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世宗って何をした人?ハングル文字の起源・世宗の生涯をわかりやすく解説!

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皆さん、こんにちは!

今、皆さんが読んでいるこの文字、誰が作ったか分かりますか?

文字って長い時間をかけて発達したもので「誰が」って言うのは、難しいですよね。

ですが、世界には作った人が明確になっている文字がいくつか存在します。韓国のハングル文字もその1つです!

そして、作った人は李氏朝鮮の王、世宗(せじょん)。

世宗は他にも様々な功績を残し、韓国のお札にも描かれているのです。

今回は、世宗について解説していきたいと思います!

文字を作った王~世宗~

文字を作る。。。あなたはなぜ文字が必要とされたのかその理由がわかりますか?

実は当時の韓国では、文字は貴族だけのものでした。一般庶民は、文字を学ぶ機会がなく、自分たちの考えを書き記す手段を持っていなかったのです。

話すことはできても、言いたいこと、伝えたいことを書いて広めたり、残すことができない。

それはつらいですよね?

そこで登場したのが世宗です。

世宗はそんな民衆を不憫に思い、人々のために文字を作りました。

それがハングル文字です!

韓国で最も愛されている王

現在の韓国では、日常的に誰もがハングル文字を使っています。

世宗はハングル文字を作った他にも、農業改革や科学技術の発展に貢献して、民衆の生活向上に取り組みました。

彼の在位中には大きな犯罪が起きることもなかったと言われているくらいなのです!

そんな世宗は人々にとても愛されています。

韓国の1万ウォン札には世宗が描かれており、韓国の代表的な観光地「景福宮」の前には、世宗の大きな銅像があります。

人々は尊敬をこめて世宗を「世宗大王」と呼んでいます。

文字をもたない民衆たち~ハングル文字の誕生~

世宗が李氏朝鮮の第4代国王の座についたのは、1419年。日本では室町時代のことです。

中国に大きな影響を受けていた李氏朝鮮では、漢字が唯一の文字でした。

しかし、漢字を学ぶことができるのは貴族階級などごく一部の支配層のみ。一般庶民は漢字を読むことも書くこともできなかったのです。

そこで、世宗は学者を集め、あらゆる文字を研究しました。そして、庶民にも分かりやすい独自の文字として、ハングル文字を作り、1446年10月9日に公布したのです。

ハングル文字は、1つの文字が1つの発音を表す「表音文字」と言われる文字です。日本語で言うと、ひらがな、カタカナに相当しますね。

このハングル文字により、民衆は話し言葉を文字として書き表すことができるようになったのです!

ちなみに、ハンとは「偉大」、クルは「文字」という意味。つまり、ハングルは「偉大な文字」という意味なのです。

ハングルの成り立ちや原理を記した解説書「訓民正音」は、文字開発の記録書として「ユネスコ世界記録文化遺産」に登録されていますよ。

その後、ハングルはどうなった?

さて、民衆のためのハングル文字は、すぐに韓国に根付いたのでしょうか?

実は決して、そうではないのです。

世宗によってハングル文字が公布されても、貴族階級は漢字を使うことをやめず、ハングルを低俗な文字として軽視しました。

正式な文字として認められたのは1894年。

当時の国王の命令でようやくハングルが国字化されました。ハングル広布から約450年後のことです!

さらに時は流れ1970年、大統領令により「ハングルの日」が制定されました。

ハングルの日(109日)は世宗の功績を称え、ハングルの普及や研究を奨励する日と定められています。

世宗の生涯

実は、世宗は長男ではなく三男として生まれました。

本来であれば長男が王位を継ぐところですが、父王に聡明さを愛され、国王の座を譲られたのです。

そして、ハングル文字の開発をはじめ、農業改革、科学技術の発展など様々な功績を残し、現在でも人々の尊敬を集めています。

非の打ちどころのないような世宗ですが、自身の後継ぎ問題では失敗してしまうのです。。。

王になった三男坊

世宗には兄が2人おり、当初、王太子とされていたのは長男でした。

ですが、長男は奔放な性格で色々な問題を起こし、王太子の位をはく奪されてしまいました。

それでは、次男が王太子になるのかと思いきや、次男は出家して仏門に入ってしまったのです。

こうして三男の世宗が王太子の座につくことになりました。

長男は奔放な性格の問題児とされていますが、実は、父王が世宗に王位を継がせたがっていることを察し、わざと王太子の位をはく奪されるような行動を取ったとの説もあります。

また、次男も長男の気持ちを察して、同じような行動をとったとも言われています。

真実はどちらなのでしょうね!?

いずれにしても、世宗が国王となっても、世宗と兄2人との関係は良好だったそうですよ。

しかし、なぜ父王は世宗に王位を譲ろうとしたのでしょうか?

それは世宗の聡明さ、勤勉さ、慈愛の心を見て後を任せたかったのでは、と言われています。

実は父王も長男ではありませんでした。

王位に遠い6番目の王子として生れたのです。

本来であれば王位を継ぐことは難しい立場ですが、彼は兄弟を殺して王位についてしまいました。

武力で王位を奪った自分の後は、世宗に平和に国を治めてほしかったのかもしれませんね。

ハングルだけじゃない!世宗の功績

国王となった世宗は、集賢殿と呼ばれる学問研究所を設置して、全国から優れた人材を積極的に採用しました。

身分に関係なく、たとえ奴隷階級であっても優秀であれば採用し、さらには中国に留学させたりもしたそうです。

ハングル文字の開発も集賢殿の学者たちの協力あってのことですよ。

とはいえ、学者たちの成果はハングル文字だけではありません。

世宗の命令で、天文観測器、日時計、水時計や雨量を図る測雨器が製作され、科学技術が発展しました。

また、金属活字も改良され、それまでより簡単に、本を出版することができるようになったのです。

出版された実用書としては、農業技術の改良に貢献した農書や、国内の薬材を集めた医学書があります。

こうした実用書は、人々の生活向上に役立つこととなりました。

世宗は民衆のための施策を積極的に推進したのですね!

何結構素晴らしい人じゃないの!

世宗の外交手腕

内政においては、民衆のために数々の施策を推進した世宗ですが、外交手腕はどうだったのでしょうか?

おもしろいエピソードが、1つあります。

当時の李氏朝鮮は、政治的、文化的に中国から多大な影響を受けており、中国に貢ぎ物を送っていました。

ある時、中国が貢ぎ物として莫大な金銀と馬を要求してきたそうです。

ですが、国の富を守るためには、そのような要求に応えるわけにはいきません。

では、どうしたのでしょうか?

実は、高麗人参が鍵となります。

皆さんは高麗人参をご存じでしょうか?

高麗人参は2000年前の中国の文献にも紹介されている貴重な漢方の薬です。朝鮮人参とも呼ばれ、現在でも高価で取引されていますね。

そして韓国は高麗人参の一大産地なのです!

世宗は家臣に、中国の身分の高い人々に密かに接触させ、高麗人参がいかに薬として効き目があるか、そしてどれだけ入手しにくいかなど、その貴重さを宣伝したのです。

それにより、貢ぎ物を金銀や馬から高麗人参に変えさせてしまったそうですよ!

お金ではなく、自分たちが持っているもので解決するとは、素晴らしい機転ですね!

たった1つの大きな失敗

ハングル文字を開発し、農業を改革して、さまざまな科学技術を発展させた世宗。人々に愛され、尊敬をこめて「世宗大王」とも呼ばれる国王ですが、彼に失敗はなかったのでしょうか?

実はたった1つ、大きな失敗があるのです。

それは、後継ぎ問題です。

世宗の長男は、病弱で気が弱い人物で国王には不向きでした。それにも関わらず、世宗は王位を長男に譲ってしまったのです!

一方、世宗の次男は野心に満ちた人物でした。王位を奪う機会を待っていたのでしょう。

病弱な兄王が亡くなり、次男にとっては甥にあたる兄王の子が王位につくと、反乱を起こしました。

そして、甥や兄弟、重臣たちを殺害して、王位を奪ってしまったのです!

世宗にとって、自分の息子や孫が骨肉の争いを繰り広げることなど、思いもよらぬことだったでしょう。

世宗の父王は、三男とはいえ国王の資質を備えていた世宗に王位を譲りました。

世宗も同じことができていれば、このような争いは起きずにすんだかもしれませんね。。。

後でお話ししますが、なにしろ、世宗には息子がたくさんいたのですから。

世宗の人柄

世宗といえば、その人柄を言い表すキーワードとして、勤勉、慈愛、威厳、質素倹約がよく挙げられます。

ハングル文字の開発を始めとする数々の功績だけでなく、こうした人柄が人々に愛されている理由かもしれませんね。

それぞれ具体的なエピソードをご紹介します。

世宗の勤勉さ本の虫!

まだ世宗が10代で王太子の頃、健康を害して、数か月間病床に伏していたことがありました。

ですが、病で寝込んでいるにも関わらず、決して書物を手放そうとしなかったそうです。

世宗の健康を心配した父王は、全ての書物を隠すよう命じました。

ところが、世宗は屏風の間に書物が1冊だけ残っているのを発見し、これを数百回も読んだそうです。

また、重要な書物は百回ずつ読んで、その意味を完全に理解する努力をしていたそうですよ!

「自分が、手に書物を持たず暇を持て余すようなことはありえない」

と語っていたとも言われています。

大変な努力家だったのですね!

こんな学問好きな王であったからこそ、文字を作ることを思いつき、そして、それを実現できたのでしょう。

世宗の慈愛と威厳、倹約の精神

文字を持たない一般庶民を不憫に思い、ハングル文字を開発したということで、すでに世宗の慈愛の心がよく分かると思います。

ですが、他にもエピソードはありますよ。

世宗は一種の糖尿病でつねに苦しんでいたそうです。

ある臣下が「その病気には、白と黄色の鶏、そして羊肉が効くので、毎日、献上いたしましょう」と進言しました。

ですが、世宗は「羊肉はわが国にはないものであるし、私の病気を治すために動物の生命を奪ってはならない」と答え、臣下の申し出をきっぱりと断ったそうです。

動物と思う慈愛の心と、それと同時に贅沢を禁じる倹約の心が分かりますね!

また、世宗は亡くなる二日前に一大赦免令を出しました。謀反やひどい犯罪以外をすべて赦すというものです。

死に際して、赦免令をだすことは異例なことなのです。

民衆に対する心遣いがなせる措置ではないでしょうか?

ここにも慈愛の心を見ることができますね!

一方で、世宗は別の重要な措置を下しました。

実は、世宗の甥は、傍若無人にふるまい、殺人まで犯した問題人物でした。

そして世宗は自分が亡くなる前に、この甥を厳しく処罰したのです!

世宗の甥となれば王族です。ですが、王族といえども厳しく罰を与えたのは、世宗の威厳を示しているといえるでしょう。

実はとっても子だくさん!

さて、実は世宗はとても子だくさんでした。

子供は何人くらい、いたと思いますか?

なんと、男子18人、女子4人の合計22人です!

王様ですので、皇后の他にも奥さんは何人かいたのですが、これは驚きの人数ですよね!

李氏朝鮮には27人の国王がいましたが、世宗はその中で2番目の子だくさんなのです。

王子が18人もいれば、国王にふさわしい人物はいたかもしれません。

長男ではなく、王にふさわしい王子に王位を譲ることができていれば、先ほどご紹介した世宗の次男の反乱も起きなかったかもしれませんね。

世宗って何をした人?その生涯をわかりやすく解説 まとめ

ハングル文字を開発したことで有名な李氏朝鮮の第4代国王、世宗。

彼の最も大きな功績はハングル文字の開発とされていますが、他にも農業改革、科学技術や印刷技術の発展とそれに伴う農書や医学書などの実用書の出版があげられます。

そして、その背景には身分を問わずに優秀な人材を採用し、さらには中国への留学など教育を得る機会を与えたことがあるのです。

こうした民衆のための施策を積極的に推進したため、彼の治世は李氏朝鮮の中で最も安定していたと言われています。

また、その人柄は、勤勉、慈愛、威厳、質素倹約で言い表され、今もなお、人々から尊敬をこめて「世宗大王」と呼ばれているのです。

そんな世宗の姿は韓国の1万ウォン札や、韓国の代表的な観光地「景福宮」にある銅像で見ることができますよ!

参考文献:『人物 朝鮮の歴史』 著:李離和 明石書店 

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