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劉備玄徳と諸葛孔明の関係や出会いなど 2人の絆が深い理由を考察!

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仁義に厚く人望も高いのに出世できない劉備が、天才軍師孔明によって蜀の王になるまでのドラマチックなエピソードは三国志の中でも人気の高い場面です!

今回はそんな二人がどうやって出会い、どうしてそんなに信頼し合うまでになったのかを「三国志演義」を中心に考えていこうと思います。

※三国志演義とは正史を基にフィクションを交え蜀を正義として書かれている歴史小説です。

目次

劉備と孔明・2人の出会い

劉備玄徳は漢王朝の末裔で、関羽と張飛という豪傑で優秀な武将を備えながらもイマイチ出世せずじまい。

漢王朝の復興を願いながらも、義理人情に厚い性格が災いし裏切りややっかみに遭い、その度に行き場を無くす流浪の人生を送っています。

諸葛孔明は幼いころに両親を亡くしおじの諸葛玄と弟妹と共に荊州の山奥で暮らしていました。

諸葛家一族は地方の高官が多く父は群の副長官を務めていましたが、孔明自身は自ら誰かの士官に就こうとはしていませんでした。

いずれは国を動かす人間になると早くから学問に目覚め、名士司馬徽の門下生になると瞬く間に才を発揮します。

劉備、荊州へ

渡り鳥将軍劉備は、 荊州 けいしゅう  の 劉表 りゅうひょう の元に身を置きます。

荊州での反乱を劉備達の活躍で鎮圧したことは瞬く間に広まり、孔明の耳にもその名が届くようになったのです。

この活躍により、新野城に派遣されることになり荊州の守衛として日々を過ごすも、自分の城も持たずにフラフラとしている身をここいらでなんとかしようと劉備は悩みます。

「自分たちに足りないのはなんだ?張飛も関羽も勇猛だし、そこそこ戦にも勝ってるのに」

あっ!そうだ、優れた智将がいないんだ!

劉備は気付くんです。

自分たちが出世しないのは、力だけで智がなかったんだと。いままで気が付かなかった自分を反省し、優秀な人材を探し求めるようになるのです。

そこで出会った紹介者が、劉備の運命を大きく変えます。

紹介者1人目は司馬徽 (しばき)

1人目は 司馬徽 しばき  。

司馬徽はもともとは人物鑑定家として荊州の名士として知られていて、若くて優秀な人材を見抜くことができたのです。

水鏡塾を開き門下生を集め、古文を教えたり思想を説いたりしていました。司馬徽は劉備が訪ねてきた時にこう言います。

「この辺りには臥龍 がりょう (眠れる龍)と 鳳雛 ほうすう (鳳凰の雛)がいる。どちらかを手にしたら天下をとれるでしょう」

劉備は「臥龍と鳳雛」という存在をインプットしながらも、引き続き人材探しに励むのです。

紹介者2人目・徐庶

二人目は  徐庶 じょしょ です。

徐庶は水鏡塾で孔明と同期。自身も周りも認める優秀な人材でしたが、当時から孔明がただものではないことに気付いており一目置いていました。

徐庶は劉備のいる新野城に士官として仕えていましたが、魏の曹操の元に引き抜かれてしまいます。劉備の元を去る徐庶は最後にこう言ったのです。

自分よりもさらに優れた人物、諸葛亮孔明という人物がいる。

劉備は司馬徽にも同じことを言われていたことを思い出し、孔明に会いたいと徐庶に頼むのです。しかし孔明の事を良く知る徐庶は、

連れてくることはできない、本当に会いたければこちらから出向くことです。孔明は人を図る男です。

そうなのね、分かりました行きましょう!と劉備は即決即行します。当時劉備は左将軍という高位に就いていました。そんな高官にたかだか自分の知り合いレベルの人物に会いに行かせるなんて、学者というのはなんと怖いもの知らずなんですね。

劉備、孔明をリクルート・三顧の礼

左将軍という高位の劉備が無位無官の孔明に会いに行くなど異例中の異例でした。

地位の格差もありますが、驚くことはその年齢差。

劉備⇒47歳

孔明⇒27歳

この年齢親子ほどの年齢差であるというビハインドを乗り越えてまで孔明に会いに行こうとしたのは、現状を変えたいという強い思いが劉備にあったからでしょう。

いまままで常識的に正直に生きてきたのに現状は渡り鳥生活。ここいらで一発逆転するには何か違うことをしなければ、と思ったのかもしれません。

何としても優秀な智将を手に入れたい劉備は、関羽と張飛を連れて孔明の元へ向かいます。

劉備が自分を訪ねてくると知った孔明は

私は今日はいないと伝えてくれ

と家人に言うのです。居留守を使うということですね。

劉備のいる新野城から孔明の家までは1日がかりの距離。そんな遠くから来る年長者である将軍に居留守を使うところも、孔明の策略的な一面が見受けられます。

まぁ、アポイントもなしで急に来てしまったので仕方がないか、と劉備は素直に出直すことにしたのです。

時をあけて劉備一行は再び孔明リクルートのために足を運びます。この日は雪の降る悪天候。またもや一日がかりでやっとの思いでたどり着きます。

しかし、孔明はまたもや不在。戻りも分からないと言われてしまうのです。

んと。またもや会えず。

二度も会えなかった事で劉備の孔明に対する思いは高まり、「いつ行けば会えるのか?」と、吉日を占い師に教えてもらうまでに燃え上がるのです。しかしお供の張飛は劉備を馬鹿にしてると怒り、関羽はもういいんじゃないですか?と冷静に孔明獲得をやめませんかと助言します。

しかし孔明は、自分たちがここいらで上がっていくためには「智」が必要なんだ!自分一人でも行く!と力説。二人はその勢いに心を打たれ次もお供することを誓います。

さぁ、迎えた吉日またもや三人で一日かけて孔明の元へ向かいます。

出てきたのは孔明の弟、均。玄関口で劉備にこう言います。「兄は、居ります」

居ります!!

居るってよ!いましたやっと。

孔明は昼寝中ということで、起きるまで待つことしばらく。今まで会えなかったんですもの、昼寝の間くらいなら待てます。

起きてきた孔明に、劉備はたずねます。

漢王朝の末裔である自分は、これまで大した業もなさず城も持たずにいる。今、漢王室は衰退し逆賊が世を運命を握っている。どのようにしたらいいと思いますか?

天下三分の計

劉備の問いに対し孔明は、「国土を曹操、孫権、そして劉備の三人で支配する」天下三分の計を説きます。

北の曹操は全土の三分の二を獲得し今もなお勢力を広げている。東には呉の孫権がいる。 かなえ の足が二本では不安定、三本なら安定するように第三の勢力があれば漢王朝と復興というあなたの志もかなうでしょう。

あなたが荊州、益州をおさめ第三の勢力になるのです。

こういわれた劉備は目を丸くし驚きます。たかだか五千の兵力(しかも劉表からの借り物)しか持たない自分にそんなことができるのか?劉備は汗をかきます。

その不安を汲みとった孔明はさらにこう続けるのです。

荊州は広大な領地に守られ強い水軍を持ち強固な領土。しかし劉表は病床の身。二人の息子は長になる器ではない。荊州は劉備に天が与えてくれたものとお考え下さい。

益州も豊かな土地に囲まれ恵まれながらも太守の劉璋は民の事を考えず悪政を働き人望は無い。領民は優れた君子を切望している。この土地も人望厚いあなたならおさめられるでしょう。

なるほど、と気持ちがちょっと傾く劉備。

荊州・益州を手に入れ、曹操・孫権と共に三つの柱となった後には、孫権と同盟を結び曹操を攻略。さすれば漢王朝は復興し安定した世が訪れるでしょう。

孔明の、先を見据えた考えと大胆な発想に劉備はトリコになってしまいました。

是非とも軍司になって力を貸してほしい、と頭を下げる劉備に対し、孔明は「自分はここでのんびりと暮らしたい。」と申し出を断ります。

あら、残念、とあきらめる劉備ではありません。あなたがこの申し出を断ったらさっき言ったプランが達成できず、全土の安泰はなくなります。したらば今苦しんでいる民はどうしたらいいのですか?と大泣きするのです。

一瞬驚いた孔明でしたが、漢王朝の安泰を本気で願い、初対面の20歳も年下の若者を前に本心でぶつかる姿に心を打たれ、劉備の軍師となることを決めたのです。

[box04 title=”信頼ポイント”]度肝を抜くビジョンを持ち、劉備の理想を具現化した[/box04]

孔明、デビュー戦圧勝

心強いチームメイト、孔明が加わり上機嫌の劉備でしたが、荊州では劉表が病に倒れ病状が思わしくない状況でした。

領土拡大を狙っている曹操にとっては好機が訪れたわけです。曹操側から見た荊州の入り口には新野城に居る劉備がいます。ここをまず叩き潰そうと、 夏候惇 かこうとん に劉備討伐を命じます。

曹操軍10万 VS 劉備軍1万

三顧の礼で孔明を熱望していたのは、はっきり言って劉備だけ。関羽も張飛もなんでそこまでして実績も何もない若造を軍司として呼び入れたのか納得していない状態でした。この戦の指揮を取らせることは、

孔明先生お手並み拝見!

という感じだったんですね。

もちろん孔明もこの雰囲気は十分に感じ取っておりましたが、特に焦ることもなく冷静に策を講じます。

策は、「地の利を生かし新屋城の手前、左を予山、右には安林に囲まれた 博望坡 で勝負する」。草が生い茂った博望坡に夏候惇を誘い込み火を放つ 火計 で行くと発表します。

この策が見事にはまり劉備軍はかつてに無い大勝利!劉備もこれほどまでの勝利は初めてだと大喜びです。これほどまでに力を見せつけられた劉備軍は孔明様様と祭り上げます。

孔明は関羽、張飛をはじめとする劉備軍の信頼を勝ち取るとともに、軍師としての力量を証明したのです。

[box04 title=”信頼ポイント”]流浪の劉備軍にこれまでに味わったことのない大勝をプレゼントした。[/box04]

孔明、最大のピンチを救う

夏候惇の攻撃は失敗に終わりましたが、曹操軍は余力タップリなのでいつ追手が来るか分かりません。孔明は新野城を出て 樊城 はんじょう に移動することを決めます。

敗退した曹操は心中穏やかではありません。たった1万の兵でやっつけらのだから当然ですよね。やはり劉備は早めに叩き潰しておかなければと孔明の予想通り曹操軍は再び劉備を襲います。今度の狙いは劉備ピンポイントではなく、荊州の本丸、劉表の城 襄陽 じょうよう  です。

この時、劉表は病状が悪化し死去、次男の 劉琮 りゅうそう が地位を継いだばかりでした。

長男が継がずに次男、これだけで結構なお家騒動があったことが分かりますよね。曹操の攻撃が迫っていることを知ると、新体制の未熟さを理由に長男や劉備たちの許可も得ず降伏することを決めてしまいます。

この騒動を知った劉備達は、今度は江陵へ移動することします。新野城からの領民と樊城の領民と共に合計10万人の大移動です。

江陵までの道のり二百キロ近くを、領民と共に移動。幼子、老人、物資を抱えながらの移動は当然ゆっくりと休憩をはさみながらになってしまいます。

家臣が曹操の兵に追いつかれてしまうことを恐れ領民を置いて移動することを助言するも、情の熱い劉備は領民が一緒じゃないと嫌だと断固としてNO

劉備がこれまで出世できなかったのも、こういったところが理由なんでしょうね。。

このままでは共倒れになってしまう。そんな中孔明が声を上げます。

わかりました、私が 劉琦 りゅうき さまに援軍を頼んでまいります。

劉琦って誰??

劉琦とは、劉表の長男。お家騒動で次男に敗れた後、襄陽を出て江夏の太守となっていて、その時にアドバイスをしたのが孔明でした。なので劉備達の助けになってくれると踏み、孔明は関羽を連れて江夏へと向かったのです。

さて、のろのろと江陵の道を歩む劉備一行ですがやはりその遅さは致命的。曹操の一軍に追いつかれて滅多打ちにされてしまいです。そりゃそうですよね。

劉備と生き残った領民は、張飛の活躍でなんとか逃げ道を探し、本来の目的地江陵ではなく漢津へと進路を変更。

一方、江夏で援軍を獲得した孔明は、方向を江陵ではなく漢津へと向かいます。お供した関羽は、なぜ漢津なのかとたずねると、

劉備達は途中で曹操軍に追いつかれ、漢津へ進路を変えるだろう。

と、状況を予測しての進路だと言うのです。

結果、孔明の言った通り進路を変えた劉備達と合流することができ、追手の曹操軍の攻撃を阻止。劉備の危機一髪を見事に救い出したのです。

[box04 title=”信頼ポイント”]領民を犠牲にできない劉備の気持ちを汲み取り代替え案を出す。
劉備の行動を予測し危機を救った。[/box04]

孔明、使者として呉へ

さて、そんな時曹操は、呉の孫権に同盟の話を持ち掛けます。呉を手に入れるには戦をせずとも一旦手を組み、後から奪えばいいと考えたのです。

しかし、孫権はそんな策略に簡単に乗っかったりはしません。曹操は同盟を結んでもそのうち呉を討ちにかかってくることくらいお見通しです。しかし無下に断るわけにはいきません。

そうだ、曹操からの攻撃をかわした劉備陣営の意見を聞いてみよう。

こう考えた孫権は、副官 魯粛 ろしゅく を使者として劉備の元に送ります。

魯粛は劉備達と同盟を結び、曹操の申し出は断りたいと言ってきます。しかし、そうなると曹操との戦いは避けられません。呉の家臣たちは曹操と戦うことを迷っている状態だと言うのです。

劉備は魯粛に

孔明に孫権をはじめとする家臣たちの説得に当たらせよう

と、孔明を使者として呉に連れ帰るよう提案。曹操と孫権を戦わせたい願っている劉備は、孔明の説得に賭けることにしたのです。

呉の家臣たちは、孔明に次々と質問を投げかけ論破して追い返してしまおうと待ち構えていました。

しかし、孔明の理路整然とした弁舌に孫権自慢の賢人たちは逆にコテンパンに論破されてしまいます。これを見た孫権はすっかり孔明を気に入り曹操を討つことを決意。

孔明は曹操VS孫権の構図を確立することに成功したのです。

[box04 title=”信頼ポイント”]大国呉の孫権に曹操討伐を決意させた[/box04]

草船借箭の計

上は納得しても現場はそうそうたやすくは受け入れてくれません。

呉の大将達は、よそから来た孔明の存在を疎んじていました。

この時孔明は天才軍師として世に知られていましたが、呉にも 周瑜 しゅうゆ という名軍師がいました。そんなに凄い軍師なら、実力を見せてもらおうと周瑜は孔明にお題を出します。

今回の戦いは水上戦になります。大量の矢が必要だ。矢を調達してくれませんか?

その数 10万本!

孔明はこう答えます。

三日あれば十分です。

くっ、かっこいい。扇をハタハタしながら微笑む姿が目に浮かびます。

これを聞いた大将達は、市中の矢の生産ラインにストップをかけ孔明のミッションを阻止しようとします。もし用意できなかったら、約束を果たせなかったと、孔明を追い出すつもりでした。

2日間、悠々自適に過ごす孔明を見ていた魯粛は気が気ではありません。

3日目、深い霧が立ち込めた夜、孔明は20隻の船に藁を敷き詰め曹操軍が待機する船の群れに突進していきます。乗っているのは孔明自身と魯粛、わずかな兵のみです。

敵は船に気付き、大量の矢を打ち込みます!まるで豪雨のように降り注ぐ矢。

孔明の船は反戦などはしません。積んでいた藁でその大量の矢を受け止め、ころ良い頃に船を引きあげたのです。

帰って来た船をみて、孫権も周瑜も驚きを隠せません。持ち帰った矢は10万本以上

孔明は約束を果たし呉の信頼を見事に勝ち取ります

赤壁の戦い

一致団結した孔明と周瑜は、いかにして曹操を討つか、その戦術を練ります。

2人の意見はピタリと一致。火計です。

曹操軍20万 VS 孫権・劉備軍5万

これをひっくり返すには、曹操の船に火計をしかけるしか勝ち目はありません。

しかし問題は、風向き。

長江の風は、呉に向かって吹いているため火を放ったとてすぐさま味方に燃え移ってしまいます。この風向きでは火計は成立しないのです。どうしたものかと悩む呉軍。

そこで孔明は、こう言うのです。

東南の風が吹けばいいのでは?

東南の風

それはそうだが、自然をあやつるなんてさすがの孔明さんでも無理じゃないですか?あきらめモード中、孔明は風を吹かせる方法があります、と言い南屏山に祭壇を作り祈祷をはじめます。

1日、2日、風は吹きません。

そして3日目の早朝、今まで吹いていた風がピタリと止み、風向きが変わったのです。

東南の風、吹く。

この時期は11月。曹操陣営も火計の事は心配していましたがこの時期に東南の風は吹くはずはないと油断していました。

この方向に風が吹けばこっちのものです。呉の水軍が総動員で曹操軍の船に火を放ちます。

瞬く間に燃え上がる20万の兵。

曹操は小舟で命からがら逃げ出しますが、軍は壊滅状態、戦いは孫権・劉備軍の大勝で幕を閉じたのです。

天文学にも精通する孔明は、この時期に東南の風が吹くことも知っており、地元の漁師からも情報を仕入れていたので東南の風を吹かせることは単なる神頼みではなく根拠のあるものだったんですね。

[box04 title=”信頼ポイント”]自然現象問題を解決し、歴史的な大勝をもたらした[/box04]

赤壁の戦いを再現した「レッドクリフ」

この赤壁の戦いは三国志の中でもトップクラスの人気で「レッドクリフ」という映画にもなりました。筆者は三回見ましたが、それでもまた見たくなるほどジョン・ウー監督の演出やキャストの美しさにほれぼれする作品です。

>>>無料で「レッドクリフ」を視聴するならこちら

三国志正史によると、この赤壁の戦いのヒーローは呉軍師の周瑜なんですが、演義では劉備軍を主体に描かれているのでどうしても孔明にスポットが当たり稀代の天才軍師としてそれはそれは素敵に描かれているのです。

孔明役は金城武さんでした。

孔明は身長184cmのイケメンとして伝えられているので、この作品以外でもほとんどイケメン俳優がキャスティングされています。周瑜も半端ないイケメンで、奥様も絶世の美女だったと言われています。

ちなみに、奥様役はEXILEのAKIRAさんと結婚したリンチーリンさん。時が止まるほど美しかったです。

2020年12月公開予定の「新解釈・三国志」では、孔明役にムロツヨシさんがキャスティングされてますね。

どんな孔明になるのか、楽しみです。

あ、劉備は大泉洋さんですよ♪

https://twitter.com/new_sangokushi/status/1245880813557669888

劉備、王へ

赤壁の戦いの後も、劉備は孔明の指南に従い荊州南部の土地を獲得、ついに益州も手に入れ蜀を建国、ついに王となりました

よって、

魏の曹操

呉の孫権

蜀の劉備

の三国が誕生し、劉備と孔明が出会ったときに誓った天下三分の計がついにコンプリートしたのです!

孔明は劉備王のもとで丞相となり、国を統治。生涯にわたって劉備のサポートをして行くようになります。

劉備玄徳と諸葛孔明の関係や出会いなど!2人の絆が深い理由を考察・まとめ

孔明はうだつの上がらなかった劉備をスターにし、誰もが予想しなかった天下三分をコンプリートさせました。人を裏切ることのできない君主の性格も考慮しながら常に先を読み、心理、天文、兵法などあらゆる知識から講じた戦略は勝率9割とも言われています。

年齢も位も異なる二人が出会い、一国を築くことができた理由をまとめてみました。

  1. 劉備が三顧の礼で孔明を口説き落とすことができた
  2. 劉備の理想を、天下三分の計という具体的なビジョンにした
  3. 勝率9割という天才的な戦略で劉備軍に勝利をもたらした

この後も、さらに二人の絆は強まり数々のドラマが繰り広げられます。

三国志の見どころは他にも山ほどありますので、書籍やDVDなどをチェックしてみてください!

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