中国歴史

川島芳子の生涯とは?男装理由や愛新覚羅一族の現在とは?(後編)

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こんにちは!

この記事は、愛新覚羅一族と溥儀についての解説の後編になります!

これまで、前編、中編にかけて愛新覚羅についての概要と溥儀の生涯について解説していますので、まだご覧になっていない方はそちらからみていただくと分かりやすいかと思います!

今回は、溥儀以外の愛新覚羅一族について、清朝滅亡以降の生涯を追っていきたいと思います!ではどうぞ!

「男装の麗人」川島芳子の生い立ち

運命に翻弄された愛新覚羅一族の1人として、川島芳子は欠かすことのできない存在です。

少女時代の川島芳子

川島芳子、本名、愛新覚羅顕シ(あいしんかくらけんし、シは王に子)は、1907年北京生まれ。

清朝で代々王家を継承することを許された、粛親王愛新覚羅善耆(しゅくしんのうあいしんかくらぜんき)の娘です。れっきとした王女ですね。

愛新覚羅の一族ですが、本家の子である溥儀とはかなり遠い親戚関係にあります。

清朝滅亡後、彼女の父親である善耆は、清朝復活を求め、日本との繋がりを強めます。

そして、芳子を親交のあった川島浪速(かわしまなにわ)という日本人の養子とします。

養子となった芳子は、当初は東京の赤羽に住み、その後、浪速の故郷である長野県松本市に移り住みます。

松本では、現在の松本蟻ヶ崎高校の前身である松本高等女学校に通いました。

馬に乗って登校したと言われ、満州族の王女という出自やその気品ある雰囲気から、当時の女性たちの間ではアイドル的な存在でした。

川島芳子の転機・自殺未遂

そんな彼女ですが、1924年、17歳の時に自殺未遂を起こし、一命をとりとめたものの、髪を5分刈りし、男装をするようになります。

川島芳子はテレビでもたびたびとりあげられ、男装した人というイメージが定着していますがちゃんと17歳までは女性として生きていたようです。

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川島芳子の男装理由と影響力の凄さ

では川島芳子が男装を始めた理由とはなんなのでしょうか。

理由は、川島浪速に乱暴を受けていたのではないか!や、当時付き合っていた男性との恋愛感情のもつれからなのではとも言われています。

しかし現在でもなぜ、川島芳子が男装を始めたのか真相は不明です。

また当時は、芳子の真似をして男装をする女性も多かったらしく、その人気ぶりがうかがえます。

芳子は、その気品ある姿から「男装の麗人」と呼ばれました。

その後、22歳でモンゴル人と結婚しますが、すぐに離婚。

男装しているのに結婚!ということはやはり心は女性のままだったようですね。

川島芳子・満州独立の為に力を尽くすも、、

離婚からの経歴は不明な部分も多いのですが、中国に渡り、関東軍のもとでスパイ活動をおこなっていたとも言われています。

満州国が建国された時には、溥儀の満州行きに反対した妻の婉容(えんよう)を満州へ連れ出すなどの工作に関わっていました。

録音スタジオにて

清朝復活を夢見ていた父親同様、彼女も満州の独立のために奔走していたようで、「亡国の王女にして独立運動家」というイメージがうけ、小説の主人公として描かれたり、ラジオ番組に出演するなど、当時のメディアを賑わせていたようです。

ですが、満州国を傀儡(かいらい)としようとする日本のやり方に、徐々に疑問を抱いていくようになります。

そして、「自分は利用されていただけ」、という失意から、政治への関与を避けるようになっていきます。

しかし、運命は彼女に対して残酷に当たりました。

川島芳子・裏切者の中国人として終わる?

日本が戦争に負けると、国民党政府が彼女を漢奸(かんかん)として逮捕したのです。

終戦後、中国ではかつて日本に協力した人物が多く漢奸として逮捕、処刑されたことは中編で述べましたが、彼女もその1人だったのです。

原因はもちろん、彼女が満州国の建国に関わっていたとされたからです。しかし、実は彼女が日本のスパイとして活動していたという公式な記録は無く、現在でも、関係者の証言が残っているだけです。

国民党にとって彼女を処刑することは中国の勝利を国内外にアピールする政治ショーでした。

そのため、裁判では彼女を主人公にした小説までもが証拠とされる始末。

つまり裁判は形だけで、彼女の処刑は予定調和だったのです。

結局、関係者による助命嘆願も虚しく、1948年、42銃殺刑に処せられます。

辞世の句として、

「家あれども帰り得ず 涙あれども語り得ず 法あれども正しきを得ず 冤あれども誰にか訴えん」

という句が残されています。

彼女の孤独な心情が現れていますね。

川島芳子生きていた!?

彼女の生涯こそ、運命に翻弄されたというに相応しいものでしょう。

清朝の王女に生まれながら、最期は漢奸、つまり売国奴の烙印を押されて処刑されたのですから・・・。

そんな彼女ですが、実は生存説も囁かれています。

というのも、彼女の処刑には不審な点が指摘されているほか、42年以降に彼女を見た、と証言する人も何人かいるのです。

源義経や西郷隆盛など、悲劇の死を遂げた人物について生存説が囁かれることはよくあることですが、川島芳子についても同様と言えます。

それだけ彼女の波乱万丈な人生が、人々の心を掴んでいるのかも知れません。

「流転の王妃」嵯峨浩

溥傑が見た浩のお見合い写真

華族として愛新覚羅家に嫁いだ日本人、嵯峨浩(さがひろ)も、運命に翻弄された人物の1人です。

嵯峨浩は、1914年、公爵嵯峨家の長女として生まれました。天皇家とは遠い親戚関係にあります。

彼女は、1937年に溥儀の弟、愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)と結婚しました。

政略結婚でありながらも、、、

結婚の記念写真

当時すでに満州国が建国されていたため、「日満親善」をアピールするためのという政治的目的から、関東軍の主導で縁談が進められたようです。

当初、溥儀は溥傑と皇室女子との結婚を望んでいましたが、当時の皇室典範では皇族と外国人との結婚は認められていなかったため、代わりに華族であった浩に白羽の矢が立ったというわけです。

文句なしの政略結婚なのですが、溥傑との夫婦仲は良く、2人の女の子を産んでいます。

しかし、彼女の運命も敗戦とともに大きく動いていきます。

それぞれ壮絶な人生を歩む2人

1945年の敗戦後、ソビエト連邦が満州に攻め込んできたことは中編で解説しましたが、この時の混乱で、溥傑と浩(と次女。長女は日本で学習院初等科に在学)は離れ離れになってしまいます。

その結果、溥傑はソ連軍に、浩と娘は19461月、中国共産党の軍隊である八路軍(はちろぐん)に捕らえられてしまいます。

その後同年7月に釈放されるまで、浩たちは八路軍とともに旧満州であった中国東北部を転々としました。

当時、旧満州はソ連、中国共産党、国民党がそれぞれ占領しており、特に共産党と国民党は中国の支配を巡って争っていたため、非常に混乱した状態が続いていました。

そのため、八路軍は各地を転戦していました。こうした中で、2月に起こった通化事件に浩たちは巻き込まれます。

日本人の多くが犠牲になった通化事件!浩が感じた恐怖

通化事件は、旧満州の通化という都市で、満州に取り残された日本人約3000人が、八路軍に虐殺された事件です。

この事件で浩たちが殺されることはありませんでしたが、当時の旧満州には多くの日本人が取り残され、虐殺を受ける事件が多発していました。

自分も処刑される恐怖に怯えながらこうした情景を目の当たりにするというのは、現在の私達には想像もつかない恐怖だったのではないでしょうか。

こうした中、結局7月に浩たちは釈放されるのですが、今度は国民党に捕らえられ、同年12月に身柄を上海に移されます。

そこで、旧日本軍の大尉であった田中徹雄の助けを得て上海を脱出、1947年の1月にようやく日本に帰国します。

実に1年間、命の危険を感じながら流転の日々を送ったことになります。

帰国後、その時のことをまとめ、1959年に『流転の王妃』というタイトルで出版し、反響を呼びました。

夫の溥傑と嵯峨浩の実に15年後の再会

一方、夫の溥傑は身柄をソ連から中国共産党に引き渡され、撫順(ぶじゅん)の収容所に収監されていたため、長らく再会することはできませんでした。

2人の再会が叶ったのは1961年、実に15年ぶりの再会です。

その後、2人は北京に住み、1987年に北京で死去しました。

2人の娘のうち、長女は1957年に自殺しているのですが、次女は日本人男性と結婚し、5人の子をもうけました。

愛新覚羅一族の血は、こうして現在の日本にも残っているのです。

川島芳子の男装理由が明らかになる!愛新覚羅一族の現在とは?(後編)まとめ

いかがでしたでしょうか?

溥儀には子供がいなかったのですが、今回紹介した川島芳子の父善耆には30人以上の子がいました。

清朝の王族は他にもたくさんいるので、単純に愛新覚羅家の人物全てを紹介しようとすれば途方も無い数になります。

そのため、今回は特に有名な2人をピックアップし、紹介してみました。

川島芳子の場合、子孫はいませんが、現在でも生存説が囁かれているのは興味深いですね。

また、浩の子孫が日本で生きているというのも意外でした。

名字は愛新覚羅ではないものの、溥傑の血を受け継いでいるわけですから、愛新覚羅の血は現在の日本でも生き続けていると言って良いでしょう。

これで、前回、前々回と続いた愛新覚羅一族と溥儀についての解説は終わりです。

ぜひ皆さんがこの時代の歴史にも興味を持ってくれればと思います!ではまた!

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