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李氏朝鮮時代の生活とは?その時の日本はどんな時代?韓国の両班と日本の武士の違いがやばい!

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かつて朝鮮半島には同時期に34つの国に分断されるなど、たくさんの国が興っては争い、消えて行きました。

そんな中1392年から1897年までの500年余りの長い間続いた王朝がありました。

李氏王家により治められたその国を李氏朝鮮と呼んでいます。

李氏朝鮮は朝鮮半島最後の統一国家なのですが、人々はいったいどのような生活をしたのか、またどんな国だったのか気になりますよね!今日は、李氏朝鮮の時代と同時にその時日本はどんな時代だったのかをみていきたいと思います!

李氏朝鮮時代の厳しい身分制度、良民と賎民

李氏朝鮮時代、人々には厳しい身分制度がありました。

中国の制度を基にしていて、まず大きく分けて良民と賎民に分けられます。

当時、朝廷で役職に就くためには、科挙という試験を受ける必要がありました。子どもの頃から必死に勉強してやっと受かるかどうかというほど難しいその科挙を受けられる資格があるのが良民です。

賎民は朝廷での役職に就くことも、科挙を受けることもできません。良民に仕える人たちで、いわゆる「奴隷」と言えばわかりやすいと思います。良民と賎民の中でさらに細かく分類されます。

まずは良民から見てみましょう。

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目次

李氏朝鮮時代の厳しい身分制度、良民のトップ「両班」の驚きの実態

良民は全部でさらに両班(ヤンバン)・中人(チュンイン)・常人の3つに分けることができます。

両班は良民の身分制度の中でトップです。主に朝廷で高い役職につき国の政を行う人たちで、いわゆる貴族ですね。

両班は様々な特権を持っていて、まず納税や軍役が免除されています。

そしてなんと自分自身が科挙に受からなくても、祖先に科挙合格者がいれば両班でいられる特権がありました。

そのため、3年に1度の科挙の試験のたびに両班が増えていきました。李氏朝鮮初期、両班は人口の3%程度だったのが、末期になると50%以上を占めるまで増えていくのです。

納税しない人たちが人口の半分以上いるとは驚きですよね。

そんな両班たちが全員役職につけるわけではありません。

なので、両班同士で奪いあったり蹴落としたり、賄賂で役職を手に入れたりで横領が増えたり、だんだんと腐敗して行きました。いくつも派閥が生まれては潰し合い、また新しい派閥ができるといった具合で、とにかくずっと血生臭く争っていたのですね!

両班の驚くべき特権とは?

そして両班にはもっと驚くべき特権があったのです。

両班はなんと、良民の最下層である常人に対し、道を譲らせ、宿で鉢合わせた際には部屋を譲らせ、さらに常人の家や衣服に対しお金を払わずに奪ってもいいとされていたのです。

李氏朝鮮末期に朝鮮を訪れたマリ・ニコル・アントン・ダブリュイはその著書『朝鮮事情』で、「朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」と記しています。

傍若無人ぶりがすごい両班の権利!

両班は無実の罪で常人を捕え、釈放のための賄賂を受け取ったり、または常人から「借りる」体裁を取りながら実際には返さずに奪い取ったり、常人から田畑をお金を払わず奪ったり、なんとも無茶苦茶な特権があったのです。

認められた特権なので、それを咎める制度もありません。

同じく李氏朝鮮末期に訪れたイザベラ・バードは両班のことを、「搾取と暴政を欲しいままにし」て、下の人間の血を吸い付くす「吸血鬼」であると、著書『朝鮮紀行』で述べています。

王様ですら両班を完全に掌握し切れず、どんなに民にいい政策でも、両班の反対に合えば実行することができません。下手したら王を退位させられてしまうことも。

恐るべし、両班ですね・・・!

李氏朝鮮時代の厳しい身分制度、中人と常人とはどんな人たち?

中人は、医術や通訳などの特殊な技術に秀でた人たちで、律科という試験を受けて中人という身分になりました。

良民のトップ身分である両班の庶子、いわゆる正妻の子ではない場合もこの身分になります。中人は科挙を受けることができますが、両班と同じ高い役職にはなれないよう制限されていました。

李氏朝鮮時代・人口のほとんどが常人だった

常人は、いわゆる一般庶民です。

農民や商人、職人などのことで、人口の大半は常人でした。

農民・商人・職人の中でも上下があって、農民がトップで商人や職人はあまりいい仕事だとは思われず蔑まれていました。

「労働」や「商い」そのものが卑しい身分の者がするものという認識があって、両班の常人への横暴もその考え方が根底にあります。

常人も良民なので科挙を受けることは可能です。

でも、幼い頃から難しい学問をしっかりきちんと教育を受けなければ到底合格することができないので、常人にはその時間とお金をかけるのは難しかったようです。

ひとくくりに良民と言っても、両班とその他ではかなり大きな隔たりがありますね。

李氏朝鮮と同時代の日本の身分制度とは?

李氏朝鮮の時代、日本は室町から江戸時代に当たります。国のトップは天皇ですが、実際の政は将軍を筆頭とした武家が行なっていました。

おそらく、朝鮮の両班に当たる身分は武士になるのでしょうか・・・武士以外の百姓や町民たちより偉い身分で、例え役職についていなくてもある程度の給料が貰えたりしていました。

しかし横暴もできちゃう特権階級ではありましたが、少なくとも悪いことはバレたら刑罰がありましたので、横暴が認められていたわけではありません!!

そこはなんとなく両班とは違うようですね。

日本では商人の力が武士より強くなっていった!

室町時代あたりからは商人の力が強まっていて、建前上武士の方が身分は上でも、大商人の経済力に頭があがらない武士が出てくるなど、身分制度は実質崩壊していました。

武士はお金儲けは卑しいことと教育されていますからね。

江戸時代には、経済力をつけた農民(豪農)が出てきて、貧乏大名が豪農にお金を借りてなんとかやりくりする、なんてこともありました。

大名ともなると、家臣を養わなければいけませんし、参勤交代の行列の人数や持参する物など色々とルールがあって、お金がとにかくかかりました。

お金がないのに見栄と体面を保つために質を落とすことができないという結構きつい生活の武家がたくさんいたようです。

実はあんまり良いとはいえない武士の身分

江戸時代、武士は人口のたった7%で、80%以上が農民や漁民などの百姓でした。武士の身分をお金で買うこともできましたが、両班のような特権もないですしあまり旨味がないので、武士人口が大きく増えることはありませんでした。

ちなみに、「斬り捨て御免」と武士が町人を勝手に斬り捨てても罪に問われない、なんてイメージがあるかも知れませんが、よくよくの理由がなければもちろんやってはいけないことで、当然捕まりますし死罪もあり得ました。

時代によるかも知れませんが、武士の生活は思うほど良くなかったのかも知れませんね。

では賎民とはどんな人たちだったんでしょうか?

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李氏朝鮮時代の厳しい身分制度、賎民にはどんな人がいる?

朝鮮の身分制度のうち、特に厳しい環境に置かれたのは賎民たちでした。

賎民とは、奴婢と呼ばれる宮廷や両班の家などで下働きをする奴隷や、妓生(キーセン)と言う芸妓・遊女、男芸人、それと李氏朝鮮では仏教が迫害されていたので僧侶も含まれていました。

賎民の中で最下層なのが白丁で、陽の当たるところに住んだりお墓を建てたりしてはいけないなど、かなり厳しい制約があり人間扱いされませんでした。

日本の賎民と朝鮮時代の賎民の違いは?

奴婢や白丁は属する家の財産とみなされ、市場で売買されていました。親が奴婢なら子どもも奴婢でしかなく、良民になれることはほぼありません。

日本では、賎民と言うと獣の殺処分などに特定の仕事に従事する人たちを指し、やはり人間扱いされない身分でした。

でも、家や商店の雑用・下働きをする下人がいましたし、遊女もそのほとんどは低い身分でした。ただ日本は仏教国なので僧侶の身分は高いものでした。

身分制度は現代の日本では感じることはないので、ちょっと想像しにくいですよね。

生まれた家によって身分が決まりそれが変わることがない、そんな制度を変えてくれた人たちのおかげで、今の私たちの自由があるんですね。

続いて、李氏朝鮮での経済活動はどのようになっていたかを解説します。

李氏朝鮮時代の経済と庶民の生活とは?

実は李氏朝鮮時代の経済は思いの外、停滞していてあまり発展しなかったのです。

華やかな李氏朝鮮時代の韓国ドラマのイメージとは少し違うようですね。

李氏朝鮮時代は歴史の中でも貧乏な時代だった?

1888年のソウル

では経済が発展しなかった理由ってなんだったのでしょう!その主な理由が次のようなものです。

  • 李氏王朝を始めた時に取り入れた儒教の考え方の影響で、商いは卑しいものとされていた
  • 貨幣が流通せず、物資は物々交換でやり取りしていて、必要なものを必要な分しか作らないのでそれ以上発展しにくい
  • 交通手段や道路が整備されていないので、歩いていける範囲にしか売りにいけなかった

農業は国の根幹産業だったので、農業改革で収穫量が上がるなど良くなってはいくのですが、流通や価格の整備などの対策が取られず大きく発展していくことはありませんでした。

そもそも、両班など身分の高い人ほど商いが卑しいと思っていたのでは、それを発展させる政策は生まれて来ませんよね。

一方、日本は発展し華やかな時代へ

日本では、各地に大名がいてそこに国がありました。特産品や名産を生み出し他国と交易をして国を富ませることは、その国を治める者としてやらなければならないこと。国が貧しければ民から年貢が徴収できませんからね。

江戸時代になれば東海道などの街道が整備されたり、船で早く大量に運べるようになったりますます活発化されます。

こうしてみると、日本は各地を国として大名が収めていたことが経済の発展に大きく違いを生んでいる一つの要因のような気がしますね。

李氏朝鮮時代の生活とは?その時の日本はどんな時代?まとめ

両班の特権は、庶民から見ればものすごく困るものではありますが、そんな両班が王を支え政治を行っていた李氏王朝は、平和と言われた江戸時代よりも長く500年も続きました。

こうして海を挟んで隣あう国同士を同年代で比べてみると、どちらが良い悪いではなく、違いが見えて面白いですね。

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この記事に関する参考文献

『朝鮮事情』マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ
『朝鮮紀行』イザベラ・バード

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