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ローマ帝国の滅亡の理由とは?わかりやすく説明します!強大な帝国は重なる不運によって翻弄され・・

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ローマ市内には、たくさんの美術館や博物館、古くからの歴史的建造物がたくさんあります。その中でも、最も目立つ建物の一つが「コロッセオ」

かつては超強大帝国として多くの領土を収めてきた古代ローマ帝国。コロッセオはその時代がいかに栄えていたのかを象徴する遺跡の一つですね。

しかし、あんなに巨大な建物を作ったローマ帝国は、どうして滅亡してしまったのでしょう?

今回は、ローマ帝国が滅亡した理由について探っていきましょう!

目次

ローマ帝国が大きくなりすぎてしまった!

ローマ帝国は、地中海をぐるっと囲むように出来上がった巨大な帝国です。今では、イタリアの首都というだけで強大帝国だったということを知る人は少ないかもしれません。

今で言うと主な国だけでも、イギリス、フランス、スペイン、イタリア、ギリシア、トルコ、エジプトなど数多くの国を支配していたのです。

ローマ帝国滅亡の理由の一つとして、領土が大きくなりすぎたということが推測されます。

どうして、 支配領域が大きくなりすぎるとダメなのでしょうか。

その答えは簡単です、皇帝の命令が国の全部に行き渡りにくくなるからです!

実際、ローマが滅亡する100年くらい前に、各地で国境を守っていた軍隊が勝手に皇帝を選ぶ軍人皇帝時代というのありました。

その後も、皇帝の命令がなかなか帝国全土に行き渡らず、あちこちで戦いが起きやすくなります。

ディオクレティアヌスコンスタンティヌスといった皇帝たちは、対立する「自称皇帝」を倒してローマを統一します。

ローマ帝国を最後に統一したのはテオドシウスという皇帝でした。

テオドシウスは、広すぎる帝国を一人の皇帝が治めるのは無理ゲーだと考えたのです!

395年、テオドシウスは帝国を東西に分け、東ローマをアルカディウス、西ローマをホノリウスというように2人の息子にあとを継がせました。

テオドシウスが死んだ後、ローマ帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国にわかれることになりました。

ローマ滅亡の要因には農業も関わってくる!

ローマ帝国が滅ぶ400年代、世界の気候は大きく変化します。これまで温暖で多くの作物がみのっていましたが、400年代からヨーロッパの気候は寒冷化し乾燥しはじめたのです。

気温が下がると、どういう影響が出ると思いますか?一番大きな影響は、農業がうまくいかなくなることです。

ローマ帝国でも、主食の小麦の育ちが悪くなり、食べ物が手に入りにくくなったはずですね。古代ローマを支えていた農民の強さの秘訣は農業がさかんだったためとも言われています。

ローマ帝国では飢饉や流行病などがおこり多くの人が犠牲となったのです。

またこの農業の衰退によってローマの都市でも、売り買いされる品物が減り景気にも悪影響がでました。

この頃世界中で飢饉や疾病がおこり多くの国が影響をうけ、ローマ帝国も大打撃をうけてしまったんですね!

ゲルマン人がローマ帝国内に住み着くようになった

ローマ帝国の北には、現在のドイツ人の先祖にあたるゲルマン人たちが住んでいました。

ゲルマン人とローマ人はライン川やドナウ川を国境とします。

ローマ帝国の外に住むゲルマン人たちは、体格が良く軍人に向いていました。ローマ帝国はゲルマン人たちを兵士としてスカウトします。

また、ゲルマン人の一部はローマ人にやとわれて農場で働いていました。

最初は、ローマ人の領土にゲルマン人の数は少なかったのですが、兵士や雇われ農民としてゲルマン人が徐々にローマ帝国内に住み着くようになります。徐々にゲルマン人口が増えていったんですね。

ローマ帝国の中に住み着くようになったゲルマン人たちは、やがて、自分たちの仲間をローマ帝国内に呼び込むようになりました。

ゲルマン民族の大移動って世界史に出てきますよね。まさにゲルマン民族は次々とローマ帝国に流れ込み自分たちの国をローマ領域に建国していったのです!

理由その4 恐怖の民族、フン族がヨーロッパにやってきた

またローマ帝国滅亡の理由はゲルマン民族だけではありません。300年代、ヨーロッパのはるか東から恐ろしい異民族がやってきました。

彼らの名前は“フン族”。

フン族はヨーロッパにやってくるとゲルマン人たちを襲って、殺したり奴隷にしたりしました。

ゲルマン人たちはフン族から逃れるため、ローマ帝国の領内に入れてほしいとローマの皇帝に頼みます。

皇帝たちは、ゲルマン人たちは戦争にも強いので、彼らと手を組んでフン族と戦ったほうが良いと考え、彼らを受け入れます。

ローマの皇帝たちの予想通り、フン族はローマ帝国にも攻め込んできました。

フン族はとても戦争に強かったので、ローマ帝国軍はとても苦戦します。

451年、西ローマ・ゲルマン人の連合軍がカタラウヌムという場所でフン族の大王アッティラ(なんだか、強そうな名前ですね)と戦い勝利!

なんとか、フン族の侵入を抑えることができました。

ゲルマン人の大移動に飲み込まれた

アッティラが攻め込んできたころ、ローマ帝国、特に西ローマ帝国はめちゃくちゃになっていました。

それに目を付けたのがゲルマン人たちです。

アッティラをやっつけて、襲われる危険が無くなったゲルマン人たちは西ローマ帝国の領土を勝手に占領し始めます。

ゲルマン人たちは、フン族やほかの民族に襲われるかもしれない故郷を捨て、西ローマ帝国各地に自分たちの国を作りました。

こうなると、西ローマ帝国は、ほとんど滅んだようなもの。

完全に西ローマが滅ぶのは476年。

476年、最後の西ローマ皇帝が、ゲルマン人に殺され西ローマ帝国は滅亡しました。

ちなみに、東ローマ帝国は首都のコンスタンティノープルに巨大な城壁を築き、ゲルマン人やイスラム教徒の攻撃を防ぎ続け、なんと、西ローマ帝国滅亡から1000年も生き延びます。すごいですね!

ローマ帝国の滅亡の理由とは?まとめ

ローマ帝国の滅亡はいろんな要因が重なって起きてしまいました。今でもローマ帝国は偉大であったという過大評価をする人も多くいます。

では改めてなぜ崩壊してしまったのかみていきます。

・ローマ帝国が大きくなりすぎたこと。

・寒くなり農業がうまくいかなくなったこと。

・ローマ帝国内にゲルマン人が増えたこと

・フン族のアッティラが攻め込んできたこと

・弱った西ローマ帝国にゲルマン人たちが勝手に国を作ったこと

大きな帝国であったことは間違いないようですが、最後はあまりに不運であったとしかいえませんね。ローマのように巨大な国でも、いくつもの原因が重なれば、滅んでしまうんですね。

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