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毛沢東とはどんな人?わかりやすく解説!中国ではいまだカリスマ性の高い偉人扱い?

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皆さん、こんにちは!

中国といえば私たち日本人にとって隣国であり、影響力の大きい国ですが、中華人民共和国という国家が建国されたのは今からおよそ70年前だと知ってますか?

この中華人民共和国を建国にした人物は毛沢東(もうたくとう)という人です。

名前は聞いたことあるけど、どんなことをした人なのかよく分からないという人もいるかと思います。

今回は、この毛沢東について見ていきたいと思います!

中国現代史の怪物、毛沢東

毛沢東は中国現代史を語るうえでかかせない人です。しかし単純に「良い事をした人」「悪いことをした人」と評価できない人なのです。

中華人民共和国という巨大な国を建国した偉大な父、という素晴らしい偉業があるのですが、建国したのちに行った政策で国は大パニック状態になってしまい、多くの人が命を落としてしまうという状況を作り上げた人物でもあるのです……。

世界的にみると「国民を多く殺した独裁者」と評価が固まりつつあるのですが、中国国内だと「間違いもあったけど偉大な指導者」と見られています。

毛沢東が行った政策は、中国国内だけでなく他の国にも影響を与えていて、単に「昔いた中国の偉い人」という枠には収まらない世界規模の人物なのです!

今ではアメリカに次ぐほどの大国になった中国ですが、今の中国は毛沢東が作った理念を基礎としています。

毛沢東のことを知ることで、今の中国の在り方についても知ることができるのです。

毛沢東の生い立ち

毛沢東は1893年12月に湖南省の農村の、豊かな農家の子として生まれました。子供の頃から読書が大好きで、夜中になっても本を読み漁ったそうです。

毛沢東の少年時代の中国はラストエンペラーで有名な清王朝の末期でした。

その当時の中国はアヘン戦争の影響でヨーロッパや日本などの外国が外からきて国土は半植民地化されているわ、政治の在り方について国内で争いは起きるわで、国内がぐちゃぐちゃに荒れていました。

毛沢東・初めての政治活動

国が平和とはほど遠い状態の時に、読書好きだった毛沢東は、明治維新で近代化した日本の存在を知ります。

日本も外国の植民地になる可能性があったのに、そうはならなかったことに興味を示します。

また他の国の偉人伝なども大好きで読んでいた影響で「新しい国を作る」という意識を高めていきました。

毛沢東は小学校を卒業後、いったんは農夫として働きますが、学ぶ意欲が高く湖南省の長沙の師範学校に通います。当時農民は読み書きや簡単な数字の計算ができるだけですごい時代だったので、農民でも毛沢東はかなり恵まれていたのがわかりますね。

18歳の時に「辛亥革命」という民衆が清王朝を滅亡に追い込む反乱がおきます。

毛沢東もこれに参加して「清王朝をぶっ潰せ!」と書いた紙を学校の壁に貼り付けます。これが毛沢東にとってのはじめての政治活動でした。

学びたい意欲が高い毛沢東は24歳で師範学校を卒業後、当時の中国の知識人たちが集まる北京大学に行こうと考えますが、毛沢東のもつ学歴では入学する資格がないと断られてしまいます。

そこで師範学校時代の先生の伝手を頼って北京大学の図書館でアルバイトの仕事につきました。

そこで毛沢東はある思想と出会います。

その思想はその後の毛沢東の人生に影響を与え、そして中華人民共和国にも多大な影響を与えることになるのです!

中国共産党への参加と国民党との戦い

 

毛沢東の運命的な出会い。それは「マルクス主義思想」です。

マルクス主義思想とは簡単いうと、みんなが自由にお金を儲けるから人々の間に格差がうまれる、だから身分の差や貧富の差がないみんなが平等な社会を作ろう!というものです。

中国の北ではロシア帝国が崩壊後にソビエト連邦(ソ連)が成立していたのですが、このソビエト連邦がマルクス主義思想を基礎とした国作りをしていました。

中国と隣の国なので、この思想も中国に伝わり、中国国内にもマルクス主義思想の考えで国を作ろぜ!というグループができます。

清王朝が滅亡した後の中国は、中華民国という名前で統一されるのですが権力争いなどがあり、権力をもった軍人たちが暴れていて国内は争いが絶えませんでした。

毛沢東は北京大学でのアルバイトを辞めたあとに故郷に帰ることにします。

そして故郷で小学校の先生をしていたのですが、軍人たちが自分たちのことばかり考えている!と怒りのパンフレットを作って、人の集まる都市で配る政治活動をします。)

その活動が、マルクス主義思想で国を作ろうぜというグループに認められて、毛沢東はそのグループの一員になります。

このグループの名前は中国共産党。

現在の中国の政治を担っている党です。結成の初期から毛沢東はメンバーの一員でしたが、目立つ存在ではありませんでした。

中国共産党は活動をはじめたばかりの頃は、まだまだ少人数でした。そこで当時中国国内で最大の政治グループだった国民党の仲間になります。

当時の中国共産党は独自で政策を決めて動いているグループではありませんでした。

ソ連の共産党がマルクス主義思想を基礎として世界に革命を起こすぞと作った、中国支社のようなもので、政策はソ連の言いなりでした。

国民党、孫文の死去と毛沢東

メンバーも都市部育ちの知識人ばかりで、毛沢東は不満がたまっていったようです。

そんなか、辛亥革命のリーダーで国民党のトップの孫文(そんぶん)が死んでしまいます。

孫文の死後、国民党のトップ的存在だった蒋介石(しょうかいせき)は国民党の中に共産党の人達がいることを許さずに弾圧します。

蒋介石にとって共産党の考え方は自分の考え方とは違うので邪魔だったんです。

共産党はこの弾圧で打撃をうけ、国民党から脱退することになりました。

国民党から脱退後、中国共産党は国民党と対立し、国内の政治の主導権をとるために、ソ連の共産党からの指示で、各地の都市部で武装蜂起を起こしますが次々に失敗してしまいます。

毛沢東は中国共産党指導部の「都市部で武力蜂起する」という指示を無視して、自分の仲間を引き連れ井岡山(せいこうざん)という田舎の山岳地帯に撤退し、中国共産党の新しい拠点を作りをはじめます。

国民党とトップになっていた蒋介石は毛沢東の軍をつぶそうとするのですが、井岡山は攻めにくく守りやすい地形なうえに、毛沢東は独自のゲリラ戦法で国民党を追い返します。

毛沢東は趣味の読書から得た知識で戦いを有利に進めたのです。

蒋介石から逃れる共産党

毛沢東は国民党との戦いのために井岡山だけではなく他にも拠点を建設したりして共産党の勢力は少しずつ大きくなります。

それにともない毛沢東も中国共産党での地位が高くなっていきました。

けれど、そんなことは蒋介石の国民党は許しません。

中国共産党よりも圧倒的な人数で何度も攻撃した結果、中国共産党は拠点を捨て逃げます。この国民党から逃げるために共産党が中国国内を1年あまりの期間に1万2千キロも逃げながら移動したことを「長征(ちょうせい」といいます。

1万2千キロといわれてもよく分かりませんよね。

これは地球の直径とほぼ同じ長さなのです!日本の南北の長さが約2千8百キロなので、とてつもない距離を逃げ回ったことが分かるのではないでしょうか。

この惨めな逃避行中に、毛沢東は「共産党が十分な武力をもっていないのに、武力蜂起したから大きな災難にあっている!」と中国共産党の方針を決める指導部を非難します。

それにたいして周恩来(しゅうおんらい)という人が毛沢東の意見に賛成してことで、毛沢東は中国共産党内での発言力がさらに増します。

長征が終わった頃に毛沢東は、中国共産党内の思想をキレイにするという運動をします。スパイを排除して仲間どうし同じ考えをもって協力しあおうというと運動です。

素晴らしい!と思ってしまいますが、実は自分に反対する党員を絶滅させるというものでした。

この運動もあって毛沢東は中国共産党の実権を握り、トップに上り詰めるのです!

国民党との協力と日中戦争

中国共産党のトップになった毛沢東ですが、国民党との戦いはまだ続いていました。

長征もあって、共産党はかなり弱っていました。そんな時に毛沢東にとっては天の助けにも思える出来事が起こります。

それは国共合作(こっきょうがっさく)といい、内戦はやめて協力しあい、共通の敵である日本軍と戦おう!というものです。

国民党の張学良(ちょうがくりょう)という人が「国民党と共産党で国内で争っていてはダメだ!今は一緒に協力して日本軍と戦うべきだ!」と主張して、蒋介石を監禁し、彼に要求を飲むように迫ったのです。

共産党側からは周恩来が調停に動き、双方は協力することになります。

共産党が国民党に物量でつぶされそうになっていた時に国共合作が成立したので毛沢東は命拾いをしたのでした!

しかし、いざ日本軍と真正面から戦ったのは国民党の軍でした。

共産党の軍はあくまでも戦いの後方で戦っていたのです。

国民党と協力、と言いながら毛沢東は日本軍と戦っている間にも共産党の勢力拡大を狙っていたのです!

実際に毛沢東は「力の70%は勢力拡大、20%は妥協、10%は日本と戦うこと」と指令をだしていたことも分かっています。

毛沢東のしたたかさがよく分かりますね……!

共産党と国民党 どちらが覇権をとるか?!

皆さんもご存じのとおり1945年8月に日本は敗戦します。

共通の敵がいなくなったことで、国民党と共産党の協力関係も終わり、再び国内でどちらが覇権をとるかという内戦がはじまります。

ここで注目したいことがあります。それは以前争っていた時と違う点がいくつかあることです。

1つ目は、国民党が日本との戦いでボロボロになっているなか、共産党は後方で戦っていたので勢力が拡大していて、国民党より元気だったこと。

2つ目は、共産党はソ連の支援を受けていたことです。ソ連もマルクス主義思想なので、同じ考えをもつ共産党に土地や大量の武器を提供したのです。

内戦はかなり共産党が有利な条件がそろっていたのです!

さらに、共産党は国民の大多数を占める農民の圧倒的な支持を受けることに成功します。国民党は台湾に逃げて、共産党は中国国内を平定、内戦は終ったのです。

建国の父~中華人民共和国建国~

1949年10月1日、毛沢東は北京の天安門に立ち、中華人民共和国の成立を宣言しました。

歴史的な瞬間に立ち会おうと天安門広場には30万人も人が集まり、毛沢東の演説に歓声をあげました。

毛沢東は中華人民共和国の基礎と理念を作り上げます。

1つは共産党が政治を動かす、というしくみです。

実は中国内には共産党以外にも「民主党派」と呼ばれる8つの党が存在しています。

しかしこれらの民主党派は「自分たちは共産党の指導に従う」と党の規則で定めているのです。

「他党の指導を受ける」とはっきり言っている党は自立した党ではありませんよね。

なので、ニュース等で聞くように中国の政治は共産党が「事実上の一党独裁」をしているのです!

もう1つは共産党が国家を指導する、という仕組みです。

どういうこと?と思っている人もいるかもしれませんね。

例えば今の日本だと日本国憲法、つまり法律が一番に大切なものです。

政策を決めるにしても法律で許されている範囲で物事を決めます。法律を守らないと罪が課せられます。憲法は絶対的なものです。

しかし、中国は憲法のうえに共産党がいます。これは共産党の考え方次第で憲法をどう解釈するか自由に決められるということです。

中国の憲法でも言論の自由、表現の自由が認められているのですが、共産党を非難しようとするものなら容赦なく罪になります。それっておかしいですよね?

これは「共産党こそが正しい思想をもっていているから皆従え!」といことなんです。

こうした仕組みや政策によって、毛沢東の実権はますます巨大になり、建国の父というのもあいまって、まるで神のように称えられるようになっていったのです……!

毛沢東の暴走~百花斉放・大躍進政策・文化大革命~

冒頭で毛沢東の政策で国が大パニック状態になってしまい、多くの人が命を落とすことになった……と書きましたが、実は最初から無茶な政策をしたわけではないんです。

中国は最初から社会主義国家ではありませんでした。

毛沢東が国作りの見本としたマルクス主義思想は発展した資本主義が成熟すると社会主義になる、という考えだったので、毛沢東も建国当初は共産党が指導しながら資本主義を発展させ、それが成熟したら社会主義に移ろうと考えていました。

まず財政を立て直すために人民銀行という国家の中央銀行を作り、お金の価値を全国で統一させました。

また全国の共産党の幹部たちの汚職や浪費、官僚主義(人々の必要なことより自分たちの必要なことを優先すること)を排除して政治の腐敗をなくそうという運動もします。

当時の中国の9割の人たちは農民だったので、農業改革も実施しました。

中国は古代の昔から、土地を持つ地主と呼ばれる人たちが権力を持ち、農民はその地主に雇われて土地を耕す、ということを続けていました。

共産党はそんな地主たちから土地や屋敷をとりあげ、農民たちに分け与えました。

同じように農業をするにしても雇われているのと自分の土地を耕すのではモチベーションが違いますよね。

農民たちはこの政策にすごく喜んで一生懸命に働いたので、農業生産力がぐっとあがりました。

これらの政策がうまくいき、毛沢東は国内の資本主義はもう完了した!社会主義に進むぞ!という政策を打ち出しました。

建国してからたった3年ばかりで資本主義終了宣言をしてしまったんです。えっ、早すぎじゃないの?と思ってしまいますよね。

この早すぎる決断がのちに国中が大パニックになってしまう原因になるのです…。

国内が大パニックになったのは1つの間違った政策のせいではありません。次々と間違った政策をどんどんと打ち出していった結果なのです!

百花斉放(ひゃっかせいほう)

1957年2月に毛沢東は何を考えたのか、「共産党も間違いをするかもしれない。問題があったらどんどん批判してください。色とりどりの花が咲くように皆さん、自由に発言してね!」というキャンペーンをうちだします。

これを「百花斉放」といいます。

最初は皆なかなか意見を言えませんでした。戦後に共産党の考えに逆らった人達がひどい目にあったことを知っているからです。

毛沢東はそれにたいして「言っても罪にはならないよ!」と伝えます。

それによって少しずつ、でも確実に多くの人が共産党への不満を口にするようになりました。その批判の声は日に日に大きくなっていきました。

すると毛沢東は百花斉放キャンペーンをはじめてわずか4か月たった頃に、突然に共産党にたいして批判していた人たちを危険人物だと名指しし、投獄したり僻地に追い出しました。

やっぱり批判されたらムカつく!と思ったのでしょうか?

それを見た国民は毛沢東に逆らっては自分や家族が危ないということが心底身に染みて理解しました。

以後、毛沢東がおかしなことを言いだしても批判することができなくなってしまったのです!

それがさらなる悲劇を生むことになります。

大躍進政策(だいやくしんせいさく)

大躍進って何が?って思う人もいるかもしれませんね。

これは毛沢東の政策で国内の農業や工業などの産業を短期間で大きく成長させて、世界の大国になろう、社会主義の敵である資本主義の国を追い越せ!というものです。

まず、毛沢東は農業の集団化を拡大、加速させます。

中国にとって社会主義の見本はソ連です。なので中国もソ連が行った農業の集団化をそのまま取り入れました。

農業の集団化とは「土地は個人が持つことはダメ。すべてみんなのもの。できた農産物はみんな平等に分けるよ」というものです。

ここであれ?なんか変だな、と思う人もいるかもしれません。

そうです、共産党は建国後に地主から土地を取り上げて農民に分け与えたのに、またその土地をまた取り上げたのです…。やっていることが一貫してないように見えますよね。

個人で土地は持てないけど、土地も農業によってできる作物もみんな平等にもらえるっていいことじゃない?と思ってしまいますが、ここに大きな問題がありました。

農業は自然が相手です。

農作物を荒らす動物が現れれば夜中だろうがなんだろうが追い払うために、対策をします。

嵐がくればそのために対策する。朝9時から夕方5時までと定時で終われる仕事ではありません。どんなに大変でも自分の土地だったら頑張ろうという気持ちで仕事しますよね。

けれど、それが自分だけではなく、みんなの土地だったらどうでしょう?

どんなに頑張ろうが、どんなに怠けようがもらえる物はみんな同じ。次第に農民全体のやる気がダウンしてしまい、農業生産力も落ちてしまったのです。

そして毛沢東は大躍進政策の一つとして、農業と同時に鉄鋼生産の拡大にも力をいれました。

社会主義国としてソ連の次に大国であると自負していた中国は、資本主義国としてアメリカの次に大国であるイギリスを勝手にライバル視します。

イギリスがなぜ豊かなのか調べると製鉄・鉄鋼で栄えたことが分かりました。

そこで毛沢東は「よし、鉄を作れ!」と命令します。作るのは職人ではありませんでした。農民だったのです!

鉄を作れと言われても、鉄を作る大規模な施設もノウハウもありませんでした。

けれど毛沢東に作れと言われたから作るしかない。そこで農民は土法高炉という原始的なやり方で鉄を作ります。けれどできるのは粗悪品ばかりでとても売り物にならなかったのです。

しかも鉄を溶かすためには火を燃やし続ける必要があるので、木を手当たり次第に伐採したので森はなくなりました。それによって洪水などがおきて農作物に甚大な被害がでてしまったんですね。

これらの大躍進政策によっておおきな飢饉が起こり、少なくても3千万人の人が餓死してしまったのです……!

指導者がアホなばっかりに起きてしまった大惨事です!

文化を壊しまくる文化大革命

建国の父であり神のように称えられていた毛沢東も、大躍進政策の大失敗によって政治の一線から身を退かざるをえませんでした。

国家主席という中国組織のトップの座を劉少奇(りゅうしょうき)という人に譲ります。

劉少奇や陳雲(ちんうん)、鄧小平(とうしょうへい)といった人たちが、今までの農業の集団化のやり方を見直し、政策を立て直します。

それによって飢饉も収まり、農業での生産も高まっていきました。

国民の飢えもなくなってよかった~と思えるのですが、この事態は毛沢東にとって面白くありません。自分の権力は減り、劉少奇たちに権力が集まるようになったからです。

そこで毛沢東は自分の実質的な権力を劉少奇たちから奪い返しすためにあることをはじめました。

それが文化大革命です。

もう自分勝手としか言いようがない・・・・

毛沢東にとって劉少奇たちは邪魔な存在です。けれど自分で国家主席の座を譲ったこともあり表立って批判することができません。

そこで毛沢東は「今の国家は腐っている。革命を起こして新しい国作りをするべきだ。共産党にたいして反対意見をもっている知識人たちも国の敵だ。文化においても革命が必要だ。革命は続けることに意味がある!」と主張します。

表立って動けない毛沢東は、都市部の学生たちを利用します。

学生たちは自分たちのことを「紅衛兵(こうえいへい)」と名乗ります。共産主義のイメージカラーは赤なので、紅衛兵とは共産主義を守る兵士という意味です。

毛沢東は紅衛兵たちに直接手紙を送って、腐敗している政治トップたちを引きずりおろせ!という運動を後押しします。

紅衛兵たちは神のように崇拝していた毛沢東からお墨付きをもらったことで、権力ぶっ潰せ!と大暴れします。

紅衛兵たちの行動は次第にエスカレートしていきます。

「革命は起こし続けなければならない」という毛沢東の言葉から、中国古代から伝わる、先祖を大事にしろ、親を敬えといった仏教や儒教の教えは古臭くて革命的でないとして、歴史的に価値のある寺院や文化財なども破壊してしまったのです。

紅衛兵たちの暴走を警察はただ見ていることしかできませんでした。

なぜなら毛沢東が警察に「紅衛兵たちは革命を起こしているのだから取り締まってはいけない」と命令されたから!国内は荒れ放題になってしまいます。

劉少奇はこの文化大革命によって幽閉されて獄中死してしまいます。邪魔だった劉少奇がいなくなると、毛沢東にとって紅衛兵も邪魔になります。

そこで元は都市部の学生たちだった紅衛兵たちを地方に追いやります。

毛沢東は再び権力を得ることに成功しますが、文化大革命の混乱は毛沢東が死ぬまで続きました。

毛沢東は権力を取り戻した後に、アメリカのニクソン大統領と会ったり、日本の田中角栄首相と会い中国と日本の国交正常化するなどしましたが徐々に体は弱っていきました。

そして、1976年9月9日に毛沢東は82年の生涯を終えたのです。

毛沢東はどんな性格だった?

毛沢東はその生涯のほとんどを自らの革命に捧げた人でした。

生い立ちを知ると、行った事の善悪は置いておいても、とても頭がよく計算高い人だったことが分かると思います。

そして実行力にあふれ、読書家としても有名で知識欲にあふれた人でした。

子供の時から死ぬまで古今のあらゆる国の本を読み続け、特に思想や歴史に関する学問を好みました。

論文もいくつも書いていて、人の心を掴むスローガンや演説を作ることが得意で、自分の意見を論理的に上手に人に伝える能力があり、革命家としてカリスマ性をもった人でした。

毛沢東の主治医だった人は毛沢東のことを「声はソフトで軽快さがあった。初対面人には魅力にあふれるように見え、好意的にさりげなく相手を気楽にして自由に語らせる雰囲気を持っていた」と本に書き記しています。

人の心を掴むことが非常に上手だったことが分かります。けれどこの主治医だった人はこんな言葉も残しています。

「いかなる秘密の存在も許さなかった。毛沢東という人物は、人がよく陰謀をたくらむと非難するが何を隠そう、当人こそが超一流の権謀術数家だった」

常に情報収集していて、誰が自分にとって使える人物なのか、またはそうでないのか、自分に有利なこと不利なことはないかを常に判断していたのでしょう。

清王朝末期からの大変な時代のなかを、自分の意志を貫き実行した生き抜いた強さを持ちながらも、自分の理想のためには、必要ないと判断した人間は容赦なく追い落とす非情さも併せ持った人物だったのです。

毛沢東とはどんな人?わかりやすく解説!まとめ

毛沢東は偉大な建国の父でありながら、度重なる国政の失敗で国民を何千万人を殺した独裁者という面もあり、ひと言で言い表すことのできない現代史において巨大な存在を放つ人です。

毛沢東が亡くなって45年近くたちますが、毛沢東が築いた基礎や思想のもとに今の中国の政治は動いています。

文化大革命によって引き起こされた教育や道徳の喪失といった大きな傷は今なお後遺症として引きずられています。

今回は生い立ちをざっと見てきましたが、毛沢東のしてきた一つ一つの出来事をよりよく知ることで、もっと毛沢東という人物について深く知ることができるので、興味をもちましたら調べてみてくださいね!

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参考文献
『そうだったのか!中国』 (集英社) 著:池上彰
『池上彰の世界の見方 中国・香港・台湾 分断か融合か』 (小学館) 著:池上彰
『毛沢東の私生活』 (文藝春秋) 著:李志綏 訳:新庄哲夫
『毛沢東 日本軍と共謀した男』 (新潮社) 著:遠藤誉
『悪の出世学 ヒトラー、スターリン、毛沢東』 (幻冬舎) 著:中川右介

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