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トルコの歴史を簡単にわかりやすく解説!実はトルコは超強国だった?

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昔から、日本と仲が良かった中東の国、といわれてどこの国かわかりますか?

韓国ではありませんよ・・・正解はトルコです。

トルコは、第一次世界大戦前までオスマン帝国でしたが、第一次世界大戦で負けた後は、トルコ共和国になりました。

トルコといってもイメージできるものってほとんどありませんよね。

なんだろうなんだろう?コサックだんすかな?と思ってしらべるとそれはウクライナ。。。

あまりイメージできるものがないのですがケバブでおなじみのトルコです!

トルコ共和国は、現在、中東で問題となっているクルド人とも深いかかわりを持つ国ですよね。

今回は、トルコの歴史を簡単にわかりやすく解説、というタイトルで現代のトルコ共和国について解説します!

目次

セーヴル条約でオスマン帝国は解体、この時、一人の英雄が立ち上がった

第一次世界大戦で、オスマン帝国(現在のトルコ)はドイツやオーストリアの味方となって戦いました。

1920年、オスマン帝国は第一次世界大戦にやぶれイギリスやフランスなどの連合国とセーヴル条約を結びます。

セーヴル条約は、オスマン帝国の領土の大半を分割するという、なんともトルコにとって過酷な内容の条約だったんですね。

今でこそトルコはあまり広いイメージはないのですが昔の最大領土は結構大きかったんですよ!みてわかるように中東やアフリカ上部にまで領土があったんですね。

オスマン帝国がどれほど大きな国だったのかがわかりますよね。

wikipedia

ちなみに現在のトルコがこちら。ちっちゃくなっちゃいましたね。

wikipedia

いつの時代も領土問題っていうのはなくならないものですね。

オスマン帝国の王様にあたるスルタンは、自分の身の安全を守るため、トルコにとってとても不利なセーヴル条約にサインしてしまいます。
この内容に納得できないとして、軍を率いて立ち上がったのが将軍のムスタファ=ケマルでした。

ケマルは、国民軍という軍隊を作り、トルコが弱まっているときに攻め込んできた隣の国のギリシアの軍と戦います。

泣きっ面に蜂とは、まさにこのこと。

そこにさっそうと現れたのがさっきのケマル!

ケマルは、第一次世界大戦でもイギリス軍に勝利した優秀な将軍でした。ギリシアとの戦いはケマルの巧みな戦いぶりのおかげでトルコ軍が勝ちます。

負けっぱなしのトルコに現れた英雄の登場でトルコ国民は大興奮!

国民を裏切ったスルタンは国を追い出され、ケマル中心の国ができました。

1923年7月、ギリシアとの戦争に勝利したトルコは、連合国とローザンヌ条約を結びなおし、セーヴル条約で失った領土の一部を取り戻すことに成功します。

そのご、ケマルはアンカラを首都とするトルコ共和国の初代大統領になります。

しかし、クルド人にとってはケマルの登場は計算外。

せっかく、セーヴル条約で認められていたクルド人国家の独立は、ローザンヌ条約では取り消されてしまいます。

国の政治とイスラム教を切り離したケマル

大統領となったケマルは、国の政治とイスラム教を切り離しました。今までのオスマン帝国は、イスラム教の教えを政治にも当てはめていました。

しかし、これではいつまでたってもヨーロッパに追いつくことができません。だからケマルは、政治と宗教を切り離し、どんどんヨーロッパの物をとりいれます。

この辺は、日本の明治維新とよく似ていますよ。

ケマルが行ったのは、ヨーロッパと同じ太陽暦を採用することにします。

また、イスラム教で厳しく決められていた女性の服装を自由にしました。さらに、イスラム教の国としては珍しく、アラビア文字を廃止しローマ字を採用します。

ケマルの改革は多くの国民に支持されました。なぜなら、ケマルは滅亡寸前のトルコを救った英雄だったからです。

しかし、それでもイスラム教の教え守りたい人々の中には、ケマルの政治への反発が残りました。

イスラム教の教えを大事にするエルドアン大統領

1970年代、トルコではイスラム教の伝統を大事にするべきだという考え方が強まりました。

2014年に大統領にえらばれたエルドアンは国民の投票で大統領になった人です。
はじめ、エルドアン大統領はクルド人組織のクルディスタン労働者党となかなおりすることや、諸外国と仲良くする政策を実行します。

国内政治でも、イスラム教の教えを大事にする姿勢を見せました。

国民も、周辺の国々も「エルドアン、いいね!」と期待が高まります。

しかし、2015年頃からエルドアンの政治は強引なものに変わりました。2015年、一度はなかなおりしていたクルディスタン労働者党と対決するようになります。

エルドアンがクルド人と対決するようになったきっかけは、シリア内戦とイスラム国(IS)の出現です。

2000年に入ってから、トルコと国境を接するシリアやイラクの政治が乱れるようになりました。

シリアとイラクが混乱し、首都から遠い地方に十分、国の力が行き渡らなくなると、こうした場所を占領する人々が現れました。

彼らは、自分たちの国(イスラム国・IS)をシリアからイラクの北部にかけて建国したと宣言し、やりたい放題を始めてしまいます。

しかし、イスラム国ができた場所はクルド人たちが住んでいる場所でもありました。イスラム国のせいでたくさん殺害されたり、財産を奪われたりしたクルド人はイスラム国と戦います。

そのクルド人をアメリカが助けました。

アメリカの目的は、クルド人とイスラム国を戦わせること。

そうすれば、アメリカ軍を危険にさらすことなくイスラム国をやっつけることができると考えたのですね。

アメリカはクルド人たちに武器を与え、イスラム国と戦わせました。これをみた、エルドアンは1つの心配事をします。

それは、トルコの中にいるクルド人たちにも武器が出回り、トルコから独立しようとするのではないかという不安です。

もし、トルコ国内のクルド人と、アメリカから武器をもらったクルド人たちが手をくめば、トルコ軍も苦戦するかもしれない。

そう考えたエルドアンは、「やられる前に、やる!」として、シリアにいたクルド人たちを攻撃しました。

もともと戦争が多い中東で、今度はクルド人とトルコ人の戦争が激しくなる可能性が出てきています。

トルコの歴史を簡単にわかりやすく解説!まとめ

第一次世界大戦に負けたトルコは、英雄ケマルの登場で復活します。

ケマルは宗教と政治を切り離し、ヨーロッパの物を取り入れトルコを強い国にしようとしました。

2000年代に政治を担当したエルドアンはイスラム教の教えを大事にする政治をおこないます。

エルドアンはクルド人たちが力を持ちすぎればトルコから独立しようと戦争を仕掛けてくるかもしれないと考え、先にクルド人を攻撃しました。

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