突然ですが、首切り役人や処刑人、こう聞くと、どんな人を想像しますか?
黒い布で顔を隠して、先の鋭い斧を持った死神のような不気味な大男を思い浮かべてしまいますよね!
今回の記事では、漫画や舞台に取り上げられることもあるシャルル=アンリ・サンソンを取り上げていきたいと思います!
シャルル=アンリ・サンソンは、一体どんなことを考え、死刑を執行していったのでしょうか。日本で呑気に暮らしている私たちには想像もできないような苦悩があったに違いありません!
今日はそんなサンソン家についてみていきたいと思います!
シャルル=アンリ・サンソンとはどんな人物?
シャルル=アンリ・サンソンは、フランス革命期に生きたフランス・パリの処刑人です。
当時はムッシュー・ド・パリと呼ばれ、フランスの処刑人の代表でもありました。
フランス革命で、数多の血を流しながら生きた処刑人。
一体、彼はどんなことをしてきたのでしょうか、一緒に見ていきましょう。
サンソン家の誕生
シャルル=アンリ・サンソンが生きたのは、18世紀のフランス・パリ。当時のヨーロッパには、世襲制の死刑執行人がいました。
それはフランスも例外ではなく、パリの死刑執行人の家系こそがサンソン家です。
サンソン家は、「ムッシュー・ド・パリ」という呼称を持っていました。
これは、パリの死刑執行人を表す言葉であると同時に、フランス全土の死刑執行人のまとめ役であることを指します。
つまり、シャルル=アンリ含むサンソン家は、数いる死刑執行人のトップだったのです!!
なんか官僚トップみたいな言い方していますが、つまりは殺人専門家ってことですからね!彼らは副業や徴税権を持ち(特殊な形ではありますが)、その生活ぶりは裕福なものでした。
シャルル=アンリの父、ジャン・バチストの頃までは、およそ年間6万リーブルの収入があったといわれています。
日本円で8万円ほど。
この収入は、当時の労働者が年400リーブルの収入だったことを考えると、かなりの高級取り。
その上、死刑執行人は税金を払う必要すらありませんでした。そりゃあ、そんな破格の給料をもらっていればやるしかないですよね!
サクソン家の死刑執行人という仕事を考察
ここで、「死刑執行人」という仕事を考えてみましょう。
名前通り、サンソン家は法の名の元に、犯罪者に対しての死刑を執り行っていました。
当時の死刑方法には、斬首刑や絞首刑以外にも、車裂きの刑や四つ裂きの刑など残酷極まりないものもあります。
なぜだろう、ヨーロッパってえげつない拷問や、死刑のイメージがありますよね。
これらを実際に行い、監督することが死刑執行人の役割なのです。
当時の死刑執行は、衆人環視の中で行われていました。
要するに、ショーの一環だったわけです。施政者は見せしめのつもりでも、民衆にとってはただの憂さ晴らし。
それにしても、同じ人間の死に行く様がストレス解消とは、どう捉えたら良いのでしょうね。
本来、人にとって「死」とは怖くて厭わしいもの。例え自分自身が死刑を楽しんでいたとしても、心の底には恐怖があったはずです。
そして、それを顔色一つ変えずに扱う死刑執行人。
サンソン家を含む死刑執行人は、恐怖の対象であると同時に、嫌悪の対象でもありました。
その上、サンソン家はかなり裕福な生活をしています。
妬みや恐怖から、「差別」が始まってしまいます。
彼らは、現在では考えられない程の差別を受けながら生活していたのです。不吉だと忌み嫌われ、家には誰も寄り付かない。
生活物資や仕事用の物資を買うにしても、多額のお金を積まなければ売ってもらえない。子供を学校に通わせたくとも、どこの学校も受け入れてくれない。
一度は受け入れたとしても、他の保護者からのクレームで追い出されてしまう。いくら裕福であったとしても、日常生活に差し障ることは多かったでしょう。
シャルル=アンリもまた、こうした環境の元で育ったのです。
家は豪華で貴族並みの生活が送れる、反面外に出れば人々から蔑んだ態度を取られる。
できることならこんな生活は送りたくないですよね?
死刑執行人でありながら、死刑廃止論者
それでは、シャルル=アンリの人物像について触れていきましょう。
シャルル=アンリは上背のある、均整の取れた体つきの美形だったとされています。一時期はプレイボーイとして浮名を流していました。
彼の恋人として有名な人物としては、ルイ15世の愛人であるデュ・バリー夫人が挙げられます。
もっとも、諸説あるもので本当に恋人同士だったのかは分かっていません。
やがて、シャルル=アンリは年上の女性と結婚します。この女性は一般の農家出身で、死刑執行人の結婚としては異例のことでした。
通常、死刑執行人は同業者の家同士で結婚していました。
先述の通り、死刑執行人は忌み嫌われていたので、身分を明かしていては一般人と恋愛はおろか、結婚などなかなかできるものでは無かったのです。
そんな中で、農家出身の女性を妻にしたシャルル=アンリ。つまり、それほどカッコ良い男性だったのでしょう。差別や偏見をものともせず、女性を懐に飛び込ませるような人なのですから……。
影のある美丈夫!一度見てみたいものですね。
シャルル=アンリは両親の手によって、高い教育を受けてきました。差別に合い、学校を放逐されてもなお、教育において彼は恵まれていました。
グリゼル神父という聡明・博識そのものである人物が、家庭教師を請け負ってくれたのです。
グリゼル神父は浮世離れしており、死刑執行人に偏見は持っていませんでした。
また、彼自身が差別される側でもありました。(確かではありませんが、記述を見る限りハンセン病のようです)
シャルル=アンリはグリゼル神父から、キリスト教の教えやラテン語、そして歴史を学びました。彼はとてつもなく優秀な生徒で、教えられる知識を全て吸収していきました。
考えてみてください。死刑執行人になったとき、あなたは「職務」と割り切ることができるでしょうか?
おそらく、ほとんどの人は悩み苦しみ、罪悪感に苛まれることでしょう。
重罪人とは言え、それはやはり人間なのです。シャルル=アンリは頭が良く、高い感受性を持つ人物でした。
また、敬虔なキリスト教徒であったがゆえに、彼は苦しみ、いつしか死刑廃止を願うようになっていきました。つまり自分たちに向けられる差別に対して、子孫を同じ目に合わせたくないと考えていたのです。
第一、万が一処刑した罪人が冤罪だったとすれば、無実の人間を殺したことになります。
しかし、それを声高に言える時代ではありません。死刑執行人にとって「死刑」は仕事。つまり「飯のタネ」です。
その上、当時の情勢は死刑執行人を必要としていました。
必要とされているから死刑執行しているのに…… シャルル=アンリの気持ちとは、こんな具合だったでしょう。
シャルル=アンリはこういった気持ちを内に秘め、長い年月処刑を執り行っていたのです。
そうした願いは、彼が死ぬまで叶うことはありませんでした。
2つの顔を持つ、シャルル=アンリ・サンソン
シャルル=アンリは死刑執行人の他に、もう一つ仕事を持っていました。
一体、それは何だと思いますか?
シャルル=アンリの2つ目の仕事は、死の対局にある生を司るものでした。
つまり、医者ですね。
これは、冥界の王ハデスと太陽神で医療の神アポロンが同一人物であるようなものです(ギリシャ神話です。わかりにくいか……)
相反するように思える2つの仕事ですが、実は密接な関わりがありました。
では、それぞれの仕事に彼はどのように向かい合ったのでしょうか。
死刑執行人として
シャルル=アンリはサンソン家の4代目当主であり、ときに「大サンソン」と呼ばれることもあります。
彼は歴史上2番目に多く、処刑を行ったとされています。
呼び名に「大」が付くのは、彼がサンソン家の中でも知名度が高く、代表的な人物ということなのでしょう。
シャルル=アンリは死刑執行人として、卓越した技術を持っていました。
その技術を今に伝えるのは、とある美形の貴族を斬首したときのエピソードです。
その貴族とは、ラ・バールという名前でした。
20歳前後の若者で、非常にきれいな顔立ちをしていたと言われています。彼は神聖な像を破壊した罪で、斬首刑を言い渡されていました。
最期の時が近づく中、ラ・バールが気にするのは自身の顔のこと。
美しいといわれた自分の顔が、処刑によって傷付くのが恐ろしいというわけです。
ラ・バールは、死への恐怖心が吹っ飛ぶような、怒涛のナルシストと呼べそうです(もちろん、騎士や貴族のプライドがあることも否定しません)。
また、彼は自身の無実を信じていました。
通常、斬首刑罪人がひざまずき、背後から剣を振り下ろす形で行われていました。
しかし、「無実だ」と主張する彼は、ひざまずく体勢を拒否して、立ったままの状態での斬首を望んでいました。
これは非常に難しい要求でした。
斬首刑とは名誉ある死、体が動かないように押さえつけることはできませんでした。
斬首刑が許された貴族の尊厳に関わるからです。
しかし、シャルル=アンリは見事その処刑をやってのけました。ラ・バールの顔に傷を付けず、立ったままの斬首刑を執行したのです。
一説には、ラ・バールは首が切られたことにすら、しばらく気付かなかったとも言われています。
やがて、シャルル=アンリは革命の波に飲み込まれます。
1700年代末期に起こった、歴史の教科書でも取り上げられるフランス革命です。
そのときのフランス国王はルイ16世。そしてその王妃はマリー・アントワネット。そう、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言った彼女です(これはデマです)
革命によって、ルイ16世とマリー・アントワネットは処刑されました。そして、彼らに関わった貴族たちもまた、次々に処刑されていったのです。
このときの死刑執行人とは、そう、シャルル=アンリです!処刑された貴族の中には、先述のデュ・バリー夫人も含まれていました。
デュ・バリー夫人は、あらゆる面で異質でした。
他の者たちが尊厳を持って処刑を受け入れていく中で、彼女だけは命乞いをし、泣き叫んだのです。
この声は、シャルル=アンリの心を揺さぶりました。
「彼女のように泣いて命乞いをするものが多ければ、恐怖政治は早く終わったのに」
そう、シャルル=アンリは後に書き記したと言われています。
シャルル=アンリ医師として
死刑執行人と医師。
それは、人を殺す存在と生かす存在です。なかなか結び付きませんよね。しかし、シャルル=アンリのみならず、サンソン家の多くは医師を副業としていました。
当時の医療って、どんなものだと思いますか?
今では考えられないような、でたらめなものも普通の治療法として使われていました。代表的な例としては、「病気は悪臭によって起こる」というもの。
皆さんも、ペストマスクの絵を見たことがあると思います。黒づくめで、鳥のくちばしを模したマスクを顔に着けるあれです。
病気は悪臭から起こるのですから、ペストマスクのくちばし先端には、ハーブを詰めていました。
まあ、マスク効果で多少の感染は防げるのかもしれませんが、それでも……といった感じですよね。
こういった事実に反して、サンソン家の医療はしっかりしたものでした。
当時としては発展しており、かなり現代的で現実的な医療技術を誇っていたのです。
通常であれば見放されるような病気ですら治したという話もあります。
これらの医療知識は、歴代サンソン家当主によって蓄積していたもので、シャルル=アンリの父ジャン=バチストによってまとめられました。
シャルル=アンリ以降のサンソン家は、その知識を使い、医療者として活動したのです。
では、そういった医療知識・人の体に関わる知識はどうやって蓄積していったのでしょうか。
サンソン家の本職は死刑執行人。
そうです、死刑を執行するためには、人体の知識が必要不可欠だったのです!
人は簡単に死ぬとは言いますが、自分の意思に反することならば、そうそう死ぬこともありません。
いざその時になってみれば、暴れます、恐怖のあまり身じろぎします、しかしそうすることによって執行の際の苦痛は増してしまいます。
考えるだけで、身の毛がよだつような状態ですよね。
なので、シャルル=アンリは速やかに死刑執行を終わらせられるよう心掛けていました。
罪人の恐怖をできるだけ取り除き、一刻も早く全てを終わらせてあげるのです。
ちなみにシャルル=アンリは有名なギロチンの開発にも関わりました。
ギロチンは身分の境なく速やかに平等に首を落とせる道具です。そのため、「人道的な処刑道具」と言われていました。
速やかに死刑執行を終わらせる。それは、人体の「急所」を知ることに繋がります。
サンソン家は、罪人の死体を保管する役割も持っていたので、そこで死体を解剖し、現実的な医療知識や技術を培っていきました。
シャルル=アンリを含むサンソン家は、こうして得た医療技術を広く還元しました。老いも若きも、男も女も、身分も問わず治療していったのです。
貧しい人には無償で医療を提供していました。
一度彼らの治療を受けた人は、サンソン家への偏見を亡くし、尊敬の念を抱くようになったと言われています。
ただし、例外もありました。
それは、お金持ち達です。お金持ちの治療をする際は、かなりの金額を要求したと言います。
これはサンソン家の大きな収入源、特にシャルル=アンリの代で収入が激減したことから、この方法は彼が生きるために役立ちました。
このエピソードはブラックジャックを思い起こさせ、個人的に好きなエピソードの一つでもあります。
漫画「イノサン」と現実のシャルル=アンリを対比してみよう
死刑執行人の話は現在でもタブーに近く、聞いていて気持ちの良いものではありませんよね。
しかし、そんな死刑執行人の話を美しく、恐ろしく描いた漫画作品が日本にはあります。
それが、坂本眞一作の「イノサン」です。
おそらく、この記事をお読みの人は、もう知っているのではないでしょうか。
震える程美しいシャルル=アンリを見て、彼に興味を惹かれた人も少なくないことでしょう。
そこでここでは、「イノサン」と現実のシャルル=アンリやその妹について対比して考えていきたいと思います。
妹のマリー=ジョゼフは実在したの?
漫画「イノサン」の2人目の主役と言えば、シャルル=アンリの妹であるマリー=ジョゼフです。ツーブロックの髪型をした、苛烈で男勝りな女性として描かれていました。
何より特徴的なものは、彼女の美しさとその信条です。
マリー=ジョゼフは「貴族を鏖(みなごろし)」にすると心に決め、望んで死刑執行人になりました。
この辺り、「死刑を廃止する」という信条を持つシャルル=アンリとは真逆ですよね。そんな苛烈な面があったとしても、マリー=ジョゼフは素敵です。
見た目は絶世の美女なのですが、憎たらしい顔をして「サイアク」と言い放つ彼女は、抗いがたい魅力を放っています。
何を隠そう、筆者が一番好きな登場人物でもあります。では、そんなマリー=ジョゼフは実在したのでしょうか?
結論から言えば、マリー=ジョゼフは実在しました。
そして、いとこのジャン=ルイと結婚していたのも本当です。
美しいマリー=ジョゼフと、「底なし沼」(とんでもなく太った醜い)ジャン=ルイとの結婚が描かれた場面は、一種不気味な、不可思議なシーンでしたね。
しかし、マリー=ジョゼフについて分かっているのはここまでです。彼女の見た目や、性格、暮らしぶりなどを今に伝える資料はありません。
勿論彼女は女性ですから、死刑執行人の職に就いたという訳でもありません。それでも資料が無いということは、妄想を逞しくさせる材料でもあります。
彼女は本当に苛烈で、非常な美しさを持った女性だったのかもしれません。なぜならば、カッコいいことが確定しているシャルル=アンリの妹なのですから!
シャルル=アンリの死因とは?
漫画「イノサン」を最後まで読んだ人ならば、美しいままのマリー=ジョゼフと老いたシャルル=アンリが抱き合い、天に召される様子が思い浮かぶかもしれません。
また、読んでいない人であれば、死刑執行人の最期とは悲惨なものだと考えるかもしれませんね。
本人が望むと望まざるとに関わらず、多くの人を殺めたのは事実。なんとなく悲劇を連想しても不思議ではないでしょう。
しかし意外なことに、シャルル=アンリの最期は普通のものだったようです。
普通に家で息を引き取り、家族によって埋葬されました。
拍子抜けしてしまいましたか?
亡くなったとき、シャルル=アンリは何を考えていたのでしょう。
尊敬していた国王一家のこと? 今まで処刑してきた人たちのこと? それとも、漫画のようにマリー=ジョゼフのことを考えていたのかもしれません。
多くの人を殺めたとは言え、それ自体に彼の責任はありません。墓地で静かに眠ってくれていると嬉しいですね。
美貌の死刑執行人シャルル=アンリ・サンソン・まとめ
シャルル=アンリ・サンソン。
カッコよくて、頭も良くて、数多くの死刑執行を担当した人物。
とても興味深いですよね。
残っている資料は多くありませんし、本国フランスではいまだにタブー視されているようです。
しかしその背景は、フランスの歴史上重要な人物達に取り巻かれています。
せっかく「イノサン」という面白い漫画の題材になっているのですから、少しでも興味を持っていただけると嬉しいです。
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