アジア歴史

ビンラディンとはどんな人物?一体彼の目的とは何だったのか?彼の最後などを解説!

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皆さんこんにちは!

最近テレビでよく聞くアフガニスタン。

そこは、かつて911世界同時テロの首謀者とされているウサーマ・ビン・ラーディンをかくまったとして、米国によって崩壊させられた国です。

そのきっかけとなったウサーマ・ビン・ラーディンとはいったいどんな人物で、あのテロ事件とどうかかわったのでしょうか?

分かりやすく解説していきたいと思います!

ウサーマ・ビン・ラーディンの経歴

ウサーマ・ビン・ラーディンを皆さんご存知でしょうか?ニュースでターバンを巻いた髭もじゃの浅黒い人物を一度は見たことはあるのではないでしょうか?

彼の経歴はどのようなものだったのか見ていきましょう。

ウサーマ・ビン・ラーディンの生い立ち

まず、ウサーマ・ビン・ラーディンの正式名は、ウサーマ・ビン・ラーディンと言います。

サウジアラビアのリヤドで、建設業で財を成した父と、その10番目(!)の妻でシリア出身の母の間に生まれました。

中東では一夫多妻制がまだ存在します。

それでも10人以上も妻を持つことからかなり成功した父だったのだと思われます。

しかし、父はウサーマ・ビン・ラーディンが生まれた直後に離婚したため、幼少期のウサーマ・ビン・ラーディンは実父と離れて3人の異父弟・1人の異父妹と共に生活することになりました。

その後、エリート校で教育を受けて大学に進み、そこで宗教や慈善活動に興味を持つようになりました。

ウサーマ・ビン・ラーディンとアフガン紛争

1979年、ソビエト連邦がアフガニスタンに進攻。

その時ウサーマ・ビン・ラーディンはサウジアラビアを離れてパキスタンやアフガニスタンでソ連軍に抵抗するムジャーヒディーンを支援するための活動を始めました。

その時のことをウサーマ・ビン・ラーディンはアフガニスタンに対する大国の仕打ちに大きな怒りを覚えたと後に語っています。

ウサーマ・ビン・ラーディンの支援活動は募金が中心でした。

サウジアラビアなどの湾岸諸国を活動拠点としてアフガニスタンのムジャーヒディーンに資金や建設機械を提供していました。

ウサーマ・ビン・ラーディンといえば過激なテロや暴力的なイメージがありますが少し違っていますね。

しかし、その後、ウサーマ・ビン・ラーディンはアフガニスタンに兵士を送り出す施設を作り、アフガニスタンに基地を作りソ連と交戦するなど、徐々に実際に戦闘を手段とした活動を行うようになっていきます。

1987年のジャジの戦いでソ連軍に勝利したことにより、彼の名前は有名になります。

ソ連と対立していたアメリカはウサーマ・ビン・ラーディンのことを利用しようとします。

そして、アメリカなどから資金援助を受けアルカイーダという独立組織を作ることになります。

湾岸戦争

1990年8月2日、サッダーム・フセインのイラク軍がクウェートに侵攻しました。

湾岸戦争です。

イラク軍が国境まで迫っているサウジアラビアに対して、ウサーマ・ビン・ラーディンは自らが率いる軍隊をサウジアラビアに駐留させて防衛することを提案します。

しかし、サウジアラビアはそれを拒絶し、米国軍を駐留させることにしました。

そのあとはあの超大国のアメリカがイラクを倒すことになります。

しかし、ウサーマ・ビン・ラーディンは聖地である国にアメリカ軍を進駐させる判断をしたことに憤慨します。

中東情勢は、宗教と政治的な関係が絡まりながら微妙なバランスを持っているのでとても難しいですよね。結局、ウサーマ・ビン・ラーディンはこれをきっかけとして急速に反米活動を行うようになっていきます。

アルカイダとウサーマ・ビン・ラーディンの関係とは?

引用元:wikipedia

上述したように、ウサーマ・ビン・ラーディンはアルカイダという組織を作り、率いて活動していきます。実際にどのような組織であったのか詳しく見ていきましょう。

アルカイダ組織体制

アルカイダはイスラム主義を掲げるスンナ派ムスリムを主体とした国際テロ組織です。

ソ連のアフガニスタン侵攻の際に、抵抗運動に参加していたウサーマ・ビン・ラーディンとその同志らによって結成されました。

アフガニスタン・スーダン・イエメン・イラク・パキスタンなどを拠点としており、全体の指導者や本部などはなく、各地の組織の集合体とする見方が有力です。

しかし、ウサーマ・ビン・ラーディンが精神的指導者で、また彼の財力を基盤とした組織でもありました。

ウサーマ・ビン・ラーディンは組織作りや資金集めに長けていて組織内では大きな信頼を得ていました。

また、ナンバー2とされていた神学者のアイマン・ザワーヒリーという人が宗教的な理論や作戦を担当していたようです。

1990年代のアルカイダはオサマウサーマ・ビン・ラーディンの個人財産とヘロイン取引で資金を賄っていたようです。

また、その他にはクウェートなどの中東のイスラム諸国の支援者もいました。

ウサーマ・ビン・ラーディンはアルカイダの最高指導者でもあり大きな資金でもあったのです。

アルカイダの起源と思想って?

アルカイダの起源は1979年12月から1989年2月まで続いたソ連・アフガン戦争にさかのぼります。

アフガニスタンに侵攻したソ連に対抗するため「ジハード(聖戦)」に参加したが外国人義勇兵がいました。

彼らを統率したのが「マクタブ・アル=ヒダマト (MAK)」という国際組織であり、ウサーマ・ビン・ラーディンが創設者でした。

その後、ソ連軍はアフガニスタンから撤退しますがウサーマ・ビン・ラーディンはその後も、世界各地でジハードを継続することを望みました。

そして、MAKから独立した新組織「アル=カーイダ」を結成したのです。

その思想はイスラム原理主義にもとづき、「反欧米」「反西洋文明」「反イスラエル」「反キリスト教」などの思想を掲げています。

異教徒からイスラムの聖地を守る、という事が彼らの根底にある目的です。

アルカイダの活動ってどんなもの?

以上のような組織と思想により、アメリカは聖地を占領する十字軍であるとみなし、この十字軍を追い出すことこそジハード(聖戦)だと主張。

次第に世界各地で暴力的なテロ活動を繰り広げることとなりました。

その対象は、軍事基地だけではなく公共施設や交通機関、飛行機など無差別化していきます。そして2001年にあの米国同時多発テロを起こすことになります。

米国同時多発テロとウサーマ・ビン・ラーディンの最期

皆さんは2001年に発生した米国同時多発テロはご存知でしょうか?

20代以上の方たちは当時のテレビでリアルタイムに見ていたかもしれませんね。

アメリカニューヨークにあった世界貿易センタービルに2機の飛行機が衝突し、ビルが崩れ落ちていく映像はとてもショッキングでした。

この事件を引き起こしたのがアルカイダであると言われています。どのようにして彼らがこのテロ事件を引き起こしたのか見ていきましょう。

米国同時多発テロの経緯

2001年9月9日、米国内を飛行する民間航空機4機がハイジャックされました。

その1機であるボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便がニューヨークの世界貿易センターの北棟ビルに突入。

続いて、ボストン発ロサンゼルス行きユナイテッド航空175便が南棟ビルに突入し、二つのビルは午前10時頃ほぼ同時に倒壊。

さらに、ワシントン発ロサンゼルス行きアメリカン航空77便がワシントンの国防省ビル、いわゆるペンタゴンに突入。

そして、ニューアーク発サンフランシスコ行きユナイテッド航空93便がピッツバーグ近郊の林に墜落しました。

このテロは市民3000人以上の犠牲を出す大惨事となったのです。

世界貿易センターに飛行機が突っ込む映像はテレビで中継され、またその倒壊までも放送されました。

日本でも当時何度もテレビで放送されていましたよね。

この映画のような過激にシーンに多くの日本人も衝撃を受けたのです。

テロとアルカイダの関与

当初は何が起きたか全く分からない状態でしたが、ハイジャック犯が航空機の機器の操作を誤り、操縦室内の会話が管制室に入るようになりました。

そこからはアラビア語が聞こえてきたことから、犯人はアラブ系であるということが早期に推測されました。

アメリカ政府はその後の捜査により、このテロがウサーマ・ビン・ラーディン率いるアルカイダによって計画・実行されたと断定しました。

そして、彼らが潜伏するアフガニスタンのタリバン政権に引き渡しを要求したのです。

しかし、タリバン側はアルカイダが実行犯であるという証拠がないと主張し、引き渡しを拒否しました。

これよって、アメリカ軍はアフガニスタンのタリバン政権に対しての攻撃を開始したのです。

ウサーマ・ビン・ラーディン自身は事件への関与を否定し、「私は攻撃の実行者ではないと強調しておく。今回の事件は別の個人によって、彼自身の動機によって実行されたように見える。」という声明を発表していました。

しかし、アメリカ軍が入手したテープには、ウサーマ・ビン・ラーディンが事前に同時多発テロを知っていたことを示す会話が録音されています。

アメリカ軍の攻撃により、ウサーマ・ビン・ラーディンをかくまっていたタリバン政権は崩壊。

その後首謀者であるウサーマ・ビン・ラーディン自身の足取りも不明となったのです。

ウサーマ・ビン・ラーディンの最期

タリバン政権崩壊後も、アメリカ軍はアフガニスタンに駐留して対テロ戦争を進めていきます。

ウサーマ・ビン・ラーディンを抹殺するため、大規模な捜索も続けていましたが、拘束することができないまま10年近くが経過。

壕を煮やしたアメリカは2011年に「ネプチューン・スピア作戦」というウサーマ・ビン・ラーディン殺害作戦を開始。

パキスタンのイスラマバード近郊に潜伏しているという情報を得たアメリカ軍は超極秘作戦として、特殊部隊として有名なNavy Sealsのメンバーなどにより、潜伏先に突入しました。

ウサーマ・ビン・ラーディンは武器を持っておらず、アメリカ軍の攻撃になす術もなく頭部と胸部を撃ちぬかれ死亡。

アメリカ軍はパキスタンに事前通告することもなく、終了後に報告したのみであったため、パキスタンは主権侵害であると非難。

やはり、アメリカはやるときはとことんやるので怖いですね。

ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害の報道に対して各国は喜び沸きましたが、ウサーマ・ビン・ラーディンが死んだことでテロがなくなるわけではありませんでした。

今も、世界各地で悲惨なテロの応酬が繰り広げられています。

 

ウサーマ・ビン・ラーディンとはどんな人物?目的や彼の最後などを解説!まとめ

皆さんいかがでしたでしょうか?

ウサーマ・ビン・ラーディンの写真のイメージと実際の彼は少し印象が違いましたね。

まだ、彼の本当の意図や同時多発テロとの関わりは不透明なところも残っています。

第二、第三のウサーマ・ビン・ラーディンが出てこないよう、切に願っています。

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【参考文献・URL】
https://ja.wikipedia.org/wiki
https://www.swissinfo.ch/jpn
https://ja.wikipedia.org/wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/

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