強運の国王でカトリック教会から破門されるも、離婚するために新しい宗教をつくったという破天荒なイギリスの王子をご存知ですか?
1509年から1547年の亡くなるまで6人の王妃と結婚、離婚または処刑台送りにした残酷な王様として有名なヘンリー8世です!
画像をみるかぎり6人も妃をとれるほどイケメンとは言い難いのですが・・・
しかし一生のうちで6人もの女性と結婚できるなんてとてもエネルギッシュな人だったのですね。
しかし、ヘンリー8世の妃はみな、悲劇的な人生をおくります。
今日は6人の妻たちをご紹介します!
ヘンリー8世とはどんな人物だったの?
ヘンリー8世は17歳という若さでイングランドの王様として「バラ戦争」後の国力強化をさせるために見事な政治的なリーダーシップを発揮しました。
まだ当時は海上で十分に戦えるほどの海軍は持っていませんでしたが、ヘンリーは軍艦を3隻から50隻に増やすことができ、のちの当時最強と言われていた「無敵艦隊」を打ち破る土台となったそうです。
また当時はまだウェールズはイギリスの領土ではありませんでしたが、宗教改革でウェールズを統合しブリテン島の半分を支配するほどに成長するきっかけとなった王様なんです。
残酷だけど、ヘンリー8世がいなかったら今のイギリスはなかったかもしれません。
ヘンリー8世が暴君といわれる理由
ヘンリー8世は在位中に72,000人もの人を処刑しています。イギリス改革の激動の間ではありましたが、数万人の処刑を命じました。
当時ギロチンは発明されていなかったので、処刑人は大変だったかもしれないですね。
暴君としてのイメージを持っている人が多いと思いますが、182cmの高身長で、テニスや狩猟、馬上槍試合などが得意な、アスリートでした。
またスペイン語、フランス語、ラテン語が流暢だったとも言われています。
肖像画の怖いイメージとは違い、アン・ブーリンのために書いたと言われるイギリスでも古い民謡として知られている「グリーンスリーブ」も書かれたとも言われています。
同時に作曲もおこない「pastime with good company」を作曲したともいわれています。
晩年は体調不良悩まされるヘンリー8世
実際の肖像画のように体が大きくなるのも、亡くなる4年前に馬上槍試合での落馬が原因で太りつづけたともいわれています。
その後、偏頭痛、痛風などの病気を併発し55歳で生涯を閉じました。
埋葬する直前に体内にたまっていた腐敗ガスが重い鉛の棺桶をあけるぐらいの威力だったといわれています。
意外とロマンチックな一面もあり、結婚して悲劇が起こる前は人気の的でだったかもしれませんね。
ヘンリー8世・離婚するために新しい宗教を??
カトリック教では離婚が禁止されており、どうにかして離婚するための方法として強硬手段をとったのです。
当時ローマカトリックの影響力が強いイングランドでしたが、ヘンリー8世はイングランドにプロテスタントとして新しい宗教をつくりました。
すでにイングランドにあったカトリック教会の土地と資産を取り押さえました。
幾度となるフランスとの戦争で財政はひどく疲弊していたため、カトリック教会からの財産を没収して解消させたともいわれています。
小国の王様が巨大な組織に対抗するのは国を滅ぼす可能性もあったのですが、もろともしないのがヘンリー8世らしさが出てきてますね。
ヘンリー8世と世にも不幸な6人の妻たち
では、ヘンリー8世の6人のかわいそうな妻たちを1人づつみていきたいと思います。
まずは父親の持参金の出し惜しみの為に結婚させられた王妃、キャサリン・オブ・アラゴンです!
キャサリン・オブ・アラゴン(結婚期間24年)
スペイン王室から嫁いできた王女で、始めはヘンリー8世の兄アーサーと結婚していました。
しかし、アーサーは病気で他界。
キャサリと結婚した理由
本来であれば、持参金を持たせスペインに戻る予定でしたが、ヘンリーの父親ヘンリー7世が持参金の出し惜しみの為、ヘンリー8世へ嫁がせました。
当時、兄嫁を気の毒に思っていたヘンリー8世は、キャサリンと結婚することに疑問を持っていませんでした。
義理の姉との結婚は近親婚として認められていなかったのですが、当時ローマ教皇は敵対していたフランスの敵であったイングランドに貸しを作るために特別に結婚を認めます。
ヘンリー8世11歳、キャサリン17歳のことでした。
しかし、キャサリン王妃が出産する子どもは次々と亡くなっていき、7回妊娠しますが死産や流産を繰り返し、唯一無事に成長したのはメアリー王女のみだったのです。
キャサリン男児生まれず、ヘンリー浮気に走る
30歳半ばを過ぎても、世継ぎの男児が生まれないなか、だんだん夫婦仲は険悪になっていき、当時キャサリン王妃の侍女だったアン・ブーリンと公然の浮気をしています。
普通であれば兄嫁と結婚するのはなかなか抵抗があるかもいれませんが、24年生活をしているとなれば、ヘンリーとキャサリンは本当の愛で結ばれていたかもしれませんね。
男児さえ生まれていれば・・・
本来であれば、近親者との結婚は契約無効になるため離婚しますが、ローマ教皇側としては特別に許可した結婚を無効にされたことで、激怒してカトリックから破門されることになります。
結果的に結婚が無効になり、娘のメアリーは王位継承はのちのエリザベスの次位になり、エリザベスの侍女にされました。
アン・ブーリン(結婚期間3年4ヵ月)
次に紹介するのが冤罪で処刑された悲劇の王妃、アン・ブーリンです。
フランスの宮廷にいたことから洗練されたマナーと男性の扱い方はピカイチでした。
アン王妃の実家は「バラ戦争」においてはヘンリー8世と敵対していました。
のちに許され、スコットランド王国との戦いではスコットランドのジェイムズ4世に大打撃を受けさせた功績から、ヘンリー8世から熱い信頼を得ていました。
ブーリン家は娘を伯爵や王に差し出す事で地位や権力を拡大していったのです。
姉のメアリー・ブーリンは当時すでにヘンリー8世の愛人となっていました。
一方、ヘンリー8世はアン・ブーリンに好意を持ち自分の愛人にしようとしました。しかし妹であるアン・ブーリンはヘンリー8世の愛人となることを拒んだのです。
当時アン妃は他に恋愛関係となる人物がいました。
しかし、ヘンリー8世の側近により、アン妃とその恋人は強引に恋愛関係を引き裂かれ、1525年にはヘンリーと同居することになったのです。
しかし、最初は嫌がっていたアン妃でしたが、実際に同居となると自分の中途半端な立場が嫌になり結婚することを望むようになりました。
その後、カトリック教会から破門され、イングランド国教会を設立し、無事に前妻のキャサリン妃と離婚できました。
1533年にアン妃と結婚しその年にはのちのエリザベスを出産します。
またしても男児生まれず
その後、男児を妊娠しますが、死産・流産するなど男児が生まれないと王位が他の王家に移譲するためヘンリー8世も落胆していきます。
ヘンリー8世は飽き始めていき結婚から3年後、他の男性との交際と何気ない会話の一部が国王反逆罪としてでっちあげられ、ロンドン塔にて処刑されてしまうのです。
姉とは違い、ヘンリー8世からの愛人になるよう誘いを断り、交際するなら結婚するというのが絶対条件で難攻不落でした。
ヘンリー8世をアン妃に対する気持ちを駆り立てるのがうまく、ブーリン家の地位を上げるために結婚することに執着し、一生を尽くしていたかもしれないですね。
ジェーン・シーモア (結婚期間16ヵ月)
次に紹介するのが、唯一の後継者である男児を出産したジェーン・シーモアです。
引用元:wikipedia
ヘンリー8世の腹心のジョン・シーモアの娘であり、シーモア家へ訪問した際にほれ込み宮廷に呼び寄せたとも言われる女性です。
当時アン妃と結婚していましたが、すでに飽き始めジェーンの物静かで優しい雰囲気に惹かれていました。
ジェーンの兄達もヘンリー8世の近くで従事し、アン妃やキャサリン妃を見てきたためすぐ返事をしないようと助言しジェーンもその助言に従いました。
ヘンリー8世がアン妃に飽き始めた時にはジェーンの遠慮がちさも無くなり大胆に接するようになったといわれています。
アン王妃の処刑翌日にジェーンと婚約
1536年、アン王妃が処刑された翌日にヘンリー8世との婚約を発表する。
ジェーンは慈悲深く、追放されていたキャサリン王妃の娘のメアリーを手元に呼び面倒を見たいとヘンリー8世に要望し、ヘンリー8世も快諾します。
1537年初の男児エドワード6世を出産。
国中が喜びましたが、ジェーンは産褥熱にかかり次第に体力が衰え、出産して12日後に死亡してしまいます。
ヘンリー8世もひどく落ち込み、引きこもり嘆きました。
男児も生まれて国も安泰していくと思ったヘンリー8世は安堵から突き落とされました。
もしかしたら、妻の中で本当に愛した女性なのかもしれないですね。
のちにエドワード6世は次期権力争いの大人の道具にされ15歳でこの世を去りました。
アン・オブ・グレーヴィス(結婚期間6ヵ月)
次は、肖像画と実際の顔が違いすぎて半年で離婚されたアン・オブ・グレーヴィスです。
1540年、フランスとローマ帝国が同盟を組み、それを危うく感じたヘンリー8世はヨーロッパに同盟国を作るためにユーリヒ・クレーフェ・ベルク連合公国(今でいうドイツ)のヨハン3世の娘と結婚しました。
側近のクロムウェルに美しい女性の肖像画を見せられたヘンリー8世は一目惚れ。
実際に見たいと思い、変装して会いに行ったといいます。しかし、肖像画が実際より誇張して書かれていたため、激怒しました。
同盟の為に結婚しますが、側近のクロムウェルと肖像画を書いた画家には責任を取らせクロムウェルは処刑、画家は追放されました。
半年間という短い期間でしたが、アン妃はヘンリー8世からベイナーズ城と年金をもらいヘンリー8世の妹としてのちの生涯を穏やかに過ごしました。
当時の肖像画が全てだったので、うきうきしていたヘンリー8世を思うと少し可哀想かもしれないですね。
しかし6人の妻の中では一番ラッキーな人であるのは間違いない!
キャサリン・ハワード (結婚期間18ヵ月)
次に紹介するのは、元恋人と関係が発覚し処刑された キャサリン・ハワードです。
アン・ブーリンのいとこで、ジェーン・シーモアの、はとこでもあったキャサリン。
ハワード家はヘンリー7世からの家来でキャサリンは4番目の王妃のアン妃の侍女として宮廷にいたのです。
ヘンリー8世はキャサリン妃のことを「トゲのないバラ」「宝石」と賞賛し、1540年に19歳で結婚しました。
しかし美しさ故に、惚れてしまう男は少なからずいて、結婚し2年後に元恋人との関係が噂され、それが原因で反逆罪として処刑されました。
以前の恋人と婚約状態であればキャサリン妃はヘンリー8世との婚約は無効であったため無罪となるはずでした。
「婚約はなかった」とキャサリン妃は証言してしまい、不義の罪として1542年に処刑され、その元恋人と他の男性も罪の重さを見せしめる為に処刑されました。
侍女でジェーン・ブーリンは不倫の仲を持ったとして処刑されました。
彼女は精神を患っており処刑を免れるはずでした、ヘンリー8世はわざわざ法律を変えて、精神異常者でも処刑できるように変更しジェーン・ブーリンを処刑されました。
キャサリン王妃はハンプトンコート宮廷に未だに無実を訴える為に度々、幽霊が目撃されるといわれています。
21歳で不貞を重ねてしまうのは、可愛さはやっぱり罪なのかもしれないですね。
キャサリン・パー (結婚期間3年6ヵ月)
最後にご紹介するのは慈悲深く、エリザベスとメアリーを王位継承権を復活させた才女。
キャサリン・バーです。
ヘンリー8世と結婚するまえに3番目のジェーン王妃の兄と交際していたが、ヘンリー8世が交際相手をブリュッセルに追放しプロポーズし1543年に結婚します。
このキャサリン妃は2度結婚しますが、2度とも死別されます。
残念ながらヘンリー8世とも死別されます。
ヘンリー8世はこの頃には、かんしゃくを頻繁に起こし側近たちの手にも追えないほどに、、キャサリン妃は上手くなだめることができた唯一の人だったともいわれています。
ヘンリー8世とキャサリン王妃は高齢だったため子を作ることはしなかったといわれています。
絶対的なヘンリーの信頼を勝ち取ったキャサリン
キャサリン妃はヘンリー8世の持病の看病も率先して行い、信頼を得ていました。
また才女としても有名で「イングランド王室史上最高のインテリ」として評価されていたためヘンリー8世とも対等に話ができたともいわれています。
また、ヘンリーの子どものエリザベスとメアリーの王位継承権を復活させます。
本物の母親のようにエリザベスとメアリーを可愛がり、ヘンリー8世が海外遠征に行っているときは、国王代理として務めるほど信頼されていました。
当時カトリックとプロテスタントの対立が止まない時代にカトリック教会の人からキャサリン妃は異端者として疑いをかけられ、キャサリン妃はあわてて証拠となる書物を焼却し、ヘンリー8世に信仰の潔白を証明して事なきを得ました。
キャサリン妃はヘンリー8世の最後を看取った人物であり。
またしても、死別される結果になりました。
遺言は、王妃としての地位を確約し年間7000ポンドを受け取ることを約束しました。
当時でいうと一般庶民の300倍もの年金を手に入れることが出来きました。
ほぼ介護状態からの結婚はキャサリン妃自身もあまりヘンリー8世を恐れていなかったかもしれないですね。
ヘンリー8世の扱いも上手く生きていれば影のイギリスの支配者になっていたかも?
ヘンリー8世の最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンからキャサリン・パーまで!まとめ
当時の衛生環境はとてもいいとは言えない中。ヘンリー8世はイングランドの安泰を願っての継承者の男児が生まれる願望が強く、アン妃に目移りしてしまいます。
常に若い女性の侍女が多いことから、ついつい愛人を作ってしまったかもしれないですね。
国王というポジションから、結婚を拒む婚約者の追放や破談は簡単だったかもしれません。
また彼の頑固強さや執念深い一面からこの悲劇は始まったとも思えます。
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