日本歴史

「硫黄島の戦い」海外の反応は?その戦いは外国人にとって「恐怖」だった?

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「硫黄島の戦い」とは、アメリカや海外からどのような評価うけていたのでしょうか?

硫黄島では壮絶な戦いが繰り広げられ日本軍人の執念深さや大和魂とアメリカの兵隊にこれでもかとみせつけることになりました。

これは日本人の誇りといって良いのでしょうか?

硫黄島の戦いに対する海外の反応は一体どんなものだったのか!!今日は自分なりに検証してみたいと思います!

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「硫黄島の戦い」アメリカや海外の評価や反応

硫黄島の戦いは戦争を一体どのように変化させたのか???あれだけの猛々しい戦いがその後の戦況にどのような影響を与えたのか?

気になりますよね。

しかし残念なことに「日米太平洋戦争の戦況を変えたという評価」は日本のみならず世界でもなされていません・・・

むしろ、戦況の変化よりもこの戦いにおける日本軍の戦い方と最後の一人まで抵抗した激戦として、世界で記憶されているというのが印象的です。

「硫黄島の戦い」に対する海外の反応・コメント

では海外の反応はどのようなものだったのかあらゆるサイトが抜粋してみました。

勇敢な日本軍兵士たちは勇敢に戦った。日米両国とも残酷に戦ったんだ

 

太平洋戦争は硫黄島の戦いではなく沖縄戦が一番の激戦地だと考えている

 

小さな島を攻めるにはあまりにも多い海軍軍艦、飛行機、海兵隊だ

 

アメリカはこの戦いで勝ったけどアメリカは日本より多くの犠牲者を出した

 

日本は降伏をしないという厳しい方針をとっていたのになぜ一部の日本兵はアメリカの捕虜になったんだ?

 

クリント・イーストウッドが映画を作っていますが、彼は映画でアメリカ軍を賛美しなかった唯一の監督です。私は彼を尊敬しています。

 

今、アメリカには日本のカルチャーが浸透し、日本の製品があふれている。
もう少し早くお互いを理解していれば、戦争は避けられただろう。
過去は過去。アメリカと日本の関係の未来は明るいと思う。

好意的なコメントや反応が多かったことと、やはり過去のことなので前向きに考える方が多いようですね。

「硫黄島の戦い」をつくったイーストウッド監督

イーストウッド監督も「硫黄島からの手紙」撮影する際、アメリカで栄光の戦いとして取り上げられている硫黄島の戦いについて、日本側の奇跡の1ヶ月がいかにして実現できたのかを描きたかったとその思いを語っていました。

兵力でも物資の面でも劣る日本が、5日で終わると考えられていた戦いを1ヶ月も続けることができたのか。多くの外国人はその部分に注目をしています。

 ”A gruesome victory for the Allied Forces”

という記事が最近アメリカで発表されましたが、直訳すると、「連合軍の恐ろしい勝利」となります。

つまり、栄光ではなく「身を毛だつような恐ろしい」戦いが硫黄島の戦いであり、そのことが日本でもアメリカでも強く印象強く残っています。

海外から見たこの戦いは、栄光でも奇跡でもなく、祖国のために戦った軍人たちの想像を超える凄惨な現実だったのでしょう。

そして現在、アメリカのみならず、世界中の人が硫黄島の戦いに触れる機会があるとすれば、ワシントンDCで有名な観光地の一つである、海兵隊記念碑(硫黄島記念碑)に訪れた時でしょう。

海兵隊が摺鉢山(すりばちやま)頂上に国旗を掲げるシーンは世界中の人に歴史を伝える大切なモニュメントになっています。

https://history-go.com/archives/9648

「硫黄島の戦い」海外の反応は?戦いまでの流れ

1941年12月の真珠湾攻撃で始まった日米間における太平洋戦争は、開戦当初は日本の連戦連勝によって進んでいきました。

そのため、開戦当初の日本の国民はこのまま勝利を続け、連合国軍が降伏するのもそう遠くはないと思っていました。

政府も、緒戦の華々しい勝利に酔いしれ、米英を徹底して打倒せよという強硬論一色に染まっていってしまいます。

しかし、この連勝も長くは続きませんでした。

真珠湾攻撃で甚大な被害を被ったアメリカは、“Remember Pearl Harbour”(真珠湾を忘れるな)を合言葉に、太平洋戦争に後ろ向きだった世論を動かし、日本に対する反抗の機運が国内で高まっていきました。

そして、1942年6月のミッドウェー海戦でアメリカの強大な軍事力をまざまざと見せられ、戦いで大敗したことによって日本の戦況は悪化の一途をたどっていきます。

一般的に、日本の敗戦は1943年時点で自明のものとなっていたといわれ、同年にはカイロ会談が行われ、戦後処理の道筋も示されていました。

実際、1943年以降の太平洋戦争は日本の抵抗とアメリカの侵攻という側面からのみ進んでいきます。

日本国内では日本の勝利が伝えられていましたが、ミッドウェー海戦後の日本は防戦することができず、敗戦の時期を探ることしかできませんでした。

こうした中で、1945年2月に「硫黄島の戦い」が始まります。

 

「硫黄島の戦い」海外の反応・その戦いの影響とは!

硫黄島の戦いで敗戦した日本にとってその後の経過はあまりに厳しいものでした。

1945年3月に沖縄戦が始まり、東京大空襲、そして広島と長崎に原爆が投下されたことによって日本は終戦を迎えます。

硫黄島の戦いが太平洋戦争の戦況を変えるような分岐点となったとはいえませんが、日本の防衛戦略が完全に崩壊し、その後の本土攻撃を受ける契機となったことは間違いありません。

実は硫黄島の戦いはアメリカにとっての資金源だった?

また、この硫黄島の戦いが、アメリカが戦争を続けるための資金面で、アメリカ側にプラスに働いたといわれています。

前述の硫黄島の摺鉢山にアメリカの国旗が掲げられた写真はアメリカ国民の厭戦気分を吹き飛ばし、世論も戦争を続けることを前向きに考え、アメリカ政府も戦時国債を発行することで戦争を続けるための資金を調達することに成功しました。

さらに、硫黄島の戦い前にはヤルタ会談が開催をされ、戦後処理が議論されていた状況を考えると、硫黄島の戦いによって、日本が敗戦したことは、連合国側が日本に戦後処理に際して強い要求をできる下準備となったとも考えることができますよね!

さらに、硫黄島の戦いによってアメリカが日本本土に対する制空権を得たことは、太平洋戦争と第二次世界大戦を終戦へと向かわせるきっかけとなったともいえます。

空の要塞と呼ばれたB-29とそれを守るための護衛機が硫黄島を中継拠点として自由に往来することができたことはアメリカに大きな利益をもたらしたのです!

本土空襲の指揮をとっていた爆撃軍司令官のカーチス・ルメイは当時、「硫黄島がなければ、日本を効果的に爆撃することはできない」という言葉を残しています。

 

硫黄島の戦いといえばこの映画!「硫黄島からの手紙」

硫黄島の戦いを描いた映画「硫黄島からの手紙」はあまりにも有名ですよね。ジャニーズの二宮君や渡辺謙と話題の俳優さんが出演しています。

筆者は途中からあまりにも辛くなって見ることができませんでしたが、確かに心動かされる作品であることには間違いありません。

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「硫黄島の戦い」海外の反応は?その戦いは外国人にとって「恐怖」だった?まとめ

硫黄島の戦いは太平洋戦争末期における一つの戦いとして歴史の中で語られることが多いですが、その本質はアメリカの軍事戦略上重要な位置を占めており、硫黄島を占領できたことが太平洋戦争終結を一層加速させたといえます。

一方で日本側は、硫黄島の戦いに敗れ、その後五月雨式に本土を侵略されたという歴史的な経過を見ても分かるように、太平洋戦争の地政学の中で硫黄島の役割は大きかったということは間違いありません。

クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」は日本で大ヒットをしました。

この二つの映画は、硫黄島の戦いを日本側からとアメリカ側と互いの視点から見た内容となっており戦争とは何かというものを改めて問うものとして素晴らし作品となっています。

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