西太后(せいたいごう)といえば、悪女として有名な人物です。
中国、清朝の第九代皇帝咸豊帝(かんぽうてい)の皇后にして第十代皇帝同治帝(どうちてい)の母親ですが、夫と息子が若くして崩御すると、甥の光緒帝(こうちょてい)を即位させて、政治の実権を握りました。
西洋化の波が押し寄せる清朝末期の中国で、女性でありながら権力を握り続けた西太后には様々な黒い噂が囁かれるとともに、自然と豪快な権力者、というイメージがつきまとうようになったのです。
そんな西太后ですが、その食事も、非常に個性的だったといいます!
西太后ほどの人物が毎日どんな物を食べていたのかすごく気になりますよね。そこで今回は、西太后の食事について解説していきたいと思います!
西太后ってどんな人?波乱万丈な人生と食事の関係
甥の光緒帝に代わって権力を握った西太后。光緒帝は彼女を大変恐れており、彼女の承諾無しでは何もできませんでした。
そして、西太后は、政治的には清朝の保守派官僚の代表として、光緒帝ら革新官僚が1898年に行った変法運動(へんぽううんどう。清朝の西洋化を目指した運動)を失敗させました。
また、1900年の義和団事件では、日本やドイツなどをはじめとした8カ国に宣戦布告します。
しかし、8カ国連合軍によって首都である北京を攻撃されると、西太后は北京を脱出して西安に落ち延びてしまいました。年、光緒帝が崩御した翌日に、西太后も72歳で崩御しました。
皇帝崩御の翌日というタイミングから、西太后が光緒帝を毒殺を指示したのでは、とも言われています。そして、光緒帝の次の宣統帝溥儀(せんとうていふぎ)の時代に、清朝はその長い歴史に幕を下ろすのです。
このように西太后は清朝末期に政治の実権を握りました。
権力をにぎるも食事は健康志向?
しかし、西洋化の波が押し寄せ、ヨーロッパ諸国によって清朝の領土が侵略される中で、有効な対策を打ち出すことができませんでした。
そのため、清朝が倒れて以降、西太后の評価は最悪となり、様々な悪評がついてまわるようになったのです。その中には、事実かどうか疑わしいものさえありました。
光緒帝の毒殺も、西太后によるものという証拠はありません。そんな西太后ですが、その食事には、人間的な面が見え隠れします。歳で夫の咸豊帝を失い、歳で息子の同治帝を失った彼女は、一人で落ち目の大国、清朝の政治を担うことになりました。
そのストレスからか、40歳になると、更年期障害をはじめとして、不眠、食欲不振など、様々な体調不良に悩まされるようになります。
そうした体調不良に対抗するため、宮廷の医官によって健康に配慮した食事が多く用意されました。
たしかに、西太后の食卓には、晩年まで100品目以上の高級料理が並んだと言われています。
しかし、西太后自身が口にしたのは、医官が用意した健康食だけで、その他は全て西太后の側近や宦官に与えられたようです。
それでは、そんな西太后の健康食は一体どのような基準で選ばれていたのでしょうか?
このことを理解するためには、中国の食文化に現在も根付いているある重要な考え方があります。
そこで、次に中国の食文化における「医食同源」という考え方について解説していきます!
中国の食文化の基本!「医食同源」とは??
中国には、古くから「医食同源」という考え方がありました。
これは、健康と食事は繋がっている、つまり、健康でいるためにはまず食事を見直さなければならない、ということです。
たとえば、中国の人々は現在でも、冷たい飲み物を飲むことを嫌います。
これは、身体を冷やすことが体調に悪影響をもたらすと考えられているからです。
近年までは、冷たい野菜やフルーツも食べませんでした。
こちらは、最近だと多少食べられるようにはなっているようです。
また、辛いことで有名な四川料理ですが、これにも理由があります。四川省は、周りを山に囲まれているため、日本以上に高温多湿で、年間の降水量も多い地域です。
非常に蒸し暑いため、体の中に悪い気が滞留する、と考えられてきました。
そこで、辛い料理を食べ、汗を大量にかくことで、体の中の悪い気を外に出すことができる、と考えられるようになったのです。
これが、四川料理が辛い理由なのです。
西太后の食事がすごい!西太后が実際に食べていた料理を紹介!!
このように、中国では西洋医学が主流となった現在でも、「医食同源」の考え方が食文化の中に根付いています。
西太后の食事も、同じ考え方によって工夫されていました。
漢方薬を中心に、人間の体を内側から整えるのです。
それでは、そんな西太后が実際に食べていた料理とはどのようなものだったのでしょうか?次にそれを見ていきましょう!
菊花火鍋
「医食同源」の部分で説明したように、基本的に中国人は冷たい食べ物を嫌い、温かい食べ物を好みます。
とりわけ、女性は体を冷やしてはいけない、というのは、中国では常識でした。西太后も同様で、その食卓には季節を問わず火鍋が並びました。
近年は日本でも火鍋を食べられるお店は増えてきましたが、一年中は食べませんよね笑この菊花火鍋の特徴は、名前にもなっている通り菊の花が入っています。
菊は、中国医学の世界では気血の流れをスムーズにし、心臓などの循環器官系に効果があるとされていました。
阿膠(あきょう)
阿膠とは、生薬の一種で、ロバの皮を水で加熱して作るにかわ(ゼラチン)のことです 血液機能を高める効果があり、貧血や婦人病に効能があるとされています。
なんだかようかんにも見えますし、すずり?にも見えますね。
このまま食べるわけではないのでしょうが。。
中国では古くから用いられており、最古の薬物学書である『神農本草経』にも記載があります。西太后は皇帝の妃であり、世継ぎを産まなければならない立場上、この阿膠を若い頃からよく口にしていたようです。
非常に高価で、一般人が入手することはまず困難でした。健康食であると同時に、豊かさの象徴でもあったわけです!
北京ダッグ
健康と美容に気を使っていた西太后ですが、中華料理の王様、北京ダックも大好物でした。
食べすぎてお腹を壊した、という記録もあります。
それだけ聞くと、やはり健康よりも美食を優先していたように聞こえるかもしれません。
しかし、中国では、肉料理は性別や年齢を問わず、食卓に絶対欠かすことのできない食材でした。
中国のお正月に当たる春節には、一族集まって餃子を食べるのが一般的です。
日本の年越しそばやおせち料理のようなポジションですが、これは、餃子が肉をメインに使った料理だからです。
年末のおめでたい雰囲気の中で、一族揃ってお肉を食べるのが、中国の一般的な年越しの風景なのです。
中国ではそれほど肉料理が一般的なものだったのですから、権力者である西太后からすれば食べない方がおかしいというもの。
しかも、動物性タンパク質には筋肉の老化予防効果もあるので、本来、足腰の弱くなる高齢者ほど、肉料理を積極的に食べるべきなのです。
西太后の食事がすごい!悪女で有名な西太后は食べ方も豪快・贅沢!まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、西太后が食べていた料理の中から特に面白そうなものを中心にピックアップしましたが、健康に細心の注意を払っていた西太后は、他にも山芋や大根など、健康を意識した野菜なども多く摂っていました。
広大の中国の最高権力者としての責任とプレッシャーやそれによるストレス、そして加齢による体力の衰えなど、様々なものと日々戦い続けなければならなかった西太后にとって、食事は一時の癒やしだったのかもしれません。
そのように考えると、たしかに西太后の食事は100品目以上が並ぶ豪快なものでしたが、実は女性らしい、繊細な一面も垣間見えるのではないのでしょうか!
ではまた!
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