皆さん、こんにちは!
戦争中は、いつの時代でも犠牲になるのは、民衆側ですが、今日解説する国民防衛軍横領事件もそうです。
この事件では韓国軍部幹部の横領により、多くの民衆が餓死する事態となってしまいました。
今回は、国民防衛軍横領事件について解説していきたいと思います!
北朝鮮と大韓民国
日本のお隣は韓国ですが、第二次世界大戦が終わった時点では韓国と北朝鮮は同じ1つの国であったことをご存じでしょうか?
実は、終戦後、アメリカとソ連が覇権を争い、それぞれの後押しを受けた政府が朝鮮半島の南北で2つ誕生してしまったのです。
それが韓国と北朝鮮です。
そして、この両国による戦争を朝鮮戦争と呼びます。同じ民族で争うだけも悲劇なのですが、この戦争はまた別の悲劇を起こします。
朝鮮戦争の勃発 ~民族の分断~
第二次世界大戦の終結後、日本は朝鮮半島から撤退しました。
戦争前と同じように、再び朝鮮という1つの独立国となることを人々は期待したかもしれません。
ですが、アメリカ・ソ連の対立から、南北で国が二つに分かれてしまったのです。。。
ソ連の支援を受けた北朝鮮と、アメリカの支援を受けた韓国です。
そして北朝鮮は朝鮮半島を社会主義で統一しようと韓国に攻め入り、戦争が勃発しました。
同じ民族同士で戦争するという事態になってしまったのです。。。
アメリカ・ソ連の対立
1945年8月に日本が敗戦し、第二次世界大戦は終結しました。
朝鮮半島は日本の統治から解放されましたが、朝鮮は独立国としてはすぐに認められなかったのです。
終戦直後、朝鮮半島にはすでにソ連軍が北から入ってきていました。
ソ連と冷戦状態だったアメリカは、その動きを警戒し、朝鮮の独立に関して話し合うことにしたのです。
そして、話し合う間は、北緯38度線を境に、北がソ連、南がアメリカで分けて統治すると取り決めました。
とはいえ、当時は冷戦真っ盛り。アメリカとソ連はお互いをけん制しあい、朝鮮独立に向けた話し合いは進みませんでした。
2人の首領 ~南北の分断~
戦時中、日本が朝鮮を支配していた頃、朝鮮には抗日運動家たちが活発に活動していました。
その中から南北朝鮮のリーダーが生まれたのです。
北側のリーダーとなったのは、金日成(きむ・いるそん)、一方、南側のリーダーとなったのは李承晩(い・すんまん)です。
金日成は、中国共産党が指導する抗日組織で活動していましたが、結果としてソ連に逃れました。そしてソ連軍の傘下である88特別旅団で訓練を受けました。
終戦後、ピョンヤンに戻り、ソ連の支持をうけ北側のリーダーとなったのです。
李承晩は、若い頃にアメリカ人宣教師に学び、後にアメリカに留学しました。
一時的に朝鮮に戻ったものの反日事件に巻き込まれ、再渡米。ハワイに学校を建てるなど知名度を上げ、最終的にアメリカから南側の指導者として選ばれました。
終戦から3年後の1948年、韓国側では、大統領を選挙で決めることになりました。初代大統領に選出されたのは李承晩。そして、「大韓民国」の建国を宣言したのです。
その動きをうけ、北側も金日成を指導者として「朝鮮民主主義人民共和国」の建国を宣言。
ここから南北の分断が始まりました。
北朝鮮の奇襲攻撃!
さて、皆さん、今の北朝鮮と韓国はどちらが豊かと思いますか?
おそらく、韓国の方が豊かと思われるのでないでしょうか。
実際に、韓国のGDP(国内総生産。国の経済活動の大きさを測る指標の一つ)は北朝鮮の50倍以上。経済的には韓国が圧倒的に優位です。
ですが、終戦直後は、実は南側より北側の方がはるかに豊かだったのです。
北の山岳地帯では様々な資源を採ることができます。当時、日本はそこで石炭を掘り、化学工場も建設していました。
さらに、物資を運ぶために鉄道を引き、ダムも作りました。
一方、南側は平野が多く農業くらいしかできませんでした。そのため、南北分断当初は、北の方がはるかに豊かだったのです。
また、当時、中国では共産党と国民党の内戦が勃発していました。
結果として共産党が勝利し、北朝鮮と同じ社会主義の「中華人民共和国」を建国したのです。
この流れの中で、北朝鮮の金日成は、朝鮮半島を社会主義で統一できるかもしれないと考えたのかもしれません。
そして1950年、北朝鮮が韓国に攻め込み、朝鮮戦争が勃発しました。
国民防衛軍横領事件
朝鮮戦争にはアメリカ軍を中心とする国連軍、中国義勇軍も参戦。戦線は激しく移動し、両軍を著しく損耗させました。
そして、韓国は軍隊を補強するために、「国民防衛軍」を組織します。
その後、北朝鮮・中国両軍の攻勢を受け、韓国軍は前線を後退させました。
国民防衛軍の兵士たちは南に移送されることになったのです。
そしてその過程で、なんと軍幹部が軍事物資や兵糧を着服するという事件が起きてしまったのです!
そのせいで極寒の中を徒歩で後退する兵士たちに、物資がいきわたらず、約9万人の死者をだすことになりました。。。
国民防衛軍の編成~未熟な軍隊~
朝鮮戦争の最初は、北朝鮮が連戦連勝。韓国は首都のソウルも陥落され、どんどん南側に追い込まれて、南端のプサン周辺まで撤退しました。
韓国は滅亡寸前になったのです。
しかし、アメリカを主体とする国連軍が結成され、韓国側として参戦。インチョンという今の国際空港がある場所から北朝鮮の裏を突く形で攻め入りました。
一気に戦局は逆転して今度は韓国・国連軍が連戦連勝。北朝鮮が中国との国境付近まで撤退して、韓国による統一の一歩手前までいきました。
ところが今度は、中国の義勇軍が北朝鮮側として参戦。国連軍を北緯38度線のあたりまで押し戻したのです。
大きく戦力を損なってしまった韓国は、軍隊を補強する策を実行しました。
1950年12月、韓国政府は軍、警察、公務員、学生を除いた満17~40才の男性を集め「国民防衛軍」を編成したのです。
しかし、国民防衛軍は、早急に編成された軍隊でした。
そのため、兵士の動員、輸送、訓練や武装などのための予算が足らず、また指揮統制の未熟さ等の問題を当初から抱えていたようです。
死の行進
国民防衛軍の発足時点では、前線は北緯38度線付近でした。
ですがその後、北朝鮮・中国両軍の攻勢を受け韓国軍は前線を後退させます。
韓国は、50万人余りの国民防衛軍の兵士を、南のプサンやテグへ集団移送することにしました。
しかし、この時、国民防衛軍の幹部達は、軍事物資や兵糧の米などを、不正に着服したのです!
兵士たちは極寒の中、徒歩で移動しています。
不正着服のせいで、そんな兵士たちに対する食料、軍服、野営の装備などの物資供給に不足が生じました。
その結果として、9万名余りの餓死者や凍死者を出すことになってしまったのです。
国民防衛軍の兵士たちにとって、南への集団移送は「死の行進」となりました。
同じ民族同士で争うだけでも悲劇なのに、さらに同じ国の中で立場の弱い者が虐げられるという悲しい事件ですよね。。。
国民防衛軍の当初から、予算不足や指揮統制の未熟さは指摘されていました。
そのような問題が少しでも改善されていれば、このような事件は起きなかったかもしれません。
横領事件のその後
この横領事件は国会で暴露され、調査団が設置されました。
調査の結果、兵員数の水増し報告により国庫金23億ウォン、糧穀5万2000石、さらに食料品費が約20億ウォン横領されていたことが判明しました。
また、着服金の一部が大統領である李承晩の政治資金として使われたことも明かされたのです。
副大統領と事件の黒幕と見られた国防部長官は辞任しました。
翌年、国会は国民防衛軍の解散を決議。同年、中央高等軍法会議が開かれ、司令官、副司令官など5人が死刑となりました。
さて、着服金の一部を自らの政治資金とした李承晩はどうなったのでしょうか?
実は、彼はその後も大統領として君臨しました。
そして、1960年に発生した李承晩政権打倒のための一連の民衆蜂起により、失脚したのです。
この事件は風化していません。
時を経た2010年、真実和解委員会が設置され、改めて事実関係が調査されました。
委員会は、政府に「国民防衛軍の被害事実に対する全般的な実態調査と公式的な謝罪、慰霊祭、戦死若しくは殉職者に準ずる礼遇をすること」を勧告しました。
慶尚北道の永川市には国民防衛軍の追悼碑が建てられています。
このような悲劇的な事件は忘れ去られてはいけないと思いませんか?
朝鮮戦争の影響
朝鮮戦争の戦線は北緯38度線でこう着し、そこで休戦となりました。
数多くの死傷者はもちろんのこと、戦争のために南北に離れて暮らさざるをえない離散家族は1千万人にもなると言われており、大きな戦禍を残しました。
また、この戦争は日本にも大きな影響を与えました。
「戦争特需」と呼ばれる経済活性はその最たるものでしょう。
朝鮮戦争の休戦と戦禍
軍幹部による横領事件という悲惨な出来事を経ながら、その後、戦線は北緯38度線でこう着し、1953年に休戦となりました。
休戦にはなったものの、戦争の最終処理としての平和条約は締結されないまま、今日に至っています。
つまり、戦争はまだ終わっていないのです。。。
朝鮮戦争の戦死者数は明確ではありません。
ロシア資料では北朝鮮、中国の死傷者は200万~400万、韓国40万、アメリカ14万とされています。
アメリカの推定では、中国兵90万、北朝鮮兵45万、約40万の国連軍兵士が死傷。国連軍兵士のうち約3分の1が韓国兵で、米軍の戦死者は5万4千人とのこと。
両者の記録の数字に違いはありますが、膨大な数の戦死者をうみだしたことに間違いはありません。
そして、1000万人以上の離散家族を生んだとされています。
日本への影響
日本は参戦国ではありませんでしたが、アメリカの占領下にあったため、国連軍の作戦遂行のために、海上輸送や掃海業務に動員されたそうです。
また、日本に駐留していたアメリカ軍が朝鮮戦争に派遣されたため、それに代わるものとして警察予備隊(自衛隊の前身)が発足しました。
そして、大量の軍事物資を生産したことによる「戦争特需」
これによる経済活性化は、戦後の日本経済にとって一つの重大な転機となりました。
国民防衛軍横領事件をわかりやすく解説・まとめ
第二次世界大戦終結後、アメリカとソ連による覇権争いから、朝鮮半島は南北で分断され、韓国と北朝鮮が誕生しました。
そして、朝鮮半島の統一を争い、朝鮮戦争が勃発したのです。
この戦争に、アメリカ軍を主体とする国連軍、中国義勇軍も参戦し、両軍は著しく疲弊していきました。
韓国は軍隊を補強するため、「国民防衛軍」を編成しました。
編成当時は北緯38度線で戦っていましたが、北朝鮮・中国両軍の攻勢を受け、韓国軍は前線を後退させます。
そしてその過程で、軍幹部が軍事物資や兵糧を着服するという事件が起きてしまいました。
結果として、極寒の中を徒歩で移動する兵士たちに必要な物資がいきわたらず、約9万人の死者をだすという事態を引き起こしたのです。。。
大きな戦禍を残した朝鮮戦争ですが、その中にはこんな悲劇もあったのです。
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【参考文献・参考サイト】
『“国民防衛軍 数万人 韓国戦時 空しい死“』 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/5947.html
『金日成と李承晩はこうして南北朝鮮の為政者となった:朝鮮半島分断小史③』 https://agora-web.jp/archives/2043709.html
『韓国と北朝鮮の経済力比較』http://www.world-economic-review.jp/impact/article1883.html
『世界史の窓』http://www.y-history.net/appendix/wh1602-001.html
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