こんにちは、皆さん!
今日は、ぜひ、みなさんに、知ってほしいポルポト政権のお話をしちゃいます。とは言え、ポルポト政権・・・何それ、!?って感じですよね。
実は、ポルポトというのは、人類の歴史でもトップクラスの独裁者なんです。しかも、ポルポトは1998年まで生きてました。
つまり、超有名な独裁者、ヒトラー、スターリン、毛沢東なんかに比べても、最近の人!
そして、ポルポト政権が残した犠牲者の数や傷あとは、この三大独裁者に負けてない・・というか、もっとヤバいかも。。!?心の準備はできましたか? では、ポルポト政権へレッツゴー!
ポルポトって誰? ポルポト政権をのぞいてみると。。。
ポルポトは1925年又は1928年、カンボジアで生まれました。
本名は、サロット・サル。彼は、本名を使わず、主にポルポトと名乗り活動したので、これからも、ポルポトと呼びます。
ポルポトの青春とイタすぎる挫折
そこそこ裕福な家庭で育ったポルポト青年は、1949年にフランスへ留学しました。
第二次大戦直後の当時としては、あり得ないほどの幸運といえます。でも。。。イマイチお勉強が得意でなかったポルポト青年は、フランスで、なんと三回続けて落第して、トボトボ帰国するはめになりました。赤っ恥っ!
実は、ポルポトは、勉強そっちのけで、フランスで、流行の共産主義思想に染まっていたのです。そして、帰国後、ポルポト青年は、共産主義革命運動にハマって行きます。
ポルポトの戦いは、後で話すとして、ひとまず、ポルポトが政権を奪った1975年からカンボジアをどんなふうに支配したかを見てみましょう。
色白の国民は粛清対象?
ある村で、村長の娘が、大きなバケツで水を運んでいます。水道なんかありません。
娘は首都プノンペンの大学で医学を勉強していた村一番の秀才でした。しかしポルポト政権が学校をぜんぶ閉鎖したので、彼女も村にもどされました。
バケツの重さで、娘がよろけます。住民を監視する、日焼けしたポルポト少年兵が娘を呼び止めます。
「おい、お前はずいぶん色白でフラフラだな。さては都会で楽をしてたな。手を見せてみろ!」
娘は震えながら手を見せます。少年兵は、彼女の手を、仲間の兵隊に見せます。「見ろよ、手のひらが白くて、フワフワだぜ。ぜんぜん働いたことがない手だな?」娘は泣きながら、謝ります。「すいません。一生懸命働くから、許してください。。」
・・・娘と家族12人は、次の日に、遠くの村へ移動せよと命令され、連れ出されましたが、その途中の山奥で全員が殺されたそうです。
都会出身の人々は便利で楽しい生活を知っていて、きびしい労働にも耐えられないのでポルポト政権としてはジャマだったのです。
メガネが原因で一家が。。。
ギラギラの太陽の下、みんなが、ボロボロの服で、ヘロヘロになって田植えをしています。そこへ、ポルポトの少女兵がライフルを担いでパトロール。
その時、田植え中の男性の顔が太陽にキラッと反射。少女兵が、その男性に、「おい、お前!どうして顔が光るんだ!」と怒鳴りつけます。男性は、汗でずりおちた眼鏡を上げ、ビビりながら、「メ、メガネですが。なっ何か?」と答えます。
少女兵は、「ふん、メガネか。ってことは、お前、字が読めるってことか!スパイめ!」と男の腰を蹴り飛ばします。
その夜、そのメガネ男性は特別学習に来い、と兵士に呼び出されて、連れ去られ、二度と戻りませんでした。スパイとして処刑されたのです。翌日には、メガネ男性の奥さん、子供5人が全員殺されました。
ポルポト政権では、メガネをかけた人は字が読める→字が読めればインテリ→インテリはスパイ→スパイは即、死刑。。と言うこと。
そして、死刑の場合、だいたい家族全員を殺します。一人でも生き残ると、復讐される恐れがあるからです。
ちなみに、ポルポト軍少年少女兵士の多くは、学校に行ったことがなく、字も読めませんでした。
平和な農業国家、カンボジアが。。。
カンボジアは熱帯に位置し、面積は約18万平方キロ。日本の半分ぐらいです。
ポルポト政権以前は、カンボジアって飢えを知らない国といわれたほど、豊かで、のんびりした農業国家でした。
だから、国民がのんびりし過ぎて、ポルポトみたいな異常な政権に歯向かう経験がなかったのでしょうか?
ポルポト政権の誕生とドン引きの政策
では、時間を戻して、ポルポトが、どうやって政権を取ったかを見ましょう。
そして、その後、ポルポト政権が、行ったトンデモ政策も紹介します!
アメリカが逃げたから、国を横取り!
1972年、カンボジアのとなりでは、北ベトナムvs南ベトナム+アメリカの戦い(ベトナム戦争)の真っ最中でした。
北ベトナムが強くて苦戦中のアメリカは、カンボジアが北ベトナムを応援してるから、俺たちは勝てない!と考えました。そして、カンボジアに攻め込んだり、空爆したりとやり放題。
おとなしいカンボジア人もさすがに腹を立て、アメリカが大嫌いな人が増えます。しかも、その頃、カンボジアは、アメリカに支援されたロンノル将軍が支配。これが汚職はするし、敵は殺す、みたいな、ヒドイ政権でした。
ところが、1973年、ベトナム戦争が終わり、アメリカは撤退。ロンノル政権はアメリカの助けがなくなり、すっかり弱ります。そこを見逃さなかったポルポト軍が攻撃し、1975年4月、ついに首都プノンペンを制圧!
ロンノル政権の腐敗や暴力に苦しんでいたプノンペン市民は、よっしゃ、これでやっと平和が来た!と喜びました。
じつは、想像も出来ない地獄のドアが静かに開いたのです。。。
ポルポト政権の秘策。原始時代に戻れ?!
いよいよポルポトが正体を現します。そこで打ち出した政策が、原始共産制!!
え~っ、なにそれ?
はい、説明しましょう。
簡単に言えば、個人でモノを持っちゃダメ!それに、学校も、病院も、テレビも、電車も、会社も。。。全部ヤメ!みんなが農民になって自分で自分の食べ物を作って暮らすぞー、ってことです。ナントお金も廃止。何か欲しければ、モノとモノの交換です。
想像できますか?
あなたのスマホ、ゲーム、洋服、パソコン、お金、鉛筆、ペットの猫ちゃん、それから、家族の家、自動車も全部没収!
ポルポト政権は、こんなトンデモ政策を本当に実施し始めました! 文句を言ったり反対する人? いません! だって、そんな人たちは、すぐに、殺されましたから。。。
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