アジア歴史

光州事件をわかりやすく解説!世界中で軍事政権が国民を弾圧していた・・・

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みなさん「光州事件」はご存知でしょうか?

今から約40年前の1980年。韓国の全羅南道の道庁所在地だった光州市で市民の小さなデモ活動が大きな暴動へと発展しました。

その当時の韓国政権に対する不満が大きくなり、民衆のデモがエスカレートし軍部に弾圧されるという事件。。

今の韓国からは想像できないほど、物騒な事件が起こったのです。デモ活動とその鎮圧が発端で多くの市民が犠牲になったというと、現在の香港やミャンマーの情勢を思い起こされますね。

当時の韓国がどのような経緯でこのような暴動がおこるまでに至ったのか、またその後どのようにして今の韓国があるのか、詳しく学んで韓国という国をもっと理解しましょう!

光州事件が起きるまで

 

まずは光州事件が起きる前の韓国がどのような状況であったのか見ていきましょう。日本ではおなじみの朴槿恵さんのお父さんの政権なども絡んできて興味深いですよ!

今とはだいぶ違う韓国の政治や統治体制にびっくりしますよ!

当時の韓国の政治情勢

 

第二次世界大戦後、アメリカとソ連という二つの大国が競い合い対立していた時期を冷戦と呼びます。

その代理戦争として起こったのが朝鮮戦争です。

この戦争で南北に分かれて戦争に巻き込まれた朝鮮半島は、今でも北朝鮮と韓国に分かれてしまっています。

その南側を今では韓国と呼びますが、この戦争の後に急速に経済発展していきます。

当時、李承晩という大統領がアメリカの支援を受けて、経済復興を目指していました。しかし、その李承晩の政権を、朴正煕という軍部の将軍がクーデターを起こして、その韓国を乗っ取ってしまいます。

ちなみにこの方は、後に女性大統領となる朴槿恵(パククネ)のお父さんにあたります。

このクーデターから約20年後に光州事件が発生します。

朴正煕政権とは?

クーデターという武力的な手段で政権に就いた朴正煕ですが、その後長にわたって大統領の地位につきます。

今から考えると意外に思うかもしれませんがこの時代のアジアは、結構、軍事独裁的な政権が多かったのです。

当時の発展途上国では、ある程度の強硬な権力を持った政権が経済発展のために多少無理をしてもどんどんと国家を強くしていくという傾向があったんです。

朴正煕政権もその一つであり、韓国は奇跡的な経済発展を進めていきます。アメリカの支援も受けて、重化学工業や自動車産業を発展させていき、だんだんと韓国は産業を成長させていきます。

国の経済が発展すると、一般の市民も徐々にお金を持つようになり裕福になっていき中流階級が増えていきます。

すると一般市民は経済的に政治的にも自由を求めるようになり、軍事政権であった朴正煕政権に対して反対していくようになります。

朴正煕は軍事政権ですので、そのような韓国市民の民主化デモなどに対して、武力で威嚇したり鎮圧しようとします。そのようにして韓国国内は軍事政権と一般市民の間で軋轢が生まれていき国内情勢は不安定になっていったのです。

全羅道光州市という地域が光州事件と関係していた!

次に光州事件の舞台となった、全羅道光州市とはどのようなエリアであったのか見ていきましょう。

朝鮮半島の行政区分は全部で8つに分かれており、「道」という単位によって構成されています。

アメリカの「州」や日本の「県」のようなものですね。全羅道はその中で朝鮮半島の南東部に位置する道です。その全羅道の中心都市が光州市でした。

韓国は昔、日本の戦国時代や中国の三国志の時代のように、国内で色々な国が分かれて争っていました。

その中の高麗という国が統一をして、現在の韓国の礎となっているのですが、その時に最後まで高麗に抵抗をしていたのが百済という国で、百済があった地域が今の全羅道だったのです。

そのため、全羅道の地域は韓国に抵抗する者が多いという意識が残り、韓国の政治には反逆者である全羅同出身者は関与させないという差別意識が生まれてしまいました。

また光州市は古くから学問や芸術が発達しており、韓国の中でも伝統的な教育都市と言われています。

そのため、後に学生運動が高まりやすい地であったといえます。

そんな、全羅同光州市で生まれた有名な政治家が、金大中です。この方は、朴正煕政権への反対活動を導き、後に韓国大統領にまで上り詰めます。

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光州事件の経緯

全羅同光州市で発生した光州事件は、その後の韓国の政治の流れを変えていく一因となった衝撃的な出来事でした。

その内容は、今からは考えられないほど混沌としていましたが、どのようなことが起こったのか見ていきましょう。

光州事件の始まり

上述した朴正煕政権は軍事的な独裁体制を継続し、韓国の一般市民と次第に対立するようになっていきました。

民主化を求めるデモが全国で起こっていたさなか、1979年10月26日、朴正煕が側近の大韓民国中央情報部(KCIA)部長金載圭によって暗殺されるという事件が発生します。

この金載圭は朴正煕の古くからの友人だったそうなのですが、彼が指揮する学生運動の弾圧活動が生ぬるい!と言われて、しばしば怒られていたそうです。

そしてある日その責任を取らされて出世争いから脱落させられ、そのために朴正煕に対して恨みを持っていた、と言われています。

こうして、18年間続いた朴正煕政権は幕を下ろしました。

クーデターと光州市民の衝突

朴正煕が暗殺された後、韓国情勢はさらに混迷を深めていきます。

韓国の中枢機関であったKCIAから暗殺犯が出てしまったことで、韓国当局としての影響力を失ってしまいました。

一方で当時、民主化活動はさらに勢いを増しており、その活動は「ソウルの春」と呼ばれていました。

当時の韓国軍の実力者であった、全斗煥という将軍はその状況に危機感を持ち、クーデターを起こし政権を乗っ取ってしまいます。

軍隊出身の全斗煥は民主化デモに対して、さらに強硬な対応を取り弾圧することとなり、憲兵組織と情報機関を基盤に独裁を強化していき国民の自由は奪われていきました。

対して民主化デモは武力で政権を乗っ取った全斗煥に対して反発を強め、更に民主活動を強めていきます。

民衆と軍部の対立はさらに激化!

お互いに譲り合う気配はなく、対立は激化。

全斗煥は韓国全土に戒厳令を布告し、野党の有力な政治家であった金大中、軍部につながりのある金鍾泌などを逮捕し反対する勢力を弱体化させようと企てます。

上述したように、金大中は全羅南道出身であったため、光州市民から強く支持されていました。

そのため、この金大中の逮捕がきっかけとなり、さらに光州市の市民や学生から強く反発をされてしまいます。

そうして、1980年5月18日、光州市で韓国軍と学生・市民の衝突が始まります。韓国軍は大学などを封鎖しており、市民たちは市内各所にバリケードをつくって軍に対抗していました。

そんな緊張状態の中で、とうとう軍が銃撃を始めると、市民たちも武器を持ち出し、双方での戦闘が始まってしまいました。

光州事件の収束

 

全斗煥は軍隊をさらに投入してデモ活動をする市民を暴徒であるとしてその鎮圧を図り、学生・市民の抵抗よる銃撃戦は激しさを増しました。

韓国軍は撤退や再攻撃を繰り返しながら、光州市を完全に封鎖しようやく制圧しました。

この光州事件の発生時にはデモ参加者は学生ら約600人ほどでした。

しかし軍隊による一般市民への暴力に激怒した市民が加わりどんどんと増えていったのです。

韓国軍が一般市民に対して暴力で弾圧している写真を見ていると、いま世界で起こっている香港やミャンマーのデモを見ているような気になります。

一般市民を棒でたたいて流血させたり、武器を持った軍隊の列がデモ隊を威嚇していたり、いまテレビの中で起こっているような惨状が光州事件でも起こっていたのです。

またこのデモの混乱を図るため光州市内の電線を切るなどの措置もされました。現在、デモ活動への対応措置として、インターネットを遮断したりするようなこととも似ている気がします。

最終的に、鎮圧されるまでの間に全羅南道全体でこの暴動へ参加者は最大20万人に達し、鎮圧にあたった韓国軍は2万5千人にとなりました。そして、死者は154人、行方不明者70人、負傷者1628人に上ったといわれています。

 光州事件・その後の韓国はどうなったの?

このような悲惨な光州事件が発生した後の韓国が、どのように今のような姿となっていったのでしょうか?

その後の経緯をみていきましょう。

全斗煥政権の終焉

光州事件を武力によって鎮圧した全斗煥政権ですが、その後、彼の政権を引き継いだ盧泰愚も含めて、13年にわたって軍人出身の大統領による独裁的な政権は続きました。

この間、韓国国内では光州事件は「内乱」というように言われていました。

デモを起こした学生や国民は国家を転覆しようとした犯罪者烙印を押されてしまいました。

いつしか、このデモは軍部によって封じ込められ民衆の声も届かないままこの事件はわすれられていったのです。

韓国の軍事政権はその権力の足元を固めるために、強力な情報統制を行い、光州事件の真相を隠そうとしたのです。

しかし、ソウルや光州で起きた民衆デモをきっかけとして、韓国はとうとう軍事政権から文民政権へ移管します。

当時、ソウルオリンピックが控えていた韓国軍事政権は、国際社会からの批判を避けるため大規模なデモ活動を抑えたいと考えていました。

オリンピックを成功させるために、大統領をきちんと国民による選挙で選び、今まで逮捕していた金大中ら反体制活動家を釈放して復権をさせ、国際社会からの評価を得ないといけなかったのです。

一方で、民衆の中ではこの光州事件はしっかりと語り継がれていき、後に全斗煥は自身が起こしたクーデターや光州事件の罪を問われ死刑判決を受け渡されてしまします。

民主化する韓国

全斗煥や盧泰愚による軍事政権から、金大中を始めとした民主化活動の政治家により政権移管がされた後に、韓国は急速に民主化していき経済的にも発展していきます。

光州市はこの民主化運動の聖地となり、光州市内には5・18記念墓地や、5・18記念公園など数々の施設や記念碑がつくられ、韓国の民主化を象徴する土地となります。

ちなみに、2017年に成立した今の大統領の文在寅は、自らの政権を光州事件の延長線上に成立した政権としてアピールしているようですね。

光州事件をテーマにした作品

このように、韓国にとって光州事件はとても大きな出来事であり、光州事件や民主活動をテーマにした作品は韓国では多く出されているようです。

2017年『タクシー運転手 約束は海を越えて』、2007年『光州5.18』、2018『1987、ある闘いの真実』など、映画で楽しみながら学べると思うので是非見てみてください。

光州事件をわかりやすく解説わかりやすく解説 まとめ

以上のように光州事件を時系列に沿ってみていきました。

今の韓国からは想像できないほど、当時の韓国は軍事政権の力が強く圧制が敷かれていました。

それに対して長年にわたる民主化運動の末に、今のような自由な韓国が存在することを改めて認識することができました。

また、いま世界で起こっている香港やミャンマーなどのデモ活動に対する武力的な対応について、何十年前と同じことが起こっていることに改めて危機感を覚えてしまいます。

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【参考文献】

https://rinto.life/139771
https://www.huffingtonpost.jp
https://www.huffingtonpost.jp

光州事件で読む現代韓国 / 平凡社

光州 五月の記憶 / 社会評論社

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