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スターリンの側近!ラヴレンチー・パーヴロヴィチ・ベリヤとは?核爆弾の発展はこの人のせい?

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目次

核兵器製造責任者になったベリヤ

スターリン時代から始まる冷戦期において、国際競争の中で大量の核兵器が製造されます。

ソ連が核兵器製造を行なった一番初め、その製造の責任者となったのもベリヤです。

どんなことが行われていたのでしょうか。

冷戦下における西欧諸国との核兵器開発競争

第二次世界大戦を経た世界はアメリカを中心とした資本主義陣営と、ソ連を中心とした共産主義、社会主義陣営の2つに二分されました。

お互いに武器を持って戦い合わないものの、お互いを仮想敵とした軍事訓練、開発が進んだのがこの時代です。

特に核兵器開発、生産においてこの時代は顕著な成長を見せたと言えます。

第二次世界大戦末期、アメリカは日本の広島、長崎に対し、原子爆弾を投下しました。

その被害、そして威力は言うまでもありません。

このアメリカにおける核兵器開発を先導したのは、第二次世界大戦中、ドイツからの迫害からアメリカに逃れたユダヤ人でした。

その中心にいたのが相対性理論で有名なアインシュタインです。

ナチスドイツによる核兵器開発を恐れたアインシュタインが、原子爆弾開発計画をアメリカにスタートさせるきっかけを作ったとされています。

実際に日本に落とされた新型兵器、原子爆弾は世界にインパクトを与えました。

そこで「核による抑止」を目標に各国、特にアメリカそしてソ連は核兵器開発を急いだというわけです。

その開発競争は1963年の部分的核実験停止条約(PTBT)が成立するまで続きます。

これにより、大気圏内外、水中における核実験が禁止されました。

つまり、地中以外では核を実験であっても使用してはいけないとしたのです。

そこから現在に至るまで、アメリカ、ロシアまたその他の国々は核兵器を保有し続けています。

全ての始まりは第二次世界大戦。

そして冷戦時代だったのです。

ソ連において、核兵器開発を担ったのはソ連副首相マレンコフ、計画経済人民委員長ヴォズネセンスキー、兵器人民委員長ヴァンニコフ、科学産業人民委員長ペルブーヒン、NKVD中将ザベニヤギン、科学アカデミー会員クルチャトフ、カピッツァ、NKVDエンジニアリング少将マフニエフ。

これらを統括するリーダーとして据えられたのがベリヤだったというわけです。

ウラン採掘

ソ連における核兵器開発の課題は2点ありました。

1点目は科学技術者の少なさ。

アメリカがユダヤ人の天才科学者たちをそろって押さえてしまっていたがために、ソ連にはいわゆる天才と言われる科学者が少なかったのです。

これに関してはアメリカの核兵器開発チームの中にいたクラウス・フックスが実は共産主義者であり、スパイの役割を果たしたこと。

さらに、ベリヤにとってソ連内にいる科学技術者を集めることは簡単であったので問題は解決されます。

甘い言葉と贅沢品、そして召集に応じなかった場合は「家族諸共グーラク行き」だと命じることはNKVD長官のベリヤの得意分野。

このやり方で必要な技術者が集められました。

2点目の問題は核兵器の材料となる「ウラン」の在庫をソ連が持っていなかったことです。

この問題についてはザベニヤギンによる

「国内では中央アジアとウラル山脈および極東にウランが眠っている。具体的にはタジキスタンのタボシャ、ウズベキスタンのフェルガナ峡谷、ウラル山脈中央部チャリャビンスク。極東ではダルストロイ管区コルイマ川流域が有力筋。」

という提言で解決されました。

この提言に対し、ベリヤは2万人の囚人を動員します。グーラクに収容された囚人を利用したのです。

核兵器の危険性、またその材料となるウラン自体の危険性についてあまりわかっていない中ウランの探索および、製造が囚人たちによってなされました。

このウラン採掘、そして生成の過程で深刻な汚染や、人体と国動員された囚人への被害が及んだとされます。

しかし、その詳細はわかっていません。

言えることは、多大な犠牲のもと核兵器開発が進んだということです。

核兵器の完成

1949年、カザフスタン東北部セミパラチンスク市の彼方にある大草原にて原爆実験が執り行われました。

モスクワからは3000キロ、中国新疆ウイグル自治区から500キロの場所です。

この演習地に鉄筋コンクリート10階建ビル、煉瓦造り3階建集合住宅、木造一軒家、地下鉄駅などを建設。

羊、ヤギ、犬といった動物約2000頭を配置し模擬的な街を作り上げました。

この演習場にて、1949年8月29日、ソ連最初の核兵器РДС-1(エル・デー・エス・アジン)が完成、核実験成功となったのです。

クルチャトフはこの成功を見て「祖国は自力でやった!」と叫んだのだとか。

この台詞からソ連の原爆には全て「РДС」が付けられるようになったそうです。

こうして、ベリヤが統括したチームはソ連に核兵器をもたらし、現在まで核兵器保有は続いているのです。

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スターリンの側近!ラヴレンチー・パーヴロヴィッチ・ベリヤとは?核爆弾の発展はこの人のせい?まとめ

スターリンの独裁政権を支えたベリヤ。

その恐怖の時代の命令をしたのはスターリンであったとしても、忠実に実行に移していったのはベリヤ自身です。

歴史の教科書に名前が大きく載らずとも、スターリンの時代を支えた人物がいたことを忘れてはいけないのかもしれませんね。

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【参考文献】
『スターリンの原爆開発と戦後世界 ベルリン封鎖と朝鮮戦争の真実』本田巍耀、芙蓉書房出版
『スターリン 独裁者の新たなる伝記』オレーク・V・フレヴニューク
https://jp.rbth.com/history/83268-stalin-jidai-saikyo-keiri
https://rekisitravel.com/nkvdwhat/
https://square.umin.ac.jp/~massie-tmd/stalin_stroke.html
https://yopioid.com/2021/05/11/nkvdとはkgbの前身の秘密警察/
https://tocana.jp/2017/12/post_15305_entry.html
https://tocana.jp/2017/12/post_15317_entry.html
https://www2.jiia.or.jp/RESR/column_page.php?id=146

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