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レーガン大統領の暗殺未遂事件や失言・政策をご紹介!強運でジンクス破りのすごい大統領!

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ロナルド・レーガンと言えば、アメリカで最も愛されている歴代大統領の一人です。

彼は、日本の中曽根首相と親密な関係になって日米関係を強化したり、ソ連と半世紀近く続いた冷戦を終結に向かわせたりしました。

そのため、今でも根強い人気があるのです。ですが、そんな彼も政治家時代は、ハプニングの連続でした。失言や荒唐無稽な政策など、色々なやらかしもしました。

今回は、そんなレーガンの破天荒な政治史を、ざっくりと振り返ってみようと思います!

政治の話というと難しそうに聞こえますが、「おもしろい!」「びっくり!」なことにスポットライトを当てて、分かりやすく解説していきますので、肩の力を抜いて楽しんでくださいね。

目次

ベトナム戦争時代の炎上騒ぎ

レーガンは196775年までカリフォルニア州知事を経験しています。

そんなレーガンは知事就任後、財政改革で前知事時代の財政を改善、効率的な社会福祉支援を行うなど、とても素晴らしい政治をしました。

しかし、彼のこういった業績を残しているものの、一方で炎上事件も起こしています。

この時代のアメリカはベトナム戦争中で、多くのアメリカ兵が過酷な状況の中ベトナムで戦っていたのです。

しかしこの戦争は、ベトナム軍による巧みなゲリラ戦術により、泥沼化していきます。

悲惨なベトナム戦争で国民の怒りが!

当時、今とは違って報道にあまり規制がなく現地でいかに悲惨な戦いが繰り広げられているのか、生々しく世界に配信されていました。

その中にはベトナム国民が無残にも殺されたり家を焼かれる場面など貧しい農家がアメリカ兵により痛めつけられている光景が多くありました。

これによって、さすがのアメリカ国民も戦争反対を訴えます。アメリカ各地で反戦運動が起こったのです。

あの有名なジョンレノンとオノヨーコとともに白いベッドの上で反戦を訴えていましたよね。知名度のある有名人の訴えはアメリカ国民の共感を呼びました。

「アメリカ軍は残虐な事をやっている。こんな戦争に正義はないぞ!」

「なんでベトナムなんかとの戦争のために、無関係のアメリカ人が死ななきゃならないんだ?」(当時のアメリカは徴兵制)

このような声が国民から出ていました。

レーガンの失言「ベトナムを駐車場にしよう!」

しかしレーガンは逆に、この戦争に賛成の立場で、抵抗を続けるベトナムに対して強硬な姿勢を見せていました。

そんな時に彼が放った言葉が……

「ベトナムを焼き払って駐車場にしてしまえばいい」

でした。

当然、この発言は批判を浴びます。

彼としては、ベトナム戦争に劣勢で失墜しつつあるアメリカの名誉を尊重する意味合いで言ったそうですが、大勢の人々が亡くなっている場面でこのような発言は、かなり問題だと言えます。

ですが彼はこの危機を乗り越え、戦争終結後の1975年まで知事を続けます。

若い頃からアナウンサーや俳優を経験して、トークのスキルが高いだけに、なぜこのような失言をしたのか、ツッコミたくなる所ではあります。

もしかして、わざとこんな発言をしたのでしょうか?だとしたら今ではよくある、炎上商法の先駆けだったのかもしれませんね。

レーガン・大統領就任直後を襲った悲劇

ロナルド・レーガンはアメリカで最も愛される歴代大統領ですが、そんな彼も大統領選挙に出ていきなり勝てたわけではありません。

知事になってから三度の大統領選のチャンスがありましたが、予備選挙で負けたり、棄権したりで振るいませんでした。

ですが1980年、民主党で現職のカーターを破って、念願の大統領となりました。当時のカーター政権の経済不振が、レーガンの追い風となったのです。

さて19811月に就任式を上げ、正式に大統領となったレーガンですが、それから約2か月後、彼に悲劇が襲い掛かります。

レーガン暗殺未遂事件発生

演説を終えてワシントンのホテルを出たレーガンは、なんと突如、何者かから銃撃を受けてしまったのです。

大統領専用車に運び込まれた彼は、銃弾を胸に受けていることが発覚し、急遽病院にて緊急手術が行われることとなりました。

銃弾は肺を貫いており、一歩間違えれば心臓に当たっていたかもしれないそうです。

ですがレーガン自身、意識ははっきりとしており、医師たちの懸命の処置を施しました。そして彼は何とか、一命をとりとめました。

その後もかなり速いスピードで回復して、10日後には退院できました。70歳という高齢にしては、驚きのスピード退院でした。

しかし、驚きはそれだけではありません。

このレーガンの暗殺からの生還は、歴代アメリカ大統領にまつわる、とある不吉なジンクスを克服した点でも驚きだったのです。

ジンクス破りの強運の持ち主・レーガン

それは、「テカムセの呪い」というジンクスです。

20の倍数年に選出された大統領には必ず、任期中に病気や暗殺により命を落としてしまうというジンクスがあるのです。

これは代9代目ハリソン大統領が兵士時代に、アメリカ原住民のテカムセという人を、戦争中に殺したがため始まった「呪い」だと言われています。

このハリソン大統領は1840年に選出された後、寒い中演説を行い帰り道に土砂降りにあってしまいます。それがもとで肺炎になってしまい任期を全うせずに亡くなりました。

その後も20の倍数に選出される大統領たちはなぜか、彼と同じように病気や暗殺により任期を全うできていないのです。

直近の有名どころで言うと、1940年選出のルーズベルトは第二次世界大戦を指揮している中で病死しているし、1960年選出のケネディもパレードの最中に暗殺されています。

そして1980年選出のレーガンにも、この呪いが降りかかったのではないかと言われているのです。

ですがレーガンは命を落としていった歴代の大統領とは違い、見事に生還しました。

彼はこのため、呪いを克服したと言われているのです。

150年近く続く呪いを跳ね返すとは、レーガンは何か特別な存在なのかもしれませんね。

レーガン、あの大人気映画に影響された?

アメリカを代表するSF映画と言えば、やっぱり「スターウォーズ」ですね。

1977年に第一作が公開されたこの映画は、瞬く間に全米および世界中で大人気となりました。

レーガンが大統領を務めた80年代も、シリーズ三作目である「ジェダイの帰還」が公開されて、アメリカ国民のスターウォーズ熱はとどまるところを知りませんでした。

そして同時に、この時期はアメリカの宿敵である共産国家ソビエト連邦(ソ連)との冷戦の時代でした。

トンデモ計画・宇宙からレーザーを照射せよ!

そんな中でレーガンが推し進めようとしたのが、「スターウォーズ計画」というものです。これは通称であり、正式名称は「戦略防衛構想(SDI)」といいます。

どんな計画かというと、宇宙からのレーザー攻撃により、ソ連が撃ってくる核ミサイルを打ち落とそうという計画です。

そのためレーガンは、宇宙にレーザー兵器を配備するという無茶なことを、この時ガチで考えていました。

今の感覚からすると……いや当時の感覚からしても、そうとうアホな考えですよね。

スターウォーズ劇中には、「デス・スター」という、星をも木っ端みじんにするレーザー兵器が登場するのですが、恐らくレーガンはこれに影響されたのだと思います。

思わず、「子供かっ!?」とツッコミたくなっちゃいますね。

当然のように、この計画は予算、技術ともに不足しており、とても実現は不可能だということで、頓挫しています。

中曽根総理とレーガン大統領の強い絆

レーガン大統領は、わが国日本にも影響を及ぼしています。中でも知っておきたいのは、中曽根康弘首相との関係です。

中曽根首相といえば、101歳まで大往生して、最近国葬が行われたことでも有名ですよね。

レーガンは、彼ととても仲が良かったのです。互いに「ロン」「ヤス」と、愛称で呼び合う仲でした(通称ロン・ヤス関係)。

こんなこと言うと、めちゃくちゃ怒られそうですが、筆者としては、ちょっとボーイズ・ラブ漫画っぽいアレを感じます。

そんなことはさておき、レーガンは1983年に初来日しました。そこで中曽根と会談し、また昭和天皇ともお話ししました。

その後、中曽根の別荘である日の出山荘にも訪れています。そこで中曽根は、レーガンを丁重にもてなしたと言われています。

いろりのある和室にて、彼はレーガン夫妻の前でお茶をたててあげたそうです。

こうして日本文化にも触れて、日本がますます好きになったレーガンは、この後二度来日することになりました。

これは現職な大統領としては最多の数です。中曽根の対応が、非常に良かったのでしょうね。

彼はさらに政治面でも、親友レーガンに報いようと、当時問題となっていた貿易摩擦の解消に、かなり積極的になっていたとも言われています。

レーガン大統領の功績

今までライトな話題にばかり触れてきましたが、最後はちょっぴりまじめに、レーガンの残したレガシーについて語りたいと思います。

彼の功績は、レーガノミクスによる自由経済促進、南米とのプラザ合意など色々あります。

しかしなんといっても、功績として最も大きいものは、当時対立していたソ連との関係改善を推し進めたことでしょう。

就任して間もない頃は、ソ連を「悪の帝国」呼ばわりして、強硬姿勢を見せていました。

そしてソ連の脅威に対抗するための軍事拡張を、積極的に推し進めました。

しかしそんなことを続けているうちに、アメリカの財政赤字はかさみ、経済的に限界がきてしまいました。

そこでレーガンは「もうこんな事はやめよう」ということで、ソ連に歩み寄りを始めます。

ゴルバチョフと和解の方向へ

また丁度、その時のソ連書記長ゴルバチョフも、経済的な理由からアメリカと融和したいと考えていました。

そして1987年末、ゴルバチョフの訪米が実現し、そこで中距離核戦力(INF)全廃条約が結ばれました。

このおかげで両国合わせて、およそ2700基以上の中距離核ミサイルが、最終的に撤去されました。

その後も米ソは和解の方向に流れ、これはレーガンの後任であるブッシュ(父)大統領に引き継がれ、正式な冷戦終結へと向かっていきます。

もし強大な軍事力を持つアメリカとソ連が戦争することになれば、人類は滅びてしまうでしょう。

レーガンはその脅威を取り除くことで、大いに世界平和に貢献したのです。

「ベトナムを焼き払って駐車場にすればいい」などと発言していた知事時代とは、大違いですね。

レーガン大統領の暗殺未遂事件や失言・政策をご紹介!まとめ

知事時代から大統領時代までざっくり見てきましたが、こうみるとレーガンは、本当に破天荒な政治家ライフを送っていたのだなと思います。

政治家としての功績よりも失言や暗殺で話題になることが多かったのですがしっかりとアメリカのために仕事もこなしてきた大統領と言えるでしょう。

B級映画俳優から大統領に成り上がり、見事に最後まで人気者を「演じきった」ともいうべきでしょうか?

参考文献・参照ホームページ
・レーガン いかにして「アメリカの偶像」となったか 村田晃嗣著 中公新書
・大統領でたどるアメリカの歴史 明石和康著 岩波ジュニア新書
・ロナルド・レーガン Wikipedia
・世界史の窓 中距離核戦力全廃条約/INF全廃条約https://www.y-history.net/appendix/wh1701-011.html
・スポーツ報知 20の倍数年「テカムセの呪い」新大統領に悲劇!?在職中に死亡8人中7https://hochi.news/articles/20201105-OHT1T50030.html
Weblio辞書 スターウォーズ計画https://www.weblio.jp/content/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA%E8%A8%88%E7%94%BB

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