アメリカ歴史

アメリカ南北戦争をわかりやすく説明します!アメリカの歴史が面白い!

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みなさんアメリカで起きた南北戦争というものはご存知の方は多いでしょう。

「南北戦争」という名前通り、アメリカの北側の州が「北軍」、南側の州が「南軍」とに別れていて、北軍が「奴隷解放」を訴えていて、南軍が「奴隷制度維持」を訴えていて、北軍が勝利したので、黒人奴隷が解放された。

めでたしめでたしという風に認識されているのではないでしょうか?

別にこの認識が誤りだという訳ではありません。

ただ物事はもう少し複雑だということです。

ですから、ここで南北戦争について、詳しく、わかりやすく説明します。

そもそも南北戦争はなぜ勃発した?

1861年に勃発して1865年に終焉した南北戦争。

この理由を解説するためには、周りくどいようですが、アメリカの黒人奴隷の歴史と、アメリカ全体の歴史を復習する必要があります。

南北戦争が勃発する以前(1861年より前 )アメリカ北部と南部では、経済構造が大きく違いました。

北部は工業化が、発展途上の真っ最中でした。

アメリカ南部は広い農地で、黒人奴隷に綿花を作らせて、その綿花を、当時「世界の工場」と言われたイギリスに輸出して稼いでいました。

1790年代にイギリスで産業革命が起こり、イギリスは「世界の工場」と言われるほどの生産力・技術力を持つほどにまでにあっという間に発展しました。
イギリスが世界の工場と呼ばれるほど地位を、完全に確立ししたのは1850年代〜1860年代であり、アメリカが南北戦争が起きる直前でした。

イギリスは国土の小さい国なので、工場で生産するために必要な原材料を国内だけでは調達できません。
生産力の向上に比例して、原材料を世界中から輸入する量が比例して増大していきます。
そのイギリスの工業力の上昇の波に乗って、貿易で稼いでいたのが、アメリカの南部です。
アメリカの南部とイギリスとは同じ経済圏に属していると言っても過言ではない状態でした。
ですからアメリカ南部は、輸出入に関税をかけない「自由貿易」によって大きな利益を得ていて、自由貿易を維持することが死活問題なのです。

一方で真っ向からイギリスの工業と対立していたのが、アメリカ「北部」です。
北部は、もともと工業化が進んでいた地域であり、まさにこれから工業化を進むところでした。しかし自由貿易では、工業超大国のイギリスに太刀打ちできないので、アメリカ北部は、国内に入ってくるイギリス製品に関税をかける「保護貿易」を望んでいました。
しかし南部は、広大な土地に、黒人奴隷という労働力があり、綿花を生み出しているので、高い国際競争力があり、関税をお互いにかけない「自由貿易」を望んでいました。

北部と南部の利害は真っ向から衝突します。

1860年11月の大統領選挙では奴隷制が争点のひとつになり、奴隷制の拡大に反対していた候補者。
そう、皆さんもご存知のエイブラハム・リンカーンがが当選しました。
翌年1861年に3月4日にリンカーンが大統領に就任すると、4月12日に南軍が合衆国のサムター要塞を砲撃して、南北戦争が勃発します!!

工業化が進んでいた北部と、農業が中心で工業がほとんど発達していない南部。
北部の方が武器・兵器、そのほか戦争のために必要な物資をを作る工業力が、南部よりはるかに上です。
北部の方が南部よりも人口が多いです。
しかしだからといって、北軍があっという間に勝利を納めたわけではりません。
北軍が苦戦した理由はいくつも理由がありますが、僕は最大の理由は、南軍で名将と名高い リー将軍(ロバート・E・リー)が陣頭指揮を取っていたからだと思います。

リンカーンは南北戦争中である1862年9月、アメリカ全土の奴隷たちの解放を命じる宣言、いわゆる奴隷解放宣言をします。

ところでなぜアメリカ北部は奴隷解放を宣言したのでしょうか?
リンカーン大統領は偉大な人で、黒人奴隷が可愛そうだからという人道上の理由があったのは間違いありません。
ただアメリカ北部は黒人への「同情」が広まっていたとは言い難いのです。

アメリカ南部の経済と社会は、黒人奴隷に完全に依存しきっており、当時のは南部は、白人よりも黒人の方が人口が多いほどでした。
(当時のアメリカ南部の人口は約900万人で黒人が約500万人)
アメリカ南部の、黒人の戦力を「無効化」するためというものが大きな理由です。
南北戦争では、南部でも黒人奴隷が徴兵・徴用されましたが、自身の奴隷制度を維持するための戦いなので、当然ながら士気はものすごく低いものでした

また、北軍(ほとんどは白人)には黒人奴隷解放という大義名分ができて、より自身の戦闘行為の正当性を主張できるようになりました。

南北戦争が起きる以前はから「奴隷制度はおかしい」「黒人奴隷が可愛そうである」という主張があり、一つの大きなうねりになっていたとも言えますが、その動きは、決して北部だけでなく、南部でもありました。

黒人奴隷解放は、アメリカ北部側の「政治利用」的側面が多分にあったのです。

黒人奴隷制度が廃止された、それで黒人差別問題は解決されたのか?

奴隷制度はアメリカから無くなりました。
もちろんこの意義は極めて大きいです。

話は変わりますけど、僕が子供の時に、ある絵本を読みました。
その絵本は黒人奴隷のことの話です。
黒人奴隷の苦しい生活を描かれていました。
物語の終盤に、黒人は奴隷から解放されます。
絵本で描かれる黒人達は奴隷から解放されて、嬉しさのあまり泣いて大喜びましす。
しかしその絵本は、そこで終わらなかったのです。
黒人は自由になりました。
外に出てどこに行くことももちろん自由です。
黒人は自由を謳歌しました。
しかししばらくして気がつきます。
今は自由だ。それは素晴らしいけど。
奴隷時代には、過酷な状況だったのには変わらないけど、住む場所も、食べるものも着るものなど、あらゆるものが用意されていました。
しかし自由になって奴隷主のもとから離れても、生活するために、また自らの意思で職を求めて、元の奴隷主のもとに戻っていく・・・
という極めて衝撃的な結末でその絵本は終わります。
(幼い頃の記憶ですので間違っていたらすみません・・・)

黒人の人権が完全に保障されるまでに、丸100年経った1960年代の公民権運動までの、時を得なければなりません。

そして今。
アメリカには、黒人だけでなく、様々な人種が住んでいます。
そして人種差別問題は、今でも厳然と存在します。

アメリカの民族・人種問題を考える上では、南北戦争のことを知ることがとても大きな異議を持つでしょう。

アメリカ南北戦争とは?まとめ

アメリカの南北戦争は、文字通り、アメリカ北部と南部が分かれて戦った戦争です。
この戦争は、経済体制の違いから、政治的軋轢が生じて勃発したものです。

南北戦争で立派に戦った人々や、リンカーン大統領の功績に水を差すつもりは決してありませんが、黒人奴隷解放という目的は、戦争の理由の二の次、三の次であったわけです。

ですから奴隷解放を訴えて実際に勝利したアメリカ北部は「正義」で
奴隷解放反対を訴えたアメリカ南部は「悪」という、単純な二元論はあまりにも短絡的です。

アメリカ北部の方がむしろ、アメリカ南部よりも激しい黒人差別があったという証言が証拠が無数にあります。

アメリカ北部が過大に美化される一方で、逆にアメリカ南部が、現代でも過剰に貶され見下される傾向には注意しなければなりません。

歴史から正しく学ぶためには、その出来事が起きた背景、その当時の人々の生活や考えなども想像しなければなりません。

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