ヨーロッパ歴史

ミケランジェロの彫刻作品と生涯をわかりやすく解説します!

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今から550年以上昔、日本では室町時代のころ。

イタリアは「ルネサンス」という、とても華やかな時代でした。ルネサンスときくと、スポーツクラブを思い出すかもしれませんが・・・

もともとは、このころのイタリアの文化についてつけられた名前だったんです!

ルネサンスの時代、イタリアには超有名な芸術家がたくさんいました。

ホタテ貝の上に美女が乗っている、教科書でよく見る「春」という絵。

あれを描いたのはルネサンス時代の画家のボッティチェリ

「それでも地球はまわっている」といって自分の考えを曲げなかった天文学者ガリレオ。何でも設計し、何でも作って、何でも描いてしまう万能の天才、レオナルド=ダ=ヴィンチ

天才だらけのルネサンスの中で、彫刻をつくらせたら「イタリアNo1」といわれた人がいました。

それが、ミケランジェロです。

今回は、ミケランジェロの生涯についてわかりやすく解説します!

ひたすら修業に明け暮れた少年時代

1475年、ミケランジェロはトスカーナ地方のカプレーゼに生まれました。

トスカーナ地方といえば、ルネサンスの中心の一つであるフィレンツェがある地域です。1481年に母を亡くしてしまうなど、少年時代はかなり寂しい思いもしたようですね。

ルネサンスの時代、芸術家になるためにはどうしなければいけないか知っていますか?

答えは、修業。

ただの修業ではだめで、腕のいい職人の工房に入って弟子入りし、技を磨かなければなりませんでした。

ミケランジェロといえば「天才」といわれる人。修業なんかしなくてもすごい作品を造れそうですが、ミケランジェロは若いころに熱心に修業して腕を鍛え上げます。

ミケランジェロが13歳で弟子入りしたのは画家のドメニコ・ギルランダイオ

なんか、すごくカッコいい名前ですね!

弟子入りして1年後、ミケランジェロが14歳の時、ギルランダイオの弟子代表としてフィレンツェナンバー1の政治家、ロレンツォ・デ・メディチのもとに派遣されます。

それだけ、信頼されていたのでしょうね。

名作を次々と生み出した青年時代

ロレンツォの死後、フィレンツェは聖職者サヴォナローラの支配下に入ります。

堅苦しい、まじめな聖職者であるサヴォナローラは芸術を否定。ミケランジェロはローマに移り住みました。

1498年、ミケランジェロは「ピエタ」という彫刻作品を作ります。

「ピエタ」は、十字架で処刑されたイエス・キリストの遺体を母であるマリアが抱きかかえる姿を描いた彫刻。

韓国の映画にも「嘆きのピエタ」という息子と母の愛(?)を描いた作品がありますよね。 内容はミケランジェロの美しい「ピエタ」からは想像もできないほどの残虐なシーン満載の映画です。

心臓弱い人は要注意です、見終わったあとはしばらく精神病みます。

話をもどして、、

このミケランジェロの「サンピエトロのピエタ」とよばれるこの作品は、今でも誰にもまねできない傑作だといわれていますよ。

出典元:https://ja.wikipedia.org/wiki/ピエタ

 

二つ目の名作は、あの「ダヴィデ像」

裸のイケメンの青年がゴリアテという巨人と戦っている様子を描いた彫刻。世界各地にレプリカが置かれているので、見たことがある人もいるかも。

三つ目の作品はローマにあるシスティーナ礼拝堂の天井画です。

しかし、この仕事はミケランジェロにとってあまり乗り気ではなかったようです。ミケランジェロは自分のことを彫刻家だと思っていました。

だから、絵の依頼はあまり好きではなかったようです。

しかし、今残っているシスティーナ礼拝堂の天井画は、とても「いやいやながら描いた」とは思えない素敵な絵です。

しかも、ものすごく細かくて複雑なお話を描いています。

天井画に登場する人物はなんと300人!絵の好きな人でも、300人描き分けるのはとても大変だと思います。ミケランジェロの凄さがわかりますね。

意外と長生きだったミケランジェロ、最後まで彫っていた作品とは?

ルネサンスの時代、今と比べて病院や医学のレベルが高くなかったので長生きするのは大変なことでした。

ミケランジェロは何歳まで生きたか知っていますか?

なんと、ミケランジェロは88歳まで生きたんです。すごいですね。

当時としてはかなり御長寿のおじいちゃんだったのでしょう。

同時代のライバルたちは、とっくの昔に死んでいました。

ダヴィンチやラファエロはミケランジェロが死ぬ40年以上前に亡くなっています。知っている人たちが次々と死んでいく中、一人残されたミケランジェロはどのような気持ちで亡くなる人を見送ったのでしょう。

ミケランジェロが最後の最後まで彫り続けていた作品が、北イタリアのミラノに残されています。

「ロンダニーニのピエタ」とよばれるこの作品は、どう見ても未完成。

引用元:https://4travel.jp/travelogue/11043089

 

若いころに作った「サンピエトロのピエタ」とは全く別の作品なんです。

「ロンダニーニのピエタ」を彫っていたとき、ミケランジェロは目が見えなくなっていたといいます。おまけに、腰は曲がり、頭を上げることも難しい状態でした。それでも、ミケランジェロは、一生懸命彫り続けたそうです。

ミケランジェロの生涯をわかりやすく解説します!まとめ

病気によって、若いころのように動けなくなり、目も見えなくなったミケランジェロ。

見えない目でミケランジェロは何を造ろうとしていたのでしょうか。

ミケランジェロは亡くなる前日まで、「ロンダニーニのピエタ」を彫り続けたそうです。

1564年2月18日。

日本では、信長や秀吉が活躍し始めたころにミケランジェロはなくなりました。

長生きしたとはいえ、ミケランジェロの最後はなんだか幸せとはいいがたいですよね。そこまでして掘り続けたピエタにどんな想いがあったのでしょうか?

今回はミケランジェロの生涯について書きましたが、ミケランジェロのことを知って作品をみると、より感慨深いものがあるかと思います。

イタリアに行くことがあれば、ぜひ、ミケランジェロの本物の彫刻を見に行ってくださいね。

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