたものになる傾向があります。
民族主義は悲惨な結末しかもたらさない、危険な思想なのです。
カリスマ指導者・チトーの死
では、クロアチア紛争の原因として考えられる民族主義の台頭は何が原因で起きたのでしょうか?
元をたどれば、それはかつてのユーゴスラビアの指導者 チトー大統領の死です。
チトーは民族対立が起きやすいユーゴスラビアを上手く統治していたので、民族間で大きな争いが起きることはなかったのです。
その統治が上手くいった理由としては2つあるでしょう。
1つは、民族主義者を徹底的に弾圧したからです。
そしてもう1つの理由は、チトーの持つカリスマ性によってユーゴスラビアの国民がまとまっていたからです。
チトーはユーゴスラビアを統治するにあたって、「民族の違いは問題にせず、一つにまとまろう」というスローガンを掲げていました。
そして差別を物凄く嫌い、たとえチトーの出身国の人が民族主義を唱えても贔屓(ひいき)するようなことは絶対にせず、そのような考え方を例外なく弾圧したのです。
またチトーはユーゴスラビアの英雄でもありました。
第二次世界大戦のとき、ユーゴスラビアはナチス・ドイツをはじめとする枢軸(すうじく)国勢力によって支配されていました。
しかし、チトーが率いた民兵組織 パルチザンは枢軸国勢力との激闘を制し、ユーゴスラビアを支配から解放したのです。
第二次世界大戦後はソ連によるユーゴスラビア併合を阻止し、ユーゴスラビアの独立を守りました。
このようにチトーには、その正義感ある人柄に加え、ユーゴスラビアを国内の民族主義や国外の脅威から守った・解放したという素晴らしい実績がありました。
そのため、ユーゴスラビア国民からの人気が非常に高く、そのカリスマ性のもとに民族の違いなど問題にせず国民は1つにまとまっていたのです。
しかしチトーの死去後、彼のようにユーゴスラビア内のバラバラな民族をまとめる人物が居なかったので、その結果、このような悲惨な民族紛争が起きてしまったのです。
国をうまく治める指導者の存在がいかに重要なのかがよく分かると思います。
紛争後のクロアチア人とセルビア人
クロアチア紛争が終わってから約25年が経ちました。
その後、クロアチアはどうなったのでしょうか?
そして、かつて殺し合ったクロアチア人とセルビア人の関係は現在どうなっているのでしょうか?
ここでは、それらについて見ていきます。
融和の道を進みつつある
結論から言うと、両民族は融和しつつあります。
国レベルでは、クロアチアとセルビアの関係は良いようです。
そして民族レベルにおいても、クロアチア人とセルビア人は融和へ向かいつつあります。
しかし、両国の一部の国民や政治家の中には、未だに民族主義意識を持っている人が居ます。
なので、完全な融和には至っておらず、そこにたどり着くにはまだまだ時間がかかりそうです。
ですが、全体として見ると融和しつつある状況にあるようです。
多くのセルビア人がクロアチアに未だ帰還していない
クロアチアとセルビアの間のわだかまりが解消されつつある一方、クロアチアに“紛争の傷痕”が依然として残っています。
それを示すものが、クロアチア国内の各民族の人口です。紛争前約75%がクロアチア人、約12%がセルビア人でした。
しかし現在は、クロアチアの人口約400万人のうち、約90%がクロアチア人、約4%がセルビア人です。
紛争から時間が経ってもセルビア人が帰還していないことが分かります。
クロアチアが戦場になってから多くのセルビア人が同国から避難しました。
特に、嵐作戦が行われたときは非常に多くのセルビア人が難民となりました。
クロアチア紛争によって難民となったセルビア人は約30万人です。
紛争後、クロアチア側はセルビア人難民の帰還を推進し、当時の難民のうちの半数が帰還しました。
しかし、紛争のときの恐怖が消えないのか、クロアチアに未だ戻っていないセルビア人も多数居るのです。
クロアチア紛争が残した傷痕は、未だ深く残っているのです。
クロアチア紛争をわかりやすく解説!まとめ
今回はクロアチア紛争について解説しました。
民族の違いが原因で、ものすごく悲惨な紛争が起きたことが分かったと思います。
冒頭で述べたように、民族の違いは世界のいたるところで凄惨な結果をもたらしています。
そしてこのことは過去の話ではなく、現在も世界のどこかで起きていることなのです。
日本は複合他民族国家ではないので、このような民族紛争は関係がないかもしれません。
しかし、これは「民族について何も考えなくてよい」ということを意味しません。
民族という概念がこの世に存在してしまっている以上、そしてその概念が原因で非常に多くの人が殺されたという事実がある以上、平和に生きていくために「民族」というものについてしっかり考えることは避けて通れないのです。
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【参考文献】
ネクタイでスーツの表情が変わる。結び方の代表的な種類を解説:アエラスタイルマガジン
https://asm.asahi.com/article/14283188
クロアチア基礎データ|外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/croatia/data.html#section1
Croatia|Data
https://data.worldbank.org/country/croatia?view=chart
クロアチアにおけるセルビア人難民の帰還と再統合
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/
BBC NEWS|Europe|Croatia marks massacre in Vukovar
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6162474.stm
Croatia:Vukovar is Still Haunted by the Shadow of its Past|Inside Europe|DW|22.08.2006
https://www.dw.com/en/croatia-vukovar-is-still-haunted-by-the-shadow-of-its-past/a-2129420
BBC NEWS|Europe|Evicted Serbs remember Storm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4747379.stm
クロアチア人とセルビア人の対立はなぜ起こったのか?|映画の背景について|映画『灼熱』 公式サイトhttps://www.magichour.co.jp/
クロアチアのW杯決勝進出、近隣諸国で分かれる評価 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
https://www.afpbb.com/articles/-/3182305
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