幕末

忠臣蔵の真実とは?嘘でしょ!有名すぎる感動物語は実は作り話だった?!?!

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最初におことわりしておきますが、忠臣蔵とは、事実を基にしたフィクションです!忠臣蔵ファンの方はショックかもしれませんが・・・・

みなさんが知っている忠臣蔵と言えばおそらく

「元禄15年(1702年)12月14日深夜、江戸本所にある吉良上野介宅に赤穂浪士47人が押し込み、この家の主人・吉良上野介(きらこうずけのすけ)をはじめ警護のものなど15人を殺害、重軽傷者は23人という仇討ち事件」

ではないでしょうか?

忠臣蔵とは「赤穂事件」という元ネタがあった!

実は忠臣蔵とは、実際に起きた「赤穂事件」(あこうじけん)をベースに作られました。

赤穂事件に登場する人物や場所は忠臣蔵と全く関係ないわけではありませんが、実際の事件とは違う部分がたくさんあります。

わかりやすくいうと実際の赤穂事件を映画やドラマのために、書き換えたものだったのです!

赤穂事件がどのようにして忠臣蔵として面白くされたのをわかりやすく解説します!

15代徳川将軍綱吉の時代に起きた事件「赤穂事件」

吉良邸討ち入り。二代目山崎年信画、1886年

 

忠臣蔵とは、江戸時代中期、15代徳川将軍綱吉の時代に発生した「赤穂事件」がモデルです。

徳川将軍家にやってくる天皇代理人の接待役に選ばれた赤穂藩(今の兵庫県南西部)の藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)、当時34歳。

天皇代理人の接待には古くからの形式があるため、その形式を教える役は吉良上野介、当時60歳。

仕事をバリバリこなす34歳・浅野内匠頭が、60歳のおじいちゃん・吉良上野介に江戸城の中で突然斬りかかったのです。

江戸城の中で刀を抜くことは禁止されていた上に、天皇代理人接待中のこともあり、将軍徳川綱吉は激おこ!

「浅野内匠頭は、すぐ切腹!赤穂藩はつぶす!」

この指示に地元赤穂藩では、徳川幕府と戦うというものと徳川幕府の指示に従うというもので大混乱になりました。

赤穂藩のナンバー2・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)は、その対立を収めて赤穂藩を徳川幕府に無事渡します。

無職になった赤穂藩氏たちは全国へ

仕事を失った赤穂藩士たちは、全国に散らばってしまいました。

ところが、赤穂藩解散から1年半後、旧赤穂藩藩士47名が吉良上野介の家に侵入し、殺害。 旧赤穂藩主・浅野内匠頭の復讐というのが、その理由でした。

約2ヶ月にわたる審議の結果、旧赤穂藩士47名を切腹させるということで事件は終わりました。

平和な時代が続き、武士の刀は飾りでしかないと言われていた時代。

藩主・浅野内匠頭のために1年半もかけて、その復讐を果たした忠義のものとして、旧赤穂藩士たちは江戸の人たちにヒーローのように扱われました。

でも、浅野内匠頭がどうして斬りかかったのか、旧赤穂藩士は本気で復讐する気があったのかなど謎がいっぱい残ったこの事件。

事件に関わった旧赤穂藩士が死んでこの世にいないので、今さら聞くこともできなくなってしまったのです。

忠臣蔵とは、この謎の部分をわかりやすく書いて作品にしたものだったのです。

https://history-go.com/archives/15143

忠臣蔵とは浅野内匠頭のキレた謎からはじまる!?

忠臣蔵の最大のミステリー、赤穂藩主・浅野内匠頭がなぜ吉良上野介に斬りかかったのか?

想像される理由は、わかりやすいものはいくつかあります。

浅野内匠頭はキレやすい性格だった。

・赤穂藩の名産・塩を欲しがった吉良上野介に逆ギレした。

などなどありますが、どれもドラマ性が欠ける。

そうだ!

意地悪爺さん・吉良上野介にイジメられる真面目な青年・浅野内匠頭ならわかりやすくていいかも!

吉良上野介のいやがらせが汚すぎる。。。。

吉良上野介のストレートなイジワルはこんな感じでした。

「今は節約の時代だから、お部屋の畳は変えない方がいいなぁ。」

「天皇家は質素だから、豪華な料理はよくないねぇ。」

と言っておきながら、天皇代理人が来るときになってから、

「部屋の畳を変えてない!?こんな汚い部屋に天皇家の方を泊めるつもりか!?」

「こんな貧乏くさい料理を出すのか!?」

まったく逆のことを言い出したのです。

浅野内匠頭の配下たちが、指示通りだといい返すと、

「おやおや、私がボケたというのかね。そっちの聞き間違いではないのか? それとも、赤穂のような田舎では、これがごちそうなのかな?」

吉良上野介のイジメ方も、なんともわかりやすい・・・

自分の部下を馬鹿にされ、我慢ができなくなった浅野内匠頭は、

「これがおまえのやり方か!!」

といって、吉良上野介に斬りかかった・・・・・

という設定ならわかりやすくて面白い!

と考えたのです。

おかげで、地元では名君と言われる吉良上野介が忠臣蔵のヒール役になったというわけです。

忠臣蔵とは家老・大石内蔵助が敵も味方もダマす話!?

「でも、赤穂藩士ものんびりしてるよな。仇討ちするのに1年半もかかるかよ?」

そんな忠臣蔵ファンの皆さんの疑問を、わかりやすい設定にしてみたのが下記。

赤穂藩を離れた家老・大石内蔵助は、京都に住んでいました。

赤穂藩士が吉良上野介に復讐するという噂は、徳川幕府にも聞こえていました。京都にいる家老・大石内蔵助には、徳川幕府の監視が何人も付くことになったのです。

徳川幕府としては、江戸で大勢の赤穂藩士が暴れたら、暴動が起きるかもしれないと恐れていました。

そのことに気づいた大石内蔵助。

自分がこのまま江戸へ行けば、すぐに吉良上野介復讐計画に気づかれてしまう。

徳川幕府の監視をごまかすために、大石内蔵助は女性を連れて酒を飲んで歩きます。

最初は演技に違いないと思っていた徳川幕府の監視たちも、毎日毎日酒を飲んで歩く大石内蔵助を見て、 これは吉良上野介に復讐するって噂は嘘だなと思います。

徳川幕府の監視も一人ずついなくなっていきました。

大石内蔵助はこのタイミングを逃さず、赤穂藩士を呼び集めて江戸へ行くことに成功するのです。

この話は、記録の残っているところもありますので全てが作った話ではありません。

難しい言葉で書かれた記録を、わかりやすい話に膨らませて、こうだったらいいな忠臣蔵!と考えたものだったのです。

https://history-go.com/archives/15143

忠臣蔵とは吉良上野介を守る魅力あるヒール役にも注目!

いよいよ忠臣蔵のラストシーン、吉良上野介への復讐を誓って赤穂藩士たち47名が討ち入りをします。

しかし、吉良上野介側もただのんびり待っていたわけではありません。百戦錬磨の護衛を集めて、赤穂藩士47名を待ち受けていたのです。

二刀流の清水一学、悪役と知っていながら吉良上野介を守り抜く小林平八郎など、こちらも赤穂藩士に負けない忠誠の心を持って戦い続けます。

清水一学も小林平八郎も、吉良上野介を守って赤穂藩士と対決し壮絶な最期を遂げます。

ところが、清水一学も小林平八郎も実在の人物ですが、その戦闘シーンは全くの創作です。

赤穂事件で残された戦闘シーンの記録を集めて、清水一学や小林平八郎にわかりやすくあてはめたのです。

忠臣蔵の吉良邸討ち入りのシーンでは、吉良上野介側の強い護衛に赤穂藩士が追い詰められては、みんなで力を合わせて倒す場面が多く見られます。

スターウォーズのように強い魅力的なヒール役がいると、映画もドラマも盛り上がります。

忠臣蔵とは、悪役のキャラクターまで考え抜いた作品だったのです。

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忠臣蔵の真実とは?有名すぎる物語は実は作り話?!?!まとめ

魅力ある吉良上野介の護衛たちも、激しい戦いの末、赤穂藩士に殺されます。

その赤穂藩士47名も、吉良上野介への復讐に成功したあと、切腹して全員死んでしまいます。

忠臣蔵を見た人たちは、この悲しい結末に泣かずにはいられなかったのです。

赤穂事件ってこんなことがあったんじゃない?とわかりやすく書かれたものを『仮名手本忠臣蔵』といいます。

これが、歌舞伎や人形劇で演じられると江戸では、空前の大ヒットとなったのです!

仮名手本忠臣蔵では、時代設定や登場人物の名前を変えて演じることで、徳川幕府に配慮していました。

でも、見た人たちは赤穂事件のことだとすぐにわかりました。

当時の人気作家だった井原西鶴近松門左衛門も関わっていたという説もありますから、仮名手本忠臣蔵がヒット間違いなしだったのもわかります。

時代の流れの中で『忠臣蔵』と略され、登場人物も実在の人物で演じられ、今では年末時代劇の代名詞です。

作られたはずのエピソードとわかっていても、実際にあったことのように怒り、悲しみ、興奮して忠臣蔵のファンになってしまいます。

赤穂藩士の47名や吉良上野介の護衛達の中に、必ずあなたの押しキャラもあるはずです。

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