中国歴史

劉少奇の失脚と天安門事件!文化大革命とはどんな革命?後編

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こんにちは!

この記事は、文化大革命(以下、文革)について解説する記事の後編になります!

前編では文革の始まり、中編では文革の拡大と劉少奇(りゅうしょうき)の失脚について解説していますので、興味のある方はまずそちらを御覧ください!

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後編に当たる今回は、毛沢東(もうたくとう)の死から文革の終結までを解説していきたいと思います!

ではどうぞ!

林彪による毛沢東暗殺計画

共産党の実権を掌握していた劉少奇の失脚によって、毛沢東とその支持者たちが、ふたたび党の実権を握ることになりました。

1969年、13年ぶりに開かれた第9回共産党全国代表大会において、毛沢東は文革の勝利を宣言し、腹心で文革に功労のあった林彪(りんぴょう)を自らの後継者として指名します。

中編までで解説したように、林彪は大躍進政策の失敗後も一貫して毛沢東を擁護し続け、毛沢東の神格化を推し進めた人物でした。

そんな林彪が毛沢東の後継者として指名されることはある種当然の結果であり、林彪自身も、「やっとここまで登りつめたか」という感慨に浸っていたことでしょう。

しかし、毛沢東が次にとった行動は意外なものでした。

国家主席のポスト廃止!!

翌年の1970年、中国共産党第9期中央委員会第2回全体会議で、毛沢東は憲法を改正し、国家主席のポストを廃止したのです。

国家主席のポストは劉少奇の失脚以来空席になっていました。

毛沢東の後継者として、次期国家主席に就任することが内定している、と考えていた林彪は、毛沢東がとったこの決定に不信感を抱くようになります。

さらに、毛沢東は上海組の一人で、中央文化革命小組(以下、中央文革)の指導部メンバーであった陳伯達(ちんはくたつ)を攻撃するようになります。

これも中編までで解説しましたが、大躍進政策の失敗によって失脚した毛沢東が、文革を開始するために利用したのが、毛沢東の婦人である江青(こうせい)を中心とした「上海組」の面々でした。

彼らは、文革開始後は中央文革という組織の指導部となり、毛沢東の手足として、文革をリードしてきました。

そんな中央文革のメンバーである陳伯達を毛沢東が攻撃したことは、毛沢東の攻撃の矛先が、毛沢東派内部へと向けられ始めたことを意味します。

こうした状況を目の当たりにした林彪は、

「次の攻撃対象になるのは自分じゃないか!!」

という確信を深めていきます!!

林彪が飛行機事故で死亡?毛沢東の企て?

1971年、国防部長(国防大臣のようなポスト)であった林彪は、その権限を利用して毛沢東の暗殺を計画します。

林彪に残されている道は毛沢東の暗殺しかなかったのです。

毛沢東が身内を排除する動きを見せ始めた以上、何も手を打たなければ、劉少奇がそうであったように、今度は自分が、紅衛兵による「吊し上げ」の対象になってしまうのですから。

林彪の吊し上げなんて絶対避けたい!!!という思いはあっけなく打ち砕かれてしまいます。

なぜなら、、この計画はあっけなくバレてしまったのです。

進退窮まった林彪は、家族とともに専用機に乗り込み、ソビエト連邦(以下、ソ連)への亡命を企てます。

しかし、林彪らを載せた専用機がソ連に向かう途中、その専用機はモンゴル領内で墜落。乗っていた林彪とその家族は全員死亡しました。

事故とされていますが、やはり毛沢東が企てたとしか思えませんよね。

林彪の最期は、このように実にあっけないものでした。

止まらない毛沢東の暴政


しかし、林彪が死んでも攻撃の手が緩むことは無く、毛沢東は自身の暗殺を企てたことにより林彪の党籍を剥奪します。

こうして、文革は毛沢東対劉少奇という政治的対立から、次第に毛沢東派内部における内ゲバのような様相を呈するようになってきます。

それもこれも、全て革命(あるいは権力?)に固執する毛沢東の独裁が原因ですが、この頃になると、その毛沢東にも死期が近づいていました。

江青の台頭と第一次天安門事件、そして文革の終結へ

林彪が死んだ1971年の時点で、毛沢東は78歳でした。

そのため、次第に気力・体力の衰えが顕著になってきました。

そのためか、文革は次第に毛沢東の手から離れたところで展開していきます。

紅衛兵の間では、毛沢東思想を盲信する極左派と穏健派との内部対立が顕著になってきましたし、党内部での権力闘争も深刻化していました。

もはや毛沢東でも、文革をコントロールし切れない段階まできていたのです。

そんな中、毛沢東に代わって権力の座を手に入れようという野心を抱き始めたのが江青でした。

彼女は、中央文革の指導部という立場と毛沢東の威光を利用し、自ら党の実権を握ろうとしたのです。そのため、周恩来(しゅうおんらい)や鄧小平(とうしょうへい)、朱徳(しゅとく)など、この時まで生き残っていた共産党の大物を相次いで攻撃しました。

自国民への攻撃 天安門事件!

しかし、所詮は虎の威を借る狐です。江青の行動は次第に人々の反感を買うようになっていきます。

こうした中、1976年、第一次天安門事件が起きます。

天安門事件は日本でも有名ですが、おそらく皆さんがイメージしているのは1989年の方でしょう。戦車の前に立つ「無名の反逆者」の写真で有名ですね。

世界的に有名人となっていますがアメリカでは「タンクマン」と呼ばれているそうです。その後消息は不明となっていますが、そのまま公安に連れて行かれたという説や助けられ今も生きているという説がありますよね。

 

しかし、これは第二次の方で、1976年にも天安門で民衆デモは起こっていたのです。そのため、76年の方を第一次、89年の方を第二次天安門事件とも呼びます。

ただ、89年には文革は終わっているので、両者の間に直接的な関連性があるわけではありません。単にどちらも天安門で起こった民衆デモであるというだけです。

第一次天安門事件は、761月に周恩来が死去し、その追悼に集まった群衆が、次第に文革や毛沢東、そしてなにより江青への批判を訴えるデモを始めた事件でした。

この事件によって、江青を実質的な指導者とする文革への、世間の反感が露わになったと言って良いでしょう。

毛沢東が死去・その後は・・

そして、その年の9月には毛沢東が82歳で死去します。

これを好機とみた江青は党内でのクーデターを目論みます。しかし、毛沢東の死は反江青派にとっても好機でした。

江青が動くよりも先に、党主席兼中央軍事委員会主席であった華国鋒(かこくほう)が、林彪の死後に国防部長に就任していた葉剣英(ようけんえい)とともに逆クーデターを計画し、人民解放軍に指示して江青ら上海組の身柄を拘束させたのです。こうして、江青の野望はもろくも打ち砕かれました

1980年、最高人民法院特別法廷が開かれ、江青らに死刑判決がくだされました。江青は83年に減刑されて無期懲役となりましたが、1991年に獄中で自殺します。

そして、共産党は新たな指導体制のもと、文革で混乱した中国の再建に取り組むことになります。

鄧小平の復権、文革の傷跡

江青が死刑判決を受けた1980年、中国共産党は劉少奇事件が冤罪であったことを明言し、劉少奇をはじめ「走資派」として失脚、迫害された人々の名誉回復をおこないました。

そうした中で、かつて劉少奇の腹心だった鄧小平が、共産党の実権を握っていきます。

彼は、「改革開放路線(かいかくかいほうろせん)」と呼ばれる政治路線を掲げ、資本主義を部分的に認めることで、国内の経済を活性化し、文革で疲弊した中国の再建をすすめました。

「文革によって中国の経済復興は10年遅れた」と言われますが、鄧小平による改革開放路線は実を結び、アメリカに次ぐ(そして日本を追い抜いて)世界第二位の経済大国たる現在の中国の基盤を作り上げたと言って良いでしょう。

しかし、一方で文革によって中国社会が受けた傷は非常に大きなものでした。

文革によって犠牲になった人々は共産党による公式の統計によれば2000万人とされていますが、実際には4000万から5000万人とも言われており、その数はナチスによるユダヤ人虐殺の犠牲者600万人を大きく上回る数です。

今回の記事では、文革の流れを理解してもらうために政治的な面にフォーカスを当てて解説しましたが、政治と何ら関係のない民間人も、文革によって多く犠牲になっていることを忘れてはいけません。

劉少奇らは文革の終結後に名誉回復されましたが、犠牲になった多くの民間人は、未だ名誉回復されることなく忘れ去られようとしているのです。

現在の中国でも、文革について語ることは天安門事件と同様にタブーとされています。文革を経験した一部の人々がネットを通じて情報を発信していますが、当局によって削除されている状況が続いているそうです。

文化大革命とはどんな革命?わかりやすく簡単に解説します!後編まとめ

いかがでしたでしょうか?

前、中、後編に分けて、文化大革命について解説しました!文革の流れを大まかに理解していただければ幸いです。

文革は情報量も多い上に、未だ公開されていない記録もあるため、記事の中では紹介しきれなかったエピソードも多数あります。

今回の記事で少しでも興味が出てきた人は、文革について自分でも調べてみると、より知識が深まると思います!

ではまた!

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