皆さんこんにちは!
今、ニュースで話題になっている、アフガニスタンのタリバン政権はご存知でしょうか?
飛行機に人が群がる姿や、落下までしてしまう光景を見ると、とてもショッキングでしたよね。
実はタリバン政権は20年前まではこのアフガニスタンを統治していた組織なのです。そのタリバン政権は、あの911米国同時多発テロ事件をきっかけに、アメリカ政権に倒されてしまいます。
その原因となったのはあの有名なビンラディンという人が率いたアルカイダという組織ですが、実はタリバンとは全く別の組織なんです!
アフガニスタンがどのような経緯で現在に至るのか?なぜこのような混乱が起きたのか?タリバン政権とは何なのか?分かりやすく解説していきたいと思います。
アフガニスタンの歴史
ニュースではなんだかテロや紛争といった怖いイメージがありますが、実際にどこにある国なのでしょうか?
どんな歴史を持った国なのでしょうか?まずは基本的なことを見ていきましょう。
アフガニスタン・古代中世
アフガニスタンは南アジアと中央アジアの狭間に位置する地域にある国家です。
その地域が世界史に登場するのは、紀元前6世紀ごろ、アケメネス朝ペルシアのキュロス大王という人物が支配していたころにさかのぼります。
正直今もアフガニスタンってどこにあるの?って聞かれてもすぐに答えられる人は少ないかもしれません。
それだけ日本にはあまりなじみのない地域ですが、歴史にはかなり古くから記録が残っている地域なのです。
このアケメネス朝ベルシアは、紀元前332年あのアレクサンドロス大王率いるマケドニアの侵攻により滅ぼされてしまいます。
しかし、バルカン半島の南部に興ったこのマケドニアという国の東征により、ヘレニズム文化やインド仏教などがこの地域にも持ち込まれ、独自の文化や歴史を形成していくことになります。
アジアの中心に位置して、交易やの中心地となったこのエリアは「文明の十字路」とも言われます。あまり知られていないのですが、とても重要な地域だったんですね。
その後、数々のイスラーム国家が取って代わってこの地域を治めました。(途中でチンギスハーン率いるモンゴル帝国にも占領されてしまったりしましたが、、、)
アフガニスタン・近代とはどんな時代だったのか?
18世紀になりようやくアフガニスタン人による王朝が成立し、1835年にはアフガニスタン首長国という名前の国家が誕生します。
しかし、アジアのど真ん中に位置するばっかりに、当時、南下政策をとり中央アジアに進出しようとするロシアと、インドを統治下に置いていたイギリスとの板挟みとなっていました。
また、その周辺の大国であったイランもちょっかいを出してきており、アフガニスタンは近隣の国の争いに巻き込まれてしまっていたのです。
そしてこのどさくさ紛れに、結局は大帝国であったイギリスの保護下に置かれることとなりました。
第3次アフガニスタン戦争
本当にこの時代のイギリスは世界各地で、横暴なふるまいをしており、アフガニスタンもその被害者の一つだったと言えますよね。
第一次世界大戦が終結したあとの1919年第3次アフガニスタン戦争により、イギリスに勝つことが出来たアフガニスタンは独立を取り戻します。
1953年9月にソ連と仲の良いムハンマド・ダーウードという人が首相に就任すると、学生達を中心により急進的なイスラーム主義の勢力が台頭していきました。
そして、ダーウードは1973年にクーデーターを起こし王様を追放。自身を大統領として、アフガニスタン共和国を建国しました。
しかし、1978年、このダーウードもクーデーターにより殺害されてしまい、社会主義政権のアフガニスタン民主共和国が誕生したのです。
アフガニスタンの現代史
その後もクーデーターが再度発生したりとアフガニスタンの政情は混迷を極めます。近隣のイランで起こった革命に巻き込まれ、1979年にはソ連が攻め込んできます。
当時は、ソ連とアメリカが対立していた東西冷戦の真っただ中です。
ソ連勝手に何やってんだ!と対抗したアメリカは、お隣のパキスタンを経由して武器援助を行い、紛争は泥沼化していきました。
アフガニスタンも大国の政治情勢に翻弄され、つらい立場で苦しんできた国の一つだったのです。
タリバン政権とは一体何者なのか?
大国に挟まれ、苦しい歴史をたどってきたアフガニスタンに、タリバンという政権が生まれます。
ニュースなどでは何だか悪者で怖いイメージのあるこの政権ですが、実際にどのような組織だったのでしょうか?
タリバン政権の誕生
80年代から90年代もアフガニスタンはソ連の侵攻や内戦により国内は混乱状態に陥っていました。
そんな中、タリバン(タリバーン、ターリバーンと表記されることもあります)という組織が勢力を伸ばしていきます。
タリバンとは「求道者達、あるいは神学生達」の意味だと言われていますが、最高指導者ムッラー・ムハンマド・オマル師という謎に包まれた人物が、神学生たちを率いていた組織でした。
南部のカンダハールという地域を本拠地とし、徐々にその勢力を伸ばいしていき、1996年にはカーブルを占領し、アフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言します。
タリバン政権の組織体制
最高指導者の下に指導者評議会があり、軍事委員会や財政委員会などが設けられています。国際連合によるとタリバンという組織は最大約6万5000人もいるそうです。
また、実は色んな人種がいて派閥も多数あるようです。
アルカイダなど外部の武装組織とも連携しており、政権初期にはテロ組織が使うような武装でしたがその後アフガニスタン軍から奪った米国製の武器や軍備を増強しているとのことです。
娯楽の無い市民を巧妙に操る手口として、なんと公開処刑を日常的に行うなどしていたようです。
見せしめの目的もありましたが、その他に娯楽の無い市民が公開処刑に詰め掛けたといわれています。
タリバン政権の特徴
もともとイスラム教を学ぶ神学生たちを主体とした組織の為、イスラム法の法解釈を厳格に実施する組織でした。
特に女性に対しては非常に厳しく、教育の禁止やブルカ(黒い布で頭から顔を覆っている姿はよくテレビで見ますね)の着用を強制し、日常生活での自由が奪われてしまいました。
また、凧揚げや鳥の飼育、音楽や娯楽も制限してしまいます。
イスラム教以外の少数派や少数民族に対する差別も助長しました。そのことは自国民への人権侵害であると国際的に非難されています。
さらには、1996年から2001年までの間に、自国の民間人に対して虐殺を行い、16万人の民間人が飢餓状態にあったと言われいます。
しかし、国際連合が食糧援助を申し出るもそれを拒否し、自ら広範囲の肥沃な土地を焼き、何万もの家屋を破壊する焦土作戦を行いました。
有名なバーミヤンという巨大な石窟像も、イスラム教の偶像崇拝の禁止という考えのもと破壊されてしまいました。世界中が破壊中止を必死に求めるも当時のタリバン高官であったブドゥル・サラム・ザイーフはこれを聞き入れず破壊に踏み切ったのです。
貴重な世界遺産も失われてしまいアフガニスタンという国の価値を落としまうことになりました。。
タリバンと外国の関わり
古代から現在に至るまで周辺の大国に振り回されていたアフガニスタンを統治下においたタリバン政権。
彼らはどのように世界各国と関わっていったのでしょうか?現在に至るまでの経緯をみていきましょう。
タリバン政権と911事件
タリバンという名前を日本でもニュースでよく聞くようになったのは、20年前の米国同時多発テロが発生したあとです。
アメリカの貿易センタービルに2機の飛行機が突っ込み、ビルが倒壊し多数の犠牲者を出した大事件は、今でもニュースでよく見ますよね。
そのテロ事件の実行犯として疑われた、アルカイダという組織の主犯人物たちをアフガニスタン国内にかくまった、として標的にされたのです。
ちょうど、先述したように国内の人権侵害を国際的に非難され始めていたのと同時期でした。
多数の被害者を出したアメリカのブッシュ政権は、このテロの首謀者であったオサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダを引渡しするようにタリバンに求めました。
アメリカのアフガニスタン侵攻開始
しかし、タリバンはこれを拒絶したので、アメリカは強大な軍事力をもってアフガニスタンに侵攻することにしたのです。
間もなくアメリカはタリバン政権を倒しましたが、生き延びたアルカイダやタリバンの生き残りは、パキスタン等に逃亡しました。
その後もタリバンはアフガニスタンの地方やパキスタンなどの周辺国で自爆テロをするなどかなり過激なゲリラ的な抵抗を行い続けました。
2011年にはアルカイダのウサマ・ビン・ラディンがアメリカにより殺害されたのを機に、アメリカの当時のオバマ政権はアフガニスタンに駐留する米国軍を撤退しようと考えましたが、まだまだ政情不安であったため治安維持のために駐留を続けました。
一方で、タリバンはアフガニスタンの地方を中心にその支配力を増していきました。
タリバンに変わったアフガニスタン政権の腐敗が進んでいき、アフガン国民の支持を得られなくなっていったというのも要因のようです。
そして、あのトランプ大統領が誕生しました。
彼はアメリカンファーストを掲げ、アメリカ人の得にならないものは一切見向きもしない、という政策を掲げていました。
アフガン問題も彼にとってはお金のかかるだけで必要性は少なかったのでしょう。トランプ大統領はタリバンと駐留軍を段階的に撤退させる合意を得ました。
その後、バイデン大統領に代わってからもその方針は変わらず、先日、米国軍のアフガニスタンからの完全撤退が完了しました。
タリバン政権と中露との関係
米国以外の大国である、ロシアや中国との関係はどうなのか見ていきましょう。
先に述べた通り、第二次世界大戦以降はソ連の強い影響下にあり、1970年代にはソ連から侵攻を受けたアフガニスタン。
しかし、ソ連軍に対しアフガニスタンはゲリラ組織も含めて激しく抵抗、ソ連軍の駐留は10年に及んで泥沼化、失敗に終わったのでした。
その侵攻を国際的にも非難され、国内組織の改革が必須となる中でゴルバチョフが登場し、結局はソ連の解体につながってしまいました。
その後、タリバン政権が生まれたことから、この時期の紛争によりタリバンの指導者達の誕生のきっかけが生まれたと言っていいでしょう。
米ソ両国による軍事援助により多くの武器が持ち込まれ、タリバン政権にも渡ってしまったのです。
中国は古くはシルクロードと呼ばれた陸路でアフガニスタンと国境を接しています。三蔵法師さんが通った道として有名ですね。
ただ、中国とアフガニスタンは最近になるまでは目立った関係を持ってはいませんでした。しかし、ここ数年で中国は「一帯一路」という政策を打ち出しています。
中国が古くはシルクロードと呼ばれた中国から中央アジアを通り東欧に至るまでの地域に膨大な投資をして、周辺国への影響力を強めようとしているのです。
そして今回の米軍の撤退によりアフガニスタンと急速に距離を縮めているとも言われています。中国の王毅外相は早速、タリバン政権と接触し食糧援助などを約束したそうです。
8月25日、中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領は、電話会談でアフガン情勢の安定と再建に向け、両国が連携して主導権をとる意欲を示した、と報道されており、両国の動きが今後注目されます。
タリバン政権と日本は?知られていない日本からの援助
日本とタリバン政権との関係はあまり多く報道はされていません。
ただ、タリバン政権がアメリカに打倒された後、アフガニスタンからテロを根絶するため、多くの援助を行ってきたことはもっと知られても良いと思います。
2001年9月以降、総額約24.1億ドルの支援し、2002年1月には、「アフガニスタン復興支援国際会議(東京会議)」を開催して復興プロセスを支援しています。
もちろんテロを支援するものではなくテロで疲弊したアフガニスタン市民のサポートとして行われた援助です。
また福岡出身の医師である、中村哲さんはアフガニスタンに実際に行き復興や支援活動を行っていました。また中村哲さんの灌漑用水の建設によって荒廃した土地に緑を増やし中村哲さんのおかげで生活が良くなった人も多くいます。
多くのアフガニスタン人が中村哲さんを慕い感謝していたそうです。
しかし、2019年、武装勢力に銃撃され死去されました。しかし、今も中村さんの活動を継続されている方達や、米軍撤退後のアフガニスタン支援を行う方達は多くいるそうです。
タリバン政権とはどんな政権なの?簡単に解説します!まとめ
皆さん、いかがでしたでしょうか?
何となくアフガニスタンやタリバンと聞くと、紛争やテロなどの怖いイメージだけがあったと思います。
しかし、実際には今のような混乱状況に陥る歴史的・文化的な背景があり、それはアフガニスタンだけでなく周りの大国のせいでこうなった、という事も多くあります。
特に、アフガニスタンに住む一般の方たちの自由や安全を守るために、日本もできることは多いと思います。遠くの国の出来事として傍観するのではなく、今後も注視していきたいと思います。
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【参考文献・URL】
アフガニスタンの歴史 マーティン ユアンズ (著) 明石書店https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/afghanistan/genjo.html
https://ja.wikipedia.org/wiki
https://toyokeizai.net/articles/-/449293
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