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張儀の名言「我が舌をみよ」とは一体どういう意味なの?リンチされたエピソードなど!

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どんな時代にも口が上手い人物というのはいるものです。

皆さんは今までにうまく口車に乗せられてしまった、気づいたら話に引き込まれていたなんて経験ないでしょうか?

騙されやすい人からしたらあまり近づきたくない人種だと思いますが、かつて中国の春秋戦国時代には口が上手いという才能だけで天下を動かすほどにのし上がった張儀という人がいました。

彼がある日言った「我が舌を見よ」という有名な名言にまつわるエピソードがあります。

それは一体どういった意味なのか、説明していこうと思います。

目次

古代中国は超・能力主義社会だった!

主人公、張儀が生きた時代は漫画「キングダム」の舞台にもなった古代中国の春秋・戦国時代

この時代はまさに群雄割拠。

日本で言えば戦国時代みたいなもので、それぞれの大名にあたる諸侯は敵国を倒すために様々な政策や思想によって国を強くしようと思っていました。

そのため各地に存在していた、様々な才能や独自の思想を持った人々が注目されることになるのです。

諸侯は出身や家柄に関係なく、能力ひとつで採用します。庶民にとっては空前の超・能力主義社会だったのです。

張儀の口先三寸の決意

張儀はそんな時代に貧しい庶民として生まれ、偉くなりたいと思いました。

しかし自分には金もコネもありません。

そこで遊説の術を学んだことのあった張儀は、口先だけで生きていこうと決めます!

張儀、ボコボコにされる

「口先だけで生きていく」と決意した張儀ですが、何か職がなければ食べていくことができません。そこでとりあえず、扱いは低いもののという国のお抱えの身となりました。

そんなある日、楚の宰相たちによる宴会があり、張儀も出席することになります。

しかし、ここで事件が起きます。

ある宰相が大事にしていた玉が紛失してしまったのです。

犯人はわかりませんでしたが、辺りを見渡したところ「身分も低く素性もしれない張儀が怪しいぞ」となり、寄ってたかって張儀はボコボコにされてしまったのです。

身分が低いというだけで、とんだ濡れ衣を着せられてしまったわけですね。なんともひどい話です。

我が舌を見よ

その日、張儀は傷だらけで家に戻ります。

それを見て呆れた妻は「なまじ本なんか読んで遊説に出なければ、こんなことにならなかったのに」と愚痴をこぼします。

散々な張儀でしたが、ここでいきなり妻に舌をペロッと見せるのです。そして「おれの舌はまだあるか?」と聞きました。

妻は笑って「ありますよ」と答えると「じゃあ大丈夫だ」と言ったそうです。

これはつまり舌さえあれば喋れる。

言葉の才能はあるのだから、喋れさえすればいくらでも偉くなれるチャンスがある、という気概を表した言葉でした。

そしてこの言葉は、まさに張儀の考え方の真骨頂とも言える名言でした。

張儀の名言、2つの意味

自分には舌さえあれば(喋ることさえできれば)、いくらでもチャンスがあると語った張儀。

筆者はこの言葉から2つのことが学べるように思います。

盗まれないのは能力だけ

ひとつめは「盗まれないのは能力だけ」ということ。

いくら金や資産を持っていたとしても、これらは簡単に奪われる可能性があります。

しかし能力だけは奪うことができない。

その能力さえあれば最悪、何も持たない人間であっても問題ないというのです。

現代においてもそれは全く同じです。親が金持ちでいくら金に困らなかったとしても、所詮は金。状況によっては無くなってしまうかもしれません。

でも自分で得た知識能力は、どう頑張っても他人には奪えません。

そしてそれさえあれば、いくら金を失ったとしても、それを使ってもう一度手に入れることができるのです。

能力は富貴な人も貧しい人も生まれた時点で同じスタートラインなのですから、平等と言えますよね。

努力さえすれば、能力という点で勝つことができるのです。

うまくいかなくても諦めない

もうひとつは「うまくいかなくても諦めない」ということ。

張儀からすればありもしない罪でボコボコにされ、しかもそれを権力に胡座をかいているようなやつらにやられたのですから、死にたくなるほどに辛いことです。

やっぱり自分には才能がなかったのかと心が折れ、出世を諦めてしまってもおかしくありません。

しかしこのエピソードを見ると、全然へこたれていないようですよね。

面の皮が厚かったのかもしれませんが、ちょっとやそっとのことで諦めないというのはやっぱり重要な能力のひとつだ、というのを教えてくれます。

張儀、同期に先を越されてしまう

三國志13_20160908012553蘇秦

張儀はこのあとまっすぐ成功に向かったかというと、そうではありませんでした。かつて遊説の術を学んでいた時の同窓である蘇秦という人物に散々バカにされるのです。

かつては張儀のほうが優秀とされていましたが、この時点で蘇秦は張儀よりも先に成功していました。

先に成功していた同僚からバカにされる屈辱も相当なものでしょう。

しかしここでも張儀はへこたれるどころか、むしろそのくやしさをバネにしてこのあと権力をつかむようになります。

もちろん口先のうまさも張儀が成功した一因でしょうが、それだけではダメだったのかもしれません。

どんなに辛い時も諦めないというのも、重要な能力だったのかもしれませんね。

張儀の名言「我が舌をみよ」とは一体どういう意味なの?おもしろエピソード!まとめ

どんな時代にも天賦の才能をもって生まれた人というのはいます。

しかしそんな人間も「才能だけでは生きてはいけないのだ」ということを、張儀は教えてくれるようですね。

すぐあきらめないことや何を大事にするか判断できる姿勢がなければ、そんな才能もすぐに潰れてしまうのです。

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