幕末

新撰組とはなんだったのか?簡単にわかりやすく説明!幕末期に大活躍した若き勇者たち

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みなさん、こんにちは!幕末時代の歴史を楽しんでますか?

歴史が嫌い(笑)という方でも、絶対知っている「新選組」という言葉!

今日はその「新選組」がどんな組だったのかわかりやすく解説していきますね!

新選組ってどんな風に結成されたの?

江戸幕府14代の将軍である徳川家茂が京都へ向かう際に、将軍護衛を目的に身分を問わず武芸の際立った者たちの募集することになりました。

それに応じた江戸の浪士の集団を壬生浪士組(後の新選組)と呼びます。

14代将軍の時代になると徳川家の支配力は極端な財政難から低迷しはじめ、新撰組の影響力も次第に弱くなり始めます。

徳川家茂は京都で幕府の権威回復をするため上洛をしたのです!

しかし将軍上洛の時期の京都は極めて不穏な時期でした。幕府を倒し徳川家を排除しようと考える過激的な考えを持つ武士が続々と京都へと集まりはじめていたのです。

幕府は少しずつ求心力を失っていきます。そしてついに、弱体化しつつあった徳川幕府の家臣団のみではとても将軍を守り切れないと判断するのでした。

先鋭たちが集まった壬生浪士組

武芸に秀でて将軍家に忠誠を誓うものであれば、家柄など不問で構わないという中で応募に応じたのが近藤勇土方歳三、沖田総司などです。これが新選組の前進と言われる壬生浪士組です。

壬生浪士組は京都守護職の松平容保の配下となり京都で不穏な活動を行う者たちを逮捕したり京都の治安の維持を行います。ここから壬生浪士組の名がだんだんと世にでてくることになります!

それでは次に壬生浪士組から新選組になる経緯を説明しながら新選組の活躍から解散までを触れていきますね!

 

新撰組ってどんな活躍をしたの?

壬生浪士組(後の新選組)を天下にとどろかせる事件が起きます。

それは幕末期に一貫して、倒幕活動の中心であった長州藩を京都から追い出す事件です。それを事件が起きた日にちなんで8月18日の政変と言います。そのまんまですが・・・

8月18日の政変が起きた当時、武力で幕府を倒すという危険な思想は朝廷内では少数派の意見でした。

大多数は朝廷と幕府の融和です。

このため長州藩を御所内から追放し京都に平穏な日々を取り戻した8月18日の政変に
活躍した京都守護職の松平容保、そして配下で動いた壬生浪士組の評判は朝廷でも高く評価されます。

そして、壬生浪士組には8月18日の政変での御所内での警護の功績を認められ朝廷から新選組という名を頂いたといわれています。

8月18日の政変が起きて京都での長州藩など過激な思想を持つ人たちはいなくなったかにみえました。

討幕派長州藩の復活へ・・?

しかしなんとか京都で長州藩の勢力を復活させたいと考える過激な思想を持つ集団が極めて強引な方法で京都での長州藩の勢力の復活を目指します!

京都市中を撹乱し、一橋慶喜(後の15代将軍)松平容保を亡き者とし幕府勢力を一掃するという長州藩のクーデター計画が進行しているという話を新選組は得ることに成功します。

またクーデター計画の会合がひそかに京都市中で行われている情報も運良く、新選組は知ることができたのです。

計画の会合はどこなのか新選組は京都市中を懸命に捜索します。新選組は3組に分かれて市中を詮索。

長州藩危うしです!この場面は映画やドラマでも見せ場ですよね。

新選組が池田屋に襲撃!

亥の刻(午後10時くらい)に池田屋で過激な思想を持つ武士が会合を開いていることを近藤隊が察知します。

そして新撰組はその場に奇襲をかけるのです!近藤勇や沖田総司らが切り込み、ある者は討たれそしてまたある者は捕縛されます。

京都という都を巻き込んだおそるべきクーデターの首謀者(長州藩)への先制攻撃。

新選組は動乱期の京都の治安を維持するには欠かせない存在となっていきます。長州藩は1600年の関ヶ原の戦いで負けてしまい大幅な領地削減がされた藩です。

もともと徳川家と同格クラスの大名だっただけに、寄せ集めの新選組に奇襲をかけられたその悔しさは代々受け継がれてきました。

徳川の支配も260年を経過し、次第に財力も落ち支配力がなくなりつつある幕末期になると好機到来とばかりに長州藩はどれだけたたきのめされても支配力を取り返そうと必死に食らいついたのです。

池田屋事件で新選組に同志が斬られても恨みが増すだけであきらめる気は毛頭なかったみたいね。

長州藩は池田屋事件の後の禁門の変でも幕府に抵抗し、新選組とも戦いますが結局は敗北してしまうことになります。

倒幕を絶対に諦めない長州の粘り

しかし・・・長州のすごさは、どこまでも倒幕をあきらめない姿勢です。この姿勢は、やがて新選組そして徳川幕府の勢いを止めてしまう事になります。

1866年の坂本龍馬の仲介で成立した薩長同盟で薩摩と長州は討幕の急先鋒となります。

薩長を中心とした新政府は徳川幕府の存在を無視した政策や徳川家に領地の朝廷への
返還など厳しい要求を行います。

これは幕臣や徳川家に心を寄せる大名を激怒させます。

その結果、鳥羽伏見の戦いが起きます。新選組は幕府の軍の一員として参戦しますが敗北してしまいます。

理由は新政府軍の近代兵器に対して、新選組は刀や槍での戦いを挑むため新政府軍の陣地に切り込む前に火力の的となり勇敢な兵士でもあえなく敗れてしまったといわれています

新選組は近藤勇は降伏するものの、土方歳三など多くの新選組の隊士は会津戦争そして箱館五稜郭まで戦いを継続します。しかしながら常に新兵器と圧倒的な兵士の差に悩まされてしまいます。そして1869年5月、土方が戦死してしまい新選組は最後を迎えます。

新選組とは?そのメンバーの顔ぶれがすごい!

新選組のメンバーは歴史に興味がなくても一度は聞いたことあるような名前が結構でてきます。

え?この人も新選組だったんだ!と思われる方もメンバーだったりするんですね!ではどんな人がメンバーだったのかみていきましょう!

・芹沢鴨 初代の組長であったが性格の粗さと酒癖のせいで 近藤派らと対立。後に暗殺される。
・新選組の局長 近藤勇 武芸と勇猛さで幕臣にまでなった人物。
・新撰組の副長 土方歳三 箱館五稜郭まで新政府軍と戦った武士。
・山南敬介 諸説あるが隊の規則に背き切腹したとされる。
・伊東甲子太郎 新選組を抜けたため、局中法度違反にて暗殺される。
・一番組組長 沖田総司 剣の達人。新選組の困難な局面を担当した。
・二番組組長 永倉新八 沖田とともに剣の達人。明治維新後も長命し、新選組の話をよく語ったといわれる。
・三番組組長 斎藤一 無口だが剣豪として知られ永倉と共に明治維新後も長命。
・四番組組長 松原忠司 池田屋事件にも参加した。
・五番組組長 武田観柳斎 新選組と後に対立し暗殺される。
・六番組組長 井上源三郎 鳥羽伏見の戦いで戦死。
・七番組組長 谷三十郎  大政奉還前に死す。
・八番組組長 藤堂平助  池田屋事件に参加。のちに暗殺される。
・九番組組長 鈴木三樹三郎 大正時代まで生きる。警察官などで活躍。
・十番組組長 原田左之助 上野での官軍との戦いで戦死したと伝えられている。

やはり一番人気は土方歳三でしょうか?

いつの時代もそのイケメンぶりが女性を魅了するようですし、女性だけでなく、その甘い容姿からは想像もつかない「鬼」ような恐ろしい一面もあり男性からも憧れの存在となっています。

名前だけは沖田総司がダントツ知名度が高いのではないでしょうか?

おそらく、定期的にイケメン俳優が沖田総司を演じており、なんとなくかっこいいイメージもついてしまいましたよね。

こちら近藤勇と沖田総司の写真ということですが沖田総司、結構顔立ちが凛々しいですね。これまで俳優の岡田准一さんや山田涼介さん、草刈正雄さんが沖田総司を演じてきましたが納得ですね。

新撰組とはなんだったのか?簡単にわかりやすく説明!まとめ

新選組は江戸の浪士を中心とした夢多き若者の集団です。命をも惜しまず夢を追いかける若き勇者たちだったのです。

正式な武士ではありませんが、江戸の混乱期に武功を上げる事でその働きを幕府に認めさせ、世に出ようと必死に生き抜きました。

武士の時代がまさに終わろうとする中で武士らしい生きた方とは何かを真剣に考え、それぞれが武士らしさにこだわりを持って生きた人たちです。

彼らは将軍への忠誠心を持ち忠義に生きた集団でしたが、時代が急激に変化し気が付いてみれば自分たちは時代に乗り遅れた存在になってしまいました。

これからも時代は大きく変化していきますがどこかしらスマートな生き方ができなかった新選組は私たちの心の中にいつまでも残り続ける存在だといえるかもしれません。

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