アジア歴史

【後半】スレブレニツァの虐殺をわかりやすく解説~戦後欧州最悪の虐殺~

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前回のスレブレニツァの虐殺の記事の続きです。

ユーゴスラビア紛争の中でもとりわけ犠牲が多く、その非人道的なやり方が問題になったスレブレニツァで起こった殺戮について話してきました。

この記事ではなぜそんな非人道的な殺戮が行われたのか、国連の対応などを解説していきたいと思います。

虐殺の原因~民族意識の危険性~

スレブレニツァの虐殺のような、最悪なことはどうして起こったのでしょうか?

元をたどれば、それは「民族意識」というものが人々にあったからだと思います。

ボスニア紛争を始めとするユーゴスラビア紛争は、セルビア民族主義「大セルビア主義」を掲げるセルビアが各国の独立を許せないので軍事介入する、という形で始まりました。

そして、「ユーゴスラビア全土をセルビアのものにする」、「ユーゴスラビア全国民をセルビア人で統一する」という野望を、のちに虐殺や強姦のような民族浄化という手段を用いることで実行に移したのです。

スレブレニツァの虐殺はその民族浄化作戦の中で起きたことなのです。

こうした流れを踏まえると、民族主義の根元にある「民族意識」というものは戦争を起こす危険性をはらんでいると思います。

ボスニア紛争前からスレブレニツァの中心部には、セルビア正教会とモスク(イスラム教の寺院)が隣り合って存在しています。

つまり、紛争前はボシュニャク人とセルビア人は民族の違いなど全く意識せず、普通に共存していたのです。

しかし、紛争に先立ってセルビア人の政治家たちがボシュニャク人を蔑視するメッセージを発信した後、ボシュニャク人はセルビア人によって汚らわしい目で見られ始めたのです。

そして紛争が始まると、ボシュニャク人はセルビア人勢力による虐殺の対象となったのです。

スレブレニツァの虐殺は、こうした民族意識の植え付けによって引き起こされたものであると言えるでしょう。

国連の対応の問題点~平和への障壁~

スレブレニツァの虐殺では、国連の対応が問題視されています。

2章で国連側の動きを見ていて「どういうこと?」と思った人も居たかもしれません。

ここでは、その国連の対応の問題点についてお話します。

必要な兵力の配備が認められなかった

2-4節で、国連保護軍の兵力がセルビア人勢力に対抗するのに足りなかったということを話しました。

実はこれは、「国連側の全くの手抜き」というわけではなかったのです。

国連の事務局は「安全地帯を安全にしておくには、合計で3万人の兵力が必要だ」と、国連安全保障理事会(安保理)に強く訴えていました。

安保理は国連の組織の中で最も大きな権力を持つ組織です。

しかし、安保理は約8,000人の兵力の派遣しか認めませんでした。

そして戦車や砲弾などの武器は与えられず、国連保護軍に与えられた武器は銃のみでした。

これだと国連が指定した「安全地帯」を安全な状態にできませんし、強いセルビア人勢力に対して抵抗することもできません。

スレブレニツァが制圧されてしまったのも分かってしまいますよね。

また、国連保護軍の武器の装備はセルビア人勢力のそれに劣っていたので、2-7節の最後で述べたように国連保護軍は制服などを奪われ、セルビア人勢力が国連保護軍に変装するのを許してしまったのです。

国連保護軍がセルビア人勢力に対して無力だったのには、このような事情があったのです。

虐殺につながったかもしれない手続きミス

実はスレブレニツァが制圧される前、国連側はスレブレニツァへ侵攻するセルビア人勢力に対して空爆を行う予定でした。

スレブレニツァを包囲していたセルビア人勢力が地上にいる国連保護軍の監視を突破して侵攻してきた以上、スレブレニツァの人々を助ける手段はセルビア人勢力に対する空爆しかありませんでした。

1995年7月11日、スレブレニツァがセルビア人勢力に制圧される直前、国連保護軍は空爆の決定を行う上層部へ空爆の要請をしました。

しかし、このとき要請の過程で手続きミスがあり、上層部にその要請が届いていなかったのです。

空爆の要請までの手続きはとても煩雑なものだったようです。

こうして国連側がもたついている間に、スレブレニツァはセルビア人勢力によって制圧されてしまいました。

その後、空爆の要請が上層部に届きますが、そのときは既にスレブレニツァは制圧されており、国連保護軍がそこに張っていました。

空爆で国連保護軍を巻き込むようなことはできなかったので、このときに空爆をすることはできませんでした。

そしてのちに、スレブレニツァの住民たちが虐殺されてしまったのです。

スレブレニツァの人たちが殺されずに助かる未来は充分にあったはずなのです。

足並みがそろわない国連加盟国

スレブレニツァの問題では国連加盟国の足並みのそろわなさも指摘されます。

国連の常任理事国であるアメリカはボシュニャク人を支援する立場だったのですが、同じく常任理事国であるロシアはセルビアを支援していました。

さらに同じ常任理事国のイギリスとフランスは、アメリカとロシアの意見に対して中立の立場を取っていました。

このように国連の中で加盟国の立場がバラバラだったので、国連での決議が非常にあいまいなものとなり、手を打とうにも方向性が定まりませんでした。

そうなると、その決議を受けて現場で行動する国連保護軍はどうすればよいのか分からなくなります。

スレブレニツァへの派兵についても加盟国間で意見が一致しませんでした。

イギリスやフランス、オランダなどは地上部隊を合計で1万人以上派遣しました。

しかしアメリカは、国連側から地上部隊の派遣の要請があったのに対して「地上部隊は送らない!空爆でセルビア人勢力をやっつけてしまえばよい!」という立場でした。

このように国連の中でも立場や意見がまとまらず、現場の国連保護軍が効果的に機能できず、その結果スレブレニツァの制圧を許し、虐殺を招いてしまった、という見方もあります。

ここまで書いた国連の対応を振り返ると、対応の頼りの無さには「国連」という組織の体質にまず原因があると思います。

そこを何とかしない限り、スレブレニツァの虐殺のような悲劇はまた起きると思います。

また、国連というものはそもそも加盟国によって構成されているものなので、国連の不備によって起きた問題は加盟国の問題でもあると言えると思います。

そういう意味では、この問題はユーゴスラビア以外の世界の各国も他人事ではないのです。

こうした問題が、国連の目的である「国際の平和と安全の維持」の大きな障壁となっているように感じます。

スレブレニツァのいま~未だ残る傷痕~

スレブレニツァの虐殺が起きてから約25年が経ちました。

いまスレブレニツァはどうなっているのでしょうか?

特に、スレブレニツァで暮らしていた人たちはどうしているのでしょうか?

この章では、それについて見ていきましょう。

ボシュニャク人とセルビア人の対立感情は残ったまま

スレブレニツァの虐殺後、ほとんどのボシュニャク人がスレブレニツァから離れました。

紛争前のスレブレニツァでボシュニャク人は人口の約75%を占めていましたが、現在は約50%まで減りました。

現在ボスニアは、ボシュニャク人とクロアチア人が主体の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人が主体の「スルプスカ共和国」からなる連邦国家となっています。

スレブレニツァは現在、そのスルプスカ共和国の自治下におかれています。

現在のスレブレニツァの市長はセルビア人です。

その市長はなんと、「スレブレニツァの虐殺など無かった」と虐殺そのものを否定しているのです。

ボシュニャク人のなかには、ボスニア紛争後にスレブレニツァに帰ってきた人もいます。

帰ってきたボシュニャク人のなかにはスレブレニツァの虐殺で家族を殺された人もいて、彼女たちは今でもセルビア人勢力を許すことができません。

このように、スレブレニツァでのボシュニャク人とセルビア人の民族対立は依然として残ったままです。

現在、スレブレニツァには約6,000個もの犠牲者の墓があり、そこは見渡す限り無数の墓の光景が広がっています。

毎年、7月11日になると、ここで犠牲者を悼む式典が行われています。

スレブレニツァの虐殺から20年が経ったときのこの式典でセルビア首相が訪ねてきたときは、イスラム教徒と思われる人がセルビア首相に石を投げつける事件が起こりました。

こうした現実を見ると、両民族の融和はまだまだ程遠いように感じます。

25年経っても家族と再会できない遺族たち 

スレブレニツァの虐殺の犠牲者のほとんどの遺骨が見つかっているものの、今でも遺骨が見つからない犠牲者が1,000人ほどいるのです。

虐殺から約25年が経ってもなお、虐殺に遭った人を悼む式典では新しい墓が運ばれてきます。

自分の家族の遺骨が見つからない遺族は「せめて遺骨を見つけて再会したい」と今も遺骨を探し続けていますが、長年探し続けても見つかる気配がありません。

セルビア人勢力は虐殺の事実を隠蔽するため、遺体を埋めては掘り返してまた別の場所に埋めるということを繰り返していたのです。

そのため、遺骨は完全な状態で残っておらずバラバラになってしまっているものが多く、

見つかる遺骨が誰のものなのかを判別するのがとても難しいのです。

約25年経っても自分の家族と再会できない遺族の気持ちは、察するにあまりあります。

虐殺に巻き込まれなかった私たちにとっては「遠い国で起きた出来事だ」と他人事で済ませることができます。

しかし遺族が理不尽に負わされた悲しみは、生きている限り消えることはないのです。

映画『アイダよ、何処へ?』~ボスニア紛争に遭った女性監督の想い~

スレブレニツァの虐殺から25年後の2020年、この虐殺を題材にした映画『アイダよ、何処へ?』が製作されました。

映画『アイダよ、何処へ?』あらすじ

そして翌年の2021年、この映画が公開されました。主人公は、国連保護軍の通訳として働く女性、アイダです。

アイダには夫と息子がいて、彼らはスレブレニツァに居ました。

映画の内容は、通訳として働くアイダが、セルビア人勢力侵攻による危機がせまっているスレブレニツァから家族を救おうとするものです。

この映画を監督したのは、ボスニア人女性の映画監督 ヤスミラ・ジュバニッチさんです。

ジュバニッチさんは17歳のときにボスニア紛争に遭いました。

ジュバニッチさんはサラエボに居たため、スレブレニツァの虐殺を経験せずに済みました。

しかし、サラエボもスレブレニツァと同じようにセルビア人勢力による包囲を受けていて、サラエボの住民は食料や水に恵まれない生活を強いられていました。

そういう意味では、ジュバニッチさんもスレブレニツァに居た人たちと同じだったのです。

紛争を生き延びた彼女はこの虐殺に対して思うことが強くあり、映画を製作したようです。

当初、この映画はセルビアにおいて大きな批判にさらされ、ジュバニッチさんはつらい思いをしたようです。

しかし映画を通して訴えたい想いが伝わったのか、ジュバニッチさんを応援するメッセージもまた多くあり、励まされたようです。

映画の公開に際して、ジュバニッチさんは池上彰さんたちからオンラインでインタビューを受けております。

その中で「筆者」がすごく印象に残った言葉があります。

ジュバニッチさんはインタビューで、「なぜ今、このスレブレニツァの虐殺を題材とした映画を公開したのか?」と問われました。

それに対して第一声で、こう答えました(以下に、その発言を引用します)。

「まず、この映画は私たちにとって現在形です。」

この言葉が「筆者」にはすごく印象に残っております。

紛争を生き延びたジュバニッチさんはもちろん、5章で述べたスレブレニツァの人たち・ボスニアの人たちはどんな思いをしているのかを感じ取った気がしました。

この映画は2021年に開催された第93回アカデミー賞の国際長編映画賞部門でノミネートされました。

内容が気になった方はぜひご覧になってみてください。

【前半】スレブレニツァの虐殺をわかりやすく解説~戦後欧州最悪の虐殺~史上稀に見る残虐で非人道的だとして今でも語り継がれているユーゴスラビア紛争。その中でもとりわけ地獄絵図とかしたスレブレニツァの虐殺についてわかりやすく解説します。...

【後半】スレブレニツァの虐殺をわかりやすく解説!まとめ

今回は、スレブレニツァの虐殺について解説しました。

とてつもなく残虐なことが、遠く離れたヨーロッパで起きていたことが分かったと思います。

しかし、この虐殺は私たちにとって「遠い国の出来事」なのでしょうか?

スレブレニツァも、今の日本のように、紛争前は何のいさかいもなく平和だったのです。

しかし、平和だった日々は突然壊され、このような理不尽な虐殺が起きたのです。

そういう意味で、日本においてスレブレニツァの虐殺は本当に「遠い国の出来事」で片付く悲劇なのでしょうか?

たとえばもし、日本が他国から攻撃を受けて危機に陥ったら、国連、そして国連に加盟する国々は本当に見捨てずに助けてくれるのでしょうか?

スレブレニツァの虐殺で日本、そして国際社会が結果的にその様子をただ見守るだけだったのと同じように、日本も世界各国からただ見守られるだけで終わるのではないでしょうか?

スレブレニツァの虐殺は決して他人事ではないと思います。

【前半】スレブレニツァの虐殺をわかりやすく解説~戦後欧州最悪の虐殺~史上稀に見る残虐で非人道的だとして今でも語り継がれているユーゴスラビア紛争。その中でもとりわけ地獄絵図とかしたスレブレニツァの虐殺についてわかりやすく解説します。...

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【参考文献・引用元】
ボスニア・ヘルツェゴビナ基礎データ|外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bosnia_h/data.html
スレブレニツァの虐殺から25年【報道特集】 – YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=TKFhYn7Gdfw明石康氏氏講演―グローバル・リーダーシップ寄付講座(読売新聞社)http://www.j.u-tokyo.ac.jp/gls/No1Akashi.html
国際の平和と安全|国連広報センタunic.or.jphttps://www.unic.or.jp/activities/peace_security/
戦争は「陳腐な悪」が起こすもの――「アイダよ、何処へ?」監督インタビュー : 映画ニュース – 映画.comhttps://eiga.com/news/20210902/7/
アイダよ、何処へ?:作品情報 – 映画.comhttps://eiga.com/movie/93569/
CNN.co.jp : スレブレニツァ虐殺20年で追悼式、群集がセルビア首相に石 – (1/2)https://www.cnn.co.jp/world/35067252.html
映画『アイダよ、何処へ?』公式サイトhttps://aida-movie.com/【映画公開記念】ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を解説!&悲劇描いた監督にインタビュー《アイダよ、何処へ?》 – YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=QyKrCAh_Jwk

 

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