アジア歴史

【前半】ムッソリーニって何をした人?功績やムッソリーニ の最後など詳しく解説!

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皆さん、こんにちは!

今でも世界で争いは絶えませんが、20世紀は2つの世界大戦があり戦争の世紀と言われるくらい混迷していました。

そんな混迷の時代に、イタリアにムッソリーニという一人の男が現れます。

ムッソリーニはファシズムという新しい政治体制を作りました。

ファシズムってヒトラーじゃなかったっけ?とか、ムッソリーニって教科書に載ってたけど具体的に何をした人だっけ?と思っている方がいるかもしれません。

今回は、ムッソリーニについて解説していきたいと思います!

ムッソリーニ~ファシズムの生みの親~

 中学校や高校の歴史の授業で、必ず習うものにファシズムという用語があります。

ファシズムと聞くと何をイメージしますか?ヒトラー、ナチス、ユダヤ人への迫害……。ほとんどの人がそんなイメージかもしれません。

第二次世界大戦を引き起こし、世界を恐怖のどん底に落としたヒトラーの印象があまりにも強すぎて、ファシズムという政治体制はヒトラーが一から作り上げたように錯覚してしまいますが、そうではないんです!

ファシズムを最初に作り上げたのはイタリアのムッソリーニとう政治家だったのです!

ムッソリーニはファシズムにおいてヒトラーの先輩になるのです。

戦争の世紀に現れたイタリアの巨魁

 ムッソリーニは世界史の教科書に必ず太文字でてくる人物です。

けれど日本人にとって、ヒトラーほど強烈な印象はなくナチスドイツの仲間だったんでしょ?程度の印象しかないかもしれません。

しかし、それは間違った印象なんです!

ムッソリーニには世界史で名を残すに値する、イタリアの巨魁なのです。

ムッソリーニと同時代を生きた、ローマ・カトリックの教皇ピウス11世はムッソリーニのことを「イタリアを救うために神から遣わされた人物」と評しています。

第二次世界大戦でイタリアの敵国関係になったアメリカのローマ駐在大使だったウォッシュバーン・チャイルドは「同時代のイタリアでもっとも偉大な人物」と評しました。

また、イギリスの首相を務めたウィンストン・チャーチルは「ローマの天才」と称えました。

ムッソリーニは自身が政治をしていた時はいわゆる独裁者でしたが、他国からの称賛があるということに驚きですよね。

ヒトラーが師と仰いだ男

第二次世界大戦ではドイツとイタリアそして日本は同盟を組んでいました。

第二次世界大戦を引き起こしたのはヒトラーです。

ヒトラーはドイツ国内をナチ党の一党独裁で治めた圧倒的であり絶対的な独裁者でしたが、見本がいました。

ヒトラーが見本にして、尊敬して師とまで仰いだ人物こそムッソリーニだったのです!

ヒトラーはあくまで、ムッソリーニが作り上げたファシズムを真似て、やがて自分色に染めていったのでした。

ムッソリーニの生涯

 

20世紀に起きた2つの世界大戦は、その時代を生きた人々を混迷へと巻き込みました。

ファシズムという政治体制も混迷の原因であり、悪の根源!というイメージを深く歴史に刻まれていますが、ここで注意したいことがあります。

ファシズムはムッソリーニが生み出した政治体制ですが、ムッソリーニの行ったファシズムとヒトラーが行ったファシズムは全くの一緒ではないということです。

ムッソリーニの生涯を見ていくことで、彼がどんな人生を歩み、どんな功績を残したか知ることで、彼もまた混迷の時代の被害者であった側面が見えてくるでしょう。

ムッソリーニ生い立ち

ベニート・ムッソリーニは1883年にイタリア王国に生まれました。

父親は鍛冶屋、母親は教師という比較的貧しい家庭で育ちました。

ただ、父親は当時世界中で大ブームだった社会主義に夢中であまり仕事に熱心ではなかったため、母親が家計を支えてる状態だったようです。

子供の頃は悪ガキだったようで、ムッソリーニ自身が自伝で「同年代の子供たちのガキ大将で、農作物を泥棒していた」と書き残してします。

やっていることは悪くても、小さな頃からリーダーの素質があったのでしょうか?

青年になると師範学校に入りますが、1年生の時にイタリアがアフリカのエチオピアを植民地にしようとはじめた戦争に、イタリアが負けたことで学校内がざわつきます。

自分の国が戦争に負けたことが、ムッソリーニが政治の世界に興味をもつきっかけとなりました。

師範学校時代から、持論の政治思想を演説していて、その能力は高いものでした。

卒業後は田舎町の教師になるのですが、あまり長期間勤めずに辞職し、スイスに放浪の旅にでます。

スイスでは肉体労働で生計をたてながら、いろんな語学を学び様々な人々と交流をもちました。

ムッソリーニにとってスイスで過ごした時期は、自分探しと自分磨きだったのかもしれませんね!

スイスでも政治活動にふれていたムッソリーニは、イタリアに帰国後も働きながら政治活動をしていくことになります。

戦争でボロボロのイタリア

1914年、ムッソリーニが31歳の頃、第一次世界大戦が勃発します。

第一次世界大戦は、産業革命が起こったことで世界的に経済が不況に陥ってしまったことからはじまりました。

各国は不況から脱しようとして植民地をどんどん作るぞ!と動き出します。

しかし植民地を多く獲得しようとすればするほど、利権やなんやらで各国がバッチバチに対立していきました。

いつ情勢がドカン!と爆発してもおかしくないなか、オーストリアの皇太子夫婦がセルビア人によって殺害されたサラエボ事件をきっかけに、あっという間にヨーロッパ全体が戦地になりました。

イタリアは当初、戦争には参加せずに中立の立場をとっていました。

しかし、そんなイタリアにイギリスとフランスが接近しました。

「俺たちに味方してくれたら、今オーストリア支配下にある領土をとか、戦後にあげる」

と秘密の条約を持ち掛けたのです!

植民地をもつことは、国が豊かになることだという風潮があった時代なので、イタリアはイギリス側に味方し、第一次世界大戦に参戦。

結果、戦勝国側になりました。

戦勝国になったのだから、戦後に恩恵をたくさん受けた……はずでした。

現実は違いました。

戦後に得られるはずだった領土はイタリアの思い通りには手に入らずじまいで終わってしまったのです。

しかも戦地から帰還した兵士たちは、わずかな手当をもらっただけで仕事が見つかりません。

大量失業やインフレ(物価があがる)による不況で、国民の不満は日に日に高まっていくばかりでした。

イタリアは第一次世界大戦に参戦したことによって、ボロボロになってしまったのでした……。

ファシズム誕生

第一次世界大戦の最中にロシアではロシア革命が起こり、ソビエト連邦が誕生しました。

ソ連は「世の中、金持ちと貧乏人がいて不平等だ。みんなが平等に働いて、平等にお金を得られる、みんなが平等な社会を目指そう!」という考えである社会主義を掲げて国の運営をはじめました。

その新しい政治の思想に世界中が熱狂し、大ブームとなりました。

もちろんイタリアにもそのブームの波は押し寄せます。

そのブームによって、金持ちの経営者と労働者は対立を深めていき、1920年のはじめ頃にイタリア北部で過激な労働者による工場占拠、つまりストライキ事件が発生します。

経営者側にとっては、「みんな平等に!」を掲げる社会主義という考えは迷惑極まりないのものでした。

自由にお金が稼げなくなってしまうから当然ですよね。

ずっと独自で政治活動を続けていたムッソリーニは、反社会主義を掲げて1919年に資本家たちや復員軍人(戦争に兵士として参加して、戦後一般人に戻った人)たちと手を組み、後のファシスト党の前身となる戦闘者ファッショという組織を作りました。

そこで、掲げられたのがファシズムという考えです。

ファシズムは「結束」を語源とした言葉です。

ムッソリーニ の説いたファシズムは「貧富の格差があるから、人々の間に階級が生まれてしまう。だから強制的に貧富の差をなくしてみんな平等にして幸せになろう!」という社会主義や「個人で自由に金を稼いで、個人で自由使う。それでいいじゃないか」という資本主義とは違っていました。

ムッソリーニ のファシズムは

「お金を稼ぐことは自由。だから階級があるのも認める。階級そのものをなくすのではなくて、お金持ちも貧乏人も協力して国のために尽くそうじゃないか。階級間での争いなんて終わらせようじゃないか」

という考えでした。

とてもいいもののように聞こえますが、このファシズムには国民は国のために働くべきであるというある種過激な側面ももっていたのです。

そして戦争そのものを肯定しました。

太平洋戦争中の日本も、個人の自由よりも「御国のために!」想教育がありましたが、それを想像すると分かりやすいかもしれません。

ムッソリーニの運動ははじめは小規模のもので、ほとんど支持を得ることができませんでした。

しかし、1920年にはじまった労働者運動が過激になっていくと「お金を稼ぎたいし社会主義は邪魔!」という考えの資本家や地主の支持をすごい勢いで得ていき、あっという間に大きな組織に成長していきます。

ムッソリーニは各地のファシズム勢力を、まとめて全国ファシスト党という組織に統合しました。

ローマ進軍・ムッソリーニ 政権を奪取!

1922年、ムッソリーニは実力で政権をとるために行動を開始します。

ムッソリーニはのちにローマ進軍といわれるクーデターを起こしました!

進軍の名の通り、ファシスト党員と「黒シャツ隊」と呼ばれる民兵組織がナポリから首都ローマにむけて行進をしたのです。

クーデターというと武力による血なまぐさいイメージがあって、行進することに何か効果あるの?と思うかもしれません。

結論からいうと、効果抜群だったんです。

まずローマ進軍に参加したファシスト党員たちは全員黒いシャツを着て団結感をアピールします。

また注目するところは進軍に参加した人数です。その数は実に4万人!

想像してみてください。4万人の黒いシャツを着た人たちが首都ローマを目指して、ただ歩いてくるのではなくザッザッと規律よく行進してくるんです!

怖いですよね……。ムッソリーニの狙いは、行進によって政府に圧力をかけることにありました。

ファシストは行進による圧力で、ローマを無血で占拠します。

政府はファシストを殲滅しようとしますが、イタリア国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は国内が混乱するのを恐れて、国王自らムッソリーニを首相に任命しました。

ムッソリーニは非人道的なことをせずに、合法的に首相となったのです!

イタリア復活 

首相になったムッソリーニは選挙の法律を変えて、ファシスト党の一党独裁を行えるようにしました。

独裁政権を行ったと聞くと悪い政策をどんどんしたのではないかと思いがちですが、そこは違います。

ムッソリーニは自動車専用の道路網の建設や鉄道の電化をすすめ、インフラを整えました。

また農地の改良などの公共事業も行い、母子保健・労働災害保険などの社会立法を制定しました。

またイタリア王国はローマ教会と対立していたのですが、ラテラノ条約という条約を結びヴァチカン市国が成立することとなり、ローマ教会との不和を解決しました。

加えて、ムッソリーニは演説が大変上手で人々の心を掴むことに長けていました。

ヒトラーの雄弁さは彼ゆずりだったのね

ムッソリーニの行った政策もそうですが、巧妙なテクニックによって国民から圧倒的な支持を得るまでになったのです。

一方で1929年に世界恐慌が起こり、国内が不況に見舞われます。

「不況から脱するには、資源をより多く得なきゃいけない。植民地を獲得するぞ」と侵略戦争を推し進めていきます。

イタリアとドイツとの関係強化・そして第二次世界大戦参戦へ

話は少し変わりますが、第一次世界大戦後に国際連盟というものが発足していました。

歴史上初の世界大戦を経験した結果、国際連盟は世界の平和と国際協力の促進を目的として作られたのです。

ファシズムはもともと「植民地戦争はやっていいこと。GO!GO!」という考えがあります。

ムッソリーニはイタリアを中心として地中海沿岸の国をイタリアの支配下に置くぞ!という地中海帝国を掲げていました。

ムッソリーニ ・エチオピア侵略

ムッソリーニはイタリア領ソマリアとエチオピアの間で発生した国境紛争を口実に、エチオピアを植民地化しようと軍を集結させます。

それにたいしてエチオピアは国際連盟に「イタリアが攻めてくる気満々だから、第3者として事を解決して!」と国際連盟に訴えました。

国際連盟はイタリアのエチオピアへの侵攻を止めようと、いろいろな案をイタリアに提案しますが、ムッソリーニはそれを拒否!

エチオピアへ侵攻を開始してしまいます。

それには「おいおい、イタリアよ何やってくれちゃってんの!」と国際連盟はイタリアに対して国際連盟として初の経済制裁を発動します。

これにはイタリアも打撃を受けます。

しかし、エチオピアへの侵攻はやめず、ついにはエチオピアを支配下においてしまいました。

ドイツと手を組むイタリア

エチオピア侵攻時にも経済制裁は続いています。

ムッソリーニはどうしたと思いますか?

ムッソリーニは国際連盟の言うことは聞かずに、国際連盟の経済制裁に加わっていなかったドイツとの経済関係を強めていくことにしたのです。

イタリアとドイツは当時、同じファシズム体制でしたがはじめから仲良し同士ではありませんでした。

ムッソリーニはヒトラーが自分の真似をして、政治をしているのを知っていたので先輩ということもあって「ドイツをコントロールしてやるぞ」くらいの気持ちは持っていたのかもしれません。

しかし、経済的結びつきが強くなればなるほどドイツへの依存するようになっていきます。

経済だけではく軍事面で関係強化に!

1936年にはスペインで内戦が勃発したのですが、社会主義と対立するスペインのフランコ将軍をムッソリーニとヒトラーが支援します。

これによって経済的関係だけではなく、軍事力的にも結びつきを強めていくことになっていきました。

ドイツがチェコスロヴァキアに侵攻すれば、イタリアは地中海沿岸のアルバニアに侵攻したりと連携をとるようになります。

そしてついに、1939年9月ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発します。

ムッソリーニは考えました。

「ヒトラーがヨーロッパ本土で戦争をしているうちに、イタリアは地中海沿岸国とアフリカを手にいれるぞ!」と。

ムッソリーニはドイツの連戦連勝の快進撃を見て、「いける!」と思ったのでしょうか。

1940年6月に第二次世界大戦にドイツ側に参戦、フランスとイギリスに宣戦布告します。

しかしこれが大きな誤りでした。

この時、ヒトラーから離れてドイツ側に参戦しなければ、イタリアの情勢もムッソリーニのその後の人生も変わったことでしょう。

【後編】ムッソリーニって何をした人?功績やムッソリーニ の最後など詳しく解説!【前半】ムッソリーニって何をした人?をの続きになります。 ここからはドイツ側について第二次世界大戦に参戦したイタリアのその後を解説して...

【前半】ムッソリーニって何をした人?まとめ

いかがでしたが?

ムッソリーニ が何をした人なのかだいたいわかっていただけましたか?ヒトラーが師と崇めていたムッソリーニ 。

ヒトラーと共に協力しながら戦争をすすめていったムッソリーニ でしたが第二次世界大戦では悲惨は運命が待ち受けていました。

ということでここからは「【後半】ムッソリーニって何をした人?」で続きをお楽しみください。

 

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