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【エジソンの生涯】エジソンの凄さがわかる三大発明とは一体何なのか?

エジソン3大発明
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天才とは1%のひらめきと99%の努力である。

どこかで一度は聞いたことがある言葉ではないでしょうか。

この言葉を残したとされるのがトーマス・アルバ・エジソンです。

エジソンはどういった人物なのか?どのようにして「発明王」と呼ばれるにいたったのか?

エジソンエジソンの偉大な3大発明とは一体どのような発明だったのか?

これらについて解説していきます。

目次

エジソンとはどんな人?

エジソン3大発明

なんとなくエジソンという名前を聞いたり、断片的なエジソンのエピソードを知っている方も少なくないのではないでしょうか。

発明家と言われているけどどんなものを発明したのかよくわかっていない人も多いかと思います。

まず、有名人エジソンがどのような人物だったのかについて解説します。

エジソンの生い立ち

1847年2月11日、アメリカ合衆国オハイオ州ミランでエジソンは生まれました。

7人兄弟の末っ子ではありましたが、すぐ上の3人の兄弟は既に死去しており、1番歳の近い姉でさえ14歳年上であったといいます。

ほぼ1人っ子のような扱いだったのでしょうね。

エジソンが生まれたのは時代の大きな転換点とも言える時期でした。

リンカーンによる奴隷解放が行われたのはエジソンがティーンエイジャーだったときの出来事です。

学校に入るまで、エジソンは「なぜ?」「どうして?」とともかく聞きたがりの子供だったとか。

1人っ子に近い環境で、年長者ばかりの中で育ったエジソンですから、「聞けば誰かは答えてくれる」環境にあったのかもしれません。

何でも聞きたがるだけではなく、自分で実践して確かめようとしていたのもこの頃から。

ガチョウの卵を孵化させようと自分のお腹で温めて周りを驚かせたこともありました。

エジソンが最終学歴となった小学校に入学したのは1855年、8歳の時のことでした。

この当時7歳から小学校に入学するのが普通でしたが、7歳の年に猩紅熱にかかったこと、また、元々病弱であったことから1年入学を遅らせたのだとされています。

しかし小学校に入学後エジソンは3カ月で退学させられます。

この頃の小学校が義務教育ではなかったこと、そして知りたがりであったエジソンが学校に馴染めなかったことが退学させられた要因でした。

退学後は、主にお母さんからいろんな教育を受けていました。

お母さんの教育方法は、受け身になり続けるのではなく、疑問に思うことは徹底的調べる、実験する、いわば主体的な学びでした。

その幼い頃からの姿勢が「天才発明家」エジソンを生み出す基盤となったのではないかと思います。

エジソンの有名な言葉

冒頭に記した有名な言葉がエジソンにはあります。

「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」

小学校を退学後、母の元で学びを継続させたエジソンですが、その学びの道は努力の連続でした。

母は軍人の娘で、その当時の女性の中でもきちんとした教育を受けてきた教養のある人でした。

その母から施された教育の中で最大のものは「本を読むこと」だったといいます。

エジソンが読んだ愛読書には、シェイクスピア、チャールズ・ディケンズの二都物語、クリスマス・キャロルといった文学作品、また「ローマ帝国衰亡」「英国史」といった歴史書などがありました。

そしてアイザック・ニュートンの「プリンピキア」(アインシュタインが「相対性理論」を出すまで200年以上にわたり、物理学の最先端であった本)など到底小学生が読むことのなさそうな本ばかりでした。

また小学校退学から4年後の12歳の時には、ポートヒューロンからデトロイトを結ぶグラングトランク鉄道で新聞販売の売り子として働き始めます。

この12歳からの就労体験はエジソンに実地でのビジネスを学ばせることになります。

12歳の子供が働くというと現代の感覚では驚きですが、この当時においてはそう珍しいことでもありませんでした。

ただ販売員の仕事もエジソンにかかると普通のものではなくなります。

お客のニーズに応え、商品の幅を充実させ、雑誌、書籍、果物、キャンディーなどの菓子、タバコ、ハガキ、ガイドブック、子供用のおもちゃまで販売していたというのだからびっくりですよね。

成長し、発明家となったのちも「ともかく手を動かす」「やってみる」「実験してみる」という姿勢は変わることなく、他の人の何倍も働き続け、成功と失敗を繰り返していったのです。

まさに努力の人。その一言ですね。

ちなみに、この99%の努力という名言には後日談があります。

83歳の誕生日の記者会見でエジソンは次のように語ったそうです。

「生まれたての頭脳ほどリトル・ピープルにとって住みやすい場所はない。つまり、年が若いほど、自分の脳に宿っているリトル・ピープルの声に素直に耳を傾けることができるのである。大人になってからでは至難の業になるが、それでも何とか1%のひらめきと99%の努力があれば不可能ではない」

子どもの頃の思考の柔軟さは大人になると失われていってしまいますが、努力を重ねることで子どものような天才的なひらめきが得られる。

つまり、何よりひらめきではなく、努力をまずは積み重ねていってこそ結果が出せるのだということを言っています。

エジソンの3大発明品

長い努力の末、エジソンはどんなことを達成したのでしょうか。

そこはさすが発明王、多くの発明を成し遂げられた、その一言に尽きるのではないでしょうか。

ではどれくらいの発明をしたのでしょう?

それが一番わかるのがエジソンが生涯で取得したアメリカ特許の種類でしょう。

・電気照明および電力 389件
・蓄音機 195件
・電信 150件
・蓄電池 141件
・セメント 40件
・電話 34件
・鉄道 25件
・映画 9件
・自動車 8件
・電気ペン等 5件
・タイプライター 3件
・化学薬品 3件
・軍事的投射物 3件
・ラジオ 2件
・真空保持 1件
・オートジャイロ 1件
・ゴム 1件
・その他 21件

計 1093件

1940年にアメリカの国家委員会は特許法施行150周年を記念して、19世紀におけるトップ15の発明を選定しました。

その15件のうち3件はエジソンが特許を取得した発明、蓄音機、白熱灯、映画です。

そしてスイス特許庁で7年間にわたり審査官を務めていた、エジソンよりのちの物理学者アインシュタインもエジソンのことを史上、最大の発明家と称えています。

努力の人であったエジソンは、長きにわたる努力の結果発明家としての名を残せたのですね。

得意分野は電気

エジソンは特に電気を得意とする発明家でした。

特に弱電分野と呼ばれる分野にとても強い発明家であったのです。

弱電とは電気を主に信号として利用する、情報処理や通信分野に強いもののこと。

現代では、ICT機器、制御システム、音響・ビジュアル、半導体などがその分野に含まれます。

一方で弱電分野の対義にあたるのが強電分野です。

強電とは、電気を主にエネルギーとして利用する、いわゆる電力分野にあたります。

現代、使われている製品で言うならば電源(発電機、電池)、給電システム、モーターなどが含まれます。

長い発明家人生でエジソンは強電分野にも手を出したのですが、こちらはなんと失敗に終わっています。

エジソンでさえ失敗している、と思うと少し安心してしまうのは筆者だけでしょうか。

発明王エジソン・発明の原点とは?

発明王と呼ばれたエジソン。発明の原点というと「ひらめき」ではないでしょうか?

エジソンの言葉を知っている人であれば、そう考える人がほとんどだと思います。

もちろんそれも間違いではないと思います。

けれど実はエジソンが発明家となった理由の1つとして子ども時代に読んだ1冊の本が大きな影響を与えていると言われます。

その本は、リチャード・グリーン・パーカー著の科学入門書「A School Compendium of Natural and Experimental Philosophy」(自然と実験の哲学)です。

この本の中では物理や化学の基礎から、それらの応用によって生まれた当時の最新の技術まで幅広く紹介されています。

本の内容は高校で教科書として使われるとこが想定されて記されたものだとか。

エジソンが愛読していたこの本の目次には重力、力学、機械、電気、磁石に関する言葉がずらりと並んでいます。

エジソンが取得した特許と通じるものがあると思いませんか?

1つ1つの項目は10行程度の短い文章構成になっていて、挿絵も多く比較的簡単に、そして楽しく読むことができる構成になっています。

それゆえに少年エジソンはこの本に夢中になったのではないでしょうか。

この本を読み込んだエジソン。

読み込んだからこそ、本の中にひらめきの種を得ることができ、努力を重ねさまざまな発明をするに至ったというわけなのです。

エジソンは発達障害だったのか

現代において発達障害という言葉を聞く機会は少なくないかと思います。

歴史上の偉人も実は発達障害だった!なんて見出しと共に発達障害が説明されることもよくありますよね。

実は発達障害の偉人の1人としてよく名前を聞くのがエジソンです。

エジソンはADHD(注意欠陥・多動性障害)だったのはないか?という意見はいくつかの場面で筆者自身も見かけたことがあります。

・小学校在籍中、いつも空想に耽っていた。勝手に席を離れてしまうこともあった。

・先生の話に屁理屈で反抗し授業を妨害していた。

・なぜ物が燃えるのか?に興味を持ち、藁を燃やした結果納屋を火事にした。

こんなエピソードを持つエジソンは多動性(動き回ってしまう)、不注意、衝動性のADHDの持つ症状を全て持っているのではないかと見られがちです。

しかし発達障害という概念が生まれ始めたのが1950年代ごろからのことですので、19世紀に生まれたエジソンをその枠に当てはめてしまうのは少し無理がある話かと思います。

ただ、現在に伝わるエジソンのエピソードからは努力の人、ということ以外に特に幼少期の様子を見るにつけ、そうだったのではないか?という視点が生まれてしまうのは無理ないことかもしれませんね。

実業家、起業家としてのエジソン

メンロパーク研究所
Andrew Balet, CC BY-SA 2.5, via Wikimedia Commons

エジソンは単に発明家であったわけではありません。

実業家であり、起業家でもあったのです。

1876、29歳の年にエジソンはメンロパーク研究所を設立させました。

自分の研究所を持つ前からもエジソンは研究、発明をしてはいましたが、自前の研究所の設立によって仕事の効率は一気に上がったと言います。

また、ある発明を製品化し、新聞記者からインタビューを受けた際には「私が本気で取り組んだならすぐに実用的な品が完成する。もう他の人は諦めた方がいい」と発言したのだとか。

このエピソードからは、単に発明をするだけの発明家ではなく、資金を提供してくれる投資家の注目を集める実業家の様相を見せていたことがわかりますね。

イギリスの科学ジャーナリストキース・エリスは自身の著書「エジソンと電灯」の中で次のように記しています。

「意外かもしれないが、エジソンは、ただ新しいことに取り組むだけでなく、商売を考える人だった。人の役に立たない、意味のない道具を作ろうとしたことはない。1から新しいものをつくるというよりは、すでにあるものを改良する発明家だった」

もちろん、エジソン自身がある分野に興味がなければその分野の発明には至らなかったかと思います。

しかしエジソンは興味だけでなく、「この分野は売れる」「必要とされている」というものを見抜き、研究、成果を出せたというわけです。

それがエジソンの実業家、起業家としての側面なのだと思います。

エジソンが携わった発明

1093件の特許を取得したエジソンですが、具体的にはどんな発明を手掛けたのでしょうか。

グラハム・ベルとの競争が有名な電信・電話。

19世紀におけるトップ15の発明の中に含まれる「蓄音機」、「白熱灯(電力システム)」、「映画」についてピックアップして説明していきます。

電信・電話

グラハムベル

電話機の発明は1876年2月14日に特許を申請したアメリカ人アレクサンダー・グラハム・ベルだとされています。

しかしこのベルが特許を申請した電話は全く使い物にならないものでした。

電話とは音(音声信号)を電気信号に変換して遠くまで運び、電気信号を再び音(音声信号)に戻して会話を成立させる機械のことです。

ベルの発明したものは遠くまで音を運ぶという点でうまくいかず、まともに会話できなかったと言います。

一方で、エジソンが考案した電話はベルが考案したものとシステムそのものが違い、ベルのものよりも性能がはるかに良かったのです。

ちなみに、英語で日本語の「もしもし」にあたる言葉は「Hello」です。

電話口でHello(ハロー)と呼びかけるのを流行らせたのはエジソンなんだとか。

ベルは電話口で「Ahoy(アホイ)」とヨーロッパ風の挨拶で呼びかけることを提案したそうですが、エジソンが考案した電話の方が性能が良かったため、Hello(ハロー)が定着したのだという説があります。

蓄音機

エジソンの3大発明蓄音機

蓄音機はアメリカ、19世紀におけるトップ15の発明のうちの1つです。

実は必要もないのに発明されてしまったもの、それが蓄音機だったのです。

先に挙げた電信・電話の開発の中で、エジソンは電信を高速化するアイディアとして

「紙のディスクに凸凹の形でメッセージを記録する。次に凸凹を針でなぞりながらメッセージを送信する。このディスクが早く回転できれば送信も高速化できるのではないか」

と言う考えに至っていました。

そしてこのアイディアをもとに開発をしている途中、ディスクをなぞる針先の上下運動が音を発する事に気づいたエジソン。

こうして思いもよらず偶然に蓄音機を発明したのです。

しかし必要もないのに思いついてしまったこの発明、当初は使い道に困りました。

商品化として思いついたのが、視力障害者用書籍、音楽・娯楽用レコード、家庭用記録、オルゴール及びオモチャ、電話メッセージの保存などがあったそうです。

どれも役にたつのか?需要があるのか?と言う点から使い道を絞ることができずにいたそうです。

結果的に音を再生することに特化させ商品化。

偉大な発明の一つとして数えられるようになったのですが、なかなかその経緯は面白い物がありますね。

電力システム

電力にかかる事業は、エジソンが30歳代から40歳代前半にかけて打ち込んだ仕事です。

発明の対象は、白熱灯や発電機といった技術だけでなく、電力ネットワークというシステムにまで拡げました。

発明の幅が電力ネットワークにまで拡がったことで、エジソンは電球、発電機、制御器、計測器、導線、スイッチ、ヒューズなど電力に関わるすべてのものを一挙に開発する必要がありました。

電気による照明はエジソンが生まれる40年前にはすでに存在していたのですが、照度が安定せず、室内灯には向かないものでした。

それを改良し、持続的に室内灯として使用できる製品を作り上げたのがエジソンなのです。

もちろん、先ほど記したとおりエジソンが目指したのは新たな電球を作ることではなく、電力システム全てを作り上げることでした。

1882年、ニューヨークに世界初の大型発電所を稼働させたエジソンはそのまま電力事業において成功し続けるものとみられていました。

しかし実際には、電力網普及の段階で「直流電流」を推していたエジソンは、「交流電流」を押し進めたウェスティングハウス社に敗北します。

ただ、電力システムという構想を作り出したという点においてエジソンは確かな功績を残していると言えるでしょう。

映画

世界最古と認められるフィルム

映画はさまざまな技術の結晶です。

1つ目は残像の理論。

残像とは目を瞑ってもそれまで見ていた像がしばらくの間まぶたの裏に残って見える生理学的・心理学的な現象のことです。

人は、一連の画像を次々と早く見るとそれを一組の連続画像として見てしまうと理解されていました。

2つ目は撮影技術と映写技術。一連の画像群を作り、それを映し出すこということ。

3つ目は写真技術。手書きでは難しい一連の画像を作るという作業を、光と薬品の力で瞬間を切り取るということ。

最初の映画は無声映画ですから、これらの技術を組み合わせて初めて映画が出来上がるのです。

1891年、エジソンは、「撮影機と再生機に関するもの」「撮影機に関するもの」「再生機に関するもの」この3つの映画に係る特許を申請しました。

最初の映画はわずか12秒。

客がコインを入れることで1分に満たない映像を覗き見ることができる機械キネトスコープが完成。

この技術を皮切りに、商業としての映画がスタートしたと言えるでしょう。

蓄電池

蓄電池は、エジソンの後半生に取り掛かった事業です。

蓄電池とはバッテリーのこと。

今では電気自動車などで多く使われていますね。

実は、エジソンの時代にはすでに「電気自動車」が走っていたのです。

19世紀末から蓄電池は開発されていましたが、質は悪く、実用性に欠けるものばかりでした。

それを実用性を伴うものに改良していったのがエジソンで、電気自動車に搭載すると160km走ることができる性能の蓄電池を作り上げました。

その技術はニューヨークを走るタクシーに利用されたのだとか。

この開発の裏には、ガソリンエンジンの車が台頭していたことがあります。

ガソリンエンジン車は「不完全燃焼による有害かつ悪臭を放つ濃い煙を排気管から出す」と評されており、悪臭を生じさせない電気自動車に発展の可能性が見出されていたのです。

そこに目をつけたエジソンが開発を行ったという訳なのですね。

ただ、エジソンの開発した蓄電池をもってしても、低温環境では使えないこと、保守に手間がかかること。

そして何より価格を下げられなかったことで普及に至らず、蓄電池は失敗作扱いとなりました。

ただ、環境問題や資源問題の観点から現在電気自動車の可能性が注目されています。

それを思うと、エジソンには時代を読むひらめき、先見の明があったのだということができると思います。

【エジソンの生涯】エジソンの凄さがわかる!三大発明とは一体何なのか?まとめ

名前がよく知られているエジソンですが、有名な言葉が一人歩きしてその「中身」まで知られていないことが多々であったかと思います。

努力の人であったエジソンが19世紀にアイディアを得て発明を多数手掛けてくれたこと。

このことが今の私たちの生活を豊かにしてくれる一因であることを改めて感じる必要があるのではないでしょうか。

※猩紅熱【しょうこうねつ】全身に紅色の発疹ができ高熱が出る病気。時に重篤な症状を併発することがあった。ヘレン・ケラーが視力と聴力を失ったのはこの病気のせいだったとされる。

【参考文献】
「大人が読みたいエジソンの話」石川憲二、B&Tブックス日刊工業新聞社
「天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?」真山知幸・親野智可等、サンマーク出版
「起業家エジソン 知的財産・システム・市場開発」名和小太郎、朝日新聞社
エジソンコレクションhttps://www.bandai-museum.jp/collection/edison.html#edison03
ローマ帝国衰亡史https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-90063-6
A School Compendium of Natural and Experimental Philosophy https://www.loc.gov/item/40002038
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年11月号 https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n436/n436003.html
エジソンの蓄電池と電気自動車 https://www.bandai-museum.jp/cms/pickup/edison/20170809.html

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