今回はサダム・フセインを取り上げたいと思います。
フセインと聞いて、読者の皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。最近では2003年に起きたイラク戦争でしょうか。
サダム・フセインの人生とは、まさにアメリカに利用され、そして使い捨てにされた人生でした。
今回はサダム・フセインに焦点を当てながら、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争の3つの戦争を軸に歴史を考えていきたいと思います。
イランイラク戦争
西洋化(近代化)を果たしたイランは、奇しくも革命によってイスラム教を第一に掲げる宗教国家に変貌しました。
また革命によって反米国家になったイランを打倒するために、アメリカが目を付けた人物があのサダム・フセインになります。
パフレヴィー朝
1941年にイランの国王になったパフレヴィー2世は、西側諸国寄りの政策を取っていました。
西側諸国の投資を受けて、イランは西洋化(近代化)を進めました。
西側諸国がイランに関わろうとするその理由は石油です。
世界有数の石油埋蔵量を誇るイランにはアメリカやイギリスの資本が進出し、その資本がイランの王族と結び付き、石油利権を独占していました。
イラン・イスラム革命
近代化を図ったイランですが、汚職が蔓延り貧富の格差が拡大し、国民の不満が革命となって爆発します。
1979年、ホメイニ主導による「イラン革命」が発生し、パフレヴィー朝は打倒され、宗教国家であるイラン・イスラム共和国が建国されました。
革命を主導したホメイニが最高指導者になりイスラム国家の再興と反西側(反アメリカ)の政策を採用しました。
この革命にヨーロッパ諸国は衝撃を受けました。
その理由は、西洋化(近代化)を果たした国家では革命が起きないというセオリーが真っ向から否定されたことです。
歴史とは段階的に発展し、1度西洋化(近代化)を果たした国家が再び宗教国家に逆戻りすることはない、というのがヨーロッパが考える歴史でした。
宗教が異なるアラブ諸国であっても西洋化(近代化)をすれば、ヨーロッパの言いなりになるという楽観的な考え方がありました。
その典型例が、第二次世界大戦後の日本です。
第二次大戦後、日本は日米安保条約、サンフランシスコ平和条約をすんなりと受け入れ、西側諸国に組み入れられました。
戦争勃発
この状況に困ったアメリカはどのようにしてホメイニを打倒するか考えます。
そこでアメリカは隣国であるイラクに接近し、大統領であったフセインに全面支援の約束をします。
これを受けて1980年「イラン・イラク戦争」が始まりました。
この戦争は長期戦になり、何の戦果も上げられないまま8年間も続きました。
石油の多くを中東に依存していた日本では、この戦争によって第二次石油ショックとなり、8年間も続いたため「イライラ戦争」とも呼ばれました。
なぜアメリカは直接介入しなかったのか?
イラン革命の4年前になる1975年、アメリカはベトナムから撤退しました。アメリカはベトナム戦争に敗北したのです。
アメリカ国内には、戦争に対する厭戦気分が漂っていました。
そのような中、イランにまたアメリカ軍を派遣することになれば、国民の支持を得られず当時大統領を務めていたブッシュは次の選挙で負けることになってしまいます。
そこでアメリカはフセインに接近したのです。
このような失敗をアメリカは何回も繰り返しています。
現在のロシアによるウクライナ侵攻でアメリカが静観しているのは、アフガニスタンの失敗を引きずっているからです。
2021年9月1日、アメリカはアフガニスタンから完全撤退しました。
現在のアフガニスタンはイスラム原理主義組織であるタリバンが政権運営しています。
アメリカのアフガニスタン撤退については、後で触れていきます。
湾岸戦争
冷戦が終結し、世界の方向性がまだ見えない中、イラン・イラク戦争でアメリカに育てられたサダム・フセインは湾岸戦争を起こし、悪役として世界の表舞台に現れました。
一枚岩ではないアラブ諸国
8年間に及ぶイラン・イラク戦争は両者が疲弊する形で停戦されました。
疲弊したイラク経済を立て直すため、フセインはアラブ諸国に石油の減産を主張します。
石油の流通量が減れば、石油の値段が上がるためです。
しかし、この提案に対して親米国家であるサウジアラビアとクウェートが反対しました。
アラブが統一されない理由
アメリカをはじめとする西側諸国は、経済援助などをちらつかせながらアラブ諸国に介入して、アラブ諸国の分断と搾取を狙っています。
理由は2つあります。
1つ目はアラブ諸国が団結し、石油の値段を釣り上げたら、経済への影響が甚大だからです。
そのためアメリカはサウジアラビアとクウェートに莫大な経済支援をして、その見返りに石油の供給を優先的に回すことを約束させました。
2つ目はアラブ諸国がEU(ヨーロッパ連合)のように政治的、経済的に団結し、西側に対抗する勢力になることを防ぐためです。
西側諸国はアラブ諸国の分断を狙って、積極的にアラブ諸国に介入します。
その結果が、2011年から続く「シリア内戦」です。
この内戦ではイスラム国が暗躍し、多くの難民が発生しました。
戦争勃発
1990年8月2日、フセインは石油の減産に応じないクウェートに軍事侵攻し、僅か20時間で占領しました。
これを受け、アメリカ政府はアメリカ軍を派遣したいのですが、多くのアメリカ国民がベトナム戦争のトラウマを引きずり、クウェートへの派遣に反対しました。
そこでアメリカが利用したのがメディア戦略です。
政府は「ナイラ」というクウェートから奇跡的に生還した少女を担ぎ上げ、イラク兵たちの残虐性を議会の公聴会で主張しました。
この「ナイラの涙」は何度もテレビなどで報道され、アメリカの世論は一気に戦争賛成へと傾きました。
世論の後押しをもらったアメリカ政府は、イラクへのアメリカ軍の派遣を決定しました。
1991年1月17日、アメリカを中心とする多国籍軍がイラクに対して、空爆を開始しました。
翌月の2月28日には戦闘は終了。
3月3日、イラクは暫定的な休戦協定を受け入れ、4月6日に停戦に合意し、湾岸戦争は終結しました。
湾岸戦争は、冷戦後に起きた初めての大規模戦争になります。
国連ではソ連もアメリカの支持に回り、アメリカが「世界の警察」として世界の諸問題に対処するという新しい国際秩序が形成されました。
冷戦後のあやふやだった国際秩序が一気に鮮明になったきっかけが、この湾岸戦争でした。
メディア戦略と嘘
湾岸戦争が開戦する一因ともなった「ナイラの涙」ですが、あれは嘘だったことが判明しました。
ナイラは正体は、アメリカにあるクウェート大使館職員の娘になり、一度もクウェートには行ったことがないことが分かりました。
またイラク軍の油田に対する攻撃によって石油が海に流れ込み、その海に住む鳥が石油まみれになっている映像が頻繁にテレビで報道されましたが、あの映像も本当はメキシコ湾で起きたタンカ座礁事故のものだったということが判明しました。
戦争を始めるには、どうしても国民が納得する「大義」が必要になります。
そして多くの場合、その大義は国家によって意図的に作られます。
敵(悪)と味方(正義)という単純な対立構造を作り、感情を煽る物語に加工されるのです。
「ナイラの涙」という物語を作ったのは広告代理店になります。
どのようにして、戦争に反対するアメリカ国民を賛成の側に持っていくのか、その戦略を政府は企業に依頼し、嘘の物語が作られました。
メディアが発達し、戦争の映像を国民がリアルタイムで見れるようになりました。
そのため国民へのメディア戦略が戦況に大きな影響を与える、という新たな側面がベトナム戦争で示されました。
テレビから流されるベトナムの悲惨な状況を見て、一気にアメリカ国民はベトナム戦争反対に回り、アメリカは敗戦しました。ベトナム戦争において、アメリカはメディア戦略に失敗したのです。
アメリカはベトナムの失敗を湾岸戦争で生かしたことになります。
イラク戦争
湾岸戦争後の束の間の平和は、2001年のアメリカ同時多発テロによって儚く崩れ去ってしまいます。
アメリカに再び標的にされたサダム・フセインの人生もついに終わりを迎えます。
イラク戦争後のアラブにもたらされたものは悲劇そのものでした。
アメリカ同時多発テロ
2001年9月11日、アメリカのニューヨークのワールドトレードセンターに2機の飛行機が激突するという事件が起きました。
アメリカ同時多発テロです。
アメリカ政府は、このテロの首謀者はオサマ・ビン・ラディンであるとし、彼をを支援しているタリバン政権が報復の標的となりました。
2001年10月7日、アメリカはタリバン政権が支配しているアフガニスタンに侵攻し、タリバン政権を一気に崩壊させ、その代わりとしてアメリカの傀儡政権を樹立しました。
大量破壊兵器という嘘
アフガニスタンの次に、アメリカが標的にした国はサダム・フセインのイラクになります。
アメリカがイラクを標的にする理由として、イラクはテロ支援国家であり、大量破壊兵器を持っていることが上げられました。
アメリカはイラク側が大量破壊兵器を廃棄しなければ、武力行使も辞さない姿勢を示します。
これを受けて、戦争を避けたい国連は調査団の派遣を提案し、イラクも査察を受け入れます。
そして結果として、大量破壊兵器は確認できなかったという結論が出ました。
この調査結果を受けても、アメリカはイラクへの攻撃計画を止めようとはしません。
アメリカが新たに持ち出した大義は、以下の通りになります。
イラク国民はサダム・フセインの圧政に苦しんでいるため、アメリカがイラクを民主化し、イラク国民を解放する。
2003年3月20日、アメリカはイラクに軍事侵攻しました。
イラク戦争における本当の目的
アメリカが主張したイラクの大量破壊兵器ですが、実際のイラクは湾岸戦争以降、厳しい経済制裁を課されており、国家予算を軍備に回す余裕などありません。
アメリカの本当の目的は、石油取引の通貨決済にあります。
フセインは、2000年11月に石油取引の通貨をドルからユーロに切り替えました。
もしイラクに影響を受けて他の石油大国がドルからユーロに切り替えた場合、世界の基軸通貨であるドルの権威が大きく揺らぐことになり、アメリカ経済は深刻なダメージを受けます。
当時、なぜフランスを始めとするヨーロッパ諸国が、イラク戦争に反対したのかというと、人道的な観点ではなくイラクがユーロ建てを続けてくれた方がフランスやヨーロッパ諸国にとって利益があるからです。
ここでもアラブ諸国がヨーロッパの犠牲になっていることが分かります。
アメリカは、基軸通貨であるドルの権威を維持する目的でイラク戦争を起こしました。
アメリカ主導による裁判
2003年12月13日、サダム・フセインはアメリカ軍に拘束されました。
2005年から裁判が始まり、2006年12月30日、「人道に対する罪」でフセインは処刑されました。
ここで少し立ち止まって考えると、サダム・フセインを育てたのはイラン・イラク戦争で全面的な支援をしたアメリカになります。
もしアメリカがフセインに接近しなければ、先の湾岸戦争、イラク戦争は起きませんでした。
そうしたアメリカ側の責任は全く検証されず、臭いものには蓋をしろと言わんばかりに、アメリカによる一方的な裁判によってサダム・フセインは処刑されました。
イスラム国の正体
イラク戦争後のイラクですが、イラク国内には様々な武装勢力が入り込み、テロなど横行して混乱を極めます。
イラクの混乱は周辺国にも波及し、2011年から始まる「シリア内戦」に繋がります。
「アラブの春」の影響がシリアにも及ぶと、シリアを支配するアサド政権を打倒する動きが活発になります。
シリア国内には多くの反アサドを掲げる武装勢力が入り乱れシリアは混沌とした情勢になっていきます。
ロシアとの親密な関係を築くアサド大統領はプーチン大統領からの援助によって対抗しますが、アメリカを始めとする西側諸国は反アサド勢力の援助をします。
その援助した勢力の一つにIS(イスラム国)がいたのです。
IS(イスラム国)を育てたのはアメリカなのです。歴史は繰り返されます。
2014年、勢いを増したIS(イスラム国)が国家の樹立を宣言します。
IS(イスラム国)はSNNなどを通じて、世界中でテロ活動を起こすよう呼びかけ、2015年11月にはパリ同時多発テロを起こし世界を震撼させました。
また日本人2名がIS(イスラム国)に捉えられ、殺害されたことは記憶に新しいところです。
IS(イスラム国)は厳格なイスラム法に基づく国家運営で恐怖政治を行う一方、発電所や水道などの社会インフラはきちんと整備され、保健所なども機能し、きちんとした国家運営がされていました。
その理由は、イラク戦争で敗北したフセイン政権の官僚たちがイラク国外に逃れて、IS(イスラム国)に合流した背景があるからです。
このようにシリア内戦の原因を辿って行くと、イラク戦争に行き着くのです。
アメリカは2011年12月、一方的にイラク戦争の終結を宣言してイラクから完全撤退しました。イラクは未だに混迷を極めています。
アフガニスタン撤退
アメリカはイラクから撤退後、アラブ諸国への介入を縮小させていきます。
当時のオバマ大統領は「もはやアメリカは世界の警察ではない」と主張しました。
冷戦以降、アメリカが世界のリーダーとして国際バランスを保つという世界秩序の終わりを告げるものでした。
アメリカがアラブ諸国から手を引くと、かつてアメリカ同時多発テロの報復として崩壊させられたタリバンが息を吹き返しました。
2021年9月、タリバンがアフガニスタンを掌握すると、アメリカは這々のていでアフガニスタンから撤退したのです。
【サダム・フセイン】湾岸戦争・イラク戦争・イランイラク戦争は仕組まれた!まとめ
今回はサダム・フセインに焦点を当てながら、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、アメリカ同時多発テロという3つのイベントを軸にして、アメリカのアラブ諸国への介入を見てきました。
アメリカのアラブ諸国に対する政策は本当に酷いものでした。
アメリカの介入は、ただアラブ諸国に混沌と悲劇をもたらしただけでした。子ども含めてどれだけの人々が犠牲になったのでしょうか。
サダム・フセインはアメリカに利用され、アメリカに抗い、そして破れ去っていきました。
湾岸戦争で悪役に仕立て上げられたフセインですが、アメリカに真正面から対抗しようとした姿を見ると、フセインはアラブの平和を実現するという理想を持った骨太な政治家だったという考え方もできるかもしれません。
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【参考文献】
池上彰(2008)『そうだったのか! 日本現代史 (集英社文庫)』 集英社.
池上彰(2008)『そうだったのか! 現代史パート2 (集英社文庫)』 集英社.
世界史の窓 http://www.y-history.net/
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