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第二次世界大戦ってどんなもの?世界一わかりやすく解説します!

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みなさん、こんにちは!

昨今ウクライナでの戦争や停戦交渉のニュースが騒がれていますね。

日本では1945年の終戦を最後に戦争は起こっていませんが、現在も世界の各地では戦争や紛争が絶えずおきています。

今回は、世界を史上最悪の戦禍に巻き込んだ第二次世界大戦について日本を含む枢軸国と、

アメリカを含む連合国に分けてわかりやすく解説していきます!

目次

第二次世界大戦を知るには第一次世界大戦から!

第二次世界大戦がなぜ起きたのかを理解するにはその前の出来事を知らなければ流れはつかめません。

第一次世界大戦後の世界について軽く触れていきましょう!

第一次世界大戦後のヨーロッパ

終戦後、ヴェルサイユ条約で敗戦国ドイツの賠償金の支払いが決められました。

その額なんと、200兆円!!!

しかしお金がないので、通貨を過剰発行したことでハイパーインフレが起きました。

経済は混乱し、余計に支払いが滞ったことを理由にフランスがドイツの工業の心臓部であるルール地方を占領したせいでインフレはピークを迎えました。

戦争が起きる前は1ドルは4マルクほどでしたが、1923年には1ドルが4兆2千億マルクに達していました。

ここまでくるとマルクの価値はほぼないに等しく、紙幣より紙そのものの価値のほうが高いほどでした。

ドイツはもうボロボロです・・・

そんな時、こんなドイツの状況を見かねた救いの神様が現れたのです。

アメリカです!!

当時アメリカは大戦中のヨーロッパ市場への輸出のおかげで経済は潤っていて、

「ドイツさんよ、お金を貸してあげるから復興しながらイギリスとフランスにお金を払いなさい。」という提案をしてきます。

なんと優しい!!

こうしてイギリスとフランスにお金が払われる目途がたちました。

さらに両国は大戦中にアメリカにお金を借りていました。

その為、ドイツから払われた賠償金で復興しながらアメリカにお金を返すという関係が成り立ったのです。

みんなアメリカにおんぶに抱っこだったわけです。

現在の私達からするアメリカの象徴である、ディズニーやコカ・コーラもこのアメリカの凄まじい繁栄の中で誕生しました。

しかし1929年10月24日、世界中を恐慌の渦に巻き込む事件が起きました。

ウォール街のニューヨーク証券取引所での株価大暴落です。

道行く当時のアメリカ人はコーラとハンバーガーを落としたことでしょう・・・

これによって世界恐慌が起こり、アメリカは今まで通りのお世話をやく余力がなくなってしまったのです。

「ええええーー!!どうするの!!??」となった各国はそれぞれの政策を打ち出していきました。

 アメリカ・ニューディール政策

まずは恐慌の主役アメリカから。

当時の大統領はニューディール政策というのを打ち出しました。簡単に言うと、通貨のコントロールと公共事業での雇用の確保です。

雇用があれば消費もするようになって経済は復活するだろう!ということです。

イギリス・フランス・アメリカ ブロック経済政策

イギリス・フランス・ブロック経済政策というものを打ち出しました。

「ほかの国とやりとりしていたらいつなにが起こるかわかりやしない。もうこちらでやらせていただきます!」と、他国へは高い関税をかけて障壁を作り、植民地と自国のみで経済活動をしていく政策です。

しかしこれには、植民地とブロックの中で経済活動をしていく高い資源力や市場が必須です。

第一次世界大戦で植民地を得たこれらの国はブロックが作れましたが、作れなかったのが敗戦国のドイツと途中で勝ち馬に乗ったが為にあまり旨味を得られなかったイタリアです。

こうしてドイツとイタリアが取り残されることになりました。

第一次世界大戦後の日本

一方その頃、第一次世界大戦で戦勝国側にいた日本はヴェルサイユ条約で中国における権益を守っていました。

しかし経済はというと、大戦中の好景気が終戦と共に終わりヨーロッパの景気が復活すると共に悪くなっていきました。

さらに1923年の関東大震災で致命傷を負い、その後の金融恐慌、先述の1929年の世界恐慌でボコボコにされたのです。

戦勝国だったはずの日本の経済もドイツ、イタリア同様に再起不能になっていました。

第二次世界大戦への道筋

このように国内がボロボロになっていった日本・ドイツ・イタリア。

こんな時は、人々の心を掴んでいく弁の立つ人の人気が出てくるものなのです。

日本では政党に変わり軍が、ドイツではヒトラー、イタリアではムッソリーニが台頭してきて3国は戦争の時代に突入していく道ができ始めました。

では、本題の大戦に突入していくまでを見ていきましょう!

ヒトラーの快進撃・ヨーロッパでの開戦

ドイツは世界恐慌の影響が最も深刻でした。

そんな時、「ドイツ民族こそが最も優れた民族である!!!」と沈んだ国民の気持ちを鼓舞する人が現れました。

ヒトラーです。

ヒトラーはヴェルサイユ条約の破棄と再軍備を訴えます。

そして高速道路の建設などで失業者に仕事を与え、国民は熱狂しました。

ヒトラー率いるナチ党の人気はうなぎ上りで、選挙のたびに議席数は増え、ついには100%の議席を獲得したのです。

そのくらいヒトラーの人気はすさまじいものでした。

そしてヒトラーは堂々とヴェルサイユ条約を破り、フランスとの国境に軍をおき、臨戦態勢を整えていったのでした。

一方イタリアでは、第一次世界大戦でうまく植民地が得られなかったことに対する国民の不満をうまくとらえたムッソリーニが台頭していました。

ここでもファシズムの流れがあったのです。

この2人が歴史の表舞台に出てきたことによってヨーロッパは混乱の時代へ再度突入していきます。

2人は、スペイン内戦への干渉をきっかけに手を組むことになりました。

出会ってほしくない2人が出会ってしまったのです・・・。運命なのでしょうか・・・

スペイン内戦では、イギリス・フランスはヒトラーを刺激しないように、不干渉政策をとり傍観者の立場でいました。

その結果ヒトラーが支援する側の勝利に終わりました。その後もヒトラーの勢いは止まりません。

チェコスロバキアに対してズデーテン地方の割譲を迫ります。

当然断られましたが、チェコスロバキア・ドイツ・イタリア・イギリス・フランスによるミュンヘン会議の結果、イギリス・フランスはドイツの要求を受け入れました。

ズデーテンを譲ってやってくれ。と言い出すのです。

ヒトラーの要求を飲まなければ戦争になってしまう、という理由です。ヒトラーのご機嫌を損ねないように宥和政策をとっていたのでした。

両国の宥和政策はヒトラーをさらに調子に乗らせることになります。

ヒトラーはチェコも併合し、スロバキアも保護国にしました。さて、ここまで来たら次のターゲットはポーランドです。

ポーランドに侵攻する為に、ソ連と独ソ不可侵条約を結び一気にポーランドに攻め込んでソ連と真っ二つに分割しました。

そこでやっとイギリスとフランスの目が覚めます。

これ以上ヒトラーにやりたい放題やらせるな!!!と1939年、ドイツに宣戦布告してヨーロッパでは開戦したのでした。

第二次世界大戦のドイツの話で欠かせないのが、ホロコーストですね。開戦から2年後の1941年、アウシュビッツで初めてガス室が使われました。

ユダヤ人を敵とみなし、アウシュビッツなど各地に強制収容所を建設し大量虐殺しました。

なぜユダヤ人なのか?

ユダヤ人はキリスト教徒と元々仲が悪くなりがちなのです。

なぜか?

それはキリスト教の福音が発端なのです。元々キリストはユダヤ教徒でした。

しかし磔にされた時に、「キリストを殺せ!」とユダヤ人が言ったという内容の記述から、キリストはユダヤ人に殺されたと考えているキリスト教徒もいるのです。

ユダヤ人が迫害されるのはこのためです。このような宗教的な思想を利用して起きたのがホロコーストでした。

これによって虐殺されたユダヤ人の数は600万人です。収容されてからは毎日朝から晩まで働かされ、場合によってはその場で銃殺される。

時がきたらガス室に送られる。こんな悲劇が起きていました。

さらにアウシュビッツでは人体実験が行われていました。「死の天使」と悪名高い、ヨーゼフ・メンゲレによるものが有名です。

双子の兄弟姉妹を結合させるという実験を行っていました。

そんなものできるわけないだろうと今だったらほとんどの人が思うであろうことが、平然とされていました。

ほかにもユダヤ人の皮膚でランプシェードが作られたり、同じ人間の血が通っているとは思えないことが起きていました。

政党の影響力低下・日本での開戦

ヨーロッパが着実に戦争への道を進んでいる頃日本では、政党政治のもとで度重なる恐慌によってボロボロでした。

その結果、「政党なにやってんだ!!!」と世論が傾きはじめ、軍が発言力を強めていたのです。

当時の軍は、現在のように連携がとれているわけではありませんでした。

陸軍は陸軍、海軍は海軍で個々に動いており、さらに無能な政党の言うことなんか聞かない、と全てがバラバラ。

調子づいた軍が勝手な行動を起こし始め、満州事変がおきます。

関東軍と称する陸軍が「満州国を作る!!」と、領土を広げて日本を救おう!!という考えのもとで暴走を始めました。

軍の暴走はすさまじく、満州事変の翌年に五・一五事件というものが起きました。

陸軍の若い将校がクーデターを起こし、当時の首相の犬養毅が暗殺された事件です。

銃を突き付けられた犬養毅の「話せばわかる!!」という発言に対し、「問答無用!!」と返して銃殺するという話は有名ですね。

そのぐらい軍は勢いがありました。そして1933年、日本はいよいよ国際連盟を脱退します。

その後日本は、スペイン内戦後に手を組んでいたドイツ・イタリアに接近します。日独伊三国同盟が組まれ、第二次世界大戦の同盟関係が作られました。

そんな中、1937年の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまります。

アメリカは当初は宥和的立場だったのですが、日本が南京を制圧した頃からピリつき始めました。

大東亜共栄圏として領土を広げ始めた日本。

それに対して、「日本ちょっとやりすぎだろ!!」となったイギリスやアメリカは日本に経済制裁を加えます。

元といえば日本は経済がボロボロになったから、それを打破する為に外へ出ているのです。

そこに経済制裁を加えられたらもう持ちこたえられません。

ABCD包囲網という、アメリカ、イギリス、中国、オランダからの石油の輸出を停止されダメージを食らいます。

そしてアメリカと交渉をしますが無理難題のハルノートをつきつけられ交渉が決裂。

 真珠湾を攻撃し、日本でも開戦しました。

開戦から終戦まで

当初、ドイツは破竹の勢いで勝っていきました。

ドイツはポーランドを占領したあと、「今度は逆サイドだー!!」とフランスに攻め込みます。

そしてあっという間にパリを制圧。さらにイギリスまで攻め込みました。

イギリスの本土を空襲し始めますが、なかなか手強い。ソ連からの支援を受けているのでは?と疑い、今度はソ連に攻め込みます。

ソ連は前線をどんどん引いていき、ドイツもそれにつられてどんどん攻めていきます。

モスクワ近くまで引き込んだところで、ロシアに冬がやってきます。ロシアの冬はとにかく寒い!!!

港が凍るほど寒いのです。そこまで引き込んだあとに一気に攻める。

これはナポレオンもやられたロシアのお家芸です。こうしてドイツは苦戦を強いられました。

同じ頃、日本も真珠湾を攻撃し太平洋戦争が開戦しました。

ヨーロッパでの戦争と太平洋戦争が繋がり、第二次世界大戦へと発展していくのです。

ドイツがソ連に侵攻し始めた頃日本は、真珠湾攻撃から始まり各地で連勝していました。

当時日本には零式艦上型戦闘機、通称零戦という戦闘機がありました。

零戦は長距離飛行が可能で、時には相手の想像もつかないところでの神出鬼没の活躍を見せました。

優れた性能と日中戦争で実績を積んだ搭乗員の技術もあいまって敵機を圧倒し続け、アメリカでは「地獄への使者」と呼ばれていたほどです。

しかし1942年、ミッドウェー海戦、ガダルカナルと続く敗戦から風向きが変わっていきます。

奇襲をかけて勝ち続けていたのですが、大国がしっかり準備をしてきたら敵いません。

翌年の1943年、ドイツもスターリングラードの戦いでソ連に敗戦。

1944年にアメリカがフランス側のノルマンディーから上陸し、ドイツの占領地を次々と解放していきました。

枢軸国の雲行きがだいぶ怪しくなっています。それでも日本はまだ戦います。

同じく1944年にはアメリカが硫黄島やサイパンに上陸し、同年10月、初めての特別攻撃隊が出撃しました。

現代ではヤケクソになったのかと思われるようなこの作戦も、日本を救う軍神として崇められました。

今でいう高校生くらいの子たちが次々と飛び立っていきました。

テロ行為だったと現代でも議論されるところであり、靖国神社参拝についても批判されることもあります。

そしてアメリカは翌年1945年に沖縄まで迫ってきます。この頃には敗戦が色濃くなっていました。

ドイツでは4月にヒトラーが自決し、5月に降伏。そしてついに8月。

6日に広島、9日に長崎に原爆が落とされ、15日に国内外に玉音放送が流れ終戦が伝えられました。

日本では8月15日が終戦記念日とされていますが、世界的には9月2日です。この2週間強の差が、現在のロシアとの北方領土問題を生んでいます。

日本としては15日には降伏しているのだからその後に占領された北方領土は日本のものという主張です。

しかしロシアとしての終戦は9月なので、その前に占領したところについては戦争で勝ち取ったもの、という主張です。

しかし歯舞群島については9月3日に占領されたので世界的終戦後ということになります。

日本が返還を主張する正当性が明らかなのはここだけです。

終戦後、日本はアメリカの占領下になりました。

財閥の解体や民主化、戦力の不保持などアメリカの指示の元復興が進められました。

本土空襲もあり、またしてもボロボロだった日本に経済成長が訪れます。

お隣の朝鮮戦争によって国外からの需要が増え、奇しくもまた戦争によって日本は成長を遂げるのです。

このあとのことはまたいつか・・・

以上が第二次世界大戦のストーリーです。

それぞれの国がそれぞれの正義を持っていて、それがぶつかり戦争になるのですね・・

戦争が起こるきっかけはいつの時代も変わらず、資源・経済・宗教が絡んできます。

自国を守るため、発展させるため、正義の為にいつも戦争をしかけていくのです。

その裏で手を引く黒幕の国があることもありますが、自分の国は悪くないと考えがちであるところがどの立場に立つかで物の見方が変わりますね。

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第二次世界大戦をわかりやすく解説!まとめ

誰が悪いのか?誰が正義なのか?

それは誰にもわかりません。答えはありません。

しかしドイツでは、大戦中の悲劇を忘れないよう今でも徹底した教育がなされています。

各地には「躓きの石」というタイルが道路に埋め込まれています。

これは、昔そこに住んでいたユダヤ人の名前が彫られているものです。

いつでも当時のことをふと考える工夫がされているのですね。

日本では終戦記念日や原爆投下の日くらいでしか当時のことを思い出すことはありませんが、二度と同じことが起きないように心掛けていきたいものです。

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