文化を壊しまくる文化大革命
建国の父であり神のように称えられていた毛沢東も、大躍進政策の大失敗によって政治の一線から身を退かざるをえませんでした。
国家主席という中国組織のトップの座を劉少奇(りゅうしょうき)という人に譲ります。
劉少奇や陳雲(ちんうん)、鄧小平(とうしょうへい)といった人たちが、今までの農業の集団化のやり方を見直し、政策を立て直します。
それによって飢饉も収まり、農業での生産も高まっていきました。
国民の飢えもなくなってよかった~と思えるのですが、この事態は毛沢東にとって面白くありません。自分の権力は減り、劉少奇たちに権力が集まるようになったからです。
そこで毛沢東は自分の実質的な権力を劉少奇たちから奪い返しすためにあることをはじめました。
それが文化大革命です。
もう自分勝手としか言いようがない・・・・
文化大革命
毛沢東にとって劉少奇たちは邪魔な存在です。けれど自分で国家主席の座を譲ったこともあり表立って批判することができません。
そこで毛沢東は「今の国家は腐っている。革命を起こして新しい国作りをするべきだ。共産党にたいして反対意見をもっている知識人たちも国の敵だ。文化においても革命が必要だ。革命は続けることに意味がある!」と主張します。
表立って動けない毛沢東は、都市部の学生たちを利用します。
学生たちは自分たちのことを「紅衛兵(こうえいへい)」と名乗ります。
共産主義のイメージカラーは赤なので、紅衛兵とは共産主義を守る兵士という意味です。
毛沢東は紅衛兵たちに直接手紙を送って、腐敗している政治トップたちを引きずりおろせ!という運動を後押しします。
紅衛兵たちは神のように崇拝していた毛沢東からお墨付きをもらったことで、権力ぶっ潰せ!と大暴れします。
紅衛兵たちの行動は次第にエスカレートしていきます。
文化遺産がどんどん消滅
「革命は起こし続けなければならない」という毛沢東の言葉。
この一言で、中国古代から伝わる、先祖を大事にしろ、親を敬えといった仏教や儒教の教えは古臭くて革命的でないとして、歴史的に価値のある寺院や文化財なども破壊してしまったのです。
紅衛兵たちの暴走を警察はただ見ていることしかできませんでした。
なぜなら毛沢東が警察に「紅衛兵たちは革命を起こしているのだから取り締まってはいけない」と命令されたから!国内は荒れ放題になってしまいます。
劉少奇はこの文化大革命によって幽閉されて獄中死してしまいます。
邪魔だった劉少奇がいなくなると、毛沢東にとって紅衛兵も邪魔になります。
そこで元は都市部の学生たちだった紅衛兵たちを地方に追いやります。
毛沢東は再び権力を得ることに成功しますが、文化大革命の混乱は毛沢東が死ぬまで続きました。
毛沢東は権力を取り戻した後に、アメリカのニクソン大統領と会ったり、日本の田中角栄首相と会い中国と日本の国交正常化するなどしましたが徐々に体は弱っていきました。
そして、1976年9月9日に毛沢東は82年の生涯を終えたのです。
毛沢東はどんな性格だった?
毛沢東はその生涯のほとんどを自らの革命に捧げた人でした。
生い立ちを知ると、行った事の善悪は置いておいても、とても頭がよく計算高い人だったことが分かると思います。
そして実行力にあふれ、読書家としても有名で知識欲にあふれた人でした。
子供の時から死ぬまで古今のあらゆる国の本を読み続け、特に思想や歴史に関する学問を好みました。
論文もいくつも書いていて、人の心を掴むスローガンや演説を作ることが得意で、自分の意見を論理的に上手に人に伝える能力があり、革命家としてカリスマ性をもった人でした。
毛沢東の主治医だった人は毛沢東のことを「声はソフトで軽快さがあった。初対面人には魅力にあふれるように見え、好意的にさりげなく相手を気楽にして自由に語らせる雰囲気を持っていた」と本に書き記しています。
人の心を掴むことが非常に上手だったことが分かります。けれどこの主治医だった人はこんな言葉も残しています。
「いかなる秘密の存在も許さなかった。毛沢東という人物は、人がよく陰謀をたくらむと非難するが何を隠そう、当人こそが超一流の権謀術数家だった」
常に情報収集していて、誰が自分にとって使える人物なのか、またはそうでないのか、自分に有利なこと不利なことはないかを常に判断していたのでしょう。
清王朝末期からの大変な時代のなかを、自分の意志を貫き実行した生き抜いた強さを持ちながらも、自分の理想のためには、必要ないと判断した人間は容赦なく追い落とす非情さも併せ持った人物だったのです。
毛沢東とはどんな人?わかりやすく解説!まとめ
毛沢東は偉大な建国の父でありながら、度重なる国政の失敗で国民を何千万人を殺した独裁者という面もあり、ひと言で言い表すことのできない現代史において巨大な存在を放つ人です。
毛沢東が亡くなって45年近くたちますが、毛沢東が築いた基礎や思想のもとに今の中国の政治は動いています。
文化大革命によって引き起こされた教育や道徳の喪失といった大きな傷は今なお後遺症として引きずられています。
今回は生い立ちをざっと見てきましたが、毛沢東のしてきた一つ一つの出来事をよりよく知ることで、もっと毛沢東という人物について深く知ることができるので、興味をもちましたら調べてみてくださいね!
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【参考文献】
『そうだったのか!中国』 (集英社) 著:池上彰
『池上彰の世界の見方 中国・香港・台湾 分断か融合か』 (小学館) 著:池上彰
『毛沢東の私生活』 (文藝春秋) 著:李志綏 訳:新庄哲夫
『毛沢東 日本軍と共謀した男』 (新潮社) 著:遠藤誉
『悪の出世学 ヒトラー、スターリン、毛沢東』 (幻冬舎) 著:中川右介
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