2022年、中国・北京で開催された冬季オリンピックの開会式において、最終聖火ランナーを「ウイグル族」のクロスカントリー中国代表、イラムジャン選手が務めました。
これについて、中国政府は「中国が、民族が団結した大家族であることを表した」と発表しました。
一方で、国際社会で問題視されているウイグル人に対する人権問題から目を逸らさせる目的があるのでは?との見方も出ています。
そもそも「ウイグル人」とはどんな民族なのか。
ウイグル人が多く住むとされる「新疆ウイグル自治区」とはどのようにできていったのか。
そして一体何が「ウイグル問題」として取り上げられているのか。
これらについて解説していきます。
ウイグル人とは
現在中国の総人口の約92%が漢民族であり、残りは55の少数民族からなると言われています。
その少数民族のうちの一つがウイグル人です。現在、「新疆ウイグル自治区」において人口の約半数をウイグル人が占めているとされますが、そもそもウイグル人とはどんな民族なのでしょうか。
20世紀に入って「認知された」民族
まずウイグル人とは、「テュルク系民族」の一つです。
テュルクとは、紀元後5世紀の中国の歴史書の中で「丁零(ていれい)」や「高車(こうしゃ)」として出てくる民族の総称です。
主にモンゴル高原にいたとされるこのテュルク系民族は、時代と共にユーラシア大陸の各地に居住地域を広めていきました。
現在のアゼルバイジャン人、ウズベク人、カザフ人、キルギス人、タタール人、クリミア・タタール人、トルクメン人、トルコ人、バシキール人、トゥバ人、サハ人、チュヴァシ人、ガガウズ人などもテュルク系民族です。
テュルクが長い時間をかけて、いろいろな地域に拡大していったことがよくわかりますね。
このテュルク系民族の中でも中国、天山山脈の南北に居住した民族がウイグル人。
しかし彼らは「自分たちは一つの民族である」という意識は持ちながらも、長く自分達の呼び方を持っていませんでした。
つまり、「自分達は一つの民族だという意識はあるけれど、何人か?と聞かれるとわからない」という状況が続いていたわけです。
それが1910年から20年代にかけて、ソヴィエト中央アジアに住むこの地域出身者たちによって「ウイグル」と自分達を呼ぼうとする動きが出てきました。
この動きからは「自分達の呼び方としての「ウイグル人」」はなかなか定着しませんでしたが、中国共産党によって流れは変わります。
中国共産党は、この地域に住む人々を「維吾爾族(ウイグル族)」という少数民族であると認定。
結果として「ウイグル人」という呼び方を広く広めることになったのでした。
生活の中心にあるイスラム教
ウイグル人の信仰の中心は「イスラム教」です。
特に、イスラム教でも多数派を占める、スンナ派(スンニ派)のイスラム教徒です。
1日5回の礼拝、金曜礼拝。
断食といったイスラームの教えに基づいた生活を送るほか、イスラム教の二大祭と呼ばれる「ローザ祭(断食明けの祭り)」、「クルバーン祭(犠牲祭)」も盛大に祝われます。
そして祈りの場であり、イスラームの社会活動の中心となる「モスク」はウイグル人の住む街の至る所に存在します。
数百年の歴史を持つ中国最大のモスク「ヘイトガーフ」が新疆ウイグル自治区西南部のカシュガルの中心にあるということは特筆すべきかと思います。
ウイグル人にとってイスラム教がどれほど大事なのか、そしてこの地域にどれだけイスラム教が根付いているのかがわかりますね。
また、中国語といえば漢字で表記される「漢語」です。
新疆ウイグル自治区に住むウイグル人にとって漢語は公用語の一つですが、アラビア語をもとにして作られた文字を使う「現代ウイグル語」を日常的に話しています。
多くのウイルグル人が居住する新疆ウイグル自治区は地理的には中国に属しますが、その文化体系はイスラムの教えに基づいたものです。
そして中国の漢民族の生活体系よりも、元々のルーツであるテュルクの言葉や生活の方に近い民族であると言えるでしょう。
ウイグルの起源 ウイグル人の立場、中国的立場から
先述しましたが、ウイグル人のルーツはモンゴル高原に居住していたとされるテュルク系民族です。
この民族の一派のうち、天山山脈の近辺に住み着き、イスラム教を中心とする独自の社会を形成していったのがウイグル人であるといえます。
ではどのように、ウイグル人は独自の社会を形成していったのでしょうか?
この辺りの認識が、ウイグル人の立場をとるか、それとも中国の立場をとるかによって異なってくるのです。
ウイグル人にすれば、中国と文化、宗教が全く異なるテュルク系民族が元々多く居住し独立していた土地を、清朝時代の中国が一方的に征服。
新疆省として治められることとなったのち、現在の新疆ウイグル自治区となったと主張します。
つまり、ウイグル人がもつ社会のあり方はテュルク系民族の集合のもと形成され、形成後に中国が自分達を吸収したのだ。ということです。
一方中国側の立場からすると、
「ウイグル族は長期の移動と融合を経て形成された、中華民族の構成部分だ。新疆は多くの文化と宗教が共存する地域であり、新疆各民族の文化は中華文化に抱かれる中で育まれ発展してきた。」
(国務院新聞弁公室「新疆の若干の歴史問題」白書 2019年7月21日)
となっています。
つまり、ウイグルとは元々中国領土の一部であって、中国の中でその独自の民族文化が花開いていった。と主張しているわけです。
同じことを言っているようで、どちらの立場に立つかによって「ウイグルのあり方や文化はどのようにできていったのか」の部分が全く違ってきますね。
どちらの立場をとるにせよ、ウイグル人が持つ文化は彼らしか持っていない独自のものであり、唯一無二のものだと言えるのではないでしょうか。
新疆ウイグル自治区とは
元々イスラム文化を持つ人々が暮らすこの地域は、中国という文化、宗教が全く異なる地域に現在吸収される形で存在しています。
では、このウイグル人が現在多く住んでいる新疆ウイグル自治区とはどのようにできていったのでしょうか。
清朝による征服
歴史上、この地域に対して中国が支配の姿勢を見せたのは清朝の時 代のことです。
清朝とは、北方民族であった女真(じょしん)族が17世紀に興した王朝のこと。
17世紀から20世紀初頭までその支配が続き、現在の中国領の原型を作った王朝こそが清朝です。
現在の新疆ウイグル自治区は、清王朝第6代皇帝である乾隆帝(けんりゅうてい)の時代に清朝の領土に組み込まれました。
遠征のうち何度かは乾隆帝自身が辺境にまで赴き、戦い、領土を拡げていったとか。
領土拡大への意欲の高さを感じます。
この乾隆帝の領土拡大戦略の結果、ウイグル人だけでなく、チベット人、モンゴル人も清朝の領土に入ることとなります。
満州人(女真族)、漢人(漢民族)、モンゴル人、ウイグル人、チベット人が中国の中に共存するという「五族協和」。
現在の多民族国家としての中国の基礎が出来上がったのがこの時代です。
「新疆」とこの地域が呼ばれるようになったのも実はこの時。
1759年までに、現在の新疆ウイグル自治区にあたる地域に住むウイグル人居住区は清朝軍により平定されました。
その際に、「新しい領土」という意味で「新疆」の名前がついたそうです。
イスラム政権による支配
新疆の地域は、ウイグル人による文化が花開いていたものの、戦乱が絶えない土地でもありました。
なぜなら新疆が含まれる中央アジア一帯は遊牧国家を持つモンゴル系民族の台頭する地域でもあり、支配が流動的だったからなのです。
勢力争いは当たり前。
支配者、支配国がコロコロと変わり、平和とは決して言えない地域だったのでしょう。
それが清朝という大きな体制に支配されたことにより一時的に平和な状態が訪れます。
この平穏状態を「満州人の平和」と名づけた研究者もいます。
しかし、この平穏も長くは続きませんでした。
イスラム教徒であるウイグル人社会において、イスラム教の指導者は絶対的な力を持ちます。
時にはこの指導者たちが、清朝から送られる官吏と対立することも少なくなく、そのことでイスラム教指導者たちの権限は清朝によって狭められていきます。
また、テュルク系民族であるウイグル人ばかりが住んでいた地域に漢人が多く移住してくるようにもなりました。
今まで権力を持っていたイスラム指導者は権力を奪われる。
全く違う文化を持つ人間が自分達の居住区に流入してくる。
この地域のウイグル人たちが清朝支配に不満を溜めていったということは想像に難くないですね。
そんな不満が積もった結果小さな反乱が勃発していきます。
その最中イスラム系独立国家(ヤクブ・ベク汗国)を建国した軍人ヤクブ・ベクにより中央アジア一帯を舞台に19世紀後半、反乱が起きました。
このヤクブ・ベクの反乱が直接的なきっかけとなり新疆は清朝の支配から脱し、ヤクブ・ベク汗国の支配下に置かれることとなったのです。
中国による支配に抵抗を持っていたこの地方の人々にとって、イスラム政権であるヤクブ・ベク汗国による支配は比較的受け入れやすかったのかもしれませんね。
清の滅亡から、東トルキスタン共和国成立へ
実際には、ヤクブ・ベク汗国による支配は長くは続きませんでした。
ヤクブ・ベク汗国はとても厳格な国家で、軍の統治も強く内部の反発が多かったためです。
内部からの突き上げ、そして自身の国家を拡大することに失敗し失意に陥ったヤクブ・ベクの服毒自殺。
このことでヤクブ・ベク汗国の支配は終了します。
その後、新疆地域は清朝との交渉により1884年に新疆省が置かれることとなり、清朝中国の一部に回復されることとなりました。
しかし、1911年、辛亥(しんがい)革命によって清朝が倒れます。
これをもって清朝による支配は終わりを迎えました。
時代は中華民国時代へ。
この頃、新疆と同じく清朝によって支配されていた外モンゴル、チベットが続々と独立の動きを見せます。
もちろん中華民国政府は独立の動きを封じようとしますがうまくいかず、これらの地域の独立状態が続きます。
この動きに触発された新疆地域も反乱を起こし、一時期ソヴィエト連邦と接近しますが、1945年に「東トルキスタン共和国」が成立することとなったのでした。
中華人民共和国による「新疆ウイグル自治区」制定
東トルキスタン共和国が成立した新疆地域でしたが、実はこの共和国は実効性が薄い国家でした。
清朝末期に置かれた「新疆省」は撤廃されることなく存在しており、いわば2つの政府が一つの国家の中にある状態。
東トルキスタン共和国成立後は常に不安定な状況が続いていました。
1949年10月、毛沢東により中華人民共和国、今の中国が成立します。
そもそも不安定な状態の新疆地域は、中華人民共和国から派遣された軍の侵攻に全く抵抗することなく東トルキスタン共和国から「解放」。
つまり、東トルキスタン共和国が解体されたのです。
その後、1955年10月「新疆ウイグル自治区」が施行されることとなり、現在の体制へと続いていきます。
新疆ウイグル自治区で何が起きているのか
中国の一部に組み込まれた新疆、ウイグル人は漢民族が人口の90%以上を占める中国という国の中でどのように扱われているのでしょうか。
中国政府として。ではなく、世界各国の研究所が中国内部で起こるウイグルにまつわる問題について発表しています。
それらの情報から、今何が起きているのかの一部分を知ることができるのです。
漢民族による支配
どんな国の歴史もそうですが、特に中国史とは侵略の歴史であると筆者は思います。
前にあった王朝、国家、文化を、「勝者」が侵略し、勝者のやり方を「敗者」に強要し、支配する。
これが繰り返されているように感じられます。
中国は儒教の国です。
儒教においては「有徳者(高徳なもの)が天命を受けて、天子として天下万民に君臨する」という考え方があります。
またこの儒教の教えを支えとする「中華思想」という考え方によれば
「皇帝のいる中華の地から離れれば離れるほど野蛮人の地域になっていくが、この野蛮人も皇帝の徳に触れることで人間化していく」
とされます。
自分達が中心であり、自分達が優れており、それ以外のものは認めない。
だから、自分達のやり方でみんなにやらせる。
古来より、中国の政治はこの考えがベースになっているのではないでしょうか。
現在中国には、漢民族以外ではウイグル人をはじめ55の小民族がいるとされます。
この小民族に対して、漢民族のやり方をやらせよう、漢民族化させよう。としていることが、現在問題視されている諸問題の根本原因の一つです。
また、現在漢民族の数は減少へと向かっているといいます。
いわゆる「一人っ子政策」により、少子高齢化が急激に進んでいることがその理由です。
この漢民族の数の減少という事象が、小民族に対する民族の断種政策、文化廃絶政策につながっていると考える人もいます。
自分達漢民族の数が減り、小民族が台頭し独立。
中国という大きな国が解体されるのではないかという恐れが、漢民族による小民族に対する現在の態度につながっているという考えは、中国の歴史から見てあり得ないとは言えないと思います。
いずれにせよ、中国の大多数を占める漢民族による国家運営が、問題を生じさせていることは間違い無いでしょう。
実際に起きているとされること
では今、新疆ウイグル自治区でどんなことがおこなわれているのでしょうか。
イスラム教による宗教教育の禁止
現代ウイグル語の教育の禁止
ウイグル人女性に対する不妊手術の実施をはじめとした人口抑制策。
新疆への漢民族の移住促進と、ウイグル人の中国本土への強制移住。
世界の綿産量の2割を占める「新疆綿」栽培、加工へのウイグル人の強制労働。
世界各国の研究機関から発表されるこれらの問題の中心は、「ウイグル人に対する人権侵害」にかかるものです。
2001年9月11日、イスラム過激派組織アルカイダがアメリカで同時多発テロを起こしました。
中国ではこのテロ事件を、中国国内におけるイスラム教、そしてウイグル人に対する監視体制や取り締まり強化の理由として用いました。
結果として、2014年以降新疆ウイグル自治区において、100万から200万人のウイグル人をはじめとした少数民族が、思想改造や強制労働を強いる強制収容所に収監されたとされます。
(アメリカ、ニューラインズ戦略政策研究所による)
また、2021年6月には国連の人権専門家が中国で拘束されている少数民族が、強制的な臓器摘出の対象とされている可能性を示しました。
真実の程については、筆者としては検証しようがないのですが、ウイグル人、そして他の少数民族に対しても何かしらの人権侵害が起きていることは間違いないと言えるでしょう。
国際社会の反応
国際社会はこの問題に対してどのように反応しているのでしょうか。
記憶に新しいところだと、中国・北京で開催された2022年冬季オリンピックにアメリカ、イギリス、オーストラリアなどの国々が外交ボイコットを表明しました。
ウイグル人に対する人権侵害がその主な原因です。
また、ウイグル人に対しておこなわれている行為はジェノサイド(集団殺害)であると2021年1月にアメリカのポンペオ国防長官が認定。
現在もアメリカはその立場を変えていません。
オーストラリアのシンクタンク、オーストラリア戦略政策研究所の2020年3月の発表によると、中国内9地方の27工場でウイグル人の強制収容所からの強制労働を確認。
世界の83ブランドの生産を担う工場であり、日本企業12社もその中に含まれていることがわかりました。
(ソニー、日立製作所、ジャパンディスプレイ、三菱電機、ミツミ電機、任天堂、東芝、パナソニック、TDK、ファーストリテイリング、シャープ、MUJI(良品計画))
中国批判の手段としてウイグル人をめぐる問題が扱われている側面もあります。
ただ、中国国外にいるウイグル人をはじめとして、ウイグルの文化、そして人権を認め、対等な相手として扱うよう求める動きは世界各地で見ることができます。
日本も、日本の企業が間接的にせよこの問題に関わっていることがわかっている以上、しっかり理解していくべき事態なのではないでしょうか。
ウイグルの歴史・ウイグル人の弾圧の始まりと中国の横暴・まとめ
独自の文化を持ち発展してきたウイグル人は、その歴史、文化を尊重され、後世に伝えていくことがそもそも必要であると思います。
その民族が持つ歴史や文化は、誰かが犯していいものではなく、人が破壊すべきものではないからです。
遠くの地域のことだから。
自分には関係ないからではなく、関心を持ってまずは「知る」ことが、ウイグル人が抱える諸問題に対処する一歩なのではないでしょうか。
ぜひ知ることを始めてみてください。
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【参考文献・参考サイト】
『中国が抱える9つの国際問題』宮家邦彦、ビジネス教育出版社
『中国のムスリムを知るための60章』中国ムスリム研究会 編、明石書店
『テュルクを知るための61章』小松久男 編著、明石書店
『中国の火薬庫 新疆ウイグル自治区の近代史』今谷明、集英社
『中国人も知らない歴史のタブー ジェノサイドの中国史』黄文雄、
徳間書店聖火リレー最終走者にウイグル族選手 中国外務省「民族団結を表した」https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/data.html清の概要
http://www.y-history.net/appendix/wh0802-000.html乾隆帝
http://www.y-history.net/appendix/wh0802-011.html【解説】 北京五輪の外交ボイコット、
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