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中東戦争をわかりやすく説明します!今も紛争が絶えないのはなぜ?

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今だからこそ知りたい、中東戦争の歴史【歴史解説】

中東情勢ってなんだか複雑で分かりづらい。なぜなら、中東情勢って、パレスチナ問題、クルド人問題、石油や宗教などなど多くの問題があるからなんです。

今日はその中でも「中東戦争」について見ていこうと思います。

とりわけ複雑になったのはここ20年ほどのこと。

2000年代に入り、テロ組織や内戦などが始まってごちゃごちゃしだしました。しかしそれ以前の時代は「イスラエルVS周辺アラブ諸国」とむしろスッキリした二項対立だったのです。

この二項対立こそが中東戦争の根幹。

大規模な戦争が全部で4回、第二次世界大戦後約20数年間のうちに断続的に行われました。

「中東戦争」は英語で「Arab-Israeli War」と言います。

「中東戦争」というと漠然とした印象ですが、英語では「イスラエル対アラブ」とわかりやすい表現ですよね。

中東戦争は1949年の「第一次」、1956年から1957年の「第二次」、1967年6月の「第三次」、1973年10月の「第四次」と合計4回の戦争を指します。

今回はそんな中東戦争についてご紹介!この記事を読んで、中東問題について理解を深めていただければと思います。

目次

イスラエルの誕生

まず最初の衝突は、「イスラエルという国の建国を認めるかどうか」というところから。

第二次世界大戦後、この地域を自治していたイギリスは自治能力を失うとイスラエルという国を作って影響力を維持しつづけようと考えます。

1948年5月、イギリスの肝煎りでイスラエルが建国。

ですが早くも翌日に、イスラエルは攻撃を受けてしまいます!周りの国々はこの建国に反対だったのです。

そして攻撃されたイスラエルも、ただ黙っているわけにはいきません。これに対抗し戦闘態勢へ。

これが第1次中東戦争(パレスチナ戦争)です。

イスラエルという国の最初の一歩は、なんと周辺国との戦争からだったのですね。

イスラエル建国の背景

引用元:https://ja.wikipedia.org/wikiエルサレム

イギリスは1937年に分割案をだしアラブ人とユダヤ人を共存させようとしますが失敗に終わります。

その後、アラブ人とユダヤ人の衝突がたえなくなり、イギリスは国連にその統治の責任を丸投げすることになります。

国連は再び分割統治を提案し、多くのパレスチナ領をユダヤ人にあたえます。アラブ人は激怒しますが結局1948年にイスラエルが建国されることになりした!

この建国には周りの国々が激怒し、不満爆発。

イスラエル建国はなぜこんなに周辺国の反感を買ったのか?

イスラエル建国に対する周辺国の反発は、独特の民族問題が大きく関わっていました。

2000年以上前、イスラエルにはユダヤ教を信仰するユダヤ人がもともと住んでおり、エルサレムという場所はユダヤ教の聖地でした。

しかし、ユダヤ人は、大昔ローマ帝国によって滅ぼされてしまい、イスラエルから世界中へと逃げるように移り住んでいったのです。

そして、その後、住み着いたのがアラブ人。

イスラム教を信仰するアラブ人はこの地に2000年以上も住み続け、そのうちユダヤ教のユダヤ人と同じようにエルサレムを聖地とみなすようになりました。

しかし第二次世界大戦以降、イギリスの戦略により急遽この地にユダヤ人の国家が建てられることとなります。

それがイスラエルです。

ユダヤ人は祖先伝来の土地に国家を樹立出来たことに大喜び!!

ですが同時に、イスラエルで共に共存していたアラブ人は突如土地も聖地も奪われ、そこにユダヤ人のための国家が誕生したことに怒りをおぼえます。

昔住んでいたからといって、今までずっと住んでいた土地に急に知らない人たちが居座りだしたのですから、戸惑うのも無理はないですよね。

当然、アラブ人はそんなことを認めることができず、ユダヤ人とアラブ人の間で衝突がおこります。

さらにアラブ人側にとって気持ち悪いのは、イギリスという大国が強く影響する国家が中東のど真ん中に突如出現したことです。

そりゃ攻撃するのも当然。 しかし、この戦争の結果はイスラエルの勝利となりました。

この勝利によって、アラブ人にとってイスラエルは否応にも認めなくてはいけない存在となったのです。

中東戦争とは?はっきりとした利権の戦いがあった!

イスラエル建国から8年後、1956年に起こった第2次中東戦争は他の中東戦争とは少し毛色の違った理由が発端でした。

世界地図を見てもらうと分かるかと思いますが、アフリカ大陸は他の大陸と完全に分離しているわけではなく、よく見るとユーラシア大陸とギリギリ繋がっている部分があります。

それがイスラエルに近いエジプトのスエズという場所。ここは地中海からアジアへと抜ける重要な運航経路であり、第2次中東戦争はそのスエズ運河の領有権を巡った戦いでした。

要するに利権を巡る戦いです。

そのため第2次中東戦争はスエズ戦争とも言われています。

スエズ戦争勃発

当時、世界経済が活発になるにつれスエズ運河の重要度は増していました。

そんな時、エジプトはこのスエズ運河の国有化を発表します。

スエズはヨーロッパにとって重要なアジアへの通り道。ヨーロッパからすれば、勝手にエジプトに管理されては困ります。

イギリスとフランスはこの発表に反発し、一計を案じます。

まずイスラエルにエジプトを攻撃させて、イギリスとフランスは調停するフリをし、そのまま介入してしまおうと考えたのです。

そして計画通りイスラエルがエジプトを攻撃。第二次中東戦争の開戦です。

その後イギリスとフランスは介入しようとしますが、ここで予想外の動きが起こります。

アメリカが国連の安全保障理事会でイスラエルの撤兵を求める決議案を提出、そして採択されたのです。

これにはさすがにどうしようもなく、そのまま第2次中東戦争は終了。

エジプトはそのままスエズ運河の国有化に成功しました。

この出来事はアメリカの中東政策の始まりであり、世界的影響力が強まってきていることの現れでした。

中東戦争の怖さ!「やられる前にやる」の精神

第2次中東戦争以降、比較的穏やかな関係が続いていたイスラエルとアラブ諸国ですが、1964年にパレスチナ解放機構(PLO)というパレスチナ人による自治を目指す団体が組織されると、ゲリラ戦などが展開され緊張が高まります。

そして1967年ソ連などの大国も加わり、さらに緊迫した流れが加速。ついにエジプト、シリア、ヨルダンの3カ国はイスラエルに対する軍事体制を整え始めます。

この時点でイスラエルはすでに軍事的に包囲され、ベトナム戦争によって同盟国アメリカの援助も期待できない状況でした。

それならばやられる前にやると、先制攻撃をするに至ります。

その結果イスラエルは圧勝。

その間わずか6日間で、イスラエルの占領地域は戦前の4倍以上にも広がったと言われています。

中東戦争が発端でオイルショック!紙の買占め始まる

第3次中東戦争から6年後。

アラブ諸国が失った領土を取り返そうと第4次中東戦争が勃発します。エジプトの大統領の交代がきっかけでした。

戦争はイスラエルに対するエジプトの奇襲で始まり、エジプト優勢で進みます。

イスラエルは一時核兵器の利用を考えるほどに追い詰められ、次第にその状況に危機感を感じたアメリカやソ連などの大国が介入してきます。

イスラエル側が体制を立て直すと国連の安全保障理事会によって停戦へと進み、その結果戦闘は収束に向かって行きました。

アラブ諸国は失地を完全に回復することはできませんでしたが、エジプトがシナイ半島の一部奪還に成功するなどしました。

またこの戦いで特徴的だったのが、アラブ諸国側が石油戦略を採ったことでした。

いわゆるオイルショックというやつで、親イスラエル側の国家に対して石油輸出を制限しました。

日本ではトイレットペーパーが品切れになった、あの騒動ですね。

このオイルショックにより、世界経済は一時混乱します。

世界経済の一体性や経済政策の影響力が明らかになった出来事でした。

実はすごく単純な中東という地域?!

1979年、エジプトはイスラエルと単独で講和条約を結びます。

エジプトは唯一全ての中東戦争に参加していた国でした。これによって一連の中東戦争はこれで終わりを迎えたと言われています。

しかしご存知の通り中東情勢は決して安定しているわけではありません。

その後、連携が崩れたアラブ諸国はイスラエルとの対決はないものの、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争、ISの勃興など混迷を極めていきます。

複雑化した中東情勢により、かつてのようにわかりやすい形でアラブ諸国が連携することはなくなったものの、現在もパレスチナ解放機構やヒズボラなどといった集団とイスラエルの戦いは続いていると言われています。

現在進行形で、イスラエルは多くの軋轢や問題を孕んでいるのです。

中東戦争をわかりやすく説明します!今も紛争が絶えないのはなぜ?まとめ

トランプ大統領は2017年、エルサレムをイスラエルの首都と認定し、大使館を置くなどアラブ諸国との摩擦を生む行動も起こしました。

さらに確固たる超大国が存在しないことが、中東情勢を分かりにくくしています。

そこに多くの内戦や大国の介入、多くのテロ組織などが存在しているので、こんなにも複雑なのですね。

また2000年代からイランが大国として台頭してきたのも、さらにわかりにくくしている要因でしょう。

しかし、過去30年以上続いた中東戦争での基本構図はイスラエル対アラブ諸国(当時はエジプトが中心)という二項対立。その構図は現在も変わらず存在し続けているのです。

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