日本歴史

忠臣蔵では赤穂藩士の失踪者がいた!その謎の真相とは!?

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忠臣蔵とは、江戸中期に実際にあった「赤穂事件をモデルにした物語です。

赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかったことを発端に、旧赤穂藩士47名が吉良上野介に復讐を果たすまでが描かれています。

旧赤穂藩士47名が一丸となったイメージがありますが、実際に吉良上野介殺害計画には120名もの旧赤穂藩士が参加をするつもりでした。

途中でいろいろな事情で脱落していった赤穂藩士がたくさんいたのですが、その中にはなぜいなくなったのかわからない赤穂藩士たちもいました。

突然、事情もわからないまま失踪してしまった赤穂藩士たちの真相を探ります!

忠臣蔵では嫌味なキャラの家老・大野九郎兵衛、夜逃げの真相!

忠臣蔵での主人公は、赤穂藩のナンバー2・家老の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)です。

同じく家老であった大野九郎兵衛(おおのくろべえ)は、忠臣蔵前半の悪役のひとりです。

赤穂藩の財政、わかりやすくいうと経理を担当していた大野九郎兵衛は、吉良上野介殺害計画には最初から反対していました。

さらに、赤穂藩に残されたお金の配分でも大石内蔵助と対立した大野九郎兵衛は、孫娘を置き去りにして夜逃げをしてしまいます。

赤穂藩主・浅野内匠頭の仇を討つ気はない、さらに家族を置いて夜逃げまでする人でなし。

悪人とは言わないまでも、忠義の厚い赤穂藩にあって情けないヤツです。

ところが、大野九郎兵衛赤穂藩主・浅野内匠頭の切腹後の赤穂藩が混乱する中で、赤穂藩の名産品であった塩を売った売上金回収を一生懸命していたというのです!

大野九郎兵衛の回収したお金のおかげで、吉良上野介を殺害するまでの生活費や武器調達の資金などに役立ちました。

さらに、夜逃げのあとも塩の売上金の回収をし続けて大石内蔵助に送っていた、ともいうのです。

では、どうして大野九郎兵衛は夜逃げをしたのでしょう?

大野九郎兵衛の夜逃げは、大石内蔵助と打合せた上での計画的夜逃げだったのです!

赤穂藩士の中には吉良上野介殺害計画に仕方なく参加するものたちがいました。

そういう消極的な赤穂藩士を逃がすために、大野九郎兵衛が偽の脱走をしたようなのです。

家老の大野九郎兵衛が逃げたのなら、俺も逃げてもいいよねと思わせるためです。

大野九郎兵衛のその後の話として、吉良上野介殺害が成功したことを聞いたことを喜び、その直後切腹したともいわれています。

不名誉な役を引き受けた大野九郎兵衛の本当の失踪の目的は、忠臣蔵吉良上野介殺害計画を影で支えるためだったのかもしれませんね。

忠臣蔵の主人公・大石内蔵助の信頼厚い片腕も謎の失踪!

吉良上野介殺害計画にぜひ参加させてくれと言って、この計画に参加した瀬尾孫左衛門(せおまござえもん)

瀬尾孫左衛門は、大石内蔵助の家臣でした。

赤穂藩主・浅野内匠頭にはあまり世話にはなってないので、吉良上野介に敵討ちすることにあまり意味はありません。

それでも、大石内蔵助のためになるならどんなことでも働きますよと参加したようです。

主人でもある大石内蔵助は、ときには瀬尾孫左衛門の名前を偽名に使って行動するなど、かなり信頼していたこともわかっています。

その瀬尾孫左衛門は、吉良上野介殺害計画を実行する3日前にいきなり失踪します。

計画実行直前になってから、不参加を決めるのです。

その上、瀬尾孫左衛門吉良上野介の殺害が成功したあとに、大石内蔵助の奥様と手紙を交わしているのです。

その内容は、吉良上野介殺害に参加しなかったことを後悔しているという内容ですが、大石内蔵助の奥様はそのことにあまり怒っていないことも不思議です。

実は、この吉良上野介殺害計画には第二の計画があったとされています。

Aプランが失敗したときのためのBプランがあったというのです。

Bプランは、先に登場した大野九郎兵衛が中心になり、吉良上野介殺害計画を実行することになっていました。

瀬尾孫左衛門は、これまでに収集した情報を持って大野九郎兵衛と合流、Aプラン失敗のときに備えた待機組だったのではないでしょうか?

大石内蔵助を中心に念には念を押した計画が立てられていたとしても不思議ではありません。

忠臣蔵最後の失踪者は、吉良邸の密偵までした功労者!

忠臣蔵での吉良上野介殺害を決行する当日になってまで逃げてしまった人物がいます。

毛利小平太(もうりこへいた)です。

毛利小平太は、赤穂藩ではわかりやすくいうと物品管理の仕事をしていました。

こんな地味な仕事をしていた毛利小平太も、吉良上野介殺害計画では大変な活躍をします。

吉良上野介邸に潜入し、家の図面を作成してきたのです。

大きく広い吉良邸の造りがわからず、どこに宿敵・吉良上野介がいるかもわからずにいた旧赤穂藩士たち。

毛利小平太の情報なくしては、吉良上野介殺害計画が中止されていたかもしれないのです。

まさに、ミッション・イン・ポッシブルを成功させた男だったのです。

ところが、こんな危険なことまでやった毛利小平太が討ち入りには当日には来ませんでした。

忠臣蔵の映画やドラマの中では、

・兄に止められ、討入りに参加するなら徳川幕府にリークすると言われて諦める。

・肺結核になって直前で血を吐いて倒れ込み、死んでいく。

・恋人の家に入った強盗から彼女を助けて、逆に刺されて死んでしまう。

といった、どれもドラマチックな展開を見せています。

吉良上野介殺害計画への貢献度が高いだけに、無念の思いで参加できない毛利小平太が描かれるのでしょう。

忠臣蔵のラストミステリーは討入り後に失踪した大石内蔵助の使用人!

赤穂浪士47士の一人でもある寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)は、家老・大石内蔵助の使用人です。

赤穂藩主・浅野内匠頭の顔さえ見たことのない、もっとも関係のない人とも言えます。

とっても律儀な寺坂吉右衛門ですから、

「ご主人様のご主人様は、おらのご主人様だ!」

という理由で大石内蔵助にお願いして参加することになります。

吉良上野介への復讐を果たした赤穂浪士が、今は亡き旧赤穂藩主・浅野内匠頭の報告のために移動中に寺坂吉右衛門はこっそりいなくなってしまいます。

徳川幕府に捕まったあと、事情聴取を受けた赤穂藩士たちも寺坂吉右衛門の行方を聞かれます。

「47人いたはずじゃないか!もう一人はどこへ行った!?」

「エッ!本当だ!今、気付きました!  

 寺坂のヤツは臆病者でしたから逃げたんじゃないですか?」

と一緒に戦ったメンバーのこととは思えないようなひどい扱いです。

寺坂吉右衛門のその後の行動記録やお墓と言われるものもあります。

しかし、寺坂吉右衛門の失踪の理由ははっきりしません。

使用人を死なせることを可哀そうに思った大石内蔵助が、別の役目を頼んで逃がしたとも言われます。

一人生き残った寺坂吉右衛門は、切腹した旧赤穂浪士たちの家族のところを訪ねて歩きます。

あるものは父親の、あるものは夫の、あるものは兄や弟の活躍と最後の言葉を伝える寺坂吉右衛門

忠臣蔵とは何であったのか、その真実を伝え続ける役目を与えられたのではないでしょうか。

忠臣蔵では赤穂藩士の失踪者がいた!その真相とは!?

 

吉良上野介に復讐するという大きな目標を持って、1年半もの辛い日々を過ごしてきた旧赤穂藩士たち。

その目標の成功直前で失踪していったものたちの、その行動は未だに謎です。

謎だけに忠臣蔵に魅せられた人たちの想像力を掻き立てられ、様々なドラマ性を持って語られてきました。

でも、この創作と思われてきた赤穂藩士たちの失踪の話は、必ずしも創られたものばかりとはいえないのではないでしょうか。

吉良上野介殺害は、必ずしも成功する計画とは限りませんでした。

徳川幕府に止めらたり、途中で計画がバレたりすれば、失敗する可能性は高かったのです。

もし失敗したときのために、第二の吉良上野介殺害計画を考えていてもおかしくはありません。

第二計画さえも失敗したときには、赤穂藩士はどうして討ち入りをすることにしたのかを広め、全国に散らばり貧乏生活をしている旧赤穂藩士たちの名誉回復も必要だったでしょう。

吉良上野介殺害が成功したことで、参加した赤穂藩士はヒーローになりました。

逆に参加しなかった赤穂藩士は、赤穂藩主・浅野内匠頭の恩を忘れた人でなしにされました。

あまりの反響の大きさに、今さら赤穂藩士ですって言えなくなった人たちもいたはずです。

最初の吉良上野介殺害計画が失敗し、第二の計画が実行されていれば、もっと多くのヒーローが誕生していたのかもしれませんね。

 

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