エジソン対ウェスティングハウス

なぜ動物が電気で次々に処刑されなければならなったのか。
それは先述の通り、エジソン車体ウェスティンハウス社の争いの中でエジソン社がとった戦略によるものでした。
では一体その争いはどんなものだったのでしょうか。
優れているのは直流と交流?どっち?
1870年代、個人の住宅でも商業施設でもほとんどをガス灯が占めていました。
ガス灯とは、文字の通りガスを燃料とした灯りのことで、火を使って点火する必要性があります。
また火をつけるマントル部分の交換、点灯部分から出るすすを掃除するなど、こまめなメンテナンスが必要でした。
より便利に、より明るく、そのためにまず登場したのがアーク灯。
電気を使って点灯するアーク灯はガス灯より明るいため街灯には向いていましたが明るすぎること、そして煙が出るため室内灯としては不向きでした。
発明王として有名はエジソンは、アーク灯の後に出てきた白熱灯を改良し製品化します。
エジソンの白熱灯は上流階級からじわじわと広まっていきました。
更なるシェアを目指すべく、ガス灯を使っていたすべての世帯に白熱灯、そして電気を浸透させるために、エジソンはニューヨークに大規模な発電所を建設します。
彼はニューヨークに電気網を敷いたのです。そのままエジソンは電力産業の覇者となりそうでした。しかし、それを阻んだのがウェスティングハウス社です。
この時代、エジソンが推し進めていた電気とは「直流」と呼ばれるものでした。
「直流」の電気には大きな欠点があります。それは電気の長距離輸送に向かないことです。
ウェスティングハウス社は、電気の長距離輸送が可能な「交流」の電気網を、エジソンの電気網に次いで確立させ、シェアを大きくしようとしていきました。
ここからが「直流」対「交流」、エジソン社対ウェスティングハウス社の電流戦争の始まりです。
当初は特許をめぐる法的闘争だけだったのですが、次第にウェスティングハウス社が押し進める「交流」に世論が流れ始めことで、「交流は危険だ」とエジソン社が世に発信するというそんな戦いに様相が変わっていきました。
「エジソンの考えでは、交流による事故が見当たらなければ、起こさなければならなかった。そして大衆にその危険性を警告せねばならなかった。」
こう語ったと伝わっっているのは、エジソン社のある研究職員です。
「電流が死をもたらすのである」
それがエジソンの最大の攻撃のための主張でした。
先述したような動物を処刑する実験を交流電流で行い、人々に危機感をもたらしたばかりか、最終的には人間の電気処刑を交流電流で推し進めることまで行いました。
挙句電気を用いて処刑することを「ウェスティングハウスする」とまで表現したのだとか。
この電力戦争は、ウェスティングハウス社、つまり「交流」が勝利を収め、現代の私たちが主に享受しているのは「交流」です。
直流が劣っていて交流が優れている。
そういった類の話では決してないのですが、電気をめぐって「直流対交流」と言う覇権争いが起こったと言うことは事実です。
直流システムとは
ではそもそも「直流」とはどんなものなのでしょうか?
まず電気、電流はどのようなものなのかを考えなければなりませんね。
電気とは「電子」が動くことで発生します。
電子という目に見えない小さな粒が動き回ることで電気が起きるのですが、この電子が作り出す流れが電流です。
直流システム、直流電流とはこの電子の流れが常に一定方向であるもののことを指します。
理科の実験などで乾電池に豆電球を繋いで点灯させる実験をしたことがある方もいらっしゃるかと思いますが、乾電池から発生する電流は一定方向に流れるので直流電流です。
懐中電灯など、「乾電池のプラス・マイナスの向きを正しく入れましょう」と表示が出ている製品については、「直流電流」を用いて使用できる電気機器なのです。
天才発明家であったエジソンが「直流」を推した理由、それは、エジソンが考案した電球は直流電流をもってしか点灯させることができなかったため、電力の長距離輸送に向かないと知っていても頑なに「直流」を推したのだとされます。
そして「自分の発明でないものは認めたくない頑固さ」このエジソンの性格も戦争に躍起になった一因ではないかと言われています。
交流システムとは
一方、「交流」とはどんなものなのでしょうか?
直流が電子の流れが一定方向なのに対し、交流は電子が「行ったり来たりする」事で電気を起こします。
電気は電子が動く向きではなく、電子が動いている事自体で起きます。
「交流」のように流れる向きが変わっても、電子が動いているので直流と同様に電気が起きるのです。
現在家庭に供給されている電気は「交流」です。
私たちはコンセントから電気の供給を受けているわけですが、コンセントの向きにかかわらず、コンセントが刺さってさえいれば電化製品は作動しますね。
これは、私たちが普段使っている電化製品がすべて「交流」に適しているからなのです。
先述の通り、長距離の輸送に向いているのは「交流」です。
輸送が容易いというメリットがある一方で、蓄電ができないというデメリットもあります。
蓄電、電気を溜めておくことは乾電池が「直流」であることからもわかるように、「直流」の得意分野です。
「直流対交流」の戦争が行われていた時代と異なり、現代では必要の意応じて直流、交流が使い分けられているということです。
電気による処刑

電気による処刑は動物に対してだけではなく、人間に対しても行われています。
一体どのような経緯を経て、処刑手段としての電気処刑が人間にも適用されるようになったのでしょうか。
多くの動物たちを人々の面前で「交流」電源を用いて電気処刑を行いました。
そして、電気を用いて処刑することを「ウェスティングハウスする」と称し、ウェスティングハウス社のイメージダウンを図ったことは揺るぎのない事実です。
では、電気処刑を人間に対して行ったこと。
これは単純に「交流」に対するネガティブキャンペーンの1つだったと言えるのでしょうか。
もちろんそういった意図もありました。
なぜ電気による処刑が生まれたのか
1887年、死刑囚の電気処刑推進派であった歯科医アルフレッド・ポーター・サウスティック博士はエジソンに電気処刑について助言を求めました。
エジソンは、電気処刑が死刑執行のための実行可能で最も人道的な手段であるとした上で次のように答えたと言います。
「この用途の最適の装置は、私が考えるに、最も短時間に与えられた仕事をこなし、犠牲者に最も苦痛を強いないものである。これは電気を用いれば可能であり、この目的に最も適った装置は、断続的に電流を使用する種類のダイナモ電気装置(発電装置のこと)であろうと思われる。
中でも最も有効なのは、我が国では主にジョージ・ウェスティングハウスが製造している「交流装置」と呼ばれるものである。
これらの危機が発生させる電流を人体に流すことで、たとえわずかな接触であっても、瞬時に絶命させることが可能になる。」
こうエジソンが返答した時はまさに電流戦争真っ只中の時。
処刑、つまり殺人のために使われる電気が「交流」であるということは、「直流」を推し進める上で有利になると判断しての返答だったと言います。
でえはそもそも何故エジソンに回答を求めたサウスティック博士をはじめとした電気処刑推進派は、電気によって処刑することを主張したのでしょうか。
それは、この当時多く行われていた絞首刑に対する不満が高まったことに由来します。
1885年にニューヨーク州の知事となったデヴィット・ベネット・ヒルは、
「死刑囚を絞首刑に処する現在のやり方は中世の暗黒時代から受け継がれたものであり、今日の科学の力をもってすれば、死刑囚の命を奪う、より残忍でないい手段を確立できるのではないかと考えてみてもよいだろう。」
と演説しました。
この演説を受け、新たな処刑方法がいくつも検討されました。
モルヒネの皮下注射、ガス室の先駆けとも言えるクロロフォルムを用いた処刑法、そして電気処刑。
他にも棍棒による打撲、斬首、大砲による発射など、当時の社会からしても到底許容まで検討に上がったそうです。
そんなさまざまな手段の検討、またエジソンの自身の利益の為の助言などが考慮された結果、電気処刑が成立することとなったのです。
電気椅子

1890年8月6日、囚人ウィリアム・ケムラーが人間として初めて電気椅子に座らされ、電気処刑されました。
電気処刑、そしてそれを実行するための電気椅子は、死刑囚に与える苦しみを少なくし、そして何より刑吏の負担を減らすものだとして導入されました。
もちろん使用される電気は「交流」。
明かに自社の推し進める電気を貶める目的であるとわかったウェスティングハウス社は電気処刑に反対しますが刑は執行されました。
刑の執行には多くの人が立ち会ったそうです。当初の予測では15秒ほどで刑は終了する予定でした。
しかし実際にかかった時間は8分以上。
苦痛なく囚人を殺害することを目的とした電気処刑は、囚人を内側から焦し、おそらく多大な苦しみを与えながらの処刑となったのです。
その後、電気処刑の技術は改良され、20世紀の間に電気処刑された人物の数は4300人を超えると言います。
現在でも電気処刑は、アメリカ合衆国憲法において認められた処刑方法の一つではあります。
しかし、その過程の煩雑さや、死に至る過程などから薬物による処刑が採用されることがほとんどのようです。
死刑制度の是が非以前に、死刑囚の苦しみを最小限にするという目的で検討された電気処刑が、その成立の途中で企業間闘争の手段に用いられたこと。
この事実を鑑みるに、そもそも死刑執行の手段として適した方法ではなかったのではないかと考えてしまうのは筆者だけでしょうか。
電気椅子とエジソン
電気処刑を成立させる過程において、ある意味重要な役割を果たしたと言えるのはエジソンです。
実は電気処刑を推奨したサウスティック博士から処刑に電気を使うことについて意見を求められた際、エジソンは当初処刑自体に難色の意を示していました。
「進歩的で思索家としてあくまで死刑に反対であり、法に人を殺す権利はないと信じている。」
こう告げたのです。
しかしその後は先述の通り、ウェスティングハウス社との電力戦争に電気処刑を利用したわけですね。
この当時において、エジソンが電気処刑を進めた側の一人であったのにもかかわらず、「エジソンは偉人である」という事実は全く揺るがなかったということ疑問を投げかける研究者もいます。
対立していたウェスティングハウス社は、電気処刑を行うのには「交流」を用いるのは「必要な電圧を確保するために通常とかけ離れた危険な速度で」運転する必要があり危険である。
そうではなくて、「腕の良い電気技師に蓄電池を電源とする単純な装置を設計させれば事足りる」のではないか。
つまり、「直流」こそが電気処刑に向いていると主張していました。
こう主張していたにもかかわらずウェスティングハウス社は世間から批判的な目を向けられていました。
実際ケムラーの処刑においてエジソンからの助言で「交流」を用いたことが、刑を長引かせ、当人を苦しめることとなった一つの要因です。
そういった事実があってさえ、エジソンの「偉大な名前」にほとんど傷がつかなかったというのは、確かに不思議なことだと筆者も思います。
ただ、どんな人間にもいわゆる黒歴史、隠したくなるような瞬間が存在するということなのでしょうか。
トプシーサーカス象事件!なぜ人気の象は電気ショックで殺されたのか!まとめ
トプシーという1頭の象が電気によって殺害された事実を通じて、電気が世界、特にアメリカにもたらした変化を見ることができたでしょうか。
今私たちが何気なく使っている電気は、そういった動物たちのいわば無駄な犠牲の時代があってこその今なのだ、ということに思いを馳せてみることも必要なのかもしれませんね。
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「処刑電流 エジソン、電流戦争と電気椅子の発明」リチャード・モラン、みすず書房
1月4日は発明王エジソンの会社がアジアゾウを電気ショックで公開処刑した日!
https://tocana.jp/2022/01/post_134868_entry.html
https://allthatsinteresting.com/topsy-the-elephant「近代イングランドの公開処刑における教育的効果の一断面」教育学コース入谷亜希子https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp
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