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【後編】ムッソリーニって何をした人?功績やムッソリーニ の最後など詳しく解説!

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【前半】ムッソリーニって何をした人?をの続きになります。

ここからはドイツ側について第二次世界大戦に参戦したイタリアのその後を解説していきます!

イタリア政府の反対を押し切りドイツ側につき第二次世界大戦に参戦したイタリア。

イタリアにはもう戦争する力などありませんでした。

しかし快進撃を続けるドイツについたことでこの状況を打破することができるのでしょうか?

その後ムッソリーニはどうなっていくのか見ていきましょう。

連戦連敗のイタリア

第二次世界大戦に参戦したイタリアはアフリカやギリシアに侵攻しますが、結果は悲惨なものでした。

勝ちがなく連戦連敗だったのです。

実は第二次世界大戦に参戦する際、軍の上層部は参戦することに消極的でした。

イタリアはもともと多くの植民地をもたず、資源は豊富ではありませんでした。

どうしても、植民地をたくさんもっているイギリスやフランスには資源面では追いつくことなどできなかったのです。

第一次世界大戦後、ムッソリーニが国力増加に力をいれていたといっても、世界恐慌の影響などもあり重工業は他国に比べると遅れがちでした。

結果、軍の近代化もイギリスやフランスに比べると遅れていたの現実だったのです。

ムッソリーニがもう少しこの状況を冷静に考えれば、もしかしたら参戦しなかったかもしれません。

しかし、ムッソリーニはヒトラーにたいして対抗意識で参戦をしてしまったのです。

連戦連敗でいいことなしの状態で、イタリアのためにはじめた戦争なのに、次第にドイツのための戦争へとシフトしていきました。

戦争が長引くにつれ、民衆は飢えるようになりムッソリーニへの不満は高まっていったのです。

ドイツの操り人形

1943年7月初旬、イタリアにとってショッキングな出来事が起こります。

イタリア王国の西南に位置するシチリア島がイギリスをはじめとした連合軍に占拠されてしまいました。

そうです、国土の一部が敵の手に落ちたのです!

もともと困窮しているなかでの、この出来事に民衆の怒りが爆発しました。「ムッソリーニのせいだ!ムッソリーニをトップから引きずり下ろせ!」

ついに、1943年7月25日に国王の命令でムッソリーニは逮捕され失脚してしまいます。

ここから、ムッソリーニの人生がまっさかさまに転落していくこととなります。

しかしムッソリーニが最初に幽閉された場所は古民家で風呂もままないほどの汚いところでした。

ムッソリーニに忠誠を誓っていた下士官は、書物や洋服などを差し入れし軟禁生活のムッソリーニを手助けしていました。

ムッソリーニはその軟禁生活で自分の人生を振り返り自分のファシズムの在り方について考えゆっくりとした時間を過ごしたそうです。

もはやムッソリーニの人生もここまでかと思われたのですが、なんとあのヒトラーからムッソリーニに救いの手が伸ばされます。

ヒトラーがムッソリーニを救出

 

ムッソリーニの軟禁を聞いて怒り狂ったのがヒトラー。ヒトラーはイタリア進駐とムッソリーニ奪還を軍に命じました。

そしてなんと無事にムッソリーニを救出したのです!

ヒトラーは自分の師と仰ぐムッソリーニの苦境を救ったのです。ムッソリーニは救出された際「友人が私を見捨てない事は知っていたよ」とつぶやいたそうです。

しかし、本当にヒトラーは友人としてムッソリーニを救ったのでしょうか?かつては狂信的なほどにムッソリーニに心酔していたヒトラー。もちろん師として助けたいという気持ちもあったでしょう。

しかしそのころのヒトラーにはさらなる野望があり善意だけで動いたわけではありませんでした。

政治家としてのヒトラーの思惑ががっちり絡んでいたのです。

1943年9月にイタリアは停戦を発表したのですが、ドイツはイタリアに侵攻、イタリアの北部と中部の一部を占領したのです!

ヒトラーは「同志ムッソリーニのイタリアを守る」と理由付けしますが、実情はドイツのイタリア侵攻です。

そして、占領した地域にイタリア社会共和国を建て、その国のトップである国家統領にムッソリーニをつけたのでした。

これは、ドイツがムッソリーニを操り人形にしてイタリア北部を支配することを意味していました。

ムッソリーニは自分がドイツの操り人形であることを自覚していました。まさにヒトラーの傀儡政権。

しかし、自分が国家統領でなくなるとドイツ軍が我が者顔でイタリアで卑劣な行為をすることは分かりきっていました。

たとえ操り人形になろうとも、ドイツによる全面的な占領が行われないようにイタリアを守るのがムッソリーニが自分に背負った役目だったのです。

イタリアの北部の人間にとってムッソリーニは「ドイツの操り人形」ではなく「ドイツから身を守る最後の砦」だったのでした……。

ムッソリーニの悲惨な最後

ドイツの操り人形となってしまったムッソリーニですが、やがて死が訪れます。

第二次世界大戦も後半になるとドイツの旗色も悪くなり、ムッソリーニの立場も悪くなっていきました。

実はムッソリーニが死を迎えるまでの経緯はいろいろな説があり、よく分かっていません。

ムッソリーニは列車で移動中にパルチザンによって発見され拘束されています。

1945年4月28日の午後4時10分、ムッソリーニは愛人のペタッチとともに銃で処刑されました。処刑を見ていた人の証言では、ムッソリーニは処刑人に「胸を打て!」といい死を潔く受け入れていたということです。

処刑した人物についても諸説ありますが過激的で熱心なイタリア共産党員が銃殺した、というのが有力な説です。

ムッソリーニ政権下でひどい拷問をうけ長い時間、苦痛に耐えながら死んでいった多くの犠牲者がいることを考えると、銃であっという間に最後を迎えたムッソリーニはまだましだったと言えるかもしれませんね。

ただ、ひどかったのはムッソリーニが殺された後でした。死んでもなお悲惨な出来事がムッソリーニには待ち受けていました。

ムッソリーニの死体は、銃殺された翌日にミラノのロレート広場に運ばれ、広場のガソリンスタンドの屋根に逆さ吊りにされて、民衆にさらされたのです……!

その様は写真として記録されています。

さらには、死体は解剖されました。

ファシズムの生みの親、ということでイタリアとアメリカの科学者たちが独裁者を科学的に研究できるようにと脳の一部が切り取られたのです。

ムッソリーニは61歳でこの世を去り、生きている間も死んだ後も人々に多大な影響を与えたのです。

【前半】ムッソリーニって何をした人?功績やムッソリーニ の最後など詳しく解説!ヒトラーが狂信的なほど崇拝していたイタリアのムッソリーニ。彼はファシズムの創設者であり、イタリアのカリスマ的指導者。彼はヒトラーにも劣らない波乱万丈な人生を送っています。...

ムッソリーニとヒトラー

ムッソリーニとヒトラーは同時代に生き、ファシズムを指導した人物としてよく登場し、比較もよくされます。

ヒトラーのほうがより悪魔的魅力を持つのにたいして、ムッソリーニはどこか人間臭くて平凡な冴えない印象があります。

それは第二次世界大戦初期に連戦連勝だったドイツにたいして、イタリアが連戦連敗だったことや

ユダヤ人虐殺におけるヒトラーの突き抜けた残虐性にたいして、ムッソリーニは話題が薄いことが原因かもしれません。

しかし確かなのは、混迷の20世紀の時代に王政でもなく、社会主義でもなく資本主義でもない、ファシズムという新しい政治スタイルを創りだしたのはムッソリーニであるという事実です。

そしてヒトラーはムッソリーニという見本があったからこそ、自分の道を突き進むことができたのです。

ヒトラーはムッソリーニの真似をした

 ヒトラーがムッソリーニを手本とした、という事実は何度も書いてきました。

ここでは具体的にどんなことを真似たのか見ていきたいと思います。

まずヒトラーやナチスの映像や写真を見ると、右手を伸ばして敬礼する姿をよく見ると思いますが、実はこれムッソリーニがはじめた敬礼の仕方なのです。

制服や持ち物を統一するというやり方もムッソリーニが考え、ヒトラーが真似したものです。

お揃いの物を身に着けて、所持するということは仲間意識を持ちやすいのが人間です。

私たちも学生生活では、同じ制服を着ているだけでまったく知らない人でも「同じ学校の人だ。仲間だ」と思いますよね。

もう1つはスポーツの政治利用です。

2021年には日本でもオリンピックが開催されましたが、何かしらのスポーツの世界大会が行われるたびにスポーツへの政治意識の持ち込み問題はニュースになりますよね。

ムッソリーニはスポーツが大好きだったのですが、彼はそのスポーツでさえ政治利用しました。

ムッソリーニが利用したのは第2回サッカーワールドカップです。

第1回のウルグアイ大会は小規模のものでしたが、第2回目をイタリアに誘致すると大々的にアピールしました。

サッカーの試合が行われたスタジアムは「国家ファシズム党スタジアム」やら「ベニト・ムッソリーニスタジアム」などと名前がついていたので、人々がサッカー観戦にスタジアムに行くだけで宣伝効果は抜群でした。

ヒトラーも同じようにスポーツを政治利用しています。

第2回サッカーワールドカップの2年後に行われたオリンピックはドイツのベルリンで開催されてたのですが、ヒトラーはこのオリンピックで「ナチス=ドイツってすごいんだぜ!」と国外にアピールしまくったのです。

ちなみに、ムッソリーニが利用した第2回サッカーワールドカップですが、イタリアは優勝します。

けれど、その裏では第1回大会で活躍したアルゼンチンからイタリア系の選手を引き抜いたり、審判を買収してたりしていて「最悪のワールドカップ」と言われているのです……。

ムッソリーニはヒトラーが嫌いだった!?

ヒトラーはムッソリーニを師匠と仰ぎ、尊敬していました。

1934年6月にヴェネツィアでムッソリーニとヒトラーは最初の会合をもち、はじめて会いました。

ヒトラーの最初の外国訪問でもあり、イタリアをムッソリーニを重要視していたことがよく分かります。

会合が終わり、ドイツへ帰国するヒトラーは興奮しながら「ああいう人は千年に1人しか生まれない。彼がフランス人じゃなくてイタリア人だったのは幸運だ!」と褒めたたえました。

ヒトラーのフランス人嫌いは有名です。

しかし、対照的にムッソリーニはヒトラーを嫌いました。

ヒトラーの著書の『我が闘争』については「あんなもの一度も読めたもんじゃない」と言い、ヒトラーのことを「道化師」と評しました。

最初の会合の時、ムッソリーニは「ユダヤ人と教会を迫害するのは常軌を逸している」と警告さえしました。

その警告は聞き入れられませんでしたが。

同じファシズムを掲げていた2人でしたが、一致していたわけではなかったのです。

しかし、前述しましたがムッソリーニは晩年嫌っていたヒトラーの操り人形となってしまいます。

人生何が起こるか分かりませんね……。

 ユダヤ人への対応の違い

ヒトラーがユダヤ人を利用し毛嫌いし、非人道的なことを行ったことは皆さんご存じだと思います。

ファシズムという政治思想がユダヤ人への差別的行為をしたと思われがちですが、そうではありません。

ユダヤ人を迫害し虐殺したのはヒトラーでありナチスドイツで、ムッソリーニはユダヤ人を迫害もしないし差別もしませんでした。

ムッソリーニの敵は〇〇人などの人種にはなく、共産主義者、反ファシストの人だったのです。

イタリア国内にはファシストを支持するユダヤ人もいたので当然といえば当然ですよね。

ナチスのホロコースト(ユダヤ人絶滅政策・大量虐殺)がはじまると、ムッソリーニはユダヤ人たちをナチスの絶滅収容所に入れることを拒否して、何千人ものユダヤ人を救っています。

第二次世界大戦の戦勝国になった国で「ユダヤ人を救おう!」という理由で参戦した国がいなかったように、ムッソリーニもユダヤ人を虐殺しようとして参戦したわけではなかったのです。

【前半】ムッソリーニって何をした人?功績やムッソリーニ の最後など詳しく解説!ヒトラーが狂信的なほど崇拝していたイタリアのムッソリーニ。彼はファシズムの創設者であり、イタリアのカリスマ的指導者。彼はヒトラーにも劣らない波乱万丈な人生を送っています。...

ムッソリーニの人となり

ムッソリーニはイタリアを約21年間治めた独裁者でした。

ムッソリーニの意志でイタリアの政治のすべては決められましたし、彼自身は「イタリアの父」になることを望み、民衆もそれを望んだのでした。

実際に行ったことの良し悪しはともかく、リーダーの素質をもっていました。

1日の大半を新聞を読んだり政治活動に費やし、優れた演説家でもありました。

また相手の性格や素質をを素早く理解する能力に優れていたといいます。

そんなムッソリーニですが、歴史上の独裁者のなかで見てみると少し違った側面が見えてきます。

その側面は実に、人間臭くて憎み切れないところがあるのです。

善良ではなかったが、邪悪ではなかった独裁者

Unknown authorUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons

皆さんは独裁者と聞くと何をイメージしますか?

政治のすべての決定権をもっていて、神のように崇められ、気に入らない奴は粛清してしまう……。

こんなところではないでしょうか。

ムッソリーニは独裁者ではありましたが、暴君ではありませんでした。

歴史上、独裁者といわれる人物は必ずと言っていいほど権力を保持するため、邪魔な奴を粛清します。しかもみせつけのために大量虐殺という手段を使うことが多いです。

ムッソリーニもファシスト党の一党独裁を作り上げたので粛清はしていますが、大量虐殺という手段は行っていません。

精神的な圧力はかけましたが、暴力ではなくあくまでも法の力でことを行っています。

国外からもムッソリーニにたいして賛辞の声があったのも事実です。

男性だけではなく、女性からも人気が高かった人物でした。

ムッソリーニは猫派だった?!

ムッソリーニは好きなことが多い人物でした。美食家で、おしゃれ好き。

スポーツも好きだったムッソリーニはフェイシングをたしなんでいました。練習風景が写真にも残っています。

生涯で決闘を5回も行ったそうです。

ここで、ビックリする話があります。ムッソリーニは動物好きで知られていて、特に猫が好きでした。

猫かわいいよね、と思いますが……猫は猫でも、ムッソリーニが飼っていたのは子どもの雌のライオンだったのです!

リードにつけて散歩してもしていました。

同じネコ科でも、家ネコとライオンでは違いすぎですよね……。

イタリアと名付けた雌ライオンを、ムッソリーニは大変可愛がっていました。

しかし幼獣から成獣になるとうなり声は大きいし、近所には危険だしという理由で、渋々動物園に寄付することになったというエピソードが残されています。

やることが凡人じゃないですよね!

ムッソリーニって何をした人?功績や最後などを解説! まとめ

いかがだったでしょうか。

実はムッソリーニは、今もイタリアの人に尊敬されています。

彼のお墓には花が絶えず、ローマ行進の記念日や誕生日、死んだ日などには教会のミサが行われ、多くのファシストたちが集まります。

イタリアでは今でもファシストを支持している人たちがいるのです。

2021年10月には、ムッソリーニの孫娘のラケーレ・ムッソリーニ氏がローマ市議会議員に当選し、ニュースにもなりました。

イタリアの新聞やテレビではムッソリーニに関する議論が日常的に行われており、良くも悪くも今なお人々を引き付けています。

何が善で何が悪なのか区別することはとても難しいように、ムッソリーニがしたことが善か悪かは断定することは簡単にはできません。

確かなことは、ファシストの生みの親であり、歴史に大きくその名を刻んで然るべき人物だということです。

多方面から調べることで、歴史の偉人についての知識がよりよく深まることができるのではないでしょうか。

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参考文献
『ムッソリーニ 上・下』 著:ニコラス・ファレル 訳:柴野均  白水社
『詳説世界史研究』 編者:木村靖二 岸本美緒 小松久男 山川出版社
『公立高校教師youtuberが書いた一度読んだら絶対に忘れない世界史人物事典』著:山田圭一SBクリエィティブ株式会社
『ムッソリーニの孫娘、ローマ市議会選でトップ当選』https://www.cnn.co.jp/world/35177777.html

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