ヒグマは、ときに人を襲い食い荒してしまう恐ろしい生き物。どんな筋肉隆々の男性さえもその巨大なヒグマには勝てません!
北海道の人々はいつヒグマに遭遇し食いちぎられるかわからない恐怖を常に持っています。
今日は次々と人が食い殺されていった「三毛別ヒグマ事件」について解説していきます!
今回は、どうしようもなく恐ろしいこの事件、描写もえぐくなってきますので心臓が悪い方は閲覧注意です。
三毛別羆事件の写真は本物?
「三毛別ヒグマ事件」と検索すると、、、とんでもない巨大熊が出てきます。
巨大ヒグマの写真見つけた! 昔、板垣恵介さんが送ってくれた写真です。板垣さんは夢枕獏先生に見せられて感動して僕に見せてくれました。アメリカの開拓時代のものだと思われます。これ1トンではきかないでしょう。2トンくらいでしょうか。。。 pic.twitter.com/vBSp1t53uH
— 増田俊也 / MASUDA Toshinari (@MasudaToshinari) March 23, 2014
三毛別羆事件の写真として、よくみられるのがこちらの写真ですよね。人と比べてもわかると思いますがでかいどころの話じゃない!!もう恐竜なみやん!!
こんな熊が本当にいるのかとびっくりしますが一応、ネットなどには本物ということで掲載されています。
しかし残念ながら、こちらは事件の写真とは全く無関係。
アメリカで撮影された巨大熊でした。
三毛別ヒグマ事件とは一体なんだった?概要とは?
三毛別ヒグマ事件とは、大正4年12月9日から14日にかけて北海道三毛別地区・六線沢で起こった獣害事件です。
犠牲者の数は、ヒグマ獣害史の中でも最大で、7人の死者(胎児含む)と3人の重傷者を出しました(その内一人も後に死亡)。結局生き残ったのは2名のみ。
当時の北海道は、開拓の真っ最中。
六線沢はその中でも比較的新しい開拓地の一つです。豊かな渓流が流れ、美しい自然に溢れた土地でした。移住してきた開拓民は六線沢に根を張り、豊かな未来を目指して日々努力していたのです。
しかし、大正4年12月9日。悪魔が六線沢の開拓民を襲います。
人食いヒグマが現れ、彼らの同胞を食い散らかしていきました。その悪夢は、12月14日にヒグマが射殺されるまで続いたのです。
これが、三毛別ヒグマ事件の概要です。もう、お分かりですよね?
三毛別ヒグマ事件は、ただの獣害事件ではありません。ヒトを食べ物だと認識したヒグマが起こした、ジュラシックパーク顔負けの事件なのです。
本当の話であるだけに、映画よりも恐ろしいかもしれませんね。自分がヒグマの餌として狙われる恐怖。あなたは想像できますか?

三毛別を襲ったヒグマの特徴
三毛別ヒグマ事件を起こしたヒグマは、一体どんな個体だったのでしょうか。射殺の後に解剖され、残された記録があります。その記録を見ていきましょう。
ヒグマは雄で、体長2.7メートル、重さ340㎏程とかなり大型のものでした。一説には、頭がイヤに大きかった、という話もあります。
平均的なヒグマ(エゾヒグマ)の大きさは、大きいもので体長2.3メートル程、体重は250㎏程度です。三毛別ヒグマ事件の加害個体がどれほど大きかったのかよく分かりますね。
こんな大きなヒグマが家の中にまで入り込んでくる。想像すると卒倒してしまいそうです……
さらに、このヒグマには特徴がありました。それは胸から背中に大きな白斑があったこと。
白斑という言葉にピンとくる人は少ないかもしれませんが、ツキノワグマの胸の下にある模様のようなものです。
こういった模様を持つヒグマを、通称「袈裟懸け」と言います。袈裟懸けのヒグマは気性が荒いとアイヌの人たちは言い伝えています。
気性が荒いどころじゃなくてもうクマ自体戦車ですよ!
恐ろしい「穴持たず」のヒグマ
プーさんがそうかは分かりませんが、クマであればだれでも冬眠をしますよね?
クマは概ね10月~5月、巣穴に引きこもって冬ごもりをします。そのために栄養を蓄え、お尻に栓をして、食べることも排泄をすることも無く、暖かくなるまで眠り続けるのです。
しかし、最適な巣穴が見つからなければ、冬ごもりをすることができません。ということは、冬眠できなかったヒグマは活動を続け、寒い冬を生き延びなければなりません。
こうした冬眠できないヒグマを、「穴持たず」と言い表します。三毛別ヒグマ事件の加害個体も、この「穴持たず」でした。
復元現地の臨場感がやばい!!
またこの事件はあまりに衝撃的なため大きなニュースとなり、事件現場は人気の観光スポットになったようです。
復元現地がこちらです。ちょっとまって・・すごい本当にこんな感じで襲ってきたのでしょうか?恐ろしいというか勝てる気がしないデカさ!
藁の家はやはり簡単に壊れそうですね。
【北海道・三毛別ヒグマ事件復元現地】苫前町三渓地区にある開拓時代の熊害悲話を伝えるための施設。熊出没注意。大正4年、この地に冬眠を逃した340㎏、体長2.7mのヒグマが現れ、次々と女子供を襲った。7人が殺害され、3人が重傷を負った。 pic.twitter.com/8JxFdBrZfc
— B面 (B級スポット・珍スポットガイド) (@bii_men) January 22, 2015
当時はこんな感じだったんですね。なんだか外観からして一気に熊にぶっ壊されてもおかしくなさそうなつくりですね。
でも一度くらいこちらの苫前町字三渓にある復元地行ってみたいですね!
ではこの三毛別羆事件どんなものだったのか?読んでて気分悪くなる表現もあるかもしれませんがお付き合いください!

三毛別羆事件の写真は本物?復元現地がすごい!熊の大きさや体重がやばい!まとめ
三毛別ヒグマ事件が起こったのは真冬の12月。しかも極寒の北海道。食料なんかあるはずがありません。食料を求めるうちに、人里に降りてきてしまったばっかりに怒ってしまった事件。
さらに、「穴持たず」のヒグマは狂暴性が高い、という話もあります。これはもっともな話かもしれません。眠れない、食べ物もないとすれば、人間でも苛立ってしまいますからこの事件が起きたのは必然なのかもしれません。
ともかく、三毛別・六線沢を襲ったヒグマは、狂暴×2の状態だったことも相まって史上稀に見る悲惨な事件となってしまったのです。
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