パレスチナとは、現在のイスラエル一帯の地域のこと。
この地を巡って、今もユダヤ人とアラブ人は熾烈な戦いを繰り広げています。
この戦いは、「宗教対立」「何千年前の紛争」などと言われてきました。
民族問題がない日本人にはあまりピンとこない問題かもしれませんね。
一体、パレスチナ問題とはどういった問題なのか!?この記事で解説していこうと思います。
運命の土地「パレスチナ」
パレスチナは旧約聖書の舞台でもあり、かつてはユダヤ人国家も存在していました。
そのためパレスチナの地は、元々はユダヤ人が生活をしていた場所なのです。
しかしローマ帝国により離散、流浪の民となると以降アラブ人がパレスチナに根を張って暮らしていくようになります。
以降、アラブ人は一帯でイスラム教を形作っていきます。
さらにパレスチナには、ユダヤ教にとってもイスラム教にとっても聖地であるエルサレムがあるのです。
このような経緯によって、ユダヤ人にとってもアラブ人にとっても宗教上とても大切な場所であり、故郷のような場所となっているのです。
現在の対立にはこうした歴史上の原因が前提として存在しています。
民族の時代
13世紀末ごろ、オスマン帝国が建国されました。
中東一帯を支配するとユダヤ人やアラブ人も、オスマン帝国内の一部族として存在していくこととなります。
それ以降それぞれの民族は、オスマン帝国で比較的安定して共存していました。
しかし19世紀になると、少し雲行きが怪しくなっていきます。
ユダヤ人への迫害が起こり始めるのです。これは民族主義によるものでした。
19世紀ごろから国民国家が誕生するにつれて、人々は自らの民族を意識するようになります。
そして国がまとまるためには、「移り住んできた異民族は要らない」という声が強くなってきたのです。
そして各国で商業や学問、芸術などで活躍していたユダヤ人が民族主義の標的に。
19世紀から第二次世界大戦でのナチスによるホロコーストまで、ユダヤ人はあらゆる場面で迫害の対象となります。
ユダヤ人のシオニズム運動
そうした状況の中、ユダヤ人は自分たちの国を欲するようになります。
それがシオニズムという運動です。
シオニズムの目的は、パレスチナというユダヤ教の聖地かつ先祖伝来の地に国家を作るということでした。
そうしてシオニズム運動が活発になる中、第一次世界大戦が勃発します。
この第一次世界大戦も元々は民族同士の争いが発端でした。
この時代は民族という概念が非常に敏感だった時代だったのです。
三枚舌外交
そんな第一次世界大戦で、パレスチナ問題が複雑化する決定的な出来事が起きます。
イギリスの三枚舌外交です。
第一次世界大戦中、イギリスは戦争資金を調達するためユダヤ人コミュニティに協力を仰ぎました。
その時イギリスは「パレスチナへのユダヤ人国家建設を支持する」という表明をします(バルフォア宣言)。
しかし同時にオスマン帝国からの独立を目指すアラブ民族主義も利用すべく、こちらにも「アラブの独立支持を約束する」と表明します(フセイン・マクマホン協定)。
さらにさらに同盟国であるフランスとは、戦後パレスチナ地域を分割するという秘密協定も結びます(サイクス・ピコ協定)。
結局、戦後はイギリスとフランスが一帯を委任統治することとなりますが、アラブとユダヤへの約束は守られることはありませんでした。
このイギリスの身勝手な政策が、その後のパレスチナ問題がややこしくなる原因となるのです。
パレスチナ解放機構(PLO)の登場
パレスチナの民族問題が未だ解決しない中、第二次世界大戦が勃発。
皆さんもよく知っているように、ナチスドイツは民族主義を理由にユダヤ人を迫害。
ここでもユダヤ人が槍玉に挙げられることとなるのです。
そしてユダヤ人が「ユダヤ人による国家」を一層強く希望する中、第二次世界大戦後、国連はパレスチナ分割案を提示します。
パレスチナという地を強く望むユダヤ人と、古くから住み続けているアラブ人で土地を分けようというのです。
しかしその案はアラブ人が43%、ユダヤ人には57%の土地を与えるというもので、アラブ人は当然大反発。
ここから一気に情勢は騒然となります。
イスラエルの誕生
しかし背後にイギリスがいるイスラエルは、この戦い(第一次中東戦争)に勝ち、イスラエルという国家の存在は既成事実となったのです。
その後スエズ運河を巡る第二次中東戦争を経て、アラブ側では11のゲリラ組織がまとまり、パレスチナ解放機構(PLO)が組織されました。
このPLOがこの先、中東問題の大きな要となるのです。
束の間の平和
PLOの活動が活発になったことにより、第三次中東戦争、第四次中東戦争が起こると、それまでアラブ側の中心であったエジプトもさすがに国力を消耗。
イスラエルと和平の道を探るようになります。
1978年、エジプトとイスラエル両国はキャンプデービッド合意を成立させ、中東戦争を終結させました。
しかしアラブ諸国はこの合意を裏切りとみなし、次々とエジプトと断交。1981年、エジプトのサダト大統領が暗殺されてしまいました。翌年にはイスラエルが対PLOのためにレバノンへ侵攻し、再び中東情勢は激しい対立の時代へと逆戻りしてしまったのです。
そして1992年、中東和平派でアラブ側との交渉に前向きだった労働党のラビンが、イスラエルの首相に選出されました。
翌年の1993年には、イスラエルとPLOの間で歴史的な「オスロ合意」が結ばれたのです。
これによって、約30年に渡る闘争に終止符が打たれることになりました。
また現在も残るパレスチナ自治政府という存在が生まれたのも、この頃の事でした。
終わらない対立
このオスロ合意により、イスラエル占領地などの整理が順調に行われ、パレスチナ国家の成立も含めたロードマップも作られました。
しかしそんな中で、両者が譲らない点が浮き彫りになってきてしまいます。
それが東エルサレムの帰属問題。この地域の管轄をどちらも主張して譲らなかったのです。
この東エルサレムが、冒頭でも言及したユダヤ教とイスラム教の聖地です。
そしてこの東エルサレム問題によって、本来予定していたパレスチナ国家の成立も見送られ、最終的に和平交渉は決裂してしまったのです。
これによって中東問題は再び泥沼へ。
PLOのカリスマ的存在だったアラファト議長が亡くなると、PLOも内部で分裂し始め、交渉すら困難な状況となってしまいました。
現在ヨルダン川西岸地区とガザ地区という地域が、パレスチナ自治政府として存在しています。
しかし未だ独立国家ではありません。
中東では現在もなお、イスラエルとPLOを中心とするアラブ側の双方で多くの死者を出しながら、終わらない対立が続いています。
パレスチナ問題とは一体どんなものなの? まとめ
パレスチナ問題はリアルタイムで続いている問題です。
2017年にはトランプ大統領が突如、国際的に認められていないはずのエルサレムを首都として認め、大使館などを移転すると宣言しました。
これにはエルサレムをイスラエルのものだと認めていないアラブ諸国が反発し、パレスチナ
題問は一時緊張状態に陥りました。
そのうち日本にも選択が迫られる時がくるかもしれません。
そのとき正しい判断ができるようによく理解しておきましょう。
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※本ページの情報は2021年6月時点のものです。 最新の配信状況は U-NEXT サイトにてご確認ください。
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