中東地域

クルド人の歴史・分断された民族についてわかりやすく解説します!

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ヨーロッパからみて、ずーっと東にある日本や中国は「極東」といわれます。

それに対し、極東程遠くないけれども、ヨーロッパの東にある国々ことは「中東」「中近東」と呼んでいます。

中東という言葉は、ニュースによく出てきて、すごい治安が悪い印象がありますよね。

国でいうと、サウジアラビアやイラン、イラク、イスラエル、エジプトなどですね。

今日は分断された民族「クルド人」についてです!クルド人の歴史・分断された民族というタイトルで、クルド人についてわかりやすく解説します。

ニュースでよく聞くクルド人ってどんな民族?

クルド人はトルコの西部、シリアの北東部、イラクの北部、イランの東部にまたがって住む人々で、クルド語を使っている民族のことを言います。

女性はきれいで強いというイメージがあり、決まった国はなく中東の至る所に居住しているんですね。

またクルド人の住むこれらの地域をクルディスタンと呼んでいます。

国を持たないクルド民族

クルド人の人口は2500万人から3000万人。

これは、国を持たない民族としては最大規模で、サウジアラビアや北朝鮮と同じくらいの人口ですよ。そんな彼らが国を持たずにどうやって生き延びているのか不思議ですよね。

「祖国を持たない民族」としてかつてはユダヤ人が挙げられていましたが今ではクルド人といってもおかしくありません・・・・

クルド人は、トルコに2000万人以上、イランやイラクに400~500万人、シリアに100万人以上が暮らしていると推定されます。

それぞれの国で、クルド人は少数派になってしまうため、多数派の政府によってしばしば弾圧されました。

そしてクルド人分断の原因となったのはクルディスタンを分割した「サイクス・ピコ」協定セーヴル条約、そしてクルド人の独立を認めたセーブル条約を破棄したローザンヌ条約があります。

クルド人は長い間弾圧をうけ、そうかとおもえば独立の兆しが見えたりとなんとも心休まる時がないほど安定しない状態が続いて言います。

クルド人分断のはじまり

1914年、ヨーロッパを中心に第一次世界大戦がはじまりました。

この戦争では、イギリス・フランス・ロシアの協商国と、ドイツ・オーストリアなどの同盟国が争いました。

中東を支配していたオスマン帝国は、ドイツなどの同盟国側として戦争に参加します。

イギリスは敵に回ったオスマン帝国の領土を、戦争勝利後にフランスやロシアと「ぶんどる」協定を結びました。

それが、サイクス・ピコ協定です。

戦争が終わるとイギリスとフランスは、中東のオスマン帝国の領土を分割しました。

この時、イギリスとフランスは、中東に住んでいる民族のことなどお構いなしで勝手に国境線を引きます。

そのせいで、多くの民族が別々の国に分割されてしまいました。

なかでも、一番ひどい分け方をされたのがクルディスタン。

クルディスタンが、トルコ・シリア・イラク・イランなどに分かれて存在するのは、サイクス・ピコ協定のせいなんです。

戦争に負けたトルコは、イギリスやフランスが突きつける領土分割を受け入れるしかありませんでした。

サイクス・ピコ協定の内容が反映されのがセーヴル条約です。セーヴル条約ではクルド人自治区をつくると決めたのですが、この約束は果たされません。

トルコ共和国の初代大統領になるムスタファ・ケマルがセーヴル条約を拒否したからです。ケマルは、隣国ギリシアとの戦争に勝ち、ソ連とも新たに条約を結びます。

イギリスやフランスはしかたなく、トルコと条約を結びなおしました。新たに結んだローザンヌ条約では、クルド人自治区の話はなくなっていました。

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クルド人の国ができた!でも、すぐに消滅!?

 

1920年代や1930年代、クルド人たちは各地で反乱を起こし自分たちの国を作ろうとしました。しかし、反乱は失敗してしまいます。

第二次世界大戦終結の翌年、1946年、クルド人たちにとって大きな出来事がありました。

現在のイランの北西部にあたるマハーバードという町を中心とした地域がクルディスタン共和国として独立を宣言します。

クルディスタン共和国の後ろ盾となったのはソ連でした。

1941年、ソ連軍がイランに居座ります。そのソ連軍が、クルディスタン共和国の建国に協力したのです。

困ったのはイラン政府。

ソ連と戦う力がなかったイランは、石油の権利をソ連に与えることでイランからソ連軍を引き上げさせました。

後ろ盾を失ったクルディスタン共和国は攻め込んできたイラン軍に敗北。

建国からわずか1年でクルディスタン共和国は消滅してしまいました。

イラクにできたクルド人自治区

自分たちの国を持たないクルド人たちは、しばしば、各国政府から弾圧されました。

中でも、一番有名なのは1988年におきたイラクのフセイン政権による弾圧です。イラク軍はクルド人が住むハラブジャという地域を化学兵器で攻撃。

5,000人以上のクルド人が化学兵器で殺されてしまいました。

クルド人たちの活動が活発になるのは1991年の湾岸戦争以後です。

湾岸戦争でイラクが負け、イラクの力が弱まったことをチャンスだと考えたクルド人たちは独立への動きを強めます。

しかし、イラク軍もクルド人に対して激しく反撃。戦いに巻き込まれたクルド人たちは周辺諸国へ流入。クルド人難民となりました。

とはいえ、イラクにとってもそれ以上の戦いをする余裕はありません。

同じ年の1991年、イラク北部でクルド人の自治が始まりました。

2014年、過激派組織「イスラム国」(IS)がシリアやイラクの北部で力を強めると、ISはクルド人の居住地域にも攻め込んできます。

クルド人たちは「ペシュメルガ」という自分たちを守る治安部隊を結成し、ISと戦いました。

現在、クルド人は独立国家を作ろうと動いていますが、クルド人を2000万人以上抱えるトルコが強く反発。

クルド人とトルコ軍の戦いが今も続いています。

クルド人の歴史・分断された民族についてわかりやすく解説します!まとめ

クルド人はイギリスやフランスによって、住んでいる土地「クルディスタン」を分割されました。

独立した国を作りたいという希望はありますが、トルコやイラン、イラクなど周辺諸国は反対しています。

最近は、イスラム国(IS)やトルコ政府などとも戦いを繰り返していて、クルド人たちの苦難は今現在も続いています。日々中東のニュースをみていると民族問題の根深さを実感しますよね・・・・

 

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