日本歴史

天草四郎の伝説が怖い!どんな伝説なの?天草四郎ってどんな人?

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奇跡を起こす美少年・天草四郎時貞

たった16歳で島原の乱を率いるリーダーとなり、徳川幕府軍を何度も撃退させました。

その天草四郎には数々の噂・伝説が存在します。

そこには島原の乱のリーダーになった理由も隠されているのです。

天草四郎がどんな人物だったのか、真相に迫ります!

怖いほど似ている!?天草四郎はキリストの生まれ変わり伝説!

天草四郎の誕生伝説は、島原の乱の25年前にさかのぼります。

キリスト教の弾圧により島原藩を追放された神父が予言を残します。

「当年より五々の数をもって天下に若人一人出生すべし。その稚児習わずして諸学を極め、天の印顕わるべき時なり。野山に白旗立て諸人の頭にクルスを立て、東西に雲焼る事有るべし。野も山も草も木も焼失すべきよし。」

全く意味はわかりませんが、不気味であることはよくわかります。

神父が追放されたから25年後(五々の数)に現れた青年(若人)が天草四郎なのです。

天草四郎は、生まれながらにして字が書けたともいわれています。

神父の予言と一致することが多いことがわかります。

その他にも、天草四郎には数々の奇跡を起こした伝説があります。

  1. 目の見えない少女に手を当てると、少女の目が見えるようになった。
  2. 海の上を歩いて渡った。
  3. 枝に止まっていたスズメに呪文を唱えると動かなくなった。

天草四郎が超能力者か魔術師だと考えてもおかしくありません。

そして、この奇跡の伝説はイエス・キリストにも共通していたのですから驚きです。

天草四郎 = イエス・キリストの生まれ変わり

こうして神に選ばれた天草四郎が誕生します。

天草四郎と一緒に戦うことは、神と一緒に戦うことだとしたら盛り上がりますよね。

島原の乱が普通の一揆と違ったのは、こうした一種の洗脳があったのではないかと思うのです。

幕府を怖がらせた天草四郎は豊臣家の隠し子伝説!

天草四郎豊臣秀吉の子孫だったという伝説があります。

そこには豊臣家と天草四郎との意外な共通点があったからです。

天草四郎が旗印として使用したものが“ひょうたん”でした。

ひょうたんは豊臣秀吉が旗印として使用していたもので、ここでひとつ一致するものがあります。

さらに、島原の乱を書いた書物の中に「羽柴天四郎秀綱」という人物が出てきます。

「羽柴」は豊臣秀吉の旧姓になります。

そして、「天四郎」の中に「草」を加えると「天草四郎」になりますよね。

偶然にしては出来過ぎた一致と言えるのではないでしょうか。

実は、豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼が九州で生きていたという伝説もあります。

豊臣家は1615年に起った大阪夏の陣で滅ぼされ、豊臣秀頼も死んだことになっています。

ところが、豊臣秀頼の死体は見つかっていないのです。

また、大阪夏の陣のあとにこんな歌が流行ったといいます。

 

「花のようなる秀頼様を鬼のようなる真田が連れて退きに退いたり鹿児島へ」

豊臣秀頼が鹿児島へ逃げたという証拠として、豊臣秀頼の墓といわれるものや豊臣家ゆかりのものが鹿児島では見つかっています。

豊臣秀頼には隠し子がいたことも事実で、行方の知れない子供もいたようです。

天草四郎の父親が豊臣家に親しい大名の家来であったことも事実です。

もしかしたら、天草四郎豊臣秀吉の子孫と知ってかくまっていたかもしれません。

九州には元々、豊臣家と親しい大名がたくさんいました。

徳川幕府になってからは、豊臣家と親しかった大名が取り潰されてもいます。

天草四郎豊臣秀吉の子孫であると知った人たちが、今は亡き豊臣家の恨みを晴らそうと思ったとしたらどうでしょう。

一揆としては日本最大の人数が集まったことも納得できるのではないでしょうか。

天草四郎は生きていた!?海外逃亡伝説は本当か??

島原の乱は発生から4ヶ月、原城に立てこもってからは2ヶ月にもおよぶ戦いとなりました。

原城に立てこもった人数は37,000人にもなり、その全員が殺害されるという悲劇となります。

その総大将であった天草四郎は殺害を逃れて生きていたというのです。

立てこもっていた原城には地下道があったことは実際にわかっています。

さらに、天草四郎の死体は見つかっていません。

見つかっていないというより、天草四郎の顔を知っているものが徳川幕府軍にはいませんでした。

実のところ島原の乱に参加していた人たちも、天草四郎の姿を見た人は少ないというのですから驚きです。

天草四郎が16歳ということでたくさんの少年を殺害した徳川幕府軍は、その首を全部天草四郎の母親に見せたのです。

そして、母親が泣き崩れたものを天草四郎として死亡したと決めつけたに過ぎません。

天草四郎の母親は、息子の顔だとは言っていないのです。

では、天草四郎はどこへ逃げたのでしょうか?

それは日本から南へ行ったフィリピンです。

フィリピンはキリスト教を信仰している人も多く、日本人街もあったことがわかっています。

しかも、豊臣秀吉もフィリピンとは交易があったのです。

豊臣というキーワードがここでも鍵になります。

日本でキリスト教を信仰していた大名が追放されて、住みついた場所もフィリピンなのです。

イエス・キリストは一度死んだあとに復活しています。

天草四郎イエス・キリストの生まれ変わりだとしたら、例え島原の乱で一度は死んだとしても、その死体は運び出されフィリピンで復活を遂げたとも考えられます。

天草四郎は不死身で今もどこかで日本を侵略する機会を狙っているのかもしれません。

天草四郎の伝説が怖い!どんな伝説なの?天草四郎ってどんな人?まとめ

天草四郎という人物が、どのようにして誕生したのか、そして、どのように死んだのかも謎を残したままです。

噂や伝説も、本当のところはわからないものばかりです。

天草四郎は存在しないという説さえあるくらいです。

徳川幕府という巨大な権力が、実在さえ疑われる人物に振り回されていたとしたら面白いですね。

もしかしたら、天草四郎は民衆に不満や不安が生み出した妄想だったのかもしれません。

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