皆さん、こんにちは。
最近ニュースで「アフガニスタンでタリバン政権が樹立」というニュースが連日報道されていますね。
アフガニスタンって中東だっけ?タリバンってイスラム教だよね。よく分からないけどなんか怖い…って思うだけで終わっていませんか?
アフガニスタンは他の国々にちょっかいをだされすぎて翻弄され続けている国です。
そんな国に、日本ではあまり知られていない英雄がいたのをご存じですか?
英雄の名はアフマド・シャー・マスード。
今回はアフガニスタンの英雄アフマド・シャー・マスードについて解説していきたいと思います!
「獅子」の異名をもつアフガニスタンの英雄

アフマド・シャー・マスードは今から約70年前に生まれ、彼の祖国であるアフガニスタンのために生きて亡くなったアフガニスタンの英雄です。
彼は国の国防大臣や軍司令官と勤め、人生の大半は戦いの日々でした。マスードには2つ名があります。
それは「パンジシールの獅子」!パンジシールとは彼の故郷名です。カッコイイですよね!
また亡くなった後に国から「アフガニスタン国家英雄」の称号を贈られました。
マスードが死なずに生き続けていたら、歴史は変わっていたかもしれないと言われるほどの人物だったのです。
ソ連軍とタリバンを恐れさせた戦略家
人生の大半が戦いの日々だったマスードですが、前半の敵はソ連、後半の主な敵はタリバンでした。
詳しいことは後述しますが、アフガニスタンに攻めてきた時のソ連はアメリカと肩を並べるほどの超大国であり大きな軍事力をもっていました。
そんな強力なソ連のせいでアフガニスタン国内はぐちゃぐちゃになるのですが、マスードは故郷のパンジシールを一度もソ連に侵略させることなく守りぬきます。
ソ連が撤退したあとにアフガニスタンでは内戦がおこるのですが、そこに突如としてイスラム原理主義のタリバンという組織が現れます。
タリバンは破竹の勢いでアフガニスタン国内を侵略していきましたが、タリバンの非人道的な主義とやり方にマスードは激しく反抗。
タリバンは当然のごとくパンジシールを攻めるのですが、マスードの戦略のおかげでタリバンは攻めとることができませんでした。
なぜマスードは攻め入るのことができなかったのか?それはアフマド・シャー・マスードは知る人ぞ知る戦略家だったからなのです!
アフガニスタンってどんなところ?

アフマド・シャー・マスードの人生を知る前に、彼が活躍したアフガニスタンはどんなところか見ていきたいと思います。
アフガニスタンは元々イギリスとロシア帝国のパワーゲームのなかで誕生し、1919年にイギリスから独立した国です。
地図を見てもらえば分かるのですが、アフガニスタンは東は中国、西は中東と呼ばれる国々、南はパキスタンやインド、北は中央アジアの国々に囲まれている内陸国で、他国の影響をダイレクトに受けやすい場所にあるのです。
暮らすのに過酷な土地
アフガニスタンは西アジアに位置していますが、緯度は日本とほぼ同じです。ただし、標高が高く、寒暖の差が激しく雨はめったに降りません。
南部には砂漠が広がっていて作物を育てるための耕作可能な地域は10%ほどしかありません。この作物があまり育たたない地域に灌漑用水を作ろうとした日本人、中村哲さんは有名ですよね。
亡くなられましたが彼もまたアフガニスタンでは英雄として現地の人に愛された人物ですよね。
アフガニスタンの産業の中心はヤギとアフガン羊を育てる遊牧です。生きていくのに、とても過酷な土地柄なのです。
アフガニスタンに住んでいる人々と文化
アフガニスタンは多民族国家だって知っていましたか?
私たちから見ると中東の人たちってみんな同じ顔に見えてしまいますが、多種多様な民族がいるんです。
アフガニスタンには主にパシュトゥーン人、タジク人、ハザーラ人、ウズベク人が住んでいます。
同じ国民でも様々な民族がいるアフガニスタンですが、ほとんどの人がイスラム教を信じています。
厳しい環境のせいか国民の平均寿命はわずか45歳しかありません。国民の3人に2人は読み書きができないという記録もあります。
まだまだ世界には識字率の低い途上国がたくさんあるんです。
アフマド・シャー・マスードの生涯
アフマド・シャー・マスードは現代アフガニスタン史において最大の名声を得、国民から期待と尊敬を集めていた軍人であり政治家でした。
ここからは、彼の人生がどのようなものであったのか見ていきたいと思います。
アフマド・シャー・マスードの生い立ち
アフマド・シャー・マスードは1953年にイラン系民族であるタジク人として生まれました。
本名はアフマド・シャー。
マスードという名前は「幸運なる者」という意味があり後からつけられた名前なんです。彼が生まれた当時のアフガニスタンは王国で貧しいながらも安定していました。
父親は王国の将校をしていて、幼い頃はフランス語を学ぶことができるそれなりに裕福な家で育ちました。
フランス語はもちろんのこと英語も話していたそうで、とても頭がよかったことが分かりますよね!
大変な読書家だったようで、睡眠時間を削ってまで本を読んでいたそうです。
19歳頃にアフガニスタンの首都のカブールにある工業大学に入るのですが20歳になった頃に、当時アフガニスタンと国境を接していたソ連が国内に侵攻してきました。
これを受けてマスードは学業を断念せざるを得なくなり、故郷に戻ります。
戦争で学ぶ機会を失うというのは、とても悔しいことだと思います……。
共産主義・ソ連との戦い
マスードが若者だった時、アフガニスタンはソ連と国境を接していました。
当時ソ連は、世界に誇る社会主義大国であり資本主義大国であるアメリカと対立関係にありました。
ソ連は第二次世界大戦中にもっとも多くの戦死者をだした国でした。
なので戦争終結後もソ連という広い国土を守るためにも、自分の周りの国にも反発するような国は必要ないと少し過激な考え方をしていました。
ソ連の味方でありさらに、資本主義国家が攻めてきたらせめてソ連を守るためにクッションになるような国でいてほしいと思っていました。
アフガニスタンは暮らすのに過酷な土地が理由で貧しいので、軍事力も弱くて最初のうちはソ連はアフガニスタンをあまり相手にしていませんでした。
しかしアフガニスタン国内でクーデーターが何度も起きて、次々に政権が変わるようになります。
それを見たソ連は「なんだかアフガニスタン国内は揺れてんなぁ。そうだ、これを機に完全に自分の影響下に置いてしまおう!」と考えます。
元々ソ連はアフガニスタンが貧しいことに付け込んで、道路建設の援助をしたりして影響力を持とうとしていました。
そしてソ連はアフガニスタンの政治が不安定すぎるんだったら、いっそのことソ連の言いなりになる政権を作ろう!と考え、アフガニスタンに侵攻したのです。
隣国が攻めてきたのでアフガニスタン国民は戦うのですが、この戦いには別の大きな側面がありました。
それはアフガニスタン国民がイスラム教徒であり、ソ連が社会主義国であることです。
基本的に国民のほとんどがイスラム教を信じている国では、宗教を中心として国作りをしていて、イスラム教の教えに沿って政治を行っています。
一方、ソ連は共産主義を目指して国を運営していました。
共産主義はそもそも「宗教なんていらない!宗教は社会の毒だ!」という考えを持っています。
宗教と共産主義は水と油の関係、決して相いれない関係!
よってソ連のアフガニスタン侵攻はアフガニスタンVSソ連でもあり、イスラム教徒(宗教)VS宗教を否定する共産主義者でもあったのです!
イスラム教をソ連から守れ

イスラム教徒にとって、ソ連と戦うことはイスラム教を守る聖戦という意味をもちました。
イスラム教を守る聖戦で戦う人たちをムジャヒディン(イスラム聖戦士たち)と呼ぶのですが、マスードもこの戦いに身を投じました。
ムジャヒディンたちは基本的にゲリラ戦を行いましたが、マスードはそのなかで優れた軍略を発揮しメキメキと頭角を現します。
対ソ連のムジャヒディンの中でも政治的にも重要よなるインテリ層で、やがて軍司令官になります。
マスードは自身の故郷であるパンジシール州に本拠地を構えていました。
ソ連は「ヤバい軍略家がいるぞ」と戦争中にパンジシール州を10回も攻撃するのですが、10回ともマスード率いる軍が勝利しました!奇跡みたいな話ですよね…!
そうこうしているうちにソ連はアフガニスタンをうまく攻めきれずに撤退します。
ここでマスードの人柄がよく分かるエピソードがあります。
ソ連軍本体が撤退するのを知ったマスードは自分たちが捕まえていたソ連軍捕虜を自主的に開放します。そしてソ連軍の撤退を邪魔しないことを約束したのです。
今まで敵として戦っていた相手にたいして寛大な処置がとれるってすごいですよね!
アフガニスタンの内戦とタリバンの登場
約10年間におよんだソ連との戦いだったのですが、その後アフガニスタンは平和になったのでしょうか?
残念ながら、そうはなりませんでした……。
なんとムジャヒディン同士の派閥争いが起こり、アフガニスタンは内戦へ突入します。
イスラム教を守るためにソ連と戦ったムジャヒディンでしたが、実は一枚岩ではありませんでした。
アフガニスタンは多民族国家です。どの民族が主導権をとるかという争いや、穏健派か急進派かなど様々なグループが複雑に対立していきます。
マスードはラバニ派というグループに所属していて、アフガニスタンの将来はアフガニスタン人自身の意志で決定すべきだと考えていました。
アフガニスタンはソ連との戦争中に、アメリカのバックアップをうけた隣国パキスタンの援助を受けていました。
そんな背景もあってパキスタンの依存度の高いグループがあったりして、ラバニ派とは考え方の違いから激しく対立します。
アフガニスタンの首都のカブールはソ連侵攻の時ほぼ無傷でしたが、内戦のせいで瓦礫の山となってしまいます。
内戦の激しさに国土は荒れて、国民は隣国に逃げ出すまでになってしまいました。
そんな先の見えない争いの中、突如として謎の新しいグループが現れドンドンとアフガニスタンを占領していきました。
この謎のグループの名はタリバン。
タリバンの出現によって、アフガニスタンは新たな局面を迎えることになるのです!。
タリバンとの戦い
タリバンってニュースでよく聞くけれど、どんな組織かよく分かりませんよね。タリバンはパキスタンのスパイ組織が作ったイスラム原理主義の組織です。
パキスタンはアフガニスタンとインドに挟まれた国なのですが、昔からインドとは仲悪く争いが絶えませんでした。
パキスタンから見たら、アフガニスタンにはインドの味方になってほしくない、自国の味方でいてほしいという思惑があります。
アフガニスタンが内戦で荒れているのを見たパキスタンは、アフガニスタンにパキスタンのいうことを聞く政権をたてようと考えます。
考えることがソ連と一緒ですね……。
パキスタンはアメリカのバックアップを受けて、アフガニスタンの援助をしていたと前述しましたが、実はその時アメリカから大量の武器やお金をちょろまかしていたんですね。
そして、パキスタンにはアフガニスタン国内から逃げてきた大量の難民がいました。
難民を洗脳するタリバン
パキスタンはその難民たちに目を付けます。
難民キャンプで神学校を開き、イスラム教の教えを極端に解釈した過激な思想教育をします。
タリバンは「学生」という意味。タリバンのほとんどがアフガニスタンのパシュトゥーンという地域の学生で構成されていました。
文字どおり、過激な思想に染まった学生たちをパキスタンはアフガニスタンに送り込み、乗っ取ろうとしたのです!
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