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タリバン ・アルカイダ・ISISの違いやそれぞれの関係をわかりやすく解説します!

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皆さんこんにちは!

中東って聞くと皆さんはどんなイメージがありますか?

戦争やテロがあっていろいろもめている、イスラム教ってなんか怖い!と思っている人もいるかもしれません。

中東のニュースでタリバン・アルカイダ・ISISって言葉をよく聞くけど、何がどう違うのか分からない人の多いかもしれません。

今回はタリバン・アルカイダ・ISISがどんな組織なのか、どんな歴史の流れの中で生まれたのか、そしてこれらの組織の違いについて説明していきたいと思います。

なんかよく分からないから怖い!から抜け出しましょう!

目次

同じ歴史の流れで生まれたイスラム過激化集

タリバン・アルカイダ・IS。

国際ニュースで一度は耳にしたことのある言葉だと思います。

違いはよく分からないけど怖い!というイメージばかりが先走ってしまってしるかもしれません。

実際、タリバン・アルカイダ・ISは共通していることがあります。

それはイスラム教のなかでも厳格に教えを守っている人たちのなかから、イスラム教の教えをかなり極端に解釈して、それを理由に自分たちの目的のために過激な行動している、というところです。テロ行為がこれに当てはまりますね。

けれど、これらの組織は単発的・自発的に生まれたわけではありません。

今からたった50年ほど前からはじまった、同じ歴史の流れで生まれたイスラム過激化集団だったのです!

しかも驚くことに原因はイスラム教徒たちにはないという事実なのです!

タリバンとはどんな組織なの?

タリバンはひと言で言ってしまうと、パキスタンという国のスパイ組織が作ったイスラム過激化組織です。主にアフガニスタンという国の地域で活動しています。

2021年8月にアフガニスタンに「アフガニスタンイスラム首長国」の建国を宣言して今も国際社会を騒がしているので、よく耳にしているかと思います。

タリバンはイスラム教の教えを厳格に守っている原理主義と呼ばれる人たちのなかから、特に過激な考えを持っていて、そのやり方は非人道的です。

この世ではひたすら神のことだけを考えていればいい、という考えからテレビや映画、写真などの一切の娯楽を禁止しています。

罪人に対しては、生き埋めや斬首などの公開処刑を執行します。

非人道的だといわれている行為のなかで有名なのは、女性に対する差別です。

女性は家の中で守らなければならないと考え、女性に外で働くことを禁じ、学校で学ぶ権利を剥奪しています。

外出する時は女性だけで行動することは許されず、かならず男性の同伴がなければなりません。

医療もまともに受けられず、自由恋愛も自由結婚もできないのです。

もともとイスラム教では女性を大切にしなければならないという教えがあるのですが、極端に解釈した結果、逆に女性をないがしろにしているのです!

ソ連のアフガニスタン侵攻からはじまった

タリバンはアフガニスタンで活動していると説明しましたが、同時にパキスタンのスパイ組織が作ったイスラム過激化集団だとも説明しました。

なんでパキスタンで生まれた組織が、アフガニスタンという別の国で活動しているの?と思っている人が多いのではないかと思います。

ここからはどのようにしてタリバンが誕生したのか説明していきます。

はじまりは第二次世界大戦まで遡ります。

第二次世界大戦では世界全体で多くの戦死者をだしますが、国民が一番死んだのはどの国か皆さん知っていますか?

敗戦国であるドイツや日本のイメージがありますが、実は戦勝国であるソ連なんです。

第二次世界大戦後、世界はアメリカとソ連の2大強国の対立が激しくなるのですが、ソ連、今のロシアを地図で見たら分かりますが広い国土を持っています。

世界大戦で多くの国民が死んでしまったトラウマがあるソ連は、自分の隣国は自分の味方でいてほしい、そうじゃないと安心できない!という考えを強く持つようになります。

世界大戦後、アフガニスタンはソ連と国境を接していて隣同士でした。

アフガニスタンは当時イスラム教の王国で軍事力も強くなかったので、ソ連も問題視していなかったのですが、アフガニスタン国内でクーデターが何度も起きて政治が不安定になっていきます。

そこでソ連は考えます。「アフガニスタンが不安定になってて怖いなぁ。この際だから、しっかり自分の影響化に置いちゃえばよくない?」

共産主義者VSイスラム教(宗教)

そして1979年にソ連はアフガニスタンに侵攻します。

この戦いは単にソ連VSアフガニスタンの構図だけではなく、別の側面の戦いもありました。

それはソ連が社会主義国であり、アフガニスタン国民がイスラム教徒であることです。

アフガニスタン国民はイスラム教を信じているので、宗教を国の中心としてイスラム教の教えに沿って政治をしていました。

一方、ソ連は共産主義を目指して国を運営していました。共産主義は「宗教は麻薬と一緒。宗教はいらない!」という考えを持っています。

そもそも共産主義と宗教は相いれない存在、水と油の関係!

ソ連のアフガニスタン侵攻は、宗教を否定する共産主義者VSイスラム教(宗教)でもあったのです。

イスラム教徒にとって、イスラムの土地を守るために戦うことは「イスラムの教えを守る努力=ジハード」として認められています。

アフガニスタンの周辺には多くのイスラム教の国があり、アフガニスタンを助けなければならないとサウジアラビアを中心とした多くの若者が武器をもってアフガニスタンにやってきました。

彼らはムジャヒディン(イスラム聖戦士)と呼ばれました。

この戦いは、ソ連VSアフガニスタン国民のムジャヒディンと周辺国からやってきたムジャヒディンたちの様相になっていきます。

アメリカの介入

アフガニスタン国外から多くのムジャヒディンがやってきても、軍事力は圧倒的にソ連が有利でした。

戦争にはお金がかかります。ソ連はアフガニスタンとの戦いを早々に終わらせる考えでしたが、そうはいきませんでした。

どうしてだと思いますか?

なんとこの戦いに、ソ連と対立していたアメリカが介入したからなのです!

アメリカはソ連の体力を削って弱体化させようと、ムジャヒディンたちに対して最新の武器や資金を送り込んで支援しようと戦略をたてます。

アフガニスタンは周りを他国に囲まれた内陸国だったので、アフガニスタンの隣国でアメリカと親しかったパキスタンの港に物資を陸揚げして、パキスタンの軍のスパイ組織の協力を得て、どんどん武器や資金を送りました。

ソ連は空飛ぶ戦車と呼ばれる巨大なハインドヘリコプターを飛ばしてアフガニスタンを攻撃していました。

スティンガーミサイルでソ連を攻撃

それに対してアメリカはスティンガーミサイルという当時最先端の武器をムジャヒディンたちに提供します。

スティンガーミサイルは人が肩に担げるほどの小さな兵器ですが、ヘリコプターに向かってミサイルを発射すると自動的にヘリコプターを追尾にて撃墜できる怖ろしいもの!

スティンガーミサイルによってソ連軍は次々にヘリコプターが撃墜されてしまい、ぼろぼろになってついにはアフガニスタンから撤退をします。

パキスタンの思惑でタリバンが誕生した

アメリカの援助でソ連に勝利したアフガニスタンですが、残念ながら平和は訪れませんでした。

敵であるソ連がいなくなったことで、周辺国から来ていたムジャヒディンたちは自分たちの国に帰ります。

アメリカもソ連を弱らせればよかっただけだったので、アフガニスタンに対して関心を失いました。

アフガニスタン国民はほとんどがイスラム教徒ですが多民族国家です。

戦後、どの民族が主導権を得るかで内戦がはじまってしまいました。

世界中の国がアフガニスタンに無関心になっているなか、アフガニスタンの内戦を利用しようとしている国がいました。

アフガニスタンの隣国のパキスタンです。

パキスタンはアフガニスタンとインドに挟まれている国ですが、インドとは文化や国境の領有権争いなどで対立していて、頻繁に戦争をしています。

しかもパキスタンはインドに負けてばかりいました。

インドと争っているのに、自国の背後のアフガニスタンが内戦でごたついている状態はパキスタンにとって恐怖そのものです。

そこでパキスタンは「アフガニスタンの内戦に乗じて、アフガニスタンに自国の言うことを聞く政権を作ってしまえ!」と考えます。

アフガニスタンでは内戦で多く国民がパキスタンに難民としてはいってきていて、多くの難民キャンプができていました。

それに目をつけたのが、パキスタンのスパイ組織です。

彼らは、難民キャンプに神学校を作り、子供たちにパキスタンの中でもイスラム教に特に厳格で過激な思想を洗脳教育します。

そうです、イスラム教過激派の思想に染まった学生たちを使ってアフガニスタンを支配させようとしたのです!

怖ろしい話ですよね…!

またパキスタンはソ連との戦いにおいて、アメリカがムジャヒディンたちに援助していた武器や資金をこっそりちょろまかしていて、自分たちの物にしていました。

やがて時はたち、パキスタンは過激思想に染まった学生たちにアメリカの最新武器を与えてアフガニスタンに送りこみます。

これがタリバンの始まりです。

タリバンは「学生たち」という意味です。

アフガニスタンにタリバン政権が樹立された

内戦でぐちゃぐちゃになっていたアフガニスタンに、1994年の冬に突如として最新兵器で武装して若者たちが現れました。

タリバンです。

アフガニスタン国民は驚きますが、タリバンは規律正しく、国民から物を強奪してり女性に乱暴を働くこともしませんでした。

たちまち国民の支持を得、最新武器もあって、あっという間にアフガニスタンのほとんどの地域を支配していき、アフガニスタン国内にタリバン政権を樹立します。

国民たちはやっと平和が訪れる……と思いました。

しかし、タリバンがはじめたのは「恐怖政治」そのものだったのです。

不幸なことにアフガニスタンに興味をもっていたのはパキスタンだけという状態。

タリバン政権の非人道的な行いは多くの人に知られることもなく、国際的に問題視されることはありませんでした。

タリバン政権は1995年頃からはじまりましたが、2001年12月にアメリカの攻撃を受けて消えるまで続いたのでした……。

タリバンはアフガニスタンのテロ集団ではないということはおわかりいただけましたでしょうか?

なんだかパキスタンのイメージが悪くなってしまうかもしれませんがもとはパキスタンでできた集団だったんですね。

ここからはタリバンとよくごっちゃになるアルカイダについてみていきます。

アルカイダとは何者?

アルカイダもよく聞く言葉ですよね。

アルカイダは反アメリカ思想をもった国際テロ組織です。

とにかくアメリカが憎い!という人たちの組織で、アメリカへの復讐と制裁のためには手段としてテロ行為も厭いません。

2001年9月11日にアメリカで起こった同時多発テロはあまりにも有名ですが、これはアルカイダの仕業です。タリバンではありません。

アルカイダを作ったのはオサマ・ビンラディンという人物。

よく名前が知られていて、インターネットで調べれば写真もバンバンでてきます。

アルカイダは、ビンラディンの「アメリカが憎い」という一心で誕生した組織ですが、どうしてそうなったのかこれから説明していきたいと思います。

アルカイダの創始者・ビンラディンとは?

オサマ・ビンラディンは1957年にサウジアラビアの富豪の息子として生まれました。

ビンラディン家はサウジアラビアでは建設業で財を成した富豪中の富豪。

サウジアラビアはサウド家という王家が治めている国ですが、ビンラディン家は王家と太いパイプを持つ名家なのです。

オサマ・ビンラディンは超お坊ちゃまだったんですね!

サウジアラビアはイスラム教徒のなかでも、厳格に教えを守るイスラム原理主義の人が多いですが、ビンラディンもイスラム教スンナ派を信じていて敬虔なイスラム教徒でした。

そんなビンラディンが20代前半の頃に転機が訪れます。

それはソ連のアフガニスタン侵攻でした。

ビンラディンはムジャヒディン(聖戦士)だった

イスラム教を心から信じていたビンラディンは、同じイスラム教国であるアフガニスタンが宗教を否定するソ連に攻め込まれたことを知ると、イスラムを守る義勇兵つまりムジャヒディンになってソ連と戦うことを決意します。

そして、サウジアラビアからアフガニスタンに渡り、ソ連軍と戦ったのです。

後にアメリカの脅威となるビンラディンが、若者の時にアメリカの支援を受けた武器を使ってソ連と戦っていたのです。

そう考えると不思議な気分になりますよね……。

ビンラディンはお金持ちのお坊ちゃまだったので、自分のお金を使ってアフガニスタンに集まってきた様々な国のムジャヒディン候補者たちの名簿を作り、彼らを訓練・育成しました。

アルカイダとはアラビア語で「基地」を意味します。ソ連のアフガニスタン侵攻時に名簿作りのために作った基地がアルカイダの始まりです。

アルカイダの始まりは対アメリカではなかったのです。

その後ソ連がアフガニスタンから撤退し、ビンラディンも自分の祖国であるサウジアラビアに帰りました。

祖国を追放されたビンラディン

アフガニスタンでムジャヒディンとして戦い祖国のサウジアラビアに戻ったビンラディンでしたが、帰国して数年後の1990年にサウジアラビアにとって迷惑極まりないことが発生します。

イラクが石油利権を狙ってクウェートに侵攻したのです。これを「湾岸危機」と言います。

クウェートはサウジアラビアの隣国です。

「よその国のことだから知らない」などと言っていられません。下手すればイラクがサウジアラビアにも侵攻してくる恐れがありました。

湾岸危機に対してアメリカはイラクに抗議の声を上げます。

アメリカはクウェートの周辺にあるアラブ諸国に呼びかて、アメリカとアラブ諸国の連合による多国籍軍を編成してイラクに対抗します。

元々サウジアラビアとアメリカの仲は良かったので、サウジアラビアはイラクの脅威から守ってくれないかとアメリカに頼みます。

アメリカはそれを了承し、アメリカ軍をサウジアラビア国内に駐留させようとしました。

しかし、ここで「アメリカ軍をサウジアラビア国内に入れないでください!」と猛反発した人物がいました。

そうです、ビンラディンです。

サウジアラビアはイスラム教の聖地であるメッカとメディナがあります。

イスラム教徒にとって神聖な土地があるサウジアラビアに、異教徒であるアメリカ軍が来るなんてとんでもない!と考えたのです。

ビンラディンはサウジアラビアの王家に「自分たちの仲間だけでイラクの侵略に備えるからアメリカ軍を呼ばないでください」と嘆願しますが、王家は彼の仲間だけでは対抗できないと判断してアメリカ軍を呼びます。

この出来事にビンラディンは怒り狂います。

サウジアラビアにとって絶対的存在である王家を激しく批判しました。

結果、ビンラディンはサウジアラビアの国籍を剥奪され、国を追放されてしまいました。

ビンラディンと仲間たちはアフリカのスーダンに逃げるのですが、アメリカがスーダン政府に圧力をかけたことによってスーダンにいることができなくなり、結果若い時に自分が戦っていたアフガニスタンに戻ることになったのでした。

アルカイダ結成~アメリカが憎い~

ビンラディンにとってアメリカは、祖国であるサウジアラビアや逃げた場所であるスーダンにいられなくなった元凶です。

アフガニスタンに着いた時にはアメリカへのどす黒い憎しみにこれでもかというほど支配されていました。

アメリカを何としてでも叩き潰してやると怨念に燃えていたのです。

ビンラディンがアフガニスタンに着いた時、アフガニスタンはタリバン政権に支配されていました。

タリバン政権の中には昔ソ連相手に一緒に戦った仲間もいて、ビンラディンはタリバンの客人として迎えられます。

国を追放されたとはいえ巨額の資金を持っていたビンラディン。

その金をタリバンに寄付したり、アフガニスタンの道路整備を行ったりしたりして、タリバン政権からかなり厚く庇護されました。

ビンラディンはアフガニスタン国内でアメリカと戦う国際テロ組織作りのために基地を作り、大勢の戦士を養成します。

これが私たちの知るアルカイダの誕生です。

麻薬取引などで資金を調達しながら、アラブ諸国を中心にアルカイダという組織を拡大していきます。

イスラム教徒の反米感情を煽りまくりました。

1998年にはケニアとタンザニアでアメリカ大使館の同時爆破事件を起こしています。

2001.9.11同時多発テロ

アメリカへの復讐と制裁のためにビンラディンに命じられたメンバーが2001年9月11日、アメリカ国内で4機の飛行機を乗っ取って、同時多発テロを起こしました。

最終目的は飛行機を乗っ取って、アメリカの富と成長のシンボルともいえる世界貿易センタービル、ワシントンの国防総省、アメリカ合衆国議事堂にそれぞれ突っ込むことでした。

ニューヨークの世界貿易センタービルはツインタワーだったのですが、まず最初の1機が午前8時46分に激突します。

その怖ろしい光景にテレビ局が一斉に生放送で中継をはじめました。

しかし、1機目の飛行機が激突してわずか17分後の午前9時3分に、もう2機目の飛行機が激突します。

生中継の最中です。その光景は世界を震撼させました。

この同時多発テロによって判明しているだけで3025人もの人が亡くなりました。

日本人も少なくとも24人の方が亡くなっているのです。

アメリカのアフガニスタン空爆

9.11の同時多発テロを受けて、当時アメリカ大統領だったジョージ・W・ブッシュは非常な危機感を抱き「テロとの戦い」を宣言します。

アメリカは報復をするぞと、すぐに行動しました。

早々にイギリスと軍を編成し、アフガニスタンを攻撃する準備にはいります。

アフガニスタンにいるアルカイダのリーダーであるビンラディンが同時多発テロの首謀者だと分かると、アメリカはアフガニスタンを支配しているタリバン政権にビンラディンの引き渡しを要求しました。

しかしタリバン政権はその要求を拒否しました。

タリバン政権は客人は自分の命をかけても守らなければならないという掟があったからです。

これにたいしてブッシュ大統領は「テロリストを匿う奴もテロリストだ!同罪だ!」と言い切り、10月7日にはアフガニスタンへの攻撃を開始しました。

アメリカの圧倒的な武力の前に、タリバン政権もアルカイダもあっという間に総崩れ。

2001年12月7日にはタリバン政権は崩壊。

メンバーはちりじりに逃げ、多くが隣国のパキスタンに逃げ込みました。

ビンラディンも逃げ続けました。

アメリカは大規模な捜索を続けましたが、約10年間見つけることができませんでした。

そして、9.11同時多発テロから約10年後の2011年5月。

ビンラディンはパキスタンに潜伏しているところをアメリカ軍に発見され、殺害されたのです。

タリバン、アルカイダと同じ?ISって何?

さて、タリバンとアルカイダを解説してきましたが、「あれ、なんかテロ組織にISっていうのなかったっけ?同じような組織なのかな?」と疑問に思うかもしれません。

タリバンとアルカイダは主にアフガニスタンを中心として誕生し、活動している組織ですが、ISは活動場所が変わります。

ISはイラク北部地域からシリア東部にかけて活動しています。

ISとは「イスラム国」という意味で、ISと名乗る前はISIS「イラクとシリアのイスラム国」と名乗っていました。

「国」と名前がついていますが、あくまでも勝手に名乗っているだけです。

国際社会のどの国も、ISを国家として認めていません。

ISの目的が本当にやばい・・つづく・・

ISもイスラム過激化勢力で自爆テロ、誘拐、暗殺などの事件をバンバン起こしていますが、アルカイダとはまた違った目的をもっています。

アルカイダはあくまで反アメリカ組織であるのに対して、ISは領土を持った国家の建設を目指しています。

世界を制覇して世界全体をイスラム化する!という野望をもった、本当にヤバい組織です。

インターネットで自分たちの主張を世界にアピールしたり、一時的にはイラクからシリアの広い地域を支配し、最大時は日本の国土2/3ほどと同じ程度広がったこともあります。

では次からISがどのように誕生したか見ていきたいと思います。

テロリストは許さない~アメリカのイラク攻撃~

最初に言ってしまうと、ISの誕生の原因はアメリカの無知さにありました。

9.11同時多発テロで被害を受けたアメリカは、ビンラディンがいるアフガニスタンを攻撃しタリバン政権を崩壊させました。

同時多発テロの首謀組織アルカイダとアルカイダをかばったタリバン政権を崩壊させたので、一連の戦争は終わりだよねと思いたかったのですが、ブッシュ大統領はそうではありませんでした。

ブッシュ大統領は「テロとの戦いは終わっていない!」と宣言してイラクを攻撃し続けることを声高らかに世界に発信したのです。

正確にいうとイラクを支配していたサダム・フセイン政権を狙っていました。

時は少し遡りますが、1990年にイラクがクウェートに侵攻するという湾岸危機が起こった時のアメリカの大統領はジョージ・H・W・ブッシュ

テロとの戦いを宣言したブッシュ大統領のお父さんです。

どちらも名前が似ているのでここでは父ブッシュ、息子ブッシュと表記します。

父ブッシュは非常に優秀な人物でした。

息子ブッシュと父ブッシュの政治手腕の違い

湾岸危機の時、アメリカを含んだ多国籍軍はイラクをクウェートから追い出しますが、父ブッシュはあえてイラクのフセインを殺しませんでした。

フセインの政治のやりようは酷いけれど、フセインがいなくなるとイラク周辺のパワーバランスが崩れて中東地域は大変な目にあうことが分かっていたからです。

冷酷ですが、父ブッシュはあえてフセイン政権をわざと存続させたのでした。一方で息子ブッシュは、父に比べると政治手腕は高くありません。

優秀な父にコンプレックスをもっていたようで、父がなぜフセイン政権を存続させたのか理解しないまま、父が成し遂げられなかったフセイン政権打倒を打ち立てます。

またフセインは湾岸危機のことで恨みをもち、父ブッシュの暗殺計画を立てました。

計画自体は早々に発覚して失敗に終わったのですが、息子ブッシュは「父を暗殺しようとしたフセインは許さん!」と発言するほど個人的な感情をもっていたのです。

気持ちは分かりますが、政治に個人感情を持ち込まないでほしいですよね……。

イラクのフセイン政権の構図

フセインは1979年にイラクの大統領になった人物だったのですが、自分に反対する者は粛清を行い、個人崇拝をさせ、政治のやりようは恐怖政治でした。

典型的な独裁者だったのです。

しかし、前述したように父ブッシュは湾岸危機のときにあえてフセイン政権を存続させました。

おおきな原因はイラク国内の民族とイスラム教の派閥のバランスです。

イラクはアラブ人とクルド人という2つの民族があり、宗教的には同じイスラム教を信じていてもスンナ派とシーア派にわかれています。

イラク国内ではシーア派が6割、スンナ派が2割、残り2割はクルド人のスンナ派です。

シーア派が圧倒的多数なので、権力をもっていそうですが実際は逆でした。

独裁者であるフセインが少数派のスンナ派だったのです。

なので少数派のスンナ派が多数派のシーア派を押さえつけている状態でした。フセインという独裁者よって、イラク国内は奇妙なバランスを保っていたのでした。

フセイン政権の崩壊とイラク国内の混乱

2003年3月20日に息子ブッシュは「フセインは国際テロ組織アルカイダとつながっている!大量破壊兵器を隠している!」と、偽の証拠をでっちあげイラクへの攻撃を開始しました。

後から分かった事実ですが、フセインはアルカイダを毛嫌いしていて、フセインのおかげでイラク国内ではアルカイダの活動が抑えられていたのでした。

また大量破壊兵器などありませんでした。アメリカの傲慢さんが露呈された事件でしたよね。

2003年4月9日にはイラクのバクダッドが陥落し、フセイン政権はあっけなく崩壊しました。

息子ブッシュ政権時代の2006年12月にフセインは処刑されました。

これによって少数派のスンナ派が大多数のシーア派を押さえつけているという状態は、崩れさったのです。

アメリカはフセイン政権崩壊後のイラク統治をはじめましたが、ここで決定的な大失敗をしてしまいます。

フセイン政権時はスンナ派のバース党という政党の一党独裁だったのですが、そのバース党員の公職追放したのです!

公職追放って何のこと?と思うかもしれませんね。

フセイン政権では、役所の幹部も医者も看護師もみんなバース党員でした。警察や軍隊の関係者、学校の教師やイラクの産業である油田の技術者の多くもバース党員だったんです。

それらの人たちが、アメリカの統治のもとで一斉に職を失います。

そうです、生活に必要な役所や病院や学校が機能しなくなり、大混乱に陥ってしまったのです!

アルカイダの動きでISは誕生した

少数派であったスンナ派のフセイン政権崩壊後、アメリカの指導のもと政治のリーダーを決める民主的な投票が行われました。

その投票の結果、今まで抑圧されていたシーア派の政権が誕生しました。もちろん警察も軍隊もシーア派で組織されました。

その後何が起こったと思いますか?

シーア派政権が平和にイラク国内を治めたのでしょうか……?

答えはノー。怖ろしいことが起こりました。

なんと、長年抑圧されていたことに対して鬱憤が溜まっていたシーア派は、スンナ派へ復讐をはじめたのです!

一気に力関係が変わってしまった結果でした。

新しくできたシーア派政権下の警察は、自分が警察だから何をしても捕まることはないと考え、スンナ派狩りをはじめました。

少数派のスンナ派は震えあがります。このまま何もしないと殺されてしまうと考え武器をもって対抗します。

イラクのスンナ派たちは思います。「アメリカのせいでこんな酷いめにあうはめになった…!」と。

アメリカに憎しみを覚えるスンナ派たちでしたが、そんな彼らに接近してきた組織がいました。

反アメリカ思想のテロ組織であるアルカイダです。

アメリカのアフガニスタン攻撃でちりじりに逃げたアルカイダのメンバーでしたが彼らは何も諦めてはいませんでした。

イラク国内にアルカイダ組織を作ろうとスンナ派に近づいたのです。

イラクのスンナ派とアルカイダは共に「アメリカ憎し!」という感情をもっていました。

アルカイダと接触したスンナ派はやがてイラク国内でアルカイダ系の過激派組織として活動するようになりました。

しかし、アルカイダのノウハウを吸収したスンナ派たちだったのですが、あまりに過激なので、本家のアルカイダからも破門され分離します。

アルカイダから分離して独自の道を歩むようになった彼らは、やがてISI「イラクのイスラム国」を名乗るようになります。

目標は国家の建設

アメリカ憎しの感情からはじまったイラクのスンナ派から始まったISI「イラクのイスラム国」ですが、名前から分かるように最初はイラクを再び自分たちの支配下に置こうとだけ考えていました。

しかしアルカイダと接触しノウハウを得て、本家のアルカイダも引くほどの過激で異質に変化していくと、世界を制覇して世界全体をイスラム化するという野望をもつようになります。

最初はISI「イラクのイスラム国」を名乗り、次いでISIS「イラクとシリアのイスラム国」を名乗り、いまでは単にIS「イスラム国」と名乗っていることからも分かると思います。

イラクだけではなくシリアにまで勢力を拡大した

アルカイダとISIという大きな火種がある状態では中東全体の平和は遠ざかるばかりでした。

ここでまた新たな動きが起こります。

それはアフリカのチュジニアという国で起きた「アラブの春」と呼ばれる独裁政権を打倒しようとする民主化運動です。

チュニジアの民主化運動はジャスミン革命と呼ばれ一度成功します。中東をはじめとしたイスラム教を国教とするアラブ諸国はほとんどが独裁政権です。

この民主化運動の流れがアフリカから中東にもやってきて、イラクの隣国シリアでも民主化運動が起こりました。

シリアはアサド大統領による独裁政権です。

アサド政権と自由シリア軍を名乗る反政府勢力の争いが激化し、ドロドロの内戦に突入しました。

そこにISIは目をつけました。

自分たちの勢力拡大を狙っていたISIは自ら組織の呼び名をISIS「イラク・シリアのイスラム国」と変え、シリア国内に潜入します。

そして自由シリア軍が確保した地域に入り込んで、自由シリア軍を攻撃して領土を横取りしていきます。

同時にアサド政権も襲います。

そして横取りした地域から得た武器や油田などから得られる資金を利用して、イラク国内にまた入り込みイラクのシーア派政権を攻撃し続けたのです。

もうめちゃくちゃですよね……。

こうしてイラク北西部からシリア東部を中心として支配地域を広げたISISは、やがてIS「イスラム国」を名乗り、イスラム教の教祖であり預言者であるムハンマドの後継者を意味するカリフという称号を勝手に名乗るまでになるのです。

平和はいつ訪れるのか

第二次大戦後のソ連の思惑からはじまり、ソ連のアフガニスタン侵攻をきっかけに大国であるアメリカが介入し、2021年の現在に及ぶまでずっと中東では紛争が起こり続けていています。

タリバン、アルカイダ、そしてIS。

同じ歴史の流れのなかで誕生したイスラム過激化組織ですが、何か気が付いたことはありませんか?

そうです、今でも収束しない中東の大混乱は、ソ連とアメリカの身勝手な思惑からはじまりました。

アメリカはずっと中東情勢に関わり続けていることも分かるかと思います。

そうです。過激化したテロリストたちは、アメリカの失政から恨みを募らせていった人たちばかりなのです…!

タリバン・アルカイダ・ISの関係性

1995年頃から2001年までアフガニスタンを支配していたタリバン政権はビンラディンを客人として厚くもてなしていたので、タリバンとアルカイダは友好な関係でした。

しかし今は微妙な関係です。

2021年8月に建国を宣言した「アフガニスタンイスラム首長国」を国際的に認めてもらいたいタリバンは、アルカイダとの縁をきるようにアメリカをはじめとした国々に求められています。

しかし2001年に政権が崩壊してからもタリバンは何かしらアルカイダとは関係を保ってきました。

イスラム教におけるバイアと呼ばれる忠誠の誓いをタリバンとアルカイダは結んでいて、この誓いを破ることはイスラム教徒にとっては重罪なのです。

タリバンはイスラム教を特に厳格に守るイスラム原理主義の集団です。イスラムの教えに背くことはとてもじゃないけどできません。

今、タリバンは理想と現実の板挟みになっている状態なのです。

ISはアルカイダと接触したことで誕生した組織ですが、前述しているとおりにあまりの過激さと異質さに本家のアルカイダから破門されています。

ISとアルカイダはずっと激しく対立しており、敵対関係なのです。

タリバン・アルカイダ・ISの今

タリバンは2001年に政権が崩壊し、メンバーはちりじりに逃げましたがアメリカの関心はアフガニスタンからすぐにイラクに移ってしまったので、再びタリバンは力を取り戻していきました。

そして1度目の政権崩壊から20年後の2021年8月に「アフガニスタンイスラム首長国」の建国を宣言しました。

過去のタリバン政権の恐怖政治のありようは世界に知れ渡っているので、女性への権利をきちんと認めることを国際社会から求められています。

正式に国として認めることができるのかと、今世界中からアフガニスタンイスラム首長国を名乗るタリバンやりように、視線が注がれています。

アルカイダはアメリカの対テロ攻撃や、ビンラディンというカリスマ的リーダーを失ってから発言力や発信力は衰えています。

しかし組織自体がなくなったわけではありません。

もともと対アメリカ思想を持つ様々な国から人が集まってできた組織なので、多国籍。

ビンラディンはアフガニスタンやパキスタンを中心として活動していましたが、アルカイダという組織自体はアフリカのイスラム教国にまで広がっています。

近年ではアラビア半島の下にある内戦が続くイエメンや、西アフリカのサハラ砂漠の南側のサヘルと言われている地域で活動を活発化しているとも言われています。

一方、ISはあまりの行動の過激さに反イスラム国として世界中が協力したために2017年夏以降に急激に勢力を縮小しました。

遅かれ速かれ壊滅するだろうと言われています。

しかし、壊滅したところでISの過激な思想とやり方を持つ人間が1人もいなくなるわけではありません。

ISの兵士が自国に帰りテロ行為を起こす、という危険性をはらんでいます。

タリバン・アルカイダ・ISISの違いって何?彼らは敵?それとも味方同士?まとめ

いかがだったでしょうか。

よく知らないから怖い!から抜け出すことができたでしょうか。

タリバンは、アフガニスタンがソ連とアメリカの思惑でごちゃごちゃになったところに目をつけたパキスタンのスパイ組織によって誕生しました。

アルカイダは、アメリカに祖国を奪われ追い詰められたすえに、アメリカに憎しみを募らせたビンラディンによって誕生しました。

そしてISは、アメリカが難癖をつけてイラク国内をぐちゃぐちゃにしたせいで追い詰められた少数派のスンナ派たちがアルカイダと接触して誕生しました。

タリバン・アルカイダ・ISは確かに過激な思想を持ち、非人道的な行為を繰り返しています。

しかし彼らが勝手に独自に過激な行為をし始めたわけではありませんでした。彼らを追い詰め、過激な行為に走らせたのは誰なのか。

中東は他国の勝手な思惑に翻弄され続けているところ、と言っても過言ではありません。

本来イスラム教は寛容で人々に優しい宗教です。

教えを厳格に守る原理主義と呼ばれるような人たちも、その中からでてきる過激派もイスラム教に関わらず、どの宗教にも存在します。

イスラム教が怖い、という考えは訂正しなければなりません。

中東の問題は決して私たちにとって無関係ではないのです。

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参考文献
『池上彰の世界の見方 中東 混迷の本当の理由』 著:池上彰 小学館
『池上彰の講義の時間 高校生から分かるイスラム世界』 著:池上彰 集英社文庫
『タリバンとアルカイダの複雑な関係、両グループを結びつける忠誠の誓い – BBCニュース』 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58514123

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