中国歴史

三国を制した司馬懿 強さの理由を考察! 演技力が光る策略家だった?

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軍師と言えば三国志演義ではどうしても諸葛孔明が注目されがちですよね。

しかし、その孔明からの攻撃を阻止し、最高の将軍曹操も恐れたと言われる軍師がいます。

司馬懿仲達!しばいちゅうたつ

彼はただの天才軍師ではなく、曹操も劉備も成し遂げられなかった三国を統一した人物です。いわば、三国志の勝者!

いったいどんな手を使って乱世を治めたのでしょうか?

今回は「したたかな策略家、司馬懿仲達」が、天下統一を成し遂げた理由を考えていこうと思います。

理由その1:演技派

司馬懿といったら演技力のすごさ。演技力というか、人を欺くというか、本心を隠すのが上手いんです。

仮病

仮病って大人が??、、、と思いますよね。やっちゃうんですこの人。しかも「時の大将曹操」相手にですよ。この辺りからただ者ではないオーラ全開です。

司馬懿の兄は早くから曹操に仕えていたこともあり、弟司馬懿の優秀さは兄によって曹操にビシッと届いていました。

そんなに優秀なら、俺んとこ来ないか?

人材ハンター曹操は当然司馬懿を欲しがります。当時の曹操は天下統一に一番近い人物と言われ、彼の申し出を断る人物なんているはずも無く、断るとしたら死を覚悟していないと到底できないことでした。

しかし、漢王朝はどうせ長くはないと見ていた司馬懿は曹操の配下になる気はさらさら無く、お断りをしようと考えます。無下に断って角が立つと嫌なので、仮病を使って断ろうと考えたんですね。

私、中風なんで働けません

※中風(ちゅうぶ):脳出血などからなる手足の麻痺や不随の事で今で言うところの生活習慣病から来る疾患です。

曹操相手に仮病を使うなんて、周りの人も止めなかったんでしょうか?おそらく彼の性格上、止められても自分の思った通りにしか行動しなかったのかもしれません。

一旦は引き下がった曹操ですが病気という事をにわかには信じられず、司馬懿の寝床に部下を送り、本当かどうか確認するために針を刺させたというのですから、こちらも只者ではありませんね。

 

 

 

侮辱に耐えたふり

五丈原の戦いの際、司馬懿率いる曹操軍は「待の一手」を決め込みます。持久戦です。これにしびれを切らした蜀の孔明は、曹操軍に女性の衣服を送り付けます。

数十万の兵を持っていながらも攻めてこないのは、我が軍におじけずいているのでしょう。まるで夫人のようですね、この衣装を着ていればいいですよ。

これを受け取った司馬懿は、「馬鹿にするな!打って出るぞ!」と激怒。

わが軍は打って出てはいけない、これは曹叡さまの命令ですぞ

という家臣の言葉で何とか怒りを鎮めます。

しかし、これは部下に対するフェイクだったのです。この戦いは持久戦なら必ず勝てます。しかし何もせずにずっと待機をしていたのでは軍の士気はさがってしまう。

この雰囲気を打破し、全体を引き締めようと考えた司馬懿の演技だったのです。

 

 

 

ボケたふり

曹一族VS司馬一族が開幕となった頃、司馬懿は表舞台から退きます。曹爽(曹操の甥っ子の子供)が司馬懿を太傅という皇太子の先生役のような役職に就かせ、政治の前線から一歩引かせたのですね。

これを司馬懿は了承します。

70歳にもなろうかという司馬懿は隠居の道を選んだ、ように見せかけて政権カムバックを狙う日々を過ごすことにしたのです。

曹爽は司馬懿の危険さを知っているので、使者を送り様子を見ていました。

ある日、使者の1人が司馬懿の家を訪ねたところ、お粥を口からボロボロこぼすわ会話は成立しないわで使者を驚かせます。おまけに下女2人に両脇を抱えられながらの対面だったのです。この様子を見た使者は

あー、とうとうボケてしまったな。。

と判断し、曹爽に「司馬懿がもうボケてしまったので恐れることは無いと思いますよ」と報告します。お気づきでしょう、これは司馬懿の演技です。

司馬懿がボケたと知った曹爽は安心して一族みんなでお出かけをし、その隙に司馬懿が皇帝に曹操を排除するよう直訴。見事政権を奪い返したのでした。

ここでも名演が光ってますね。

 

 

 

理由その2:動かない

曹操は自分をあまり気に入ってないようだ」仕官してすぐにそう悟った司馬懿は、次の曹丕の時代になるまで日陰の存在として活動をしていました。これは思い過ごしなんかではなく、曹操も実際のところ司馬懿の使いどころを決めかねていて重使しなかったようです。まぁ、初めのスカウトを病気を理由に断られてますから、あまり良い印象では無かったでしょうね。

司馬懿は「動かない」ことを選択し、曹操の代では密やかに仕えます。自分が活躍する場ではないと判断したのでしょう。

また、五丈原の戦いの際もこの待ちの姿勢は功を制します。

7年5回にも及ぶ蜀の北征は、いずれも兵糧難がネックになりました。持久戦です。苦しいのはどちらも一緒ですが、司馬懿はこの状況が続けば勝てると踏んでいたので、先ほどご紹介したように孔明が女性の服を送り付けて挑発した際も余裕ででした。

司馬懿は、孔明が病に侵されていたことも恐らく知っていたのでしょう。勇猛な武将が次々といなくなり孔明ひとりで戦っているような状態で、身体はもうボロボロで限界に違いないと読んでいたんですね。

司馬懿の予見通りこの持久戦に耐え切れず、孔明は54歳で死去。

蜀軍は退去し司馬懿は守り切ったのです。

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理由その3:瞬発力

勝機を見逃さず、その瞬間に動く。

司馬懿の瞬発力はお見事としか言いようがありません。

司馬懿は曹爽と共に当時の魏帝曹芳(8歳)の側近となりました。曹爽は曹家の一族として、司馬家になんか負けないぞ!と意気込み火花バチバチだったようです。

司馬懿は名士(知識人)達を集め一派を立て、曹爽は部下や親族を中心に一派を作ります。

曹爽は司馬懿を太傅に任命し政治から追い出すと、自分は洛陽で遊びに興じ、実務は部下に任せるなど腐敗した政治を行っていきます。

司馬懿は曹爽から政権を奪うタイミングを待っていました。

司馬懿がボケてしまっていると信じている曹爽はすっかり油断し、ある日洛陽を離れ曹芳と共にお墓参りに出かけたます。都は空っぽです。

司馬懿、チャーンス!

この好機を即座に掴んだ司馬懿は、宮中に馳せ参じ

曹爽が皇帝を軽んじ私利私欲のために腐敗した政治を行っています。

政権をはく奪してください!

と直訴したのです。皇帝はこの訴えを承諾。司馬懿は勅令を曹爽一派に叩きつけます!観念しなさい!といったところですね。

曹爽一派は処刑され、司馬懿は曹一族から魏の権力を奪うことに成功したのです。

ボケ老人のフリから逆転のチャンスを見逃さず即座に行動する瞬発力は、司馬一族が三国志の勝者となった大きな要因と言えるでしょう。

 

 

 

 

三国を制した司馬懿 強さの理由を考察! 演技力が光る策略家だった?:まとめ

もともと曹操に仕官したかったわけではない司馬懿。人材ハンター曹操に脅迫まがいに引き抜かれたのでしぶしぶの魏国加入だった彼にとって、魏には特に思い入れは無かったのでしょう。

恐らく初めから曹家をつぶし司族で天下統一を!という考えは無かったと思います。曹操の死や、蜀、呉との戦いを経て「あれ、これ統一できるんじゃない?」という見通しが立っていき、一つずつ障害をクリアにしていくうちにその気になって行ったのではないでしょうか。

司馬懿が天下統一を成し遂げた理由は

  1. 演技派
  2. 動かない
  3. 瞬発力

と、他のキャラには無い要素がポイントとなりました。

三国志は「正義が勝つ!」といった分かりやすい物語ではなく、「智・技・動」を備えた脇役がスターになって天下を取る、そんなシンデレラストーリーのようにも思えます。

私も司馬懿のように、時の運を読めるようになりたいと思いました!

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司馬懿目線での三国志を見ることができる貴重な作品です。

三国志 〜司馬懿 軍師連盟〜

各国の軍師たちが戦いながらもお互いを認め尊敬していく、という三国志の中でも軍師を中心に描かれています。

他の三国志作品のメインとなる戦闘シーンはほとんどありませんが、だからこそこの乱世を乗り切った理由がよくわかる作品です。

今回の記事では紹介できませんでしたが、司馬懿の奥様もやっぱり稀有な人物です。曹丕の奥様の話など、女性陣の活躍も見どころの一つです。

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