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エジプト文明が滅びた理由とは?わかりやすく簡単に解説!

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年末年始によく放送されるテレビ番組に、「古代エジプトの発掘物」があります。

毎年のように放送されていた時期もあり、ちょっと飽きるかなと思っても、ついつい見てしまいませんか?

ツタンカーメンのマスクが日本に来た時も、展示された博物館は連日の大賑わいだったそうですよ!そんな、人気絶大な古代エジプト文明。

一体どうして滅んでしまったのでしょう?

今回は古代エジプト文明が滅びた理由について、わかりやすく簡単に解説します!

古代エジプトの時代の分け方

古代エジプト4000年の歴史、というふうによく言われますが、日本の天皇家のようにずっと同じ王家・王朝が続いたわけではないんです。

どちらからといえば、長い歴史の中でずっと続いている日本の天皇家のほうが例外。

地味にすごいのよ。

ふつうは、何百年、何千年の間に王家・王朝がかわるのはあたりまえのことなんですよ。

古代エジプトの王朝は大きく4つに分けられます(本当は、もっともっと細かいんですが、今回はおおざっぱに行きますね)。

4つとは、紀元前3000年頃にできた古王国、紀元前2600年くらいの中王国、紀元前1552年から500年くらい続く新王国、ギリシア系の王朝が支配したプトレマイオス朝のこと。

4つの古代エジプト王朝が滅んだ原因を見てみましょう。

ピラミッドがつくられた古王国が滅んだ理由

紀元前3000年頃、エジプトで最も古い古王国がはじまります。3000年というと日本では縄文時代?弥生時代?そのあたりですね。

古王国時代といえば、ピラミッドが作られた時代。クフ王・カフラー王・メンカフラー王のギザの三大ピラミッドは世界的に有名ですよね。

古王国の王様たちは「ファラオ」とよばれ、強い権力を持っていました。古王国が弱くなった理由は、地方の役人が力を持ったからと言われています。

つまり今でいうなら、それぞれの都道府県が大きくなってしまい都道府県知事が権力をもってしまったんですね。結果、総理大臣の言うことを聞かなくなったと言うイメージです!

異民族との戦いに苦労した中王国が滅んだ理由

エジプト中王国は、ピラミッドで有名な古王国やツタンカーメンなどでおなじみの新王国に比べるとちょっと地味な時代。

それもそのはずで、中王国の時代は世界各地の民族移動のせいで、エジプトも絶えず外国からの侵略にさらされていました。

紀元前1650年頃、エジプトの東北にあるシリアのほうから「ヒクソス」という異民族がエジプトに攻め込んできました。

エジプト中王国の軍隊はヒクソスにコテンパンに叩きのめされてしまいます。

なぜ負けてしまったかというと、ヒクソスは騎馬と戦車をもっていたからなんですね。当時騎馬と戦車はかなりの戦力になっていたんです。

ここでいう戦車というのは、馬にひかせる戦いようの馬車のこと。

歩兵中心のエジプト中王国は騎馬と戦車に歯が立たず、滅ぼされてしまいます。

歩兵中心って、そりゃあまともに戦車と戦えば負けるわね

有名な王がたくさん登場する新王国が滅んだ理由

ヒクソスにエジプトの北半分を取られたエジプト人たちは南のテーベでヒクソスに対抗する国を作ります。

ヒクソスの戦い方を研究したテーベの人々はヒクソスに反撃し、エジプトの北半分を取り返しました。そしてヒクソスを追い出した後の王朝を新王国といいます。

新王国の王の1人、トトメス3世は西アジアに積極的に攻め込み、新王国の領土を最大にしました。

黄金のマスクで有名なツタンカーメンの父親であるアメンホテプ4世はエジプトの宗教をかえて、王の力を強めようとします。

また、ツタンカーメンよりも後の時代にファラオになったラムセス2世は、今のトルコにあったヒッタイトという国と戦い、世界で初めての平和条約を結びます。

いま、エジプトの観光地として有名なアブシンベル神殿はラムセス2世がつくらせた神殿です。

一度行ってみればわかりますが、とにかくデカイ!

観光客が豆粒に見えてしまうほどの巨大な「ラムセス2世像」が訪れた人を迎えてくれます。

最強新王国も「海の民」には勝てず・・・・

修学旅行がアブシンベル神殿だったら、絶対に忘れないでしょうね。これだけ強かった新王国、どうして滅んだか気になりませんか?

実は、中王国と同じく異民族によって弱くなり、徐々に滅んでいくんです。

その異民族とは「海の民」

なんとも、怪しげな名前ですね。

実際、海の民のことは今でもよくわかっていないことが多いんです。

はっきり言えるのは、海のかなたから鉄器という最新武器を持った人たちがやってきて、東地中海沿岸の国々を次々と滅ぼしていったといことだけ。

エジプト新王国は海の民の攻撃だけで滅んだわけではありませんが、海の民の攻撃が「つうこんの一撃」だったことは間違いありません。

クレオパトラで有名なプトレマイオス朝が滅んだ理由

 

新王国が滅んだ後、外国の支配や弱い王朝が続いたエジプトを本格的に支配したのがアレクサンダー大王でした。この名前は歴史の教科書にもでてくるので知っている人もおおいのではないでしょうか?

まあ、かなりのイケメンだったんじゃないのかしら。肉体美も私好み

期待されたアレクサンダーでしたが32歳という若さで死んでしまいます。

混乱する中、「俺はエジプト王になる!」と宣言したのがアレクサンダーの部下だったプトレマイオス。

プトレマイオス朝の始まり

ギリシア人プトレマイオスが開いたのが、最後の古代エジプト王朝のプトレマイオス朝です。

王様こそギリシア人ですが、文化や服装などは古代エジプトの伝統を守ったみたいですね。

もっとも有名なプトレマイオス朝の王といえば女王クレオパトラ

プトレマイオス朝が滅んだ理由は、クレオパトラがローマの権力争いに首を突っ込みすぎたからということなんですが・・・真相はどうなんでしょうね?

ローマの政治家オクタヴィアヌスは、ライバルのアントニウスと、彼と手を組んだクレオパトラと戦い、プトレマイオス朝を滅ぼしています。

エジプト文明が滅びた理由とは?わかりやすく簡単に解説!まとめ

ではまとめてみましょう!古代エジプトは古王国、中王国、新王国、プトレマイオス朝にわけることができます。

そして古王国は地方が強くなったことが理由で滅びます。中王国と新王国は異民族の侵入で滅びました。

最後にプトレマイオス朝はローマ帝国の権力争いに巻き込まれて滅んでしまったんですね。これがエジプト文明の大まかな衰退の原因となっています。

有名な人物や建造物が多いエジプト文明。謎も多くその魅力にハマっている人も多くいます!興味がある方は深堀していくとエジプト文明のさらならる謎を知ることができそうですね!

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