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ルイ16世の死刑はなぜ行われたのか? その真相とは一体!!

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悪名高き処刑道具・ギロチン。人道的な処刑道具と称されて世に出たものの、その刃は多くの血を流しました。

ギロチンで処刑された人の代表と言えば?

勿論、マリー・アントワネットとルイ16世が真っ先に思い浮かびますよね!

しかし、マリー・アントワネットについてはともかく、その夫で国王であるルイ16世については、「名前しか知らない」といった人が多いのではないでしょうか。

彼がどんな人物で、なぜ死刑になってしまったのか、その理由を知る人は少ないはずです。
マリー・アントワネットが目立ちすぎ、ルイ16世は陰に隠れてしまっているからです。

そこで今回は、ルイ16世に焦点を当てて語っていきたいと思います。特に、彼が死刑になった理由は驚愕ものですよ。

目次

ルイ16世とは、どんな人物だったのか

ルイ16世は著名な人物ですが、いざ「どんな人物?」と聞かれるとよく分からない人が多いのではないでしょうか。

というのも、歴史の本でも漫画本でも、マリー・アントワネットが注目を集めがちだからです。

そこで、ここではルイ16世個人について説明していきます!

彼はどんな性格で、どんな国王であったのでしょうか。「暗君(バカな王様)」のイメージもあるルイ16世ですが、意外な素顔が見えてきますよ。

ブルボン朝の絶対的権力者~ただし善良で地味~

ルイ16世は、ブルボン朝第五代のフランス国王(在位:1774年~1792年)です。

ブルボン朝と言えば「絶対王政」を敷いた王朝で、その国王は絶大な権力を有していました。絶対王政を表す有名な言葉に、「朕は国家なり」というものがあります。これはルイ16世の先々代国王ルイ14世が発したとされるものです。

こうした言葉を発することができる。それだけでその権力の強さがうかがえますね。

そんな権力を持ちながら、ルイ16世は何故こんなに地味なのでしょうか?

後述しますが、彼の先代や先々代は飛び抜けた一面を持ち、歴史上に大きく名を残しています。その血を受け継いでいるのだから、彼ももっと目立つ存在であってもおかしくないはずです。

その理由は、彼が物静かで勉強を愛する、生真面目な人物だったからです。

これでは、派手で可愛らしく遊び好きのマリー・アントワネットの陰に隠れても、不思議ではありませんよね。

当時のヴェルサイユは着飾り、楽しいダンスやおしゃべりができて「ナンボ」の世界だったわけですから……

ルイ16世の趣味は、狩りと錠前(を開けること)でした。祖父のような女遊びとは縁が無く、生涯で接した女性は、マリー・アントワネットだけと考えられます。

国王で、自分だけを愛してくれる優しい男性。当時のフランスでなければ、理想的な男性となっていた可能性が高いですよね。

また、当時の王侯貴族には珍しく、庶民のことを真剣に考える優しい国王でもありました。

当時のフランスで当たり前だった拷問(罪人の自白を促す為)を廃止し、貴族や聖職者、それに民衆を含めた話し合い「三部会」を主宰するなどしました。

税金を納める義務を、貴族階級にまで広げようとしたのです(当時は一般民衆だけが税金を納め、国庫を賄っていました)。

フランス革命に至ってもなお、国民の気持ちは国王に向いていました。どれほどマリー・アントワネットの酷評が流れようとも、ルイ16世は庶民に愛されていたのです。

庶民がルイ16世に向ける愛情は、彼とその妻マリー・アントワネットが革命を逃れ、ヴァレンヌに逃げるまで

庶民がルイ16世に向ける愛情は、彼とその妻マリー・アントワネットが革命を逃れ、ヴァレンヌに逃げるまで(ヴァレンヌ逃亡事件)続きました。

ルイ16世は、庶民に愛され、尊敬された国王でした。決して派手ではありませんが、国を思う気持ちを充分に持っていたのです。

「朕は国家なり」のルイ14世、恋多きルイ15世

ルイ14世

ルイ16世の先代や先々代とは、一体どんな人物だったのでしょうか?

まずは、先に挙げたルイ14世。

彼は「太陽王」と呼ばれ、ブルボン朝における絶対王政を確立させた国王です。

彼が作り上げたものは多く、その一例に、中央集権国家・ヴェルサイユ宮殿・宮廷でのしきたり(マリー・アントワネットが嫌ったものです)などがあります。

ルイ14世によって、ブルボン朝は最大の繁栄期を迎えました。しかし、度重なる戦争によって、国庫はひっ迫。この財政難はルイ16世の時代に至っても解決することはありませんでした。

フランス革命が重税や飢饉に苦しむ民衆の決起だと考えるのであれば、その元凶を作ったのはルイ14世だと言えるかもしれませんね。

次は、ルイ15世です。彼はルイ16世の祖父であり「最愛王」と呼ばれました。

ついたあだ名からして、ルイ15世がどんな人物か分かるでしょう。彼は数多くの女性を愛したことで知られる国王です。例えば、ポンパドゥール夫人やデュ・バリー夫人が有名です。

ルイ15世は、それぞれの愛人と子供を作っています。また、正妻との間にも11人の子供がいますから、その凄まじさが分かりますよね。

自分専用に美女を集めた場所(巨乳が好きだったというウワサです……)を作っていたとも言われていますので、その女好きは半端ないものだった訳です。

彼もまた、フランスの国庫を圧迫する原因となりました。

国王の愛人にまで上り詰める女性は、気の強い人が多いものです。ここに、ルイ16世が奥手な理由が垣間見えますよね……

フランス革命で断頭台へ

ルイ16世は長い間、「暗君」のイメージがつきまとっています。

革命が起こった夜、彼が日記に「なにもなし」と書いた逸話は有名ですよね。この逸話によって、ルイ16世は異変に気が付くことのできない、「愚鈍な王様」というイメージが出来上がってしまったのです。

実際は、趣味の狩りで何も取れなかった、という意味なのですが……

筆者は、子供の頃にマリー・アントワネットの伝記漫画を読んだことがあります。その中でルイ16世は大食いで無神経な、無能な王様として描かれていたことを覚えています。

さて、ルイ16世はフランス革命が起こると、華やかなヴェルサイユ宮殿からテュイルリー宮殿に移されることになりました。

ルイ16世夫妻は、この宮殿から逃げ出そうと考えます。一説には、マリー・アントワネットが母国オーストリアの力を借りて、亡命しようとしたのだとも言われています。

ハンス・アクセル・フォン・フェルセンの力を借り、国王一家はテュイルリー宮殿を逃げ出します。これが有名な「ヴァレンヌ逃亡事件」です。

フェルセンはマリー・アントワネットの愛人とも言われています。しかし、彼が国王一家の逃亡を果敢に助けたことは事実です。

愛人が、その恋人夫婦の逃亡に力を貸すとは、複雑な三角関係ですよね……

しかし、ルイ16世たちの逃亡は失敗。彼らはパリに連れ戻され、軟禁生活を強いられることとなってしまいます。

「国王が国を捨てて逃亡しようとした!」

そう民衆に思わせてしまったことで、「国王は敵」というイメージを植え付けてしまったのです。

これ以後、ルイ16世は転落の一途を辿ってしまいます。それまでは親国王派が多く、国王と民衆が共生する道を選ぼうとする(立憲君主制)考えが主力であったにも関わらず、この事件によって反国王派が力を持ったのです。

結果として、ルイ16世夫妻とその子供達はタンプル塔に幽閉されることとなってしまいます。そうして、ギロチン刑に処される結末となりました。

ギロチンの考案には、ルイ16世も関わっていたとされています。

具体的には、ギロチンの歯を斜めにすることで、首を切り落としやすくなると助言したのです。

ルイ16世が理系であり、頭が良かったという証明のような話ですが、皮肉なエピソードでもありますよね。

「ヴァレンヌ逃亡事件」失敗は大きな馬車とルイ16世の食事が原因?

何故、ヴァレンヌへの逃亡は失敗してしまったのでしょうか。

ヴァレンヌへ向けて出発する際、国王一家は大きな馬車を選びました。その馬車には、マリー・アントワネットの装飾品や食料、ワインなどが大量に積み込まれていました。

ただでさえ、足の遅い大きな馬車のこと。その上荷物が多ければ、どうしてもスピードは出ません。挙句の果てに、ルイ16世は道中、ゆっくりと食事を楽しんでいました。

「逃げる気が無いのかな?」と聞きたくなるほど、危機感のない行動ですよね。

ルイ16世が愚鈍な大食いかはさておき、食べることが好きだったのは間違いがないようです。

ルイ16世が死刑になった、その理由

それでは、記事のそもそもの本題に入っていきましょう。

上記で見てきたルイ16世は、決して悪人とは言えませんよね。いくらフランスの国庫がひっ迫し、庶民に重税が課せられていたとしても、そもそもの原因は彼の先代や先々代が招いたものです(勿論、ルイ16世にも責任はありますが)。

ただ単に、ルイ16世の時代に不満の爆発として革命が起こってしまった、という形です。

マリー・アントワネットの浪費が庶民の不満を集めたとはいえ、「とばっちり」とも言えるかもしれません。

そんなルイ16世ですから、勿論、死刑を免れる可能性がありました。しかし、結局はギロチンを使った斬首刑。

彼は一体、どんな理由で死刑になってしまったのでしょうか。

直接的な原因はサン=ジュストの演説

フランス革命で国王夫妻が処刑された後、権力の座に就いたのが、ロベスピエール率いる「ジャコバン派」と呼ばれる集団でした。

ジャコバン派は恐怖政治を敷き、数多くの人々が粛清され、ギロチン刑に処されました。

ジャコバン派の筆頭、ロベスピエールには優秀な右腕が付いていました。美しい見た目で頭も切れる、「革命の大天使」と呼ばれるサン=ジュストです。

ルイ16世の王権は、1792年8月10日に停止されました。それ以降、彼はルイ・カペーと呼ばれ、タンプル塔に幽閉されることとなります。

元国王がタンプル塔に幽閉されている間、国民公会(民衆から選ばれた人が参加する国会のようなもの)では、「国王を裁判にかけるか否か」でもめていました。

国王を裁判にかけたくないジロンド派と、裁判にかけたいジャコバン派(山岳派)で、さまざまな議論がなされていたのです。

当初はジロンド派が優勢でした。彼らは国王を裁判にかけず、処刑も行いたくないと考えていました。

ジロンド派は共和政を支持する政党です。それが国王の裁判を拒絶するということは、やはりかつて「神聖」だったものを処刑することに恐怖をいだいたのかもしれませんね。

議会は紛糾しますが、ここでサン=ジュストの演説がはじまります。この演説によって、「ルイ16世は有罪」の方向性が決定したのです。

結果はもう、ご存知ですよね?

ルイ16世の有罪は決まり、ギロチン刑に処せられることとなりました。それも、有罪派と無罪派はごくわずかな票差でした!!

サン=ジュストの「処女演説」

サン=ジュストの演説は、歴史的には「処女演説」と呼ばれます。この演説での有名なセリフは、「人は罪なくして国王たりえない」、というものです。

わかりやすく言えば、共和政を取るのであれば、国王の存在は罪であり、君主制そのものを裁くべきだということです。あくまでも、国王個人ではなく、その存在に焦点を置いたのですね。

また、国王の存在そのものが罪なのですから、国王自体も罪を犯していることになります。

その罪を容認するのであれば、君主制を受け入れなくてはなりません。しかし、サン=ジュストは君主制を受け入れることができない、と続けます。

彼の理論としては、ルイ16世は「必ず裁かれるべきもの」だったのです。個人が犯した罪ではなく、存在そのものを否定される。なんとも辛いことだと感じます。

処女演説によって、ジャコバン派は他派に比べ優位に立ちました。正に、ルイ16世を死刑に導いた要因と言えるでしょう。

勿論、他にもルイ16世を死刑に導いたものはあるでしょう。

しかし、うら若き革命家・サン=ジュストの演説は、その中でも最も大きなものであったことは間違いありません。

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民衆の「共通の敵」として

これに関しては、大きく私見が入りますので、それを念頭に入れてお読みください。

「共通の敵」という言葉がありますよね。

嫌な言い方ではありますが、普段相通じない人と団結するためには、共通の敵を作ることが手っ取り早い方法です。

ルイ16世は、庶民の「共通の敵」として、いわば恨みのスケープゴートとして使われたのではないかと思うのです。

恨みや怒りと言った感情は強いものです。それまでの特別視や、将来を憂える気持ちなど、どこかへ飛んでしまうことでしょう。

普段あって当たり前のもの。それが無くなると分かったときは、一体どんな気持ちになりますか? もともとの感情が良かれ悪しかれ、少しくらいは動揺してしまうと思います。

当時の民衆は、国王のいない世界を知りません。それはこれから作り上げるもので、なにも分からない未来に進もうとしているのです。そのための原動力が、ルイ16世やその妻マリー・アントワネットに向けての憎悪だったように感じます。

サン=ジュストやロベスピエールは、もっと理論的に国王廃止を考えていたことでしょう。しかし、一般の庶民にそれを求めることには無理があります。

ルイ16世の首が落ちたとき、民衆はこぞってその血にハンカチを浸したといいます。また、巷で囁かれていた「ルイ16世救出計画」は、決行されることはありませんでした。

共通の敵というブーストを持った集団に、そうでない人間がかなう訳はありませんよね。

もともと、革命前からマリー・アントワネットの悪評は凄まじいものでした。ほとんどがデマだとは言っても、メディアの発展していない当時のことです。どれだけ頑張ったとしても、打ち消すことは不可能です。

その上、マリー・アントワネットは「悪口はいわせておけ」といった態度を貫きました。

これでは、火消しなんてできませんし、その態度に怒りはより高まります。必然的に、彼女を諫めることのできないルイ16世にも、怒りや憎しみが集まったのです。

マリー・アントワネット自体も悪人ではありませんが、「考えが足りない」と言わざるを得ませんね。

こうした以前からの土壌が、サン=ジュストやロベスピエールを生み出し、ルイ16世の運命を決定づけたのではないでしょうか。

「もっと早くに、ルイ16世が行動していれば」と考えても、今やもう、あとの祭りです。

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ルイ16世の死刑はなぜ行われたのか? その真相とは一体!!まとめ

影が薄いか、暗君か。

そんなイメージを抱かれがちなルイ16世ですが、本当の姿は善良な人間でした。本来であれば、処刑されるような国王では無かったはずです。

「国王として生まれたがために、処刑されざるを得なかった」

フランス革命期の歴史を学んでいると、暗い話ばかりで気が重くなります。しかし近年、ルイ16世の評価が変わってきています。人道的な、先進的な考えを持った国王として、再評価されつつあります。

そういったルイ16世の評価が当たり前の世の中にならないかなぁ、と、筆者は心の中で思っています。

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