タリバン政権誕生

タリバンにはアメリカからちょろまかした最新兵器があったので、あっという間にアフガニスタンを侵略していき、アフガニスタン国内にタリバン政権を樹立します。
タリバンはいつ誕生したのかはっきりわかっていませんが1994年ころから台頭してきたと言われています。
タリバンのやりようはとても酷く非人道的なものでした。偶像禁止という立場からテレビや映画、写真も禁止しました。
タリバンの非人道的規律
この世ではひたすら神のことを思わなければならないからと、一切の娯楽を追放しました。
イスラム教では女性を大切に扱わなければならないという教えがあるのですが、タリバンはこれを極端に解釈しました。
女性を大切にしなければならないのだから、ずっと家で守らなければならないと考え、女性に働くことを禁じます。
女性への教育も禁止し、女性が一人で外出することもできなくなりました。
またブルカという頭のてっぺんからくるぶしまで体全体を覆うシーツのようなコートを着用するように義務づけました。
自由恋愛や自由結婚も禁止しました。
大切に扱うどころか、人間と思っていませんよね!
公開処刑で恐怖に陥れるタリバン
また怖ろしいことにタリバンは毎週金曜日にはサッカー競技場で犯罪者たちの公開処刑を行いました。
完全な見せしめです。
マスードはタリバンのやり方に反抗します。そして彼は反タリバン政権の人たちを組織し「北部同盟」を結成しました。
そして北部同盟の本拠地を故郷であるパンジシール州に作ります。
国土のほとんどを支配していたタリバンはもちろんパンジシール州に攻め込みますが、マスードは優れた軍略や組織力を駆使し、タリバンをはねのけます。
パンジシール州はソ連侵攻時でもタリバン政権時でも、唯一侵略されたことがない土地となったのです!
またマスードは2001年4月にはフランスとベルギーで開催された欧州会議に出席し、タリバンとパキスタンのタリバン支援を非難する声明を発表しました。
国外にむけて、アフガニスタンの現状を訴える努力も惜しまずに行ったのです。
自爆テロにより暗殺されたマスード
反タリバン政権の旗印だったマスードですが、突然に命を落とすことになりました。自称アルジェリア人ジャーナリスト2名の自爆テロにあったのです。
テロはマスードへのインタビュー中に発生し、カメラに爆弾を仕掛けてあったとみられています。
享年48歳でした。
アフガニスタン人にとっての希望だった突然の死に、国民は悲しみに沈みました。マスードの死は全世界に配信されて、イランでは追悼集会が行われました。
亡くなった日付は2001年9月9日。そうです、9.11アメリカ同時多発テロが起きる2日前の出来事でした。
マスードが亡くなり、北部同盟のメンバーは弔い合戦だ!と一致団結します。そんななかでアメリカ同時多発テロが起きたことにより、アメリカは「テロとの戦い」を宣言しアフガニスタン情勢に介入。
アフガニスタンはさらに混迷の時代を迎えることになっていくのです…。
アフマド・シャー・マスードはカリスマ性にあふれた人格者だった
48歳という短い人生だったマスードですが、残されている逸話を調べると優れた人物だったことが分かります。
マスードは綱紀やイスラムの教えに厳格でしたが、良心を兼ね備えた人柄で軍事的才能にあふれた人でした。
タリバンがアフガニスタンの国土をほとんど支配していた時、マスードは故郷であるパンジシール州を治めていたのですが、その統治の仕方は人道的なものでした。
アフガニスタンからパキスタンにかけての広い範囲ではケシという植物が栽培されているのですが、実はこれ、危険な物なのです。
なんと、ケシは麻薬の材料!なので麻薬が簡単に手に入りやすいし、売り物にもなるのですがマスードは麻薬の栽培そのものを禁止します。
代わりにパンジシール州でとれるラピス・ラズリという鉱物を売るように指示しました。
人々の識字率が低いことに危機感をもっていて、戦時中でも学び舎を作れないかと奔走したそうです。
戦争捕虜にたいしても厚遇し、虐待を禁止しました。
マスードのぶれない姿勢は人々をひきつけ、多くの人から尊敬の念をもたれる人だったのです。
アフマド・シャー・マスードは何をした人?その生涯とはどんなものだったのか?まとめ
アメリカ同時多発テロがきっかけとなりアメリカはアフガニスタン情勢に介入し、圧倒的な力をもってタリバン政権を崩壊させます。
しかし、タリバンは各地にちりじりに逃げて復活の時をまちました。
結果、アメリカのアフガニスタン統治はうまくいかず、徐々にタリバンは力を取り戻していきました。
そして2021年8月19日、タリバンはアメリカ軍のいなくなったアフガニスタンの地にアフガンイスラム首長国と建国を宣言しました。
そんななかでもパンジシール州にはまだ反タリバンを掲げ戦っている人たちがいます。そのリーダーはアフマド・シャー・マスードの息子であるアフマド・マスード氏です。
アフマド・シャー・マスードの志はいまだに消えず、燃え続けているのです!
アフガニスタンの平和のために生きたアフマド・シャー・マスードですが、アフガニスタンはまだ混迷の中にいます。
1人の偉大な英雄がいたアフガニスタンの行く末を、私たちは注意深く見ていく必要があるのではないでしょうか。
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参考文献
『アフガニスタン史』 著:前田耕作・山根聡 河出書房新社
『そうだったのか!現代史パート2』 著:池上彰 集英社文庫


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