こんにちは!
みなさんはマッカーサーの五大改革指令というものを聞いたことがあるでしょうか??
彼がサングラスのかっこいいおじさんってことはわかりますよね?
おそらく「マッカーサーは知っているけれど‥五大改革指令なんて聞いたことない」という人がほとんどなのではないでしょうか。
今日の記事ではマッカーサーが5個の改革を通して、日本を根本的に作り変えようとしたというお話になります!「根本的ってどんな風に!?」「その5個の改革ってなに!?」と興味が湧いてきませんか?
今回はそんな疑問に分かりやすく答えていきたいと思います。
マッカーサーの日本に対する心情とは?
マッカーサーはヨーロッパ方面で活躍したアイゼンハワーと並ぶ第二次世界大戦の英雄です。
ヨーロッパの英雄がアイゼンハワーなら太平洋方面の英雄がマッカーサー。
彼はどのような経緯で日本に来ることになったのか‥そこから話を進めようと思います。
本当に戻ってきたマッカーサー
1945年8月30日、マッカーサーが日本に来日しました。
彼は日本に対して並々ならぬ思いを抱いていました。彼はその少し前にフィリピンにて、アジア方面アメリカ軍の司令官を務めていたのです。
真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争でフィリピンも戦場となり、マッカーサーはそこで日本に敗れることになります。
マッカーサーはフィリピンからオーストラリアに逃げる時に「I shall return(私は必ず戻ってくる)」と告げ脱出したのです。
形勢が逆転しアメリカが勝利したのち、マッカーサーは連合国軍最高司令官に任命され日本の占領を担当することとなったのです。
そうです、彼は宣言通り、再び戻ってきたのです。
正確に言えばフィリピンではなく日本に戻る事になったわけですが‥。
その第一歩が厚木飛行場でした。
現在の日本はマッカーサーの期待どおり?
マッカーサーは日本と戦争をした経験から、「2度とこの国が戦争できない国にしたい」と考えました。
もちろん、「2度と日本がアメリカに逆らわないようにしたい」という思いもありますが
現在の日本という国はどうでしょうかね?今の日本は戦争を肯定していますか?アメリカに逆らおうとしていますか?
こんなことを問いかけるとなんとなくアメリカの属国という感じもしなくはないですが(微妙な言い回し・・)戦争からはほど遠い国と言えるでしょうね。
まさに今も日本ではあの時のマッカーサーの想いが続いているのです。
さて、どのようにしたら日本は2度と戦争をしない国になるのか‥もちろん戦争を禁止した憲法を作ることも大切ですが、日本を根本的に作り替える必要があったのです。
それが五大改革指令と呼ばれるものでした。
ここからは、その5個の指令(命令)を見ていきたいと思います。
圧政的諸制度の撤廃
戦争をさせないようにするにはどうすれば良いのか。
それは「戦争反対」を叫ぶ国民の声を封じるシステムを廃止することが手っ取り早いですね。
日本が戦争に突き進んだ原因は色々とあって複雑ですが、わかりやすいところから言えば「天皇の権威を利用して軍部が戦争に日本を引っ張っていった」ということが挙げられます。
戦争に反対するということは天皇の意見に反対することを意味するという理屈を軍部は使ったのです。天皇が戦争に賛成だったかというと微妙なところなのですが‥。
この理屈は「治安維持法」と「特別高等警察」の2つによって、法的に認められることになっていました。
マッカーサー(GHQ)はこれらの廃止を日本政府に命じたのです。
治安維持法の廃止
治安維持法とは簡単にいうと「日本の根本的な体制に反対する者を処罰(最高刑は死刑)する法律」です。ここでいう日本の根本的な体制とは「天皇制」と「資本主義」だと思ってください。
戦前には天皇制や資本主義を力ずくで廃止させようという人たちが日本にもいました。
彼らは結果的に誰かが命を落としてしまっても仕方ないと考え、テロ行為などを通して無理やり自分たちの要求を通そうとしていたのです(もちろん平和的に、合法的に天皇制や資本主義をなくそうとした人たちもいます)
こういった人々の暴走を止めるには治安維持法が必要でした。問題はこの法律の運用です。
戦争に反対する者は天皇制に反対することを意味し、処罰するという理屈をこの法律の解釈に使ったのです。
本来はあくまで天皇制を守り、文字通り「治安維持」のための法律だったのですが、拡大解釈され私たちが悪法の代表格として挙げる法律となってしまったのです。
マッカーサー(GHQ)が治安維持法を廃止した理由は明らかでした。
ただしテロ行為などから国民を守らなければならないという考え方は重要で、今も「破壊活動防止法」や「テロ等準備罪法」といった法律が後に制定されました。
これらも治安維持法と同じ運命を辿る可能性があるので、我々がきちんと監視する必要があります。
特別高等警察の廃止
治安維持法のもと当時の国民を取り締まったのが特別高等警察(通称:特高)です。
彼らは治安維持法を根拠にして、日本政府(とくに軍部)に反対する者を逮捕しました。彼らは容疑者の罪を証明するため、暴力的な取調べ(拷問)でもなんでもやりました。
容疑者から「私がやりました。」という言葉を引っ張り出せば、それで終わるからです。
小林多喜二の死
過酷な取り調べを通して、死亡する人たちも多くいます。有名どころでいくと小説家・小林多喜二です。
彼は日本の資本主義の問題点をリアルに描いた「蟹工船」という本を書いたことなどを理由に逮捕され、取り調べを行う中で暴行を受け死亡したのです。暴行を受けたかどうかは彼の遺体を見れば明らかで、疑いようがありませんでした。
このような警察組織が存在していたら、「戦争反対」などと発言できません。酒の席で愚痴を吐くように言ったとしても、どこで特高警察が目を光らせているか分からないのです。
もしくは誰かによる密告で警察組織に捕まる可能性だってあります。もうおちおち、友達に愚痴も言えないというストレスのたまる時代だったんです。
ということでこちらの国民のあらさがしをやっては捕まえ拷問していた特別高等警察もマッカーサーによって廃止。
これらの反省を踏まえて日本国憲法では、拷問などを禁止しています。簡単に警察が民間人を呼び止められないのも、戦前の反省を生かそうとしているからです。
しかし、治安維持法と同様に危険人物を監視するという考えは当たり前のものです。そのため特別高等警察の考えを引き継ぐ「公安調査庁(通称:公安)」が後に設置されました。
暴力団やオウム真理教などのカルト宗教を監視する存在は必要ですよね。こちらも重要なのは運用の仕方です。
女性の解放!女性の意見も聞こう!
このタイトルを見ると、女性がどこかに捕らえられていたと思うかもしれません。
もちろんそんなことはなく、政治的に不当な差別を受けていたのでそれを終わらせるという話です。
戦前、男性は25歳以上であれば誰でも投票に行き政治に参加することができました。
しかし女性は、これが認められていなかったのです。女性の意見など聞くことをしなかったのです。
女性にも政治に参加する権利を
そうなると、「お腹を痛めて産んだ子どもを戦場になんて行かせたくない」という女性の思いも無視されることになります。
全女性が子どもを戦争に行かせることに反対したかどうかは分かりませんが、マッカーサーは女性の意見を政治に反映させることが戦争廃止の声を挙げさせる第一歩と考え、女性に対して政治に参加させる権利を与えたのです。
こうして20歳以上の男女に選挙権が与えられました。もちろん、国会議員になる資格も与えられます。この法律が制定された後に行われた選挙では、39名の女性国会議員が誕生しています。
女性の発言も政治に反映させることで、より「戦争したくない」という意見を出しやすい雰囲気を作り、日本人自らが戦争を止められるようにしたのです。
教育をもっと自由にしよう!
戦前の日本では、国家や天皇という存在に反発させないように国民を小さい時から教育していました。いわゆる洗脳というやつですね。
考え方をなかなか変えられない大人よりも、自分の考え方をまだ固めていない子どもを国家や天皇の協力者として育てた方が効率いいですね。(昭和を通してずっと、全ての教育機関でこのような教育をしていたわけではありません)
例えば天皇に対する忠誠心を育てる教育として有名なのは「日本歴史」です。
この教科書は神話の時代から始まっていました。詳しくは省略しますがここで描かれるのは「登場する神々の子孫が天皇であり、日本を統治するのにふさわしい存在である」というメッセージが込められています。
他にも現在の道徳にあたる「修身」という科目では、戦争に対するイメージを肯定するメッセージを込めていました。「天皇のため、国家のために戦うことが美しい」といったことだと思ってください。
こんな教育が続けられると、再び日本が戦争へ突き進む可能性があります。マッカーサーは日本の教育を根本的に変えることとしました。
みんなで考える教育がいいんじゃない?
マッカーサーはまず先ほどあげたような洗脳のような日本を称賛しまくる教育を停止させます!
「日本歴史」や「修身」などの授業は停止され、戦争に協力的であった教員を教育現場から排除しました。
その上で、「教育の方法をみんなで考えよう」という状況を作り出すことにしました。
自由に色々な教育方針を考えられるのであれば、「戦争なんてロクでもない」「国家が正しいかどうか常に我々国民が見張るべき」ということを子どもたちに教える教員が出てくるはずです。
これを法律面から支えるべく、「教育基本法」や「学校教育法」などの法律が制定されます。
とくに「教育基本法」において、教育の目的は「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の形成」にあると書かれています。
また「教育委員会法」という法律が制定され、教育委員会が設置されました。
教育委員会のメンバーは地域住民が選挙で選び、地元の教育をみんなで考えることができるようになりました。こうすれば国家から教育内容を強制されることはありません。
筆者は個人的に教育委員を地元の人が選ぶというシステムに魅力を感じています。地域全体で子どもを育てようという発想はとても重要です。
残念ながら、この仕組みは撤廃されました。今は都道府県知事など首長が教育委員を選んでおり、地域で子どもを育てようという発想はほぼありません。皆さんも自分が住んでいる地域の教育委員なんて誰がやっているのか知らないのではないでしょうか。
労働組合をつくれば戦争にならない?!
労働組合ってどんなものか知っていますか
労働者は雇い主に対して立場がどうしても弱いので、労働組合というチームを作り雇い主と対等な関係を作って交渉しようとするのです。
戦前の日本では労働組合を作ることが禁止されていました。
労働組合は資本主義を倒そうとする集団に見えたためです。(実際に暴力的な革命を通してこれを実現しようとする集団もいました)この発想は治安維持法と同じですね。
それは分かったとして、なぜ「労働組合がない」ということが戦争につながるのでしょうか。
貧困と戦争には深い関係があった!
労働者の立場が弱いと、雇い主は低い給料で労働者を働かせようとします。
国民の大多数は雇われる側の労働者ですので、国民全体の給料が低く抑えられることになります。
企業は色々な商品を開発し、国民に買ってもらおうとしますが‥なかなか売れません。なぜなら国民の給料が低いからです。そりゃそうですよね。お金がないなら余計な買い物をすることはしません。
企業は困ってしまいました‥。
さて作った商品はどうすればいいのでしょうか。
その答えの1つは「海外の領土を獲得し、そこに商品を売りつける」という発想です。海外の領土を獲得するには基本的に戦争しかないでしょう。
なかにはそんな展開になるのか?と思われるかもしれませんが貧困と戦争には密接なかかわりがあるんです!
労働者の立場が低いと戦争につながってしまうという理屈はわかっていただけたでしょうか。
だからこそマッカーサーは労働者の立場を高めるために労働組合の結成を進めたわけです。
さらに立場が強くなった労働者たち!
ここでも法律を使って労働者の立場を強めることにしました。いわゆる労働三法と言われる「労働組合法」「労働関係調整法」「労働基準法」です。
「労働組合法」では、有名な労働三権が保障されました。「団結権」、「団体交渉権」、「団体行動権」の3つです。この法律のおかげで労働者は2人から労働組合を作り、雇い主と交渉することができるようになりました。
特に強力なのは団体行動権、別名をストライキ権と言います。
交渉がうまくいかなければストライキを起こして働かなくても良いことになったのです。もちろんここで損害が出たとしても労働者は賠償責任を負いません。
しかしストライキが乱発されてしまうと混乱してしまいます。なるべくそこまでいかないように雇い主と労働者の交渉を円滑に進めるために制定されたのが「労働関係調整法」です。
また最低賃金や8時間労働制を規定した「労働基準法」は今でも有名ですね。
これらの法律を通して労働者の立場は強化されました。日本企業は日本人むけに商品を開発すれば、きちんと売り上げを伸ばせるようになったのです。こうすれば商品を売るための植民地など必要ありません。
労働者の中でも正社員の立場は今も強く、雇い主は簡単にクビにできません。その代わりに派遣労働者という別の存在が作られ、簡単に契約を切ることができるようになってしまいましたが‥。
経済の民主化
最後のテーマが経済の民主化です。
ここでは労働者の立場を強めた前章とは異なり、お金持ちの立場を弱めることがテーマとなります。
ここでいうお金持ちとは何なのか。ズバリ財閥のことです。
戦前の日本は財閥という一族が経済界で大きな権力を持っていました。
皆さんも聞いたことのある三井や三菱、他には住友や安田が4大財閥として知られていました。
彼らは株を通じて子会社を支配する体制を築き上げ、新しい企業が入ってくるのを防いでいました。
彼らの存在が戦争とどのように関係するか見ていきましょう。
日本の財閥と戦争が実は関係ある?!
日本が戦争を始めると何が起きるのか‥。
戦争には色々な道具が必要です。銃、弾丸、車、船、飛行機、包帯、薬、衣類、食料‥挙げればキリがないですね。これらの商品が大量に必要となるのです。何が言いたいかわかってもらえたでしょうか。
そう、戦争は儲かるのです。自国に被害が少ない戦争であれば‥。
実際に日本は第一次世界大戦を通して大儲けした経験があります。
また、太平洋戦争の数年前に起きた満州事変という正式な戦争ではない戦いでも企業は儲けることができました。
このチャンスを財閥が逃すはずがありません。彼らは戦争を否定せず、日本政府からの注文に応え、様々な武器を開発し、売りさばきました。
企業は利益を生み出すために存在するわけですから、ある意味当然の行動です。
財閥が心から戦争を求めていたかどうかは別にして、マッカーサーから見れば彼らは戦争を後押しする存在に見えたわけです。
ちなみにこの理屈は今でも存在します、アメリカに。アメリカは軍事産業が盛んですので、数十年に一度戦争を起こすのではないかと言われています。
戦争で金儲けする財閥を解体
労働者の立場を強める意味合いも込めて、財閥は解体されることになりました。
まず彼らが保有している株の大半を他の人間に売り渡し、財閥としての影響力を奪い取ります。
さらに「過度経済力集中排除法」や「独占禁止法」といった法律を制定し、2度と財閥のような存在が出てこないようにしました。
ただし「独占禁止法」はのちに緩和されました。世界の企業と戦うにはある程度強い企業が必要とされているからです。
また詳しくは触れませんが、お金持ちの農民の持っている土地を貧しい農民に渡すという政策も取られています。
戦争に協力したと見なされたお金持ちの立場は完全に弱まることとなりました。
マッカーサーの五大改革指令とは?わかりやすく解説!戦争を二度としないために作った改革!まとめ
いかがでしたか。
全ての改革が「日本を2度と戦争できない国にする」という発想につながっていることを分かっていただけたでしょうか。
もちろんマッカーサーから言われただけでなく、日本人が戦争の悲惨さを知り戦争を起こさないという決意をしたということも大事です。
しかし決意だけでは変わらなかったと思います。どの改革も果たして日本人だけでやれたかと思うと、そうは思えません。特にお金持ちの立場を弱めることなど日本人だけでは無理だったでしょう。
アメリカから占領されてよかったとは考えませんが、日本が平和な国になるのにマッカーサーが貢献したということは否定できないのではないでしょうか。
現在の「戦争をしない日本」を考えるときに五大改革指令は非常に重要な出来事です。アメリカから受けた屈辱的な命令という側面ではなく、今の日本のベースが出来上がった転換点と思っていただければと幸いです。
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