三国志には1000人ともいわれる膨大な登場人物います。
「推しメン」みなさま一人や二人ではないことと思いますが、この人は絶対入っていませんか?
趙雲 子龍
この人を、嫌いという人は恐らくいないはずです。かなりのイケメンと称されてますが、それなのに男性からも人気です。(イケメンがすべて嫌われるわけでは無いですが。笑)
しかし、趙雲が三国志から居なくなった理由やどのような最後を遂げたのか背景については記述がほとんどありません。
今回はその理由に迫っていこうと思います。
趙雲イケメン伝説
イケメンと言っても色々な要素がありますよね。まずは単に「ビューティフルフェイス」である、ということ。
趙雲はどうだったのでしょうか?
趙雲の外見は体育会系?
ゲーム、映画、漫画と、どの媒体でも「イケメン」ポジションですね。実際の趙雲もこんな感じだったのでしょうか?
『趙雲別伝』では雄偉(たくましく優れている様)と書かれています。
『三国志演義』でも生得身長八尺、濃眉大眼、闊面重頤、威風凜凜(身長184cm、濃い眉と大きな目、広い顎で威風堂々としている)と記載があります。
ん?イメージと全然違いません???
趙雲は体育会系イケメンだった!
映像では、整った顔立ちの細マッチョで描かれているものが多いですよね。
どうしてこんなにも違ったイメージになっているのでしょうか?
趙雲がイケメンであったことは間違いなさそうですが、当時はイケメンの基準は、体格の良いごっつい顔だったようです。
趙雲子龍は今で言う体育会系ムキムキキン肉マンという感じでしょうか。
今はイケメンと言えば細マッチョが代表的なので、それに合わせたのではないかと思われます。
趙雲の忠誠心が半端ない
主君の劉備が「仁」の人だったので、そこに集まる人たちはみな忠誠心を持っています。趙雲もやはり忠義の人でした。
趙雲は初め公孫瓚のもとに居たのですが、劉備と出会い相思相愛になります。
趙雲は「仕える相手を間違えたようだ・・・」と、劉備に仕えたい旨を伝えます。
劉備も自分の配下に来てほしかったけど、今はお互い公孫瓚と共に袁紹を倒すことを目的に頑張っていこうね、と泣く泣くお別れをするのです。
中国北方の趙雲が公孫瓚に仕えた理由も、袁紹より「仁義に厚い人」という評判を聞いていたからでした。
劉備の腹心となった趙雲
その後、念願の劉備の配下になることができ、主君のために命をかけて仕えます。
劉備軍に置ける趙雲のミッションは、主君とその家族の護衛でした。
そのため劉備からの信頼は高く、長坂の戦い で劉備の息子阿斗(後の劉禅)を救った姿は三国志の名場面として語り継がれています。
阿斗を守りながら片手に槍をもって敵をバッサバッサと斬るシーンは、男性でも惚れてしまうほど趙雲が勇しく見えるにちがいありません!!!
諸葛孔明からの信頼度も高かった趙雲
劉備からの信頼度も高いうえ、なんとあの諸葛孔明からの信頼も厚い趙雲。
赤壁の戦いで東南の風を吹かせようと祈る孔明ですが、実際はこの時期に東南の風が吹く日が3日くらいあると分かっての行動でした。
見事風を吹かせることに成功した孔明。
自然をも予知する孔明を見て呉の軍師周瑜は「この男を生かしておいては危険だ」と、あまりにも孔明の策がハマるのを見て危険人物と判断します。
しかし孔明はこう思われることも想定内。風が吹いたらすぐに退散する算段を立てていました。
重要なミッションをやりとげた趙雲
この極秘ミッションに任命されたのが、趙雲です。
事前に小舟を用意し、東南の風が吹いたらすぐさまその小舟で劉備のもとに退散という、ちょっと間違えば総崩れになりそうなこの作戦。
そんな重要な役目を任されるほど、信頼が厚かったということでしょうね。
趙雲は見た目も良く忠誠心に溢れ、君主からも天才軍師からも信頼されているという心身ともにイケメンだったことが分かります。
趙雲の最後は病気だった?
趙雲は主君と家族の護衛という役割だったので、戦闘の最前線にいたわけではなかったものの、かなり危険を伴うポジションでした。
その割には大敗や大けがなどはほとんどなく、腕はなかなかのものだったことが分かります。
趙雲の魅力として単騎で攻め込むことができるというところも人気の秘訣です。多くの兵を持たず、自らの判断で敵に突っ込んでいく姿は圧巻です。
趙雲の晩年が詳細不明
さて、そんな趙雲ですが、実は晩年の姿があまり見えてきません。
趙雲の最期は、孔明の北伐3回目の時に、趙雲の息子が孔明に「父が亡くなりました」と報告した、ということだけなんです。
このことについての詳細はどこにも記されておらず、英雄の最期なのに描写が少なすぎない?と、三国志ファンの間でも謎に包まれています。
229年の出来事ということは記されているのですが、そもそも趙雲の生まれた年が定かでは無いので何歳だったのかも正確には不明です。
年齢はおよそ60歳で病死の可能性
北伐が始まった頃には「老将」と言われていたので、60代後半くらいだったのでは?と推測されます。
劉備が没した後も息子の劉禅の側近で活躍し、北伐にも参加しているので最後まで戦場にいたことになります。
劉備、曹操、孔明など主力メンバーは殆どが病死しています。
また、捕虜になって絞首刑などになった場合もしっかりと記述はされているので、何も記述がないということは年齢的に考えて 病死である可能性が高いとされています。
趙雲子龍の最後が謎に包まれている!まとめ
蜀の五虎大将軍の1人である趙雲は、生涯現役で蜀の武将として活躍した人物です。
人気の秘訣は
- 見た目が良い(184cm、濃い眉、立派なあご)
- 忠義に厚い
- 君主や軍師からの絶大なる信頼
の要素が決めてです。
忠義に厚い武将や顔がかっこよかったとされている軍師などは数多くいますが、心身ともにイケメンなのは、趙雲がNo.1 といえるでしょう!
最期が謎に包まれているのも、将軍として任務を全うしての、将軍らしい生涯を終えたことの表れなのではないでしょうか?
今後も映画やゲームで趙雲がどんな風に描かれていくのか、楽しみです♪
今回の記事の内容が見られる作品
三国志 ~趙雲伝~
趙雲にフューチャーしているということもあって、他の三国志では語られない若かりし頃のエピソードや恋愛要素もあります。
ヒロイン役が少女時代のユナさんということも話題になりました。槍を片手に単騎で戦う姿はそれはそれは素敵です。
総製作費40億という力の入れようは、出演陣の衣装を見れば一目瞭然。歴史物、というよりかエンタメ要素が強く新しい視点の三国志を楽しむことができます。
余談ですが、この作品、呂布がかっこいいです!amazon praime、dTV、TSUTAYA DISCAS で見ることができます♪
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