イギリス

スコットランドの歴史を簡単にわかりやすく解説してみたよ!

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ラグビーW杯では日本とも対戦した「スコットランド」。

日本が勝利したものの、その屈強さにほれぼれした人も多かったのではないでしょうか。

古くから「ハイランダー」と呼ばれる背が高くて屈強な人々が住んでいたスコットランドは、イギリスの4つの「国(カントリー)」のひとつです。

今日は独立問題でも世間を騒がせているスコットランドの歴史について、簡単にわかりやすく説明したいとおもいます!

最後までどうぞお付き合いください!

ピクト人+ゲール人+ブリトン人のケルト系王国

古代のスコットランドに住んでいたのは、南側のイングランドやウェールズのサクソン人やブリトン人とは別の民族でした。

スコットランドに住んでいた民族のひとつは「ピクト人」です。

ピクト人は、ケルト語を話していたことや王がいたことなどは分かっているのですが、いつから住んでいたのか、どこからやってきたのかは未だにわかっていない、謎の民族でもあります。

刺青が特徴的だったようで、英語の「picture」は「pict」、つまりピクト人が由来ではないかという説もあります。

そもそも、「ケルト」という言葉自体が生まれたのは、近現代になってからのことです。

そのため、研究者の間では「ケルト系」と呼んだ方が適切だとされています。

もうひとつは「ゲール人」です。

ゲール人は元々アイルランドにいた民族で、ピクト人よりも後にスコットランドへやってきました。

このゲール人、もうひとつの呼び方を持っていて、「スコット人」とも呼ばれています。

この呼び名が、スコットランドという名前の由来でもあります。

ここに、ウェールズを中心に暮らしていた民族「ブリトン人」が南部から加わり、更に異動してきたゲルマン系諸民族を取り込んで、ローマ帝国衰退後にいくつかの国ができました。

スコットランド初の王国誕生も、イングランドと対立!

スコットランド内は11世紀に「スコットランド王国」として統一されましたが、13世紀後半になるとイングランドとの対立が顕在化するようになりました。

このころ既にウェールズから自治権を奪っていたイングランドは、王位継承問題で混乱が生じていたスコットランドから調停を求められたことをきっかけに、実質的な統治権を奪われてしまいます。

一方で「島ケルト」、つまり現在のイギリスにいた人々は、南部はローマ帝国の支配を受けたものの完全な征服は受けず、ケルト神話や文化を後世に残したとされています。

それだけではなく、イングランドはスコットランド王が代々腰かける重要な「スクーンの石」を反乱鎮圧の戦利品として持ち帰ってしまいました。

2回の独立戦争

1回目は「スクーンの石」を奪われた直後、ウィリアム・ウォレス率いる反乱軍がイングランドに反旗を翻します。

この反乱は鎮圧されてしまいますが、その後エドワード1世が亡くなりイングランド軍が勢いを失ったこともあって、イングランド国王ヘンリー7世の娘がスコットランド王家に嫁ぎ和平が成立します。

ロバート1世率いるスコットランド軍は、最終的に勝利を収めました。

いったんは独立に成功したスコットランドでしたが、ロバート1世が死去すると再び王位継承争いが勃発。

内乱で王が2人誕生し、片方がイングランドに臣従を誓ってしまいます。しかし、イングランドもフランスと百年戦争が始まり、スコットランド議会の反発を抑える余力はありませんでした。

結局どちらの王も跡取りがないまま没し、両王家共に断絶。実質的に内政を取り仕切っていたロバート・ステュアートが即位し、ステュアート朝が始まりました。

イングランドと同君連合成立!しかし…

16世紀になると、今度はスコットランドがイングランドの王位継承権を求め始めます。

はじめは認められませんでしたが、ヘンリー7世の孫にあたるイングランド女王エリザベス1世の死でテューダー朝は断絶。

結果、ヘンリー7世の玄孫であるステュアート朝の王ジェームズ6世がイングランド国王に即位し、スコットランドとイングランドは同じ王を持つことになりました。

しかし、国王がスコットランドからイングランドに居を移して以降、王自身がイングランドから返ってくることはありませんでした。更に、当時海外貿易で経済を回していたスコットランドに対し、「スコットランドは外国なのでイングランドの港を使ってはいけない」という航海条例が出されます。これが経済に大打撃を与え、スコットランドは貧しい国になりました。

イングランド側の暴挙は止まらず、ついにスコットランドを無視して王を自分達の都合のいい王に変えてしまいます。

当然スコットランドは反発しますが、人口でも経済力でも格上のイングランドには敵いませんでした。そして1707年、スコットランドはイングランドの支配下に置かれます。

急速な近代化とナショナリズム

19世紀に産業革命がおこると、スコットランドの経済は急速に発展し、人口増加と経済成長を達成しました。

スコットランドは大英帝国の一部でありながら「自分達はスコットランド人である」という誇りを忘れない、優れた起業家や知識人を輩出します。

しかし、第2次世界大戦が終わるころには、他の国と同様にイギリスも衰退していました。

1960年代になって経済成長に陰りを見せ始めたスコットランドは、ウェールズやアイルランドと共にイングランドからあまり重要視されなくなります。

このことが、再びスコットランド人のナショナリズムを奮起させました。

1979年、ついにスコットランドはウェールズと共に独自の議会設置を求めます。この時の国民投票は賛成票を得られませんでしたが、2回目の1997年で大多数が賛成。

スコットランドは、ついに独自議会を獲得しました。

スコットランドは、実に300年ぶりの自治権を取り戻したのです。

今後、独立はありえるのか?

2013年ごろから、スコットランドは再び独立を目指しはじめました。

2020年2月にイギリスがEUを離脱したことで、その機運が高まっています。

さらに波乱が起きそうなイギリスの今後に注目ですね!

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