みなさん、こんにちは!
現在ロシアとウクライナ間はとても不穏な関係で、連日ニュースに取りあげられていますね。
そんなウクライナでは、1932年から1933年にかけてホロドモールという飢饉が起きました。
今回は、ホロドモールはなぜ起きたのかについてわかりやすく解説していきたいと思います!
ホロドモール・ソ連の地理的な苦悩
ソ連とは現在のロシアの前身ということは有名なことですね!
今や歴史の教科書にも載っている、ソビエト社会主義共和国連邦という国は、1991年12月26日に崩壊したのでつい30年前まで存在していた国なのです。
意外と最近ですよね!
ソ連はウクライナを含め、ジョージア、リトアニアなどの15の国から構成されていました。
建前上は15の共和国すべて対等の立場で連邦を組んでいることになっていましたが事実上はソ連が実効支配していました。
そんなソ連について大事なことは意外と単純で、広すぎて、寒すぎる!広すぎるが故に国境を守ることが大変なこと、寒すぎるが故に港が凍ってしまうことが長年ソ連(現在も)を悩ませてきました。
国境を守ることが大変なので、ソ連の言うことを聞いてくれて有事にロシアが戦地にならずにいられるようにしてくれる、緩衝地になってくれる国で回りを固めておきたいというのがソ連からロシアに至るまでずっと彼らの思惑なのです。
なので、ウクライナに西側諸国とセットになってもらっては困るから現在の状況が生まれているわけです。
ヨシフ・スターリンって?
スターリンという名前は聞いたことがあると思います。
実は本名ではなく、ロシア語で鉄の男という意味なのです!なぜ鉄の男と呼ばれるようになったのか簡単に触れていきましょう!
1917年、社会主義の理想に燃えるレーニンという人がロシア革命で政権を取り、1924年に死亡してから後継者としてスターリンが選ばれました。
共産党のトップになったスターリンはとんでもない独裁者でした。
おそろしあというロシアが怖いというイメージはこのスターリン時代に作られたと言っても過言ではないほどでした。
彼は極度に疑い深い性格で、例え腹心であっても敵に見えたら最後、容赦なく処刑しました。
その数は、少なくとも800万人が処刑、もしくは強制収容されたと言われています。
そしてこの鉄の男スターリンがウクライナにも悲劇をもたらします!
当時のソ連の状況
ソ連は世界初の社会主義の国でした。社会主義の国では計画経済が行われるので過剰生産が起きません。
そのため余計な競争も起きないのでライバルを蹴落とす必要もないのです。
資源を有効活用できて、さらにみんなが豊かになっていく。
そうすると戦争も犯罪も起きなくなる、というのが社会主義の理想です。その考え方のもとで、ソ連では計画経済のために企業を国有化します。
労働者は全員公務員なので失業しません。そんな経済計画の中で、当初は経済が好調でした。
企業が倒産することもない、失業することもない、とソ連は素晴らしい国だというイメージが共に、世界各地で社会主義思想が広がっていきました。
そんなソ連の動向を他の資本主義の国は警戒します。
まだできたばかりのソ連を今なら打倒できると考えた資本主義の欧米列強が軍事介入をしてきました
そのことがきっかけでソ連は周辺諸国に対して恐怖心をいだくようになります。
当然のことですね・・・。
その結果、資本主義から社会主義を守るためにソ連は色々な対策を取りました。
まだ疑心暗鬼の国民もいるであろうことから国民の思想をコントロールする為に言論統制を始めました。
こうして国民の自由がなくなっていきました。
ソビエト共産党を批判するだけで逮捕される、そんな時代になりました。
そうした政策が外国から非難され始め、さすがにまずいと思ったのか今度は批判すると逮捕ではなく精神病院に送られるようになりました。
失業も不況もなく、みんなが安心して暮らせる。そんな天国のような国なのに不満があるはずない。それを批判するということは精神病に違いないという理屈です。
そんな国を率いていた独裁者がスターリンだったのです。
ウクライナってどんな国?
ウクライナは地理的にはヨーロッパとロシアの間、黒海の北に位置しています。
黒海は凍ることのない海なのでソ連としては確保しておきたいところですね。
ウクライナはヨーロッパとロシアの間にあるせいでナポレオン時代から幾度も戦禍に巻き込まれています。
第二次世界大戦後のヤルタ会談で東ヨーロッパはソ連が、西ヨーロッパはイギリス・アメリカが占領し、いずれは民主主義の国を作っていきましょうと3か国で約束しました。
しかしソ連はそんな約束は守りません。
大戦中にドイツからひどい目にあったトラウマから、東ヨーロッパに緩衝地帯を作らないと不安でしかたないという考えで東ヨーロッパに次々とソ連寄りの国ができていきました。
その中にウクライナもあったのです。当然、ソ連国内と同様に言論・表現の自由はありませんでした。
ウクライナは地理的にソ連時代から現在に至るまで手放したくない場所なんですね。
当時のソ連とウクライナの関係
ロシア革命後の1918年、ウクライナは一度独立を宣言しました。しかし、ソ連に敗れ取り込まれます。
そしてレーニン時代から始まる社会主義のもと、ウクライナにも計画経済が敷かれるようになっていきました。
ホロドモールが起きるまで
冒頭にも少し登場しましたが、ホロドモールとは1932年から1933年にかけて起きた人為的飢饉のことです。
なぜそんなことが起きたのか本題に入っていきましょう!
コルホーズ(集団農業化)の強制
ソ連は当時、社会主義ってこんなに素晴らしいんだ!ということを広める為に重工業化を推進していました。
農業はその犠牲となった産業でした。
農産物の価格は安く設定され、農家は農産物の出し惜しみをし始めます。
スターリンはその対策として個人に農業をさせるのを辞めて集団で行うようにしました。
これが集団農業化です。
全員を集団農場に集めて働かせて、収穫したものは国家に収めさせる方法です。さらに、農業がうまくいかないのは富農がいるからだ!ということで
富農は資本家だとみなされて、農業においても社会主義を徹底させるために富農を絶滅させました。
この時900万人近くの農民が農地を追われ、半数が処刑されました。
なんと強引な・・・。
土地も家畜も没収されて集団農場で働かされる。その結果どうなったか。農民たちは仕事をしなくなったのです。
なぜか?朝から夕方まで、決められた時間働いていれば収穫量問わず、決まったお給料がもらえる。
しかも収穫したものは自分の物にはならない。当然働かなくなりますよね・・・。人間ってそんなに勤勉な生き物ではないのです。さらに農業は自然が相手です。
天気が悪い日もあれば雪の日もあり、自分の農地であればすっ飛んでいって手当するものを
集団農地だと時間外にわざわざ手当しに行く人なんていません。農地はどんどん荒れていき、生産性が悪くなっていきました。
その結果、飢饉が発生したのです。国旗が青空と小麦畑を表しているほど豊かな農地を抱えていたウクライナでさえも飢饉が発生しました。
飢饉が発生しても、ウクライナの小麦に外貨獲得を頼っていたためソ連は輸出を止めず飢饉は酷くなるばかりでした。
ウクライナの国境封鎖、国内パスポートが発行され、農奴さながらに農地に縛り付けられ自由な出入りは禁止され、さらには告発が推奨されました。
子供が親を告発すれば食べ物やメダルがもらえ、農場の中は常に中央から派遣された党員などが見張りにあたりました。
飢餓に苦しむ人々は次第に、犬や猫を食べることから始まり、ついには人間の死体を掘り起こして食べるまでになります。
そんな劣悪な環境の中では当然、病死する人もおり、そこら中に死体が転がり常に死臭が漂っていたそうです。
形ばかりの治療にあたった医師たちには飢餓という言葉が禁止されました。
本当に悲惨ですね・・・。
言葉を禁止したら何だというのでしょうね・・。ソ連は当時、飢饉の存在を否定していました。
国外から飢饉の対処をするよう要請されても、存在しない飢饉への救済は不要と一刀両断するほどでした。
ホロドモールの犠牲者数
ホロドモールによる犠牲者数は諸説あります
国連の発表によると700万人から1000万人、キエフ控訴裁判所によると1000万人でそのうち直接的に餓死したのは390万人、610万人は出生不足での死亡とのことでした。
いずれにせよ、700~1000万人ほどの人々がこの飢饉によって命を落としたのでした。
ウクライナ内での議論・ホロドモールは虐殺?
犠牲者数は諸説あるかたわら、ジェノサイド目的だったのかについても現在も議論が続いています。
ウクライナのユシチェンコ大統領はウクライナ人に対する大量虐殺だったとして国際的な同意を求めました。
しかし、ロシア人も飢餓に苦しんでおり、ウクライナ国内だけにとどまらないことからジェノサイドを否定する考えもあります。
2007年、ウクライナではホロドモールを否定することに対する刑事罰の法案を提出する議案がありました。
しかし2010年には親ロシア派のヤヌーコヴィチ大統領は飢饉が起きたことは事実としてスターリンの失策と認めつつジェノサイドとしては否定する考えを表しました。
ホロドモールはこのように、ウクライナ・ロシア間で大きく爪痕を残すこととなりました。
ホロドモールはなぜ起こったのか?わかりやすく解説!まとめ
ソ連・ウクライナについてご理解いただけたでしょうか?
ソ連の社会主義の追求・資本主義国家への恐怖・集団農業化・外貨獲得の為のウクライナの小麦依存これらの要因が積もり積もって起きた悲劇でした。
現在も緊迫した空気が続いていますが、現状も歴史の一部です。突然起きたことではなく歴史が作ってきたストーリーの続きです。
歴史を知ることによって今なにが起きているのか、なぜそうなったのかより深く理解できるかと思います!!
ではまたお会いしましょう!
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【参考文献】
池上彰の世界の見方 ロシア / 池上彰
池上彰のそこが知りたい! ロシア / 池上彰
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